風編みの歌4 幻燈箱
本日、全体講義の時間を利用して、最長老様が特別講義をなさった。
教材は、地下の封印所から持ってこられた銀色の箱だ。岩窟の寺院の導師たちの務めは、地下の封印所を護ること。ゆえに封印所には、古代の遺物や記録がたくさん収められている。
封じられているものは、門外不出。でも
そんな特別な講義だから、今日の講義室は数百人の弟子たちでぎゅうぎゅう詰め。ひととおり全体講義を受けて基本教養を修めた年配の弟子たちまで押しかけてきている。
後ろの方には、黒き衣の導師さまの姿がちらほら。黒髭のバルバトス様や、氷のヒアキントス様、メディキウム様などが来てらっしゃる。導師様の中でも特に研究熱心な方々は、弟子と一緒に最長老さまの講義を聴講されている。
むろん、不真面目な我が師は、かつて聴講なんて一度もしたことが――
あれっ?
なんでいるんだ? ああもう、また鼻をほじって。
一体何しに……あ、古代の遺物を見に来たんだな。つまり野次馬根性というやつか。きっとそうに違いない。我が師には、向学心なんかこれっぽっちもないんだから。
「ええ、これが幻燈箱といい、エレキテルの波を受信して、この四角い画面に映像を映し出すというものである」
白い手袋をはめている最長老様が朗々と説明をなさる。封印所から出された銀色の貴重な遺物は、三千年も昔のものだそう。
最長老さまが箱のボタンをそっと押されると、箱の中にぽうっと幻が現れた。
とたんに僕たちは「おお!」とどよめいた。箱の中の幻が動いている。しかも音も出ている。
幻を見て、僕たちはさらに「おお!」と声をあげた。おそろいの服を着た女子が幾人も、箱の中に現れたからだ。そこは、どうやら男子禁制の寄宿学校のよう。男密度が高いこの寺院とは正反対の、まさしく女の園のようだ。
「これは、
あ。となりに座ってる赤毛のトルが、口を押さえてる。まさか気分悪いのか?
「いや、ああいう女の子ってボク苦手で……気持ち悪い」
そ、そうなのか。胸がぼんって膨らんでて、短いスカートはいて生足出してる女の子なんて、確かに刺激が強いけど、男勝りのトルは生理的にダメなのか……。
寺院の女の子たちは僕らとまったく同じ衣で胸がおしなべて平たい。性徴を抑制する特殊な飲み薬を飲んでいるせいだ。入院当日から、女性管理課の導師様が配給する。
『だからうちには、まともな大きさの胸の女がひとりもいないっしょ? 男か女かわからん感じの顔は如実に副作用さ。子どもはもちろん生めなくなる。聖印があるからわざわざそんなことしなくていいのにさ。まあそのおかげで俺はわざわざ、お椀をふたっつ並べて伏せたりとかっていう苦労をしなきゃなんないわけだよ』
だから俺は悪くない。
我が師はすごろく騒動の後そう一席ぶって、おのれの行為を正当化してきた。 お椀。丸パンの上にレーズン……。……。うう、嫌なこと思い出した。なにが苦労だ。
「この箱はエレキテルの波を受信するだけではなく、中に幻像を保存することもできるのである。今見せたのは、この箱の内部に保存されたものの一部であり、当時流行した連続物の
最長老様が箱のボタンをそっと押して幻を消された。
――「あ。ちょっと待って!」
そのとたん。うしろから、我が師の声が……。
「それ、続きどうなんの? 今ヒロインが、勝手にお嫁に行くことに決めた友達にうらぎり者って怒鳴りちらして泣いてたでしょ? それからどうなんの?」
あいつ! 婦女子の艶やかなる姿に関心を持ったのか?
「続き、見たいなあ」
最長老様が口をへの字に曲げて、我が師を睨みあげる。今にも呪いの言葉を飛ばしてきそうな雰囲気だ。今僕がしたいのは、他人のふり。もう……穴があったら入りたい。ものっ……すごく、恥ずかしい。我が師の代わりに謝罪しようと、僕が席を立とうとしたその時。
「私も、続きが視たい」
我が師の隣で聴講されていたバルバトス様が、そろそろと挙手なさった。
するとすかさずその隣におられるヒアキントス様も手をお挙げになられて。
「私も、続きが視たいですね」
さらにその隣のメディキウム様までが、
「わしも、続きが視たい」
と指をくわえて上目づかいに最長老様を凝視なさった。
ちょっと……!
なんでみなさま、我が師に加勢を? しかもセリフがみんな同じ? なんか雰囲気がおかしいぞ。
「僕も、続きが視たいです」
すると今度は一番前の左端の席から、蒼き衣の弟子がすっくと立って訴えるや。すぐ後ろの席の弟子が続けて立って、願い出た。
「俺も続きがみたいです」
「……わたくしも、続きが視たく思います」
なにこれ。クソ真面目な優等生のリンまで立ってるじゃないか。あ、ありえない……。
あれよあれよという間に、ひとりずつ、席順どおりに弟子たちが立ち上がっていく。
「僕も、続きが視たいです」
「僕も、続きが視たいです」
同じセリフを言って、きっちり席順通りに立っていく、蒼き衣の弟子たち。
なにこの連鎖運動。おかしい。絶対おかしい! 気持ち悪い!
最長老様は、なんだこれはと口をあんぐり。席を立つ弟子たちに唖然。あっという間に、僕の順番がやって来た。でも、あの幻像の続きなんて興味ないしと、ためらっていると。足元からそろそろと忍び寄る、異様な気配。これは……魔法の気配?!
まさかと思ってちろりと後ろを見れば……我が師がニコニコして口パクしている。
『た・ち・な・さ・い!』
ぶ。韻律呪文。しかも無音発声? なんて器用な真似を。みんなが立ってるのはあいつのせいか! ちっくしょう! 絶対立つものかと僕は足を踏ん張った。我が師の野望に屈するものかと。
でも。
師の魔法の力は有無を言わせぬすごいものだった。なんなんだ、この本気の魔力は。体が勝手に動く……!
反抗空しく。僕もあっけなく……「席を立たされて言わされ」た。超強力な、強制の魔力で。
「僕も、続きが視たいです……」
こうして弟子たち全員が立ったおかげで、銀の箱に再び
物語は愛憎もりだくさんの泥沼展開。もうえぐいのなんの。
主人公の赤毛の女の子は親友に裏切られて初恋の人を奪われ、しかも不治の病に。奇跡が起きて回復するも失明。新しい恋人と出会い結婚するのかと思いきや、そこへ昔の親友が再登場。泥沼の三角関係が幕を開け、しかも殺傷沙汰になるほどの痴話げんかぶり。
うわあ……女だらけの世界ってこわい……。マジでこわい……。み、見てられない……。赤毛のトルが隣で凍り付いてる。
「ボクの姉さまみたいだ……」
「え」
どっちが? 主人公? それとも親友?
こわくて、僕はついぞ聞けなかった。そしてさらに、視聴し終えて講義室を出て行く弟子たちの会話に思いっきり引きつった。
「
「あー、それ僕も思った。なんか急にそうしないとってそわそわしちゃってさ」
「目に見えない団結力ってやつか?」
「きっとそうだよ。僕、見てて感動したもの。だからつられて立っちゃったんだろうな」
――「弟子! 弟子!」
廊下に出ると、お師匠さまがくいくいと手招き。
「
え。自分が見たかったんじゃ? なにその、「お父さん子供のためにがんばっちゃった。てへ♪」って顔は。もしかしてこれって……伏せお椀教育の一環?!
「展開怖すぎて、正視できませんでした」
「えっ……」
「ていうか、」
僕は声をひそめて囁いた。
「人を操るとか勘弁して下さい。皆さまに気づかれなかったのはさすがですが」
そう、気づかれてない。あれだけ強力な魔法を使っておきながら。最長老様も弟子たちも、全然気づいていない。あの有無を言わせぬ強制の魔力、魔法の気配に。
なぜなら。我が師は魔法の気配を消すのがうまいのだ。でも、僕には分かる。我が師の魔力には特徴がある。言葉で言うのは難しいが、独特の気配と匂いがある。故意に隠そうとする気配、とでもいうようなものが。おそらく僕が、魔力が視える虹色の子だからなんだろう。
僕が全然喜んでないので、我が師はひどくがっくり。
「そんな……弟子を喜ばそうと思って、せっかく最上級韻律呪文駆使したのにい」
ちょ……最上級って……いやそれ、使いどころまちがってるよ。激しくまちがってるよ。
そんな落ち込んだ顔されても、大きなお世話だ! この勘違いオヤジ!
「えっと。僕を喜ばせたかったらですね、その魔法の気配を消す韻律教えてください。今からとっとと教えてください」
「うへえ。それめんどくさ――」
「部屋でみっちり講義お願いします。僕、また試験近いんです。でないと、あれ出しますよ」
「ふ、ふん。地獄の七霊なんかこわくないぞ。対抗呪文、徹夜で暗記したもんね」
「そんなこともあろうかと。業火の三賢者の召喚方法も新たに覚えました。ちょっと焼いてあげましょうか?」
「ひい! おまえまたいつのまに、そんなぶっそうなもんをっ」
「じゃあ、講義お願いしますね」
僕はにっこり顔で我が師の腕を掴んでずるずる引きずった。
そのおそろしい魔力を、もっと有意義なことに使えばいいのに、と呆れながら。でも我が師の力は、無駄に使い捨てられた方がいいのかも。
世のためには。
次の日。朝の魚採りをしに船着場へ行くと。赤毛のトルが悲しげな顔で僕に打ち明けてきた。
「アスワド……あのね。ボクは、この寺院を出て行かないといけないかもしれない」
「え? それってどういうこと?」
びっくりして聞き返す僕に、トルはしいっと人差し指を口にあててひそひそ囁いた。
「メキドの貴族連合と同盟を組んでる地下組織から密書が来たんだ。ファラディアが攻めてきて、国境付近で会戦になったんだけど、ファラディアが勝った。メキドの革命軍で内部分裂が起こって、主力だった魔人団が封じられたせいらしい」
「魔人団?」
「不死身の者どもたちだ。それで革命軍はずっと無敵だったんだよ。今回の戦で僕の父様からメキドの王位を奪った摂政は戦死。王を名乗ってた奴は逃亡したそうだ。貴族たちは喜んでるけど、国民はこのままだとメキドは滅ぶって恐慌状態になってる。地下組織の人たちが言うには、国を守り混乱を収められるのは……ボクだけだと」
つまり、王位についてくれって、頼まれたってこと? でもトルは、もうメキドは自分の国じゃないって、この前きっぱり……。僕は喉から出かけた言葉を呑み込んで慎重に訊いた。
「で、でもトルは、第三王女じゃ……?」
「上の兄様二人も姉様たちも、すでにこの世に居ない。革命の時にみんな殺された。ボクも斬られたけど、何とか命を取りとめた」
トルの胸に残っている傷跡。あの痛々しい、ひどい傷の痕跡。
「お姉様がボクをかばってくれた……」
トルが辛い顔をしてうつむく。
「メキドの王統は二つある。ノワルチェリとビアンチェリ。この二家から代々の王が、選王候によって選出されてきた。でもノワルチェリ家は世継ぎを残さず革命軍に粛清されて滅んだ。ビアンチェリ家も、生き残ったのはボク一人。正統な血筋によってメキドを継げるのは僕しかいない。まさかいまさら、還俗できるとは思ってなかったけど……」
「向こうに知り合いはいる?」
「貴族たちは、幾人か顔は見たことあるって程度かもね。でも心強い味方はいる。もし帰国することになったら、ボクのお師匠様が全面的に後援するって言って下さってる」
「バルバトス様が?」
「うん。もしボクが即位したら、メキドの後見人として迎えるって、貴族連合も確約してくれた」
トルは力なく笑って魚の桶を抱えた。
「剣を練習しなくちゃ。きっと戦場に出なきゃいけないからね……」
それから一週間後。
西の果てのメキドから公式に、トルを迎える使節がはるばるやって来た。しかし湖には風編みの結界が張られている。迎えの使節は、湖の向こう岸の果て町で足止めをくらった。
供物船に載せて送られてきたその使節の密書に目を通した最長老さまは、トルの還俗をお認めになった。トルはさっそく、長旅の準備を始めた。僕は女の子の共同部屋にお邪魔して、彼女の荷造りを手伝った。
トルが僕を指名してくれたのだ。
年配の弟子たちが作業が滞らないよう野次馬を追い払ってくれたので、荷造りにはさほど時間がかからなかった。
トルの私物はほとんどなく、荷物は身繕いのための櫛や歯ブラシ、換えの下着、講義の時に使う石版と白墨ぐらい。
バルバトス様から餞別にいただいたという韻律集や辞書といった文物が、さほど大きくない衣装箱の中で一番場所をとっていた。
「蒼き衣は置いていく。ここでは布は貴重だからね。お下がりにするか、でなければ切って雑巾にでもしてほしい」
トルは蒼き衣を脱いで、丁寧に畳んで寝台の上に置いた。代わりに身に付けたのは、迎えの使節から贈られてきたという絹の衣と、金糸の刺繍の入った被り布。そして、メキド人ならだれでも身につけるという、顔を隠すヴェール。
赤い髪は、窓から差し込むまぶしい日差しに照らされて、キラキラ光って燃えるよう。トルはどこからどう見ても、美しい姫君と化した。
「騎士服が欲しいっていったのに。女物の服なんて……」
「似合ってる。すごく似合ってる!」
僕が息を飲んで叫ぶと、トルは頬を染めてはにかんだ。化粧もしてないのに、とくすくす照れ笑う。
「炎の聖印はしばらく消さないでくれって、最長老様にお願いした」
俗世タレナムビタムに戻るとなれば、貞操の戒律は解かれる。胸の焼印は消されて、普通の人に戻れる。つまり恋人を作れて結婚できて子供を作れるってことだ。
「どうして? せっかく――」
「つけておいた方がいい」
「え……?」
いきなりトルの腕が僕の肩に回ってきた。ぎゅう、と抱きしめられる。
「大好きだよアスワド。何も知らない君は、少しも汚れてない」
あ……そ、そんなに密着したら。どきどきする、っていうか……その。あの。
体の内から湧き上がる熱。たちまち燻りだす胸。じわじわと体が燃えはじめる。
「アスワド。君に太陽神のご加護があるように」
耳元でそう囁かれたとたん。
?!?!
僕の唇に、熱いものが触れた。
聖印の熱が肌の上に顕現する前に、トルはすっと硬直する僕から離れた。炎が燃え上がって、お互いの唇を焼く前に。
「十五秒、だな」
「あ……あ……う、うん?」
「炎が上がるまでだよ。さあ、船着場に行こう」
こうしてたった一刻ほどで準備を終えたトルは、ファラディアの後見人であられるコロンバヌス様と一緒に湖を渡る船に乗り込んだ。コロンバヌス様は途中でトルと別れてファラディア王家に赴き、ただちにメキドと休戦するよう働きかけるそうだ。
「勝ったからいいだろだのなんだの、あのバカ王は! まったく、愚かなことをしおって!」
船着場で見送る人はそんなにいなかった。最長老様とバルバトス様。バルバトス様の弟子たち。
でも寺院の孔窓には、たくさんの蒼き衣の弟子たちの姿があった。金髪のレストがひどい顔で睨み下ろしている。トルが俗人に戻りしかも一国の主になるなんて、あいつにとってはとてもうらやましいことのようだ。嫉妬で今にも死にそうな顔になっている。黒肌のラウがその隣で必死に手を振ってる。リンも別の窓辺にいる。あ……泣いてる。あのお堅い優等生が……。
「道中、気をつけるのだぞ」
黒髭の御方はメキドへ付いて行って即位に立ち会いたいそぶりだったが、最長老様に引き留められたという。長老様たちにはなにやらお忙しい御用件があるようだ。これからトルとその師は、頻繁に密書を交わすことになるだろう。
「あれ? トルは外に出るの?」
船が出る直前。湖の岸辺でのんびり昼寝していた我が師が、いまさらのように別れの気配に気づいて船着場にやってきた。僕は我が師を隅に引っ張り、ヒソヒソ囁いた。
「メキドに帰って即位するんです」
「へえ? バルバトス、うまくやったな」
「え?」
「いやまあ、いい出目を出したんだろうってこと」
「いい出目を……出した? それってどういうことですか?」
我が師はのほほんと鼻をほじりながら小声で耳打ちした。
「どの勢力にどんな指し手をするか、かなり思案してたみたいだったからな。どこかになんか手を打って、見事にその結果が出たってとこだわ」
指し手?
「まあでも、俺たちには全っ然関係ないことだなぁ」
――「アスパシオン様!」
その時。いったん船に乗り込んだトルが、船着場の我が師を見て降りてきた。
「お見送りありがとうございます」
「おう。わざわざどうも」
「それからアスワド、これを……」
トルは急いで首から提げていた蒼い宝石の首飾りを取り去り、僕の手にねじ込んできた。
「姉さまの形見だけど。ぜひ君に」
「ちょっ……これ本物の宝石じゃないか」
「いいんだ。君が持っていて。メキドから手紙を書く」
「トル、待っ……!」
僕の方こそ何か餞別を。そう思ってあわてて衣の袂を探るも、僕は何も渡せるものを持っていなくて。ただ唇を噛んで、ごめん、とつぶやくことしかできなかった。トルがくすりと優しく笑う。
「君の顔を目に焼き付けていく。それで十分だ」
「が。がんばれ……がんばれ! がんばれトル」
「モタシェッケラム、アスワド!」
メキド語でありがとうと言ったトルは、いつものように白い歯を見せ、笑顔で僕の肩を力強く抱きしめた後。優美な金縁取りの被り布をひるがえして船に乗った。
船はすぐに魔法の風に送り出されて、湖をするする渡っていった。船尾に立つトルは、ずっと寺院の方を――いや、僕を眺めていた。
いつまでも。いつまでも……。
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