幕間1

幕間1 召集 (バルバトス視点)

(今回は長老バルバトス視点のお話です)


 ……。

 ……う?

 ……む? 耳がくすぐったい。なんだ? 

 ああ、本を広げてうとうとしていた。油壺の灯りが消えている。もう夜も遅いというのに。何が我を起こしたのだ? これは……ああ、言霊か。白い光り玉。レクサリオンからだな。

 何の用だ?

『囁きの間にお集まりになるよう』

 夜も更けているというのに密談か。やれやれ。面倒くさいが、断れぬ。

 囁きの間。この三階にある隠し部屋だな。我が長老になってから二度しか使ったことがない。ああ……序列二位のシドニウス? む? 四位のクワトロウス? なんだ、みな呼ばれたのか?

 窓が無いごつごつとした岩壁の小部屋。その中央に在るのは、七つの席がある大理石の円卓。北面の岩壁にうがたれた穴の中の灯り壷が、やけにまばゆい。魚油を補充したばかりか? 明るすぎよう……。

「こんばんは、バルバトスどの。ご自慢の黒い顎髭を撫でながら、何をご思案に?」

「あ、いや……トリトニウスどの。どうぞお先にお入りくだされ」

 灯り壷から一番遠い席に腰を下ろそう。しごく、さりげなく。光に当てられ貌があらわになるのは避けたい。黒き衣のレクサリオンは看破の導師。口元のほころびひとつで、相手の腹の内を鋭く読む――。

「このような刻に召集とはまた」

 二位の長老シドニウスもさすがにやれやれといった感じだな。我が敬遠した一番明るい席に座したか。灯りに照らされた貌は満面の笑み。レクサリオンに対して含むところはなにもない、そう誇示したいのだろうな。そんなことをする勇気も余裕も我にはないわ。巧妙に韻律を編んで作った偽りの仮面を、いけしゃあしゃあと顔に乗せるなど。

「おそろいだな。みな円卓につかれたか。このような夜更けに呼び立ててすまぬ」

 最長老レクサリオン。磨かれた卓上に置いたものは……羊皮紙の書状か。みなそんなに身を乗り出さずとも、密書だということぐらいわかるだろうに。みな白い頭だ。どなたも齢六十を越えておるから当然か。しかし年を経るごとに魔力ますます猛々しい。眼光がにごっている者などひとりもおらぬ。そうでなくては、この長老位には居続けられぬ。

「これらの密書。一勢力からのものではありますまい? みたところ、メキド関連ですか?」

 三位の長老トリトニウスの問いに、レクサリオンが重々しく勢力名を列挙する。 

「メキド革命軍とその後援国、南方連合。メキド貴族連合とその後援国、エティア。それから、スメルニア皇国。みな、機嫌うかがいだ」  

 機嫌うかがい。つまりそれとなく、最長老に助力を乞うたり牽制をしてきたわけだな。

「メキドでは、革命軍内部で分裂が起きておるそうですね」

 トリトニウスの深いため息に、我も釣られそうだ。メキドの情勢はまことに厄介この上ない。

 六年前に起きたメキドの革命はいまだ混迷のさなか。革命軍の首脳が貴族の粛清を始めたゆえ、貴族階級が地下組織と手を組み、抵抗運動を開始。緑葉香る王都は今や血塗れて凄惨な有様ときく。

「おのおの方はそれぞれの後見国に尽くすがよい。しかしエティアの属国金獅子州を後見する我、レクサリオンは、宗主国の益をとる」  

 黒き衣の導師たちの中で力ある者は、結界に護られた寺院に在りながら大陸諸国を影から統べている。後見人として政体に予言を授け政策を献じる。ゆえに寺院内は大陸情勢の縮図。我らは常に水面下で、他の導師が未来を読むことを邪魔し、牽制し合っている。今、この瞬間にも。

「ご安心を。スメルニアは中立を崩しませぬ」

 二位の長老シドニウスがわざとらしくにっこり口元を引き上げる。密書に手を置きうなずいた最長老の顔が、ひどく不機嫌だ。

「そのようだな。今上陛下は『句会の準備で忙しく、内殿に水仙を植えさせておるところ』だそうだから」

 狸め……。

 シドニウスはかの皇国の後見人。あそこの皇家の者どもは血が濃く、異常に気位が高くて阿呆あほうだ。大方この狸は、まどろっこしくて意味不明な今上の文体を添削せず、そのまま最長老に届けたか。「阿呆だから放って置いて下さい」という主張に見せつつ、目汚しの密書を送った真意は、嫌がらせ以外の何ものでもない。レクサリオンへの密やかな精神攻撃だ。

 しかしレクサリオンが宗主国エティアに味方するのは当然のこと。現在後見空位の大国エティアの後見人の座につくのが、この御仁の長年の夢。最長老の立ち位置は誰もが了解していることで、深夜にわざわざ改まって宣言されるほどのことではない。なのに我ら長老全員が呼びつけられた、という事は。

「最長老の権限により。これより貴殿らの持つ『鍵』をお貸しいただく」

 ……やはりか。

 しばしの沈黙。さあ、だれが口を開く? 我は黙したままでいようぞ。レクサリオンの敵にはなりたくない。 

「つまり。地下の封印所の最奥、『深淵』を開けると?」

  おお、四位の長老クワトロウス。神妙に口調を抑えているな。

「しかしそれは寺院存亡の危機など、大事に対する緊急の場合に限られるのでは」 

――「どの遺物の封印を解かれるか存じませぬが。大陸同盟の遺物封印法に抵触しましょうぞ」

 五位の長老クィントゥスが刺してきた。クワトロウスが黙る。後は任せた、といった貌だ。

 五位の人の苦虫をつぶしたような貌はさもあらん。目つき鋭い彼は南方連合の一国、テングーワの後見人だ。この御仁は普段から清清しいぐらい最長老への敵意を隠さない。六年前レクサリオンに後見国出身の王女を引き取ることを阻まれたのを、いまだねちねちと恨んでいる。

 いや。二人の不和はあれが発端であったか……。

「この岩窟の寺院は、古代兵器の封印所として五世紀もの間機能して参りました。世界を滅ぼす可能性のあるものはおしなべてこの世から無くし、消せぬものは当寺院が封印する。それが大陸同盟から課されましたこの寺院の使命。なにゆえに寺院を結界で封じているか。なにゆえに毎日我ら導師がその結界を編んでいるか。重々ご承知の上で、『深淵』の七つの鍵を開錠なさるというのですか? 最長老御自らが、危険度の最も高い遺物を『深淵』からお出しになり、ご後見されておられる金獅子州公へ贈られる。そう仰るのですか?」 

「クィントゥスどの、す、少し落ち着かれよ」

 第六位のヘクサリウスが、立ち上がらんばかりの勢いの第五位の人をどうどうと抑える。ここでさらに二、三苦言を呈して最後に嫌味ったらしく毒を吐くのがいつものパターンだが。私利私欲のために……と糾弾の言葉をさらに並べ立てようとした五位のクィントゥスが、口を開けたまま固まった。今宵はいつもと違う。普段は黙って耳を傾けるレクサリオンの右手が、うっすら影を帯びて黒くなっている。

――「遺物の貸し出し先は、我が後見先の金獅子州公家にあらず」

 最長老はそう言うなり、口の中で魔力顕現の韻律をつぶやいた。たちまち、魔法の気配があからさまに降りてくる。わざと我らの目に見えるように。

 やれやれ。いつでも迎撃可能の体勢を見せてきた。その鏡のごとき薄い膜の結界は、防御でありながら脅迫。下手に呪いを飛ばせばはね返ってくる。

 韻律波動が最長老の体から流れ出してきたな。じわじわくる。頬がひりつくぞ。静かな勘気混じる魔力。顎髭を撫でつけるふりをして、こっそり払おう……。

「メキドの革命軍には、不死身の魔人が五人、混じっておる」

 最長老の声が一段低くなる。有無を言わせぬ圧倒の気配を出すのに有効な音域だ。この御仁がなにゆえ最長老の位に在るか。それはこのぬきんでている過大な魔力が、常に我らの命を脅かしているゆえだ。

「魔人は人にあらず。本来ならば、水鏡の里の白き衣の王を守護するもの。それがごく普通の人間の戦にて、先頭に立ちて戦っているという。不死身の者が何千もの人間を殺す。これは、危険な『兵器』でなくして一体何であろうか? 我は水鏡の里と大陸同盟に抗議の文言を送る所存である」

 レクサリオンが立ち上がる。有無を言わせぬ後光の覇気を目に見えるよう顕現させ、その身の回りにぐるぐる渦を巻かせながら。

「そして不死身の魔人を封印するため、我、最長老レクサリオンは七つの鍵もて、『深淵』に在る神器を開帳する! さあ、方々。今すぐ鍵を差し出されよ!」

 毒をもって毒を制す。たしかに前例がないこともない。古代遺跡に巣食う人工精霊を封じるために、かつて封印所の遺物が利用されたことがあったな。

 今回開封されるその神器は、どうせエティアのもとに渡るのだろう。金獅子州の宗主国へ。岩窟の寺院を管区内に置きながら、建国以来、黒き衣の導師を一度も後見に持ったことのない国。

 レクサリオンの本懐はついにこれで叶えられるのか。それでも大義名分を持ち出され。前例を列挙され。そして大陸同盟が同調すれば。反対しようがない……。





 半ば力押しでレクサリオンが長老たち皆から鍵を奪って去った後。

「バルバトスどの。棺、だそうですよ」

 囁きの間から出るなり、狸が我に声をかけてきた。

「棺?」

「魔人を封じる神器です。統一王国時代のものだとか。さて、うまく作動するのでしょうかねえ」

 狸――二位のシドニウスは破顔の笑みの仮面を外し、目を細めてくつくつ笑う。ぱきり、と仮面が割れ、さらさらと光の粒となって宙に消え入る。おおらかな狸顔の下に現れる、本物の顔。それはまるで狡猾な狼のごとしだ。

 本当に……この狸はたちが悪い。長老の中では一番若い我を脅すべく、わざとこんなことをしてみせる。恐怖を植えつけたいのだろうな。レクサリオンから『深淵』の遺物のことをしっかり聞き出しているとは、さすがというべきか。

「早く鍵を返して欲しいものです。封印所の古い記録を眺めるのが私の楽しみですのでねえ」

「そうですな」

「バルバトスどのがお持ちの鍵は、第七封印所でしたな。そこに眠る品々は武器が多いと聞きましたが」

「魔道武器がわんさかありますな。しかし雑然としていて何がなにやら」

 クラビス

 長老に任じられたとき、最長老から渡された宝物。何の変哲もないさびた鍵だが、そこには地下の封印所を開けるための「名前」が秘められている。長老たちが開けられるのは、己が持つ鍵に対応する封印所のみ。最長老唯一人が、七箇所全部を開けられる。特別なスペキアルを持っているからだ。

 しかし最奥の『深淵』は、鍵を七つ揃えなければ開かない……。

「お使いになったらよろしかったのに」

「なんですと?」

 狸の皮をかぶった狼がつぶやきながら、さらさら右手を振る。するとまたあの穏やかな表情の仮面ができあがる。にんまり人のいい笑顔を浮かべるその仮面を顔に付け、シドニウスは囁いてきた。

「魔道武器。剣から雷が出たりするそうですねえ。戦で使えば、敵無しだったでしょうに。そうすれば、あなたの後見国は滅ばなかったでしょう」 

「な……そのようなこと、できぬ!」

 こいつは一体何を抜かすのか。大体、我が後見していたルドブルグがファラディアに滅ぼされたのは、おまえが影で手を引いてスメルニアに介入させたからだろうが。狸!

「会戦でまさか負けるとはご愁傷様でしたな。私も読みが外れました。もう少し、がんばっていただきたかったのですがねえ。大義名分。お墨付き。さきほどのレクサリオンのごとく立ち回ればよろしかったのに。せいぜい次の後見国をお探しなさいませ。まあ、一国を滅ぼした導師に後見を頼む国など、もうないでしょうが……長老のくせに『国無し』では恥ずかしいですからな」

 おのれ! おまえなど死ね! 狸!

 忍び笑って真っ暗な回廊を歩き去る狸に、百万の呪いを唱えて放つ。我が右手から飛んでゆく無数の黒い影が、回廊のむこうでバチバチ衝突音を立てる。狸の防御結界で打ち消されている音だ。


 おのれ。おのれ。今に見ていろ――!


 狸とは反対方向に回廊を歩いて、我が房に戻れば。岩をくりぬいて作られた書棚のそばには、黒き衣の導師がひとり。我は歯を食いしばり、書棚の前の卓につんである本を腹いせに全部床に薙ぎ落とした。

「……苛められてきたのですか?」

「黙れ!」

「図星のようですね。クィントゥス様はレクサリオン様にしか噛み付きませんから、大方シドニウス様あたりでしょうか?」

 書棚のそばにいるそいつは、至極冷静だ。

「言わせておけばよろしいし、好きなようにやらせておけばよろしいのです。遊んでいるだけなのですから」

 氷のごとき冷たい声が我が身に突き刺さる。慰めや励まし。そんな思いやりは、かけらも含まれておらぬ。起伏なく機械的に放たれる言葉。それが、かえって心地よい。

「計画は順調に進んでおります」

「……そうか」

「今は全面的にレクサリオン様にご協力を」

「ああ、わかっている」

 老いた獅子は、狸よりはましだ。

「お飲みになりますか? 我が蒼鹿州特産の火酒をお持ちいたしましたよ」

 何も無くなった卓にことりと置かれる木の杯。ああ、とうなずき一気にあおれば。喉を炎が舐めていった。書棚のそばにいたそいつは、きついのでお代わりはお控え下さい、と会釈しながらすっと本棚を離れ、円い窓辺に寄った。

「今宵は空に雲がかかっておりません。星見日和と思いきや、二つの月が満ちてよく見えませんね」

 月夜か。そういえば満月が近かったな。 

 房の中にさしこんでいるのは、淡い月光。我が同志の姿が、その光に照らされ浮かび上がる。眩しい金の髪が、我が目を焼いた。


「しかし星は指し示しておりましょう。我らの、勝利を」

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