風編みの歌5 魔法のお粥

 赤毛のトルが寺院を出てひと月後。

 『ビアンチェリ家の生き残りがメキドの新しい女王に即位し、ファラディアとメキドが休戦協定を結んだ』という大陸公報が流れた。

 北の辺境にある岩窟の寺院にも、供物船からメキドの噂が入ってきた。その内容は、

「若き女王陛下は瞬く間にメキド国内の混乱を収め、精力的に政を行っている」という、とても喜ばしいもの。僕はトルから手紙が来ないかと首を長くして待っていた。僕の方からは、週に一度くらいの間隔で自分の近況めいたものと励ましの言葉を書き送った。けれども返事はなしのつぶて。バルバトス様の方には、毎週供物船が来るたびに密書が届いているようなのに……。

 きっと忙しいのだろう。女王になったばかりな上に、王宮内も宮殿の外も混乱しているはず。落ち着いたらきっと僕に手紙を書いてくれる。

「トルは僕のことを忘れたわけじゃない……」

 そうおのれに言い聞かせ、僕は独り勉学に打ち込んだ。図書室で本を読み漁り、韻律を必死で覚えた。前にも増して、週変わりの当番にも精を出すようになった。 

 親友がいなくなり。ひとりで食事をするようになった寂しさに、耐えるために。





 さみだれがしとしと降る日。

 洗濯当番に当たった僕は、中庭に面した洗い場で、寝台の敷布をがしがし踏んで洗った。露天の中庭に雨が吹き込んできて、夏至も近いというのにひどい寒さだった。

 岩窟の寺院では、蒼き衣の弟子たちが週番制で様々な仕事をする。洗濯、掃除、調理、繕い物、家畜や畑の世話……三ヶ月ほどでひと通り全部の当番が回ってくる。

 冷たい雨風。これでは乾かぬだろうと思いながら吹きっさらしの岩場に洗濯物を干し終わると。岩塔の鐘楼から、夕刻を報せる時報がごんごん鳴り響いた。

 導師様たちが湖にせり出した岩の舞台に集まって風の歌を編み、寺院を護る結界を作る時刻だ。それが終わると、いよいよ夕餉。

 寺院には料理人などいない。年配の弟子たちが調理する。とはいえ食材は、湖の向こうの果て町から捧げられるパンやチーズの供物と魚だけ。

 メセフの網にかかる魚の種類はけっこうさまざま。コキッシュと呼ばれる白身でプルっとしてる魚は上物で長老様たちに供される。赤身のモンという魚は導師さまたちに。骨の多い小魚は僕ら弟子たちが食べる、といった具合だ。しかしその調理方法はみんな塩漬け。スープにしたり焼いたりはしない。火を通したら魚が吸い込んだ湖の地力を吐きだしてしまう。導師はその力を得なければならないから、加工は塩漬け以外だめなんだそうだ。そんなわけだから、この大陸中で魚の塩漬けだけは、我らが寺院の調理当番の右に出るものはいないだろう。

 急いで調理場に走り、我が師の食事を盆にもらって小食堂へ持って行く。我が師の弟子は僕一人。だからひとりで全部、我が師の世話をしてやらないといけない。

 数百人の弟子が一度に食事できる大食堂とは違い、小食堂はとても狭い。席の数七十に対して、導師さまは百人強。普段下位の導師さまは席が空くまでお待ちになるが、今日ばかりはいつまでたっても席は空かない。週に一度のお楽しみ、食事に加えて供物のワインが供される日で、みんな夜更けまで居座るからだ。

 ゆえに別の部屋からむりくり椅子がもちこまれ、下座はぎゅうぎゅうづめ。いつもの二倍の密度で、にぎやかに会話が弾むこととなる。

「北の王国の噂をご存知で? 変な風習が流行っているとか」

「ああ、毎夜宴会ばかり開いている王の所ですな?」

「宴の料理の数がなんと数百種類とかいう……」

「そこでガチョウの羽の軸で喉をつついて、お腹にたらふく入ったものを外に出してしまうのだそうで。

それからまた、続きを食して全種類味わうのだそうですよ」

「いやはやもったいない。パンと塩漬けの魚で、十分足りるのに」

 数百種類の宮廷料理って、一体どんなごちそうなんだろ。導師様たちの会話を聞きながら、我が師の杯にブドウ酒を注ぐ。ちなみに我が師は大のお酒好き。扱いは要注意だ。

「杯に入ってたの、少なかった! いつもより指一本分少なかった!」

 案の定、今回も木の酒杯に指を突っ込み、大声で僕に訴えてくる。

「お代わりくれ! いいだろ弟子ぃ? 指一本分でいいからぁ」

 もうほんと、どこかの居酒屋のオヤジそのものだ。

「酔いまわってますよ。もうやめましょう」

「らいじょおぶ! 指一本ぐらい、よゆー」

 大丈夫じゃない。ろれつ回ってないよこの人。しかし今夜は「指指」しつこい。「指」で攻めてくるつもりだな。

「指一本分ですね。はいはい」

 ぞんざいにうなずいて、水で十倍ぐらいに薄めたワインをほんのちょっぴり杯に注いでやれば。

「うおー。うまいー!」

 我が師は酔っ払うと味など全く分からなくなるので、薄めても絶対ばれない。

「弟子! でもちょっと足りないよ? 指一本分ってさあ……」

「ああ、縦に一本分のことですね。はいはい」

 これは想定内。僕がさらに水で数十倍に薄めたワインを杯に注いでやると。

「いい子だ弟子! とーちゃん感動! うれしいっ」

 立ち上がって腰くねくね踊り。どう? これ今、王都の若者の間で流行ってる踊りなんだってと、くねくね踊り。またデクリオン様の雑誌を盗み見たんだな。こんな父親、頼まれてもいらないよ。

「弟子ものめー!」

「だめですよ。弟子は飲酒禁止です」

「いいからのめー!」

「だめですって」 

「い・い・か・ら」

「うおぷ!」

 すっかりできあがった我が師は突然ざんと立ち上がり、僕の肩をひしと鷲づかみ。僕が盆に載せている「原液」のはいった水差しをひっつかんで、その先っちょをいきなり僕の口に突っ込んできた。

「弟子もそろそろ、お酒の味おぼえとけ。がはははは!」

 うわあ! 反射的にごっくり飲み込んじゃったじゃないか!

 これ、かなりの量が喉を通ったぞ。冗談じゃない。騒ぎ立てたら周りにばれる、罰を受ける。水差しからこぼしたら人目を引く。僕はそれはもう必死で水差しを押しのけ、口に入ったワインを黙って飲み下した。

 幸いほろ酔い加減の導師様たちは、部屋の隅のよっぱらいオヤジには眼もくれず、楽しく歓談されている。こちらの騒動には全く気づかなかったんだけど……

「う……なんか、ものが二重に見える……?」

 皿を下げようと手を伸ばしたとたん、頭がくらくら。足がふらつく。

 どん? なんだか音がしたぞ。あ、僕、食卓に倒れ込んで……る……





 目の前で誰かが泣いている。黒い髪の……女の人?

「かわいそうに、こんなに熱だして。ああ、神さま」

 女の人は、ぼろぼろ涙を流して僕の頭を撫でている。

 ああ、この人は僕の……。

 ということは、これは、夢?

「お粥作ってやるからね。ああどうか、食べておくれ」

 ほわりと、いい匂い。ああ、お粥だ。小さい頃よく食べた、卵入りの……

 手を伸ばす。でも手に触れるなり、女の人とそのお粥は、ふっと消えてしまう。

「ごめんね、ごめんね」

 女の人の姿が掻き消えたあと、誰かの泣き声が聞こえてくる。

 さっきとは違う声。

 突然フッと目の前に、小さな、黒い髪の男の子が現れる。

「死なないで。お願い死なないで」

 男の子がぼろぼろ涙を流して懇願してくる。

 これは……誰?

「これあげるから、死なないで。ペペ!」

 男の子の手には、大きなニンジン。

 その子が、ニンジンを僕に差し出してくる。

 何で? 僕、ウサギじゃない……ニンジンなんか、いらない……!

 腕を大きく振り薙ぐ。男の子の姿がかき消える。

 いらない! いらない!

 僕が欲しいのは。欲しいのは……。


 母さん……母さん……。


 夢の中で僕は泣いた。

 なんだかとても寂しくて寂しくて、たまらなかった。


 ああ、母さんのお粥が食べたい……。





 ハッと目を覚ませば。僕はお師匠様の部屋の寝台に寝かされていた。そばには涙ボロボロ、鼻水ズーズーの我が師がひっついている。

「弟子ぃいい! 目を覚ましたのか! よかったあ」

 我が師の後ろを見て蒼ざめる。なんと最長老さまが、天突く山のようにずんと立っておられるじゃないか。

 飲酒がばれた? こ、これは恐ろしい罰が下されるのでは……。

「やっと熱が下がったな。私の秘薬が効いたようでなによりだ」

 しかし最長老さまはニッコリなさり、しばらく養生しなさいと言い置いて部屋を出ていかれた。頭から疑問符を飛ばしまくる僕を、我が師がぎゅうと抱きしめてくる。

「弟子ぃ! おまえすごい高熱で三日三晩意識不明だったんだぞ。きっと変な風邪もらっちまったんだなあ。もう俺、弟子がマジで死んじゃうかと思ってあわてちまったよ……」

 風邪? 

 いや絶対、おまえがムリに飲ませたお酒のせいだろ。そうに決まってる! そんなヒイヒイ泣いたって許すもんか!

「熱下がってホントよかったなあ。あ、そうそう。おまえが熱でうんうん唸ってる間にさ。手紙きたぞ」

「えっ?」

 我が師が一通の封書をひらひらさせたのを、すかさずひったくる。差出人の名前を見たとたん、僕の顔は満面の笑みでほころんだ。

「トルからだ……!」

 待ちに待っていた親友からの手紙! 封を開けて中を見ると、短い手書きの、共通語で書かれた文章があった。

『アスパシオンのペペ。私は元気で過ごしています。心配しないでください』

 トルナーテ・ビアンチェリという公式の署名が、その分厚い立派な便箋の下にある。でもこの字、とても格式ばってかっちりしてて、異常なぐらい綺麗だ。これはトルの字じゃ……ない。

「やっぱり忙しいんだなぁ。書記官に書かせたんだろうな」

 代筆。それならアスワドって愛称で書かれないのも仕方ない。いや、それでもいい。それでもトルは元気でいるんだ。女王様から手紙をもらうなんて、平民にとっては一生の誉れになるぐらいのこと。きゅんと寂しさは感じたけど、僕は素直に嬉しくて一気に体が軽くなった。

「よかったトル……!」

「弟子、ほら食べろよ」

「え? なんですかお師匠さま。そのお盆に載ってる、異様な湯気が立ってるものは?」

「お粥」 


 なんだって? 


「おまえうんうんうなされて、お粥食べたいってしきりに呻くもんだから。俺、がんばって作っちゃった」 

 ちょっと待て。一体誰が、作ったって?

「だから俺が。作ったの。風邪の菌をぶっとばそうと、不老不死の秘匿韻律と、悪霊払いの最上級韻律と、神さまもぶっ飛ばす最強結界韻律をぐにぐにとお汁の中に封じてだな、」

 秘匿韻律? それ長老級しか知らない韻律じゃ……一体どうやって習得したんだ。いやそれより。

「生まれて初めてお粥つくっちゃったー♪ 弟子、食べて食べて♪」

 ごくりと息を飲む。目の前に突き出された椀の中にあるのは、黄色い泥沼。ところどころクレーターみたいな穴ができてて、ぶっつぶっつ音がたっている。湯気はおどろおどろしいオレンジ色。すっごくまずそう……。いりませ――。

「ふがっ!」

 木のスプーンにズモモと掬われたソレが、いきなり僕の口につっこまれた。


 !?!?!?!?!?!?!?!?!?


 瞬間。僕は口を覆って寝台に倒れ込んだ。

「ま、まずい? し、塩入れすぎた?」

 ち……ちくしょう……このクソオヤジ! 一体どんな魔法をかけやがっ……

「ちょっと! 布団かぶんないで。顔出してよ! 弟子! 弟子ー!」

 布団の中で歯を食いしばる。じわじわ出てくる涙を拭く。

「弟子! ごっ、ごめんね? ああどうしようっ。ごめんね弟子。口に合わなかったら出していいから! ああ、もっとニンジン入れればよかった。顔出してよ弟子ー!」

 ちくしょう、死んでも絶対言うもんか!


 母さんのお粥と、全く同じ味。だなんて……。

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