DAY 4

 ううー! 朝っぱらからむしゃくしゃするったら! 僕は頭をかきむしりながら、制御盤の前で苦悶していた。なんだよ、これ! めっちゃめちゃ分かりにくいマニュアルだわ。知ってる人向けの手抜きマニュアル作ってどうすんだよ。まったく!


「くそう!」


 打抜機の設定。金型セットしてデフォルトの設定で動かす分には、別に僕でなくても誰にでも出来ると思う。でも、デフォルトの設定はとろ過ぎるんだ。打ち抜きの速さや加圧量を調整して、処理速度を上げてやらないと使い物にならない。でも、その設定変更の手順が死ぬほどめんどくさい。これ設計したやつ、自分で機械動かしたことないんじゃないのかあ? くっそ腹立つわ!


 ぶりぶりむくれながら、訳の分からないマニュアル片手に悪戦苦闘しているところに、生産部の折野部長が近付いてきた。珍しいなあ。あんまり工場には来ないのに。顔付きを見る限り、僕に何かクレームを言いに来たわけじゃないみたいだ。なんだろ?


「三田くん、どうだい?」

「って、この新型機ですか?」

「ああ」

「新しい機械だから、性能はいいですね。でも」

「何か、問題か?」


 僕は苦笑しながら、マニュアルを掲げた。


「これ書いたやつに、小学生からもっかいやり直せって言いたいです」


 僕の手からひょいとマニュアルの冊子を取り上げた部長は、それをぱらぱらとめくって。


「うわ」


 間違って正露丸噛んじゃったみたいな顔になった。


「僕が書いた方が、まだましっすよ」

「ひでえな。こりゃあどうにもならん。そうかあ」


 折野部長は打抜機の動きを腕組みしてじっと見ていたけど、くるっと振り返って答えた。


「ここの技術担当を読んで、もう一度説明をさせる。その時に、マニュアルをもう少しマシにしろって俺から直にプレッシャーかけとくよ。これじゃ、ひどすぎる」

「助かります!」

「ああ、それでな」


 打抜機の方は、ついでなんだろう。部長は何を話しにきたんだろう?


「はい」

「中瀬さんのことなんだが」


 さっきと同じくらい渋い顔になった部長が、僕の前ででっかい溜息をついた。


「はあっ」

「何か?」

「いや、がんちゃんが気難しいのは今に始まったことじゃないけどさ。ここのところ、ちょっと常軌を逸しててね」

「トラブル、ですか?」

「直に言うと、そういうことだ。技術的な指導というところをもうはみ出していて、嫌がらせに近い。少なくとも他の社員にそう思われてる」

「そんな……」

「君は、数少ないがんちゃんのお気に入りだからな。もちろん、だからと言ってがんちゃんが君にだけ甘くしてるってことじゃないさ。彼はえこひいきはしない」

「はい!」

「でも、彼の苦言が生産性に活かされないのは、俺は困るんだよ」


 そういうことか。中瀬さんも、丸めた言い方はしない人だからなあ。


「まだ経験の浅い若い君の立場で、彼に何か言うことなんか出来ないさ。それは俺にも分かる。だから、雑談の時にでもがんちゃんが何に苛立っているのかをそれとなく探ってくれないか?」

「僕に出来るんでしょうか?」

「どうしてもやれとは言わないし、言えないよ。がんちゃんを下手に刺激してヘソを曲げられたら、現場がほんとに困る。あくまでもヒントだけでいい。頼めるかい?」

「ううー。荷が重いですけど」

「がんちゃんは、間違いなくうちの社の大看板で功労者さ。だから最後までそうしてあげたいんだよ。今のうちに打てる手を打っておかないと、彼を現場から外さざるを得なくなる」

「それは!」

「まずいだろ?」

「はい」


 部長が、うなりを上げて稼働している打抜機をぽんと叩いた。


「こういう自動制御の便利な機械が出回る前。俺らが手繰りの旋盤やフライス盤で全部加工をやっていた時代。がんちゃんは間違いなく俺らのヒーローだったし、今でもその腕は錆びてない」

「はい!」

「でも、今は腕の使い所が変わってるんだよ。がんちゃんだって、それが分からんわけはないさ。いくら頑固だって言っても、自分の役回りが昔とは違うってことはちゃんと心得てるんだ。喜んでではないだろうけど、これまではアジャストしようとしてきたんだよ」

「はい」

「でもここんとこ、それが悪い意味で振り出しに戻っちゃってる感じでな」

「そうすか……」

「年末の忙しい時に込み入ったことを頼んで済まんが、熱心な君を見込んで」


 部長が、平社員の若造の僕に丁寧に頭を下げて、帰っていった。


「よろしく頼む」


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