風編みの歌8 蹴鞠《けまり》の儀

「くそ! またウサギの耳がっ……」

 あれから幾日も試しているのに、今日も変身術は大失敗。

 意気消沈の僕が厠から出れば。行事開催を知らせる鐘がごぉんごぉんと、寺院中に鳴り響いている。鐘の音に呼ばれるように、黒き衣の導師様たちが一斉にぞろぞろと、会合の広場へ向かっていく。

 あ。確か、今日は……。

「ごきげんよう、アスパシオンの。まもなく、長老様たちの蹴鞠けまりの儀が始まりますよ」

 回廊の向こうから、ハーブの束を抱えたリンが僕に近づいてきた。

「儀式を観戦できるのは、導師さまだけですけどね」

「すごく白熱するんだってね」

「ええ、長老様方が、互いにしのぎを削られますから」

 蹴鞠けまりの儀。

 それは長老様たちの大事なおつとめ、「湖渡り」のために先立って行われる儀式だ。 

 年一度、夏至の日に長老様たちは船で湖の向こうの街に渡り、果て町の管理官から新しく弟子となる捧げ子を受け取ってこられる。街へ行けば、お酒もご馳走もたっぷり。神様のごとき歓待を受け、街の人々からたくさん供物やお土産をいただく。

 だが。

 船に乗れるのは五人だけ。残りの二人は留守番となる。その留守役を、これから会合の広場で行う儀式で決めるのだ。

「アスパシオンの。あなたも観戦しますか?」

「え?」

「こっそり見られますよ。会合の広場の外壁に、穴が開いているところがあるのです。これから私はそこへ行くのですが、一緒にいかが?」

 僕はびっくりしてリンを見つめた。まさか真面目で超堅物で通っているリンが、覗き見を誘ってくるなんて。

「意外でしたか?」

 必死に頭を横に振る僕を見て、リンはくすくす笑う

「実は私、毎年この儀式をこっそり観戦しているの。蹴鞠けまりが大好きなものですから」

 僕たち蒼き衣の弟子も、黒き衣の導師も、みなほとんど蹴鞠けまりをたしなんでいる。狭い寺院の中に住む者たちの、格好の運動不足解消になるスポーツだからだ。そして盛夏になると、弟子たちの間では寺院公式の大会が開かているんだけど。

「そういえば……リンって蹴鞠けまりがすごく上手だよね?」

 確かリンは、昨年準優勝したような。リンは、ほんのり頬を赤らめてうなずいた。

「スメルニア宮中では、皇子が必ずたしなむものですから。私は物心ついた時から、皮球を蹴っておりました」

「皇子のたしなみ?」

 リンは皇女のはずじゃ?

「私はメニスなので本来なら皇子となるはずが、母さまが皇女としてお育てになったのです。宮中の継承争いに巻き込まれぬようにとね。でも、男のたしなみもひと通り学んでおけと仕込まれました」

「あ……なるほど」

 リンはメニスの混血。人間とは違う異種族の血が混じっている。水鏡の里という秘境に住まうその種族は、大人になると両性になる、と聞いたことがある。その特殊な血統のせいか、リンの体はほわりと甘い匂いがする。

「幼いころからやってたのか。それなら僕とはずいぶん年季が違うな」

「さあ、ハーブを持って。もし誰かに見咎められたら、岩と壁の間に生えているハーブを摘んでいると答えるのよ」

 トルがいなくなって寂しそうにしている僕に、リンは気を使ってくれているんだろう。僕はじわりと嬉しくなり、心の中で感謝した。

(ありがとう、リン!)

 僕を連れて中庭を突っ切り、広場の外壁と岩壁の間に入りこもうとしたリンは、突然ふと足を止め、くすくす笑いかけてきた。

「その耳、かわいいですね」

 あ! ウサギ耳! 消すの忘れ……!

「変身術はとても難しいですよ。一説によれば……」

 リンは、菫の瞳を優しげに細めた。

「術者の前世が深く関わってくると言われています。すなわち、前世でなったものにしか、変身できないのだそうです」

 前世……。ああ、僕の前世って、確か……


 ウサギ?


 嘘だろ……やっぱり僕の前世って、中庭に眠ってるウサギのペペ? それで、いつもウサギの耳が生えるのか?

 僕はうなだれながら韻律を打ち消す呪文を唱えて、長い耳を消した。うう、認めたくない。我が師の見込み通りだったとか、悔しすぎる。

 もしそうならば。ああそれならば。

 どうかウサギの前に、鳥になったことがありますように――!

「アスパシオンの、すごく狭いので気をつけて」

 僕とリンは、そそり立つ岩と会合の広場の壁の隙間に入り込み、壁に小さな穴がいくつか開いているところへ張り付いた。穴に目を当ててみれば、なるほど、円形の舞台がよく見える。導師様たちが舞台を円く囲む石の座席に整然と座り、儀式の開始を待っておられる。

「おや?」

 舞台にはすでに七人の長老さまが全員並びそろっているのに、儀式がなかなか始まらない。導師様たちの視線が、ひとつの座席に集中している。

 あそこは……ああ……。

「ひとつ空席ですね。あの席に座る方が来ていないので、みなさん待っておられるのでしょう」

 リンの言葉に僕は思いっきりひきつり、頭をごんと壁にぶつけた。

 ぽっかり空いているあの席は。舞台の真下の、一番序列の低い導師が座る席。

「ごめんリン……ちょっと……あそこに座らせてくる」

「いつものことながら大変ですね。いってらっしゃい」

 まったく……人様に迷惑かけるなんて!

 僕は何度もため息をつきながら、岩と壁の隙間からよろよろと出た。

 我が師を探すために。





――「落ちる! 落ちますぞ!」

「なに、これしき!」

 抜けるような青空の下。ぽおん、ぽおんと、白い皮球が石造りの舞台の上を飛び交っている。

 七人の長老様が輪になって、皮球を蹴り上げておられるのだ。皆さま必死の形相で。

 蹴鞠けまりのルールは簡単。大きな円を七つに割った陣地のひとつを自分の陣地とし、そこでボールを三回落とすと負け。胸と両足だけを使い、ボールは決して地につけてはならない。陣地の円の東西南北には、四種のご神木が置かれ、韻律を封じる結界が作られている。

「くう、落ちろ!」

「ほっほっ。バルバトスどの。韻律は効きませんぞ」

「いやいや願望だ。韻律など、放っては……おらぬ!」

 黒髭のバルバトス様がボールを足先で受け止め、えいやとそのまま蹴り上げる。ボールは弧を描き、中央の無陣地地帯を越え、最長老様の陣地へ。

 最長老様はサッと皮球の後ろに周りこみ、胸で受けるや優雅に空へひと蹴り。黒い衣の長い裾など、気にも留めない見事な足さばきだ。

 齢七十過ぎにもかかわらず、最長老さまは素晴らしい名足。その足取り軽い身のこなしに対して、舞台の周囲からどっと拍手が湧き上がる。黒き衣の導師様たちが、舞台の周りをぐるりと囲む石の座席にお座りになって、観戦なさっておられるのだ。

 で。

 蒼き衣の弟子の僕が、なぜずるずるこの会場内にいるのかというと。

「お師匠さま、ほら、ちゃんと席に座ってください。『蹴鞠の儀』を観戦するのは、導師の義務です」

「めんどくせえ……」

 厠にこもってサボッていた我が師を引っ張ってきたのはいいものの。グデグデでのろのろで本当に嫌そう。

 やっと座ったと思ったら今度は大あくびをして、不遜にもこそっと雑誌を広げ始めた。厠で見ていた『月刊王国島』だ。この前僕からパクったあの雑誌! 僕はあわてて雑誌をとりあげ、衣の袂に隠しこんだ。

「ちょっと! ここで見ちゃダメですって」

 よし、どさくさにまぎれて奪還成功!

「うええ、見せてくれよぉ。ご当地ゆる神特集面白いんだよぉ。向こう岸の街のゆる神さまがでかでか載ってんの。そいつがすんげーかわいいウサギの着ぐるみで、王国中で大人気になっててさあ」

 あー、あのきもかわいいピンクウサギの『ピピちゃん』ね。

「ダメです。ちゃんと真面目に試合見てください」

「いいから返せって……はぐっ!」

 雑誌を取り返そうとする我が師の顔面に、舞台から飛んできたボールが直撃した。

 ボールは羊の膀胱で中は綿詰め。怪我をすることはないが、我が師は座席の下にどぼん。

「アスパシオン!」

 舞台から長老トリトニウス様が降りてこられ、こちらにすっ飛んでこられる。大丈夫か、と声をかけてこられるのかと思いきや。

「いいところへ来た! 代理を頼む! あとひとつ落とせば、負けてしまうんじゃあぁ」

「うあぁ。だから来たくなかったんだってぇ!」

 がっくりうなだれる我が師。僕は思わず目を見開いた。

「はあ? お師匠さまが、蹴鞠の代理?」 

「知らんのかアスパシオンの。おまえの師は超上手いんだぞ。かつて蹴聖杯しゅうせいはいで何度も優勝をさらっとるんだ」

 蹴聖杯って……! 毎年夏に開かれる弟子たちの公式戦じゃないか。リンが昨年準優勝した……。

「いや俺、ヘタだから。ほんと、俺に似て弟子も万年初戦敗退だし」

 我が師がそらぞらしく笑う。うう。自慢じゃないが、僕はかなりの運動音痴。リフティングなんて三回も続かない……って、いつも観戦を嫌がるから、我が師は蹴鞠けまりなんか全っ然興味ないんだと思ってたよ。

「いいから来い!」

 トリトニウス様は我が師を、無理やり舞台へ引っ張っていかれた。

「卑怯だぞトリトニウス! ならば私は、ダンダロスに代理を要請する!」

 トリトニウス様と同じく、あと一回落とせば敗退の長老シドニウス様が、石の座席からダンダロス様を引っ張ってくる。この方は弟子たちに指導なさるほどの名足だ。

「蹴聖杯の優勝経験者を二人も引っ張り出すとは。軟弱な奴らめ」

 ただ一人、まだ一度も皮球を落とされておられないバルバトス様がちっと舌打ちなさる。ギラリと光った目に僕はびくりとした。トルの手紙を隠していた張本人に、一瞬見透かされたような気がしたからだ。

「俺、座ってピピちゃん特集見たいんだけどー」

「ピピちゃんだと? アスパシオン……わかった。では……」

 渋る我が師に、トリトニウス様がなにやら耳打ちをなさる。するとにわかに、我が師の目の色が変わってキラリ。こっちを見てニヤニヤ。

 うわ。一体何を吹き込まれたんだ。嫌な予感がする。

 代理二人が長老二人に代わって陣地に入り、試合が再開された。

「えっ……?」

 とたんに僕は目を見張った。確かに我が師……上手いじゃないか!

 胸で受け膝で体勢を整え、足で蹴り上げるその動作の、なんとリズミカルなこと。

 けど。なんで……衣脱いでるんだ? ふんどし一丁で超恥ずかしい。腰落としてドスコイって言ってるし。ダンダロス様なんか、優雅に衣の裾をひるがえしているというのに。しかも、この方の次にボールを蹴ろうとする方々が、たてつづけに失敗している。

「あれは竜巻球スクリューボール。微妙に回転がついているのだ」

 僕の近くに座る導師様がヒソヒソ解説するのが聞こえてくる。

「アレをまともに受けられるやつは……お?」

 我が師が竜巻球を受け返してる?! かなり本気な顔。そんなに耳打ちされた取引が魅力的だったのか?!

 ああついに、敗退者がひとり。がっくりうなだれ、舞台を降りていかれる長老カドニウス様。ふんどし姿の我が師は、ガッツポーズ。

「うっしゃあ! ピピちゃんの着ぐるみまであとひとり!」

 え。着ぐるみ?!

「待ってろ弟子! 可愛いウサギの着ぐるみ、着せてやるからな! これで俺、ピピちゃんと握手できるう♪」

 ちょっと待て。

 ええと……つまり……

 トリトニウス様は。ゆる神ピピちゃんの着ぐるみを。向こう岸の街から。お土産に持って帰ってやると……請け負ったんだな? 

 で? それを僕に着せて握手したい? あのピピちゃんと握手する?

 ……。

 ふっ……。

 ふざけるなあああああああ!!

「だ……」

 僕は思わず席を立ち。我が師を指さして叫んだ。

「だれが着ぐるみなんて着るか! おまえが着ろ! 僕が握手してもらう! ぎゅう~♪ もニンジンぶしゃーも、僕が! してもらうっ! だからおまえが着ろ! このクソオヤジぃいいいいっ!!」

「えっ……」

 ……! しまった! 怒りに任せて、あの雑誌が僕のものなのがばれ――。 

 回転する白い皮球が、口をぽかんと開ける我が師の顔面に落ちて。

「ほがっ」

 我が師は、もんどり打って倒れた。

 ああああ……! 僕は周囲の冷ややかな視線に真っ赤になって縮こまり、深くうなだれた。

 ああ……ピピちゃん……。

 さらば永遠に。





「へへへ。弟子もピピちゃんファンだったのかあ」

 うるさい。近寄よるな。そんなわけないだろ。

「だよなあ。超かわいいもんなあ、あれ」

 確かにかわいいのは認める。ちょっと面白いなと思ってただけだ。むぎゅうとかニンジンぶしゃーは神の祝福で、ご利益てきめんって書いてあったから。

「導師の間でも話題なんだぜ? 俺の雑誌大人気。『月刊王国島』、ひっぱりだこなの。みーんなで回し読みしてんのよ。あれでピピちゃん知って、みんなはまってるんだぜ」

 ふうん。あの雑誌、みんなに見せまくってるんだ。ていうか、おまえのじゃないだろ。 

「そう泣くなよ。ほらほら、貝のように膝かかえて落ち込んでないでさあ。師匠の俺様が、なんとかするって」

 泣いてないっての。肩叩くな。恥ずかしくて死にそうなだけだ。

 儀式が終わって。あまりの恥ずかしさに逃げるように船着場に走って。しゃがみこんでいる僕の視界に入ってくるうっとうしい我が師。

「あっちいってくださいよ」

 邪険に腕で押しのけると、優等生のリンの姿が視界の端に映った。固く緊張した顔で湖の岸辺に向かっていく。顔を上げて遠目に眺めれば――岸辺には、長老バルバとス様の姿。

 これは……。

「どったの弟子?」

「お師匠さま、静かにして」

「ん?」

 僕はごつごつした大きな岩の陰に移動した。リンは挑むような顔で、岸辺におられるバルバトス様に、封のしていない手紙を一通渡した。

「私の手紙を書き直しました。公式に署名をしてあります。中身はだいぶ変えて、なんら問題になるようなことはしたためておりません。元気でやっているか、という程度のものです。これでも、トルナーテ陛下に届けてくれないのですか?」

「だめだ。今はまだ、知り合いからの手紙を渡す時期ではない」

 バルバトス様はリンの手紙を一見して、さも残念そうに首を横に振った。

「トルは今必死に、今の環境に慣れようとがんばっている。友達の手紙を読ませてここを懐かしがらせては、あの子のためにはならんのだ」 

 リンも僕と同じく、バルバトス様が手紙を止めていることに気づいたのか。

 しかしさすが優等生、真正面から長老にぶつかるとは。リンはため息をつき、返された手紙をギュッと抱きしめた。

「師は、トルのためにあえてそうすると仰るのですね。トルのためを思って」

「そうだ」

「……わかりました。では、しばし待ちます。」

 リンはバルバトス様に一礼して、踵を返す。僕と我が師はサッと岩の陰に身を隠して彼をやりすごした。

「国主になるって大変なことだよなぁ」

「ですけど……」

「でもおまえには、トルからの手紙がきたんだよな。やっぱ仲良しは違うな」

 我が師がニッコリ誇らしげにへへへと鼻の下をこする。それはにせものの手紙だったと、僕は言えなかった。僕の計画がばれる恐れのあることは、露ほども匂わせてはいけない――。

 湖の岸辺に佇むバルバトス様は、それからしばらくの間、じっと湖を睨むように眺めておいでだった。

 本当にこの方は、トルのためを思ってるんだろうか。

 湖を眺める黒髭のお方のまなざしはとてもくらい。

 その貌は僕にはとても怪しく怖いもののように見えて、仕方がなかった。

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