序歌4 デウス・エクス・マキナ

「菫の瞳ときましたか。メニスの血が混じっておるのでしょうか」

「いやいや、留意すべきは血筋や種族ではありますまい」

「やはりこの子がそうなのですか?」

「ええ、まさしくそうに違いありませんぞ」

 僕の周りは巨木そびえる森のよう。黒い衣の魚喰らいがにうっそうとひしめいている。全くすきまがなくて息苦しい。 

 僕、王子じゃないのに。すぐそこの村の、小作人の子なのに。なんでこんなにたくさんぞろぞろと? なんで僕を欲しがるんだろう? あまりのことに思わずお腹がきゅっとしておしっこが出そうになったので、僕はあわてて大事な所を押さえてがまんした。

 金縁取りのレクサリオンが、杖をどんと突く。しんと静まったところで、ここで一番偉い魚喰らいは、黒い衣の袂から小さな小箱を取りだした。

「さて、この日のためにわしはこの子を長年探し回り、ついに見つけて連れてきた。この子の目の前で先代の最長老カラウカス様の遺言箱を開帳することが、カラウカス様ご本人の、いまわのきわの遺言であった。すなわち。カラウカス様の、生まれ変わりの目の前で」

 僕は口をあんぐり。

 生まれ変わり? 前にここで一番偉かった人の? この僕が? いやそんなの、ありえない!

 僕の驚きをよそに、まわりの魚喰らいたちはみんな、うんうんと深くうなずいている。

「間違いありますまい。あの方と同じ、虹の光輪が見えまする」

「虹色の後光の持ち主など、そうそうおりませんからな」

 光輪? 後光?  なに、それ?

「たしかに、虹色だなぁ」

 鼻をほじっていた魚喰らいまで、じいっと僕の顔をのぞきこんでる。

「それでは、先代最長老カラウカス様の公式のご遺言を、かの方の遺言管理人エクステンソールである我、最長老レクサリオンが、これよりここに開帳する」

 金縁取りのレクサリオンは、小さな黒い小箱のふたに手を当てた。すると箱がほわりと光って、ひとりでにゆっくりとふたが開いた。中に入っていたのは、小さな幻。それは今にも死にそうな年老いた黒い衣の人の姿で、何度も息を吸いながら喋っていた。

『我の遺品を、我が生まれ変わりに、与えよ。生まれ変わりが、再び導師となる時は、我が名を与えよ。そして我が師となる者は、その資格ある者が……神の裁定に挑むべし。序列が上の者から、順に、挑むべし』

 幻を食い入るように眺める魚喰らいたちが、おお、と歓声をあげた。

「序列に関係なく、みなに虹色の子を得るチャンスがあるというわけだな」

「さすがカラウカス様。公正平等ですな」

「うむ、みなが虹色の子を欲しがるのは当然のこと。訓練せずとも魔法の気配を感じ取ることができるのですからね」

「普通十年はかかりますからな」

「その大変な修行を省けるのですから、育てる側にとっては、この上ないこと……」

 最長老のレクサリオンが、また杖をどんと突いて魚喰らいたちを静かにさせる。

「これより遺言通り、神の裁定を行う。資格ある者とは、弟子が四人未満の者のこと。すでに五人持たれている方は、舞台よりお下がりいただきたい」

 残念そうなため息とともに、数十人の魚喰らいたちがぞろぞろ石の座席に戻っていく。

 すると六人の長老さまたちが、舞台の端から、車輪のついた重い石の箱をずるずる引っ張ってきた。

「遺言の通りに、序列が上の者から順に引くとしよう」

 最長老のレクサリオンがそう言って、石の箱のすきまに手を入れた。

「機械仕掛けの神デウス・エクス・マキナよ、公正なる導きを」

 箱の中から白い丸石を取り出したとたん。金縁取りのレクサリオンはちょっと肩を落として箱から退いた。

「……次の序列の者」

 するともう一人の長老さまが、石の箱のすきまに手を突っ込んで白い丸石を取り出した。とたんにこの人は、頭をがっくり。

 神さまの裁定とは、「クジ引き」のことだった。確かに公正な方法だ。黒い衣の魚喰らいたちがずらっと箱の前に並んで、次々と箱に手を突っ込んでいく。箱に入れた手が、見るからに光っている人が何人もいた。魔法を使って、当たりを引こうとしていたらしい。でも箱に手が入るなり、どの人の手からも光がフッと失せて……ハズレの白い石を取って、がっかりして箱から離れていく。石の箱は、魔法がきかないようにされてるようで、ちゃんと正しい結果が出るようになっているらしい。

 僕は箱の前の魚喰らいの行列がどんどん減っていくのを、固唾を呑んで眺めた。

 長い行列。あと何人だろう?





 列の最後に鼻をほじってる魚喰らいがいる。あの人は、序列が一番下らしい。そういえば、顔は髭ぼうぼうで汚いけど、シワも何もないしけっこう若い。年は僕の一番上の兄さんぐらいだろうか。行列が残り十数人になると、金縁取りのレクサリオンがぽそりと言った。

「石の数は、導師の数のちょうど二倍。二巡目もある」

 残り五人になると、長老さまのひとりがささやいた。

「しかし黒石は、たったひとつ」

 残り三人になると、魚喰らいたちが口々に言ってまた並び出した。

「さあ、二巡目だ」

 でも残り一人が――あの鼻をほじっていた人が、石の箱に手を突っ込んですいっと出すと。

 みんな、ものすごく哀しげなため息をついた。


「おお! 当たったあ!」


 あれ? あの魚喰らいの手、びみょうに……光ってる? 箱の中に入れたら、魔法は消えるはずなのに。気のせいかな……。

 鼻ほじりの魚喰らいはものすごくうれしそうに取り出した石を高々とかかげ上げた。

 その石は、まっ黒で。きらきら光っていた。





「いまここに……第五の捧げ子ペペを、アスパシオンのものとする。これよりペペは、アスパシオンのペペとなる」

 死んだ魚のような目をしたレクサリオンに宣言された後。僕は鼻ほじりの魚喰らいに手をぐいと引かれて、裸のままで舞台を降りた。

「アスパシオン! 待ってくれ!」

 すると黒い衣の人の群れの中から数人が、思いつめた顔でバラバラと追いかけてきて、口々に僕を譲ってくれと言い出した。

「カイヤールの倫理学全集を代わりに差し上げますぞ。五十金の価値がありましょう」

「カイヤールう? キョーミねーし」

「う、うちのクマリと交換しないかね。蒼き衣の弟子の中で、成績は断トツなんだが」

「弟子の交換はまずいっしょー」

「今後十年間、夕餉のブドウ酒の割り当てをあなたに」

「え? お酒くれんの? うーん……」

 そこで鼻ほじりの人は立ち止まり、腕を組んで考え込んだ。その刹那。僕はふっと、思い出した。レクサリオンが見せてくれた、酔っ払った父さんの幻を。


『連れてけ、連れてけ。ま、食い扶持が減って助からあな』


 胸がきゅんと痛くなる。この人も、お酒が大好きなんだろうか。でも僕の顔を見下ろしたとたん、鼻ほじりの人はきゅっと顔を引き締めて。

「酒はいらない。ペペの方がいい」

 そうきっぱり断ってくれた。

 『ペペの方がいい』

 そう言われて、僕はなんだかうれしくなった。鼻ほじりの人は僕を連れて石の螺旋階段を三階まで昇り、うがった岩壁がむきだしの部屋に入った。

「えっとここが俺の私室。そんで弟子のおまえはこれから二階の共同部屋ってとこで三十人ぐらいと一緒に寝起きすることになる。とりあえず、毎日夜明けにここにきて俺を起こしにくれ。っと、ちょっと椅子にでも座って待ってな。おまえの衣、もらってきてやるから」

 どうやらそこは鼻ほじりの人が寝泊りしてる所のようだ。飾り気のない寝台と、椅子と、机が置いてある。他には何もなくてずいぶん殺風景。円い窓からずいぶん赤みが増した日の光が入り込んでいる。

 部屋に戻ってきた鼻ほじりの人は、僕に蒼い衣と、大きな包みを渡してきた。

 やっと裸から解放される! ホッとして衣に袖を通そうとすると。鼻ほじりの人はなんだかばつが悪そうに僕の腕をつかんできた。

「あのさ。それ着る前に、入院の儀式ってのを、師弟でやらないといけないんだけどさ」

「はい」

「そのさ。導師ってのはさ、生涯独身じゃないといけないのよ。大昔はさ、女の子は薬飲んで子宮を腐らせて、男の子は根こそぎ切り取ってたんだわ」

「はい?」

「でもさ。それすると血が止まんなくて死んじまうやつが続出したもんで、廃止されたんだ。貞操は、胸についてる聖印が代わりに護ってくれるようになった。それで今は女の子はなんにもしなくてよくなって、男の子は先っぽだけちょびっと切ることになってる」

 切る? 何を? 

 きょとんとしていると、鼻ほじりの人は僕の股間を指さした。

「そこの先っちょ切るんだよ。割礼っていう儀式さ」

 僕はごくりと息を呑んだ。切っちゃうところがここって……うそでしょ?!

「ああ、蒼ざめなくていいって。かわいそうだから免除してやるよ。いやあ俺もさ、その昔、お師匠さまに泣きついて免除してもらったんだわ。俺のお師匠さまは、ほんと優しいお人だった」

 あわあわする僕を尻目に、鼻ほじりの人はからから笑う。

「ま、そういうわけで、表向きには痛い痛いってうまく芝居しとけよ。他の男の子は、ちゃんと切られるだろうからな。特に蒼鹿家のご参謀は、めっさ厳しいやつだからなぁ」

「は、はあ。わかりました」

「それからその包みがさ、俺のお師匠さまの遺品なんだけど。あ、先代最長老のカラウカス様って、昔さ、俺のお師匠さまだったんだよ」

 蒼い衣を着た僕は、鼻ほじりの人から渡された包みを開けてみた。


とたん。「うわっ!」と声をあげてしまった。

 宝石がたくさんはまった板みたいなのとか。神官さまが持つような丈の短い杖とか。とても古くてものすごくきれいな飾り絵がいっぱい描かれてる本とかが入っていた。なんだかどれも光り輝いていて、とても眩しい。目がくらむ……。

「眩しいか? だろうなあ。どいつも恐ろしく魔力がこもってるもんだ」

 見ただけで、くらくらする。こ、これは……小作人の子なんかが、もらっていいものじゃない。僕は震える手で包みを元に戻して、鼻ほじりの人におしつけた。

「これもらうの、むり! だって僕、えらい人の生まれ変わりとか、絶対そんなんじゃないよ」

「うん、まあ、絶対違うわな。おまえ、俺のお師匠さまじゃないわ」

「え?」

 鼻ほじりの人はのんびりと鼻に指を入れた。

「たしかにおまえの後光は虹色。でもそれは生前ずっと、俺のお師匠さまのそばにいたからだ」

「そばに、いた?」

 ぴんと鼻くそを壁に飛ばすと。魚喰らいは真剣なまなざしで僕を見つめた。

「ペペ」

「は、はい」

「会いたかった! ペペー!」

「はいー?!」

 次の瞬間。僕はぎゅうと抱きしめられた。わけが分からず口を開けてほうけた僕の耳に、世にも情けない泣き声が飛び込んでくる。

「名前が同じなんで確信した! おまえペペだろ! お師匠さまが飼ってた使い魔のペペだろ!」

「え? えっ? ええええ?!」

「お師匠さまの弟子だった俺が、毎日毎日、世話してやってたろ? お前が十年前に死んじまうまで。覚えてるだろ、ペペ。俺が毎日ニンジンやってたこと……」

「ちょ、ニンジン?!」

 使い魔って、動物? ニンジンを食べる、動物?

「だからもう俺、本気出しちゃったわ! 石の箱の封印魔法なんざ、俺の超絶魔力の前にはてんで無力だっつうの。みんなに白石引かすのなんて、赤んぼうの首をひねるようなもんよ!」

 ええと。それって。つまり。思いっきり、不正しましたってこと?

「ウサギのペペは俺のもんだぁ! ざまあみろじじいどもぉ! うぇっへへへへへ! っしゃああああ!」


 ウサ……ギ……!? 


 カチンコチンにかたまる僕。僕がえらい最長老さまの生まれ変わりってのは絶対ありえないと思うけど、ウサギってのも、ありえないような気がする。いや、きっとちがうよ。

 でも鼻ほじりの人はもう絶対そうだと決めつけて、わんわん泣きながら僕をぎゅうぎゅう抱きしめてきた。鼻水すすりあげて、えぐえぐ唸って、僕が熱出して死にそうになった時看病してくれた母さんよりも、百倍以上暑苦しい。

 そ、そんなに大事に世話してたウサギだったんだろうか。

 しかしほんとに、暑苦しい。びったりはりついた胸のあたりが、ものすごく熱い。蒸し暑い日だから? いや……違う……これは……。

「いやあ! 熱い! 熱いよ!」

 僕は悲鳴をあげて、両手でどんと鼻ほじりの人を押しのけた。胸がひどく熱くてたまらない。しゅうしゅうと、何かが焼けてる音がする。

「痛い! ひいいっ!」 

 僕が石の床に倒れてのた打ち回ると、鼻ほじりの人はあわてふためいた。

「やべえ! ごめんなっ! うれしすぎて、聖印のことうっかり忘れちまったわ」

 聖……印? 

 胸もとを見れば。蒼い衣を焦がすほど、自分の胸がじゅうじゅう燃えている。それはちょうど、レクサリオンに手を押し当てられて魔法をかけられた場所だった。そこは炎のように真っ赤に輝いて、奇妙な紋様を浮かび上がらせながら燃えていた。

 「炎の聖印ってほんと、効果てきめんな禁欲法だよなぁ。手を握るだけであっちっちだぜ」 

 ちょん切る代わりにつけるようになったものって、こ、これのこと?

「熱い……痛い……!」

「ごめんごめん! ま、すぐ治るから。でも、衣焼けちまったな。またもらってきてやるよ」

 鼻ほじりの人は急いで部屋を出て行った。人のよさそうな人だけど。ウサギは……ありえない……。

 僕はそう思いながら、胸の熱さに耐え切れずその場に伸びてしまった。





『こうして僕は、蒼き衣をまとう導師見習いとなり。黒き衣のアスパシオンのものになった。

 寺院で一番序列が下なのに、一番おそろしい魔力を持ち――』






――「あれえ? 弟子、何これ?」

「うわ! お師匠様、勝手に弟子の共同部屋に入ってこないでくださいよ」

「うわぁきったない字。日記?」

「の、ようなものです。お師匠様がこっそり書いているものと似たようなものです」 

 まったくもう、いつのまに? 

 背後にのそっと寄ってきた黒い衣の鼻ほじり魔を、僕はぐいぐい部屋から押し出した。

「ちょ、ちょ、俺がこっそり書いてるもんってなによ?」

「知ってますよ僕。お師匠様は、我が師カラウカス様へ捧げる歴史書、とかっていう本書いてるでしょ。僕が寺院に来たころ……六年前からすでにこつこつと」

 たちまちお師匠様の顔はまっ赤っ赤。いいぞ、押し切れ、僕。

 あれは単なる覚え書きでぇ、適当な書き付けでぇ、とか親指をくるくるからめ回してしどろもどろに答える師を、両手で押して完全に部屋から排出。

「そうそう。あらかじめいっときますけど。僕は今日の夕方から、石舞台までついていきませんからね」

 ついでに扉を閉める間際に宣言。どうしてえええっ? とはりついてくる師を、扉を閉めて遮断。

 だって僕がいると、師はだーらだらのっとりのっとり石階段を昇るからね。

 足くじいてからもう二週間。すっかり治ってるはずなのに「階段のぼれなーい」とかほざいて僕に介助させてた。亀のごとき歩みで登るのは、風編みのお務めをさぼりたくってしょうがないから。遅刻しまくってるせいで長老様たちの心象がえらく悪くなってるの、わかってるはずなのに。いいかげん仮病やめて、ひとりでさくさく階段登れっていうの。

 さてと。

 今日の執筆はここまでにして、韻律書をひろげて次の試験の準備をしよう。試験、近いからな。

 絶対合格して、一日も早く黒き衣の導師になるんだ。一人前になって、あのお師匠様から離れるんだ。よし、がんばるぞ!

 それにしてもこの本、まだ十頁ぐらいしか書けてないな。執筆速度上げないと。

 ぱたんと本のごとき白紙帳を閉じる。自分で革の表紙に一所懸命、金のインクで書いた題字が目に入る。



『我が師アスパシオン様へ捧げる歴史書 巻の一』



「……。ま、真似したんじゃないんだからね」

 ほんのり頬染める僕はごほんと咳払いして、卓に韻律書をひろげた。とても分厚い、赤い絹張り表紙の本を――。






序歌の巻  了

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