しろがねの歌4 糸

 りん。りん。りん。りん。


 観客がずらりと座る会場に響く、澄んだ音。

 スポンシオン様が、黒き衣の袂から出した小さな銀の鈴を鳴らす。


 りん。りん。りん。りん。


 魔法の気配を降ろした僕らには、その音の波紋がはっきり目に見える。

 天を仰げば、空には一面、銀のきらめき。

 いまにも零れ落ちそうなぐらいの星。星。星――。


『星見は、物質的な視力で星を捉えるのではありませんぞ』


 星見の宴を始める直前。頭頂まぶしき人は、星見の原理を教えてくださった。


『たとえこの目がめしいでも、星見の才がある者には、視えるのです。天河がおびただしい星の集まりであることが。夜空に咲く薔薇の花が、細かい塵のうねりであることが。そしてそこに、大いなる精霊が宿っているのが』


 りん。りん。りん。りん。

 晴れた夜空に鈴が鳴る……。


『目で見るのではなく、まったく違う他の感覚で視るのです。いうなれば手足を伸ばして触れる、という感覚に似ておりますな。魔力ある魂を持つ者は、修練によってその感覚を開花させることができるのです』

『魔力ある魂……』

『すなわち、年をとった魂ですな。何十回も転生を繰り返すことで蓄積される、魂の経験。それが魔力と呼ばれるもの。何度も転生して魔力が高い魂の最たるものは、虹色をしておりますが、そのまばゆさときたら見事としかいいようがありません。ぺぺくん、君の魂はカラウカス様やハヤートと同じ。なんともすばらしい七色ですなぁ』


 虹色の魂。

 僕はそれでカラウカス様の生まれ変わりだと間違えられた。

 死んで天上に登り、あのまっしろでぬくぬくできらきらの空間で見聞きしたこと。

 あれが本当のことなら、導師様たちにそう思われたのも納得だ。

 僕の前世――ウサギのぺぺは、カラウカス様の魂から分魂されて作られた……らしいから。

 白い雲間にいた僕の創造主が言ったことをかんがみると、僕自身の転生は、これまでたった一度しかないけれど。もともとの素体であるあの御方の魂は、今まで何百回も転生して、かなりな魔力を蓄積しているのだろう。

 だから天上の雲間にとどまれたり、魂を分割するというすごい事を成せるのだ……


『こんなにすばらしい素質があるのですから、修行しないのは実にもったいないですぞ』


 スポンシオン様は僕の背を優しく叩いてきた。


『今後は瞑想修行で魔力に磨きをかけたらよろしい。しかし今宵、そなたがすることはただひとつ。空に一本、糸を伸ばすことに集中しなさい』


 糸。

 空に向かって飛ばす探りの波動を、スポンシオンさまはそう呼んだ。


 りん。りん。りん。りん……


 銀の鈴が正確に調子をとる。

 観測台の上に立つ僕らは、その鈴の音に合わせて歌い始めた。

 歌詞はなく、ただ節だけの歌を。

 ここで一緒に歌うようにと、スポンシオンさまが事前に教えてくれたものだ。

 すると互いに降ろした魔法の気配が、混じりあってきた。


 りん。りん。りん。りん……


 鈴の音と歌声が生み出す波紋も、ひたひたと重なっていく。

 気配を降ろしているので、僕らには音の波動が如実に見える。

 音の波に乗った僕らの魔法の気配が、みるみる範囲を広げていった。

 屋上のすみずみにいきわたるぐらい、広く。広く……。


『世界は、音から生じた。

 

 光あれ――

 

 その、ひとことの囁きから』


 寺院に伝わる創世の言い伝えを信じたくなるのは、こんな時だ。

 音の波紋を目に捉え、操っている時。

 生みだされた「場」が、歌によって大きくなっていく時。

 僕らはたった二人。歌声は屋上の外にまでは広がらないだろう。

 風編みのように、湖全体を覆う規模にはできない。

 それでもここには確固たる魔法の場ができている。

 ふつうの世界とは違う、新しい世界が……。

 

(すごい……!)


 それにしても、黒き衣はだてじゃない。

 僕は気配を降ろしながら、同じ節をえんえん繰り返して歌っているだけ。

 かたやスポンシオン様は上下の音程の変動が激しい節を、僕が歌う主旋律に唐草のようにからみつかせている。

 そのおかげで、あたかも三重四重の合唱のような、厚みのある歌が編まれていく。

 でも観客にひときわ目立って聴こえるのは、僕がつたなくも歌っている主旋律なのだ。


(すごい……!)


 スポンシオンさまは僕を引きたてつつ、その実は七割八割がた、魔力の編みこみを担っている。


(すごい……すごいよ!)


 これぞ、黒の導師の妙なる御技だ……!


『天に伸びよ銀の糸!』


 十分に気配を広げたところで、僕らは右手を天に掲げ、「糸」を放った。

 意識を手の先から一緒に飛ばすようにするのだと、教えられた。

 右手の先から、飛び立つ感覚をイメージするのだと。

 漆黒の空。

 銀のまたたき。

 空の宝石が輝くところへ。あそこへ。あそこへ――

 

『伸びよ。飛べよ。たおやかに

 アンフォルタスの、銀の糸!』


 スポンシオンさまの韻律と共に。

 僕の右手から、ぶわっと細い糸が一本、空に向かって飛んだ。

 一瞬、僕自身も飛び立っていくような感覚に襲われる。飛翔感がものすごい。

 見ればスポンシオンさまの右手からは、五本もの糸が出ている。指一本一本からそれぞれ、きらめく銀の糸が視える。


(修練すれば、あんなに出せるようになるんだ……!)


 眼を見張る僕に、頭頂まぶしい人が微笑みかけてくる。

 とても優しい顔で。やわらかで、暖かい顔で……。


『もっと右手を高く』


 まるでお父さんのような人の言霊が、耳元でささやく。


『この糸は、観客には見えませぬ。だから我々の力の差はわかりませんぞ。指を広げて堂々と、空を掴む格好をしなさい』


 と同時に、偉大な黒の導師の肉声が観客に放たれた。


「しずく星! 北点にあり、不動のもの。アスパシオンどの、いかがでしょうか?」

「はい! 見えます! 銀の輝きがしっかりと」


 うなずき、大声で答える僕。伺いをたてるそぶりで問うスポンシオン様。


「導師アスパシオン、その輝きはいかに。我らにお教えくださいませ」


 右手を掲げる僕は、天の星を睨むように眺めながら、しずく星めがけて伸ばした糸の感触をじっくり調べた。


「星の輝きが霧がかっています。陰りとまではいきませんが。それからほのかに、熱が感じられます」

「ほうほう。しずく星は、恥らっているようですな」


 りん。りん。りん。りん。


 止まることのない、銀の鈴の音。スポンシオン様の魔法の気配がいっそう濃くなる。

 このゆるぎない気配で、僕のたよりない糸は支えられていた。


「みなさま、恥じらいの相は、停滞の意味をもちまする」

「停滞……となれば、世の情勢は、膠着するのですか?」

 

 閣下がおわす小さな天幕の隣で、小さな男の子が問うてくる。

 「ご家族」の席にいるこの子はたしか、州公閣下の何番目かの公子。正妃さまの子だ。

 まだ十歳にもなってなさげなのに、背筋をぴんとのばしていて、その顔つきはとても賢そう。


「第三公子、我が白鷹家がその膠着を打破するにきまっておりますよ。第一公子も第二公子も、そのために軍を率いて国境に展開しておるのです」


 男の子の隣で、扇をそよがせる正妃様がつんと首をかしげて仰った。

 狐目で性格は明らかにきつそう。若くも見えるし老いても見える。なんだかいろいろと掴みづらいご容姿の方だ。首の周りに林立しているレースの襟が、ほとんど顔半分を覆っている。


「それでこの余興はいつまで続くの? 白鷹の未来は見えたのかしら」

「お妃さま、これからアスパシオンどのが、その懸案を占ってごらんにいれまする」

――「ふん、つまらん。何も見えん」


 後ろの席から、金髪のゴランスン卿が愚痴ってくる。他の庶子卿たちもブツブツ何か文句を言っている。爵位のない微妙な立場の僕が注目されてるのが、気にいらないんだろう。


「あの女がお膳立てしたんだな。魔女め……」


 神経を研ぎ澄まして感覚が鋭敏になっている僕の耳に、ゴランスン卿のつぶやきが飛び込んできた。

 魔女だなんて……我が師の妹さんのことをずいぶん悪くとっている感じだ。 

 思わず正面の小天幕を見てしまう僕を、スポンシオン様の言霊がこっそりたしなめた。


『ほうほう。集中しなされ』

 

 小天幕には閣下と我が師の妹さんが中にいる。気配はあるが、幕の隙間はごくわずか。二人の姿はほとんど見えない……


「輝きの明星。東の空に浮かぶもの。アスパシオンどの、いかがでしょうか?」


 スポンシオン様が注意をこちらに向けるごとく、問いかけてくる。

 と同時に、観測台のまん前に、回転する大きな球体――青みがかった大きな星がひとつ、あらわれた。

 目に見える派手な見せ物の登場に、おお、と観客から感嘆の声が漏れる。

 僕もその鮮やかな幻影に驚嘆しながら、右手の糸を西の空へ向けた。


 りん。りん。りん。りん……


 銀の鈴を鳴らしながら。

 言霊を送りながら。

 右手から出す五本糸を維持しながら。

 目の前に幻像を出す?

 一体どれだけ、韻律を並立行使できるんだ?! 

 これぞ見習いと導師の、歴然たる差だ。

 僕にはたった一本の「糸」を維持するだけで精一杯。とても他の技を繰り出す余裕はないというのに。スポンシオン様は、まったくもって涼しい顔。

 す……すごすぎる!


「明星は……しずく石より熱いです。はっきりと熱が伝わってきます」

「ほうほう。空気が燃えておりますな」


 りん。りん。りん。りん……

 

 鈴が鳴る。

 僕の糸に、星の体温が伝わってくる。

 観測台には次々と、僕が視る星や空の現象の幻影が映される……。

 剣の柄の赤い宝石。白猫王の青い双眸。

 竜の涙に真珠のしずく。

 サソリの心臓を狙う大鷹の目。

 王の冠と、女王陛下の首飾り――


「すばらしいわ!」


 最後に真紅の薔薇のごとき星雲の幻が映し出されたとき。

 小さな天幕の中から、感嘆の叫びが聞こえた。

 幻を眺める妹さんが、うっとり陶酔しているのがわかった。


「お父様、ごらんになって。本当にすばらしいわ! 薔薇の香りが匂ってくるようね」


 僕が視た星はどの星もみんなほのかに熱くて。震えていて。

 そして――。


「青の三の星は見えますかな? アスパシオンどの」

「いいえ。おっしゃる場所にはなにも。熱くて曇ったものに覆われていて、なにも」


 僕の答えを聞いたスポンシオン様は、憂いを込めた顔を小天幕に向けた。


「かような次第でございます。最後のだめ押しにて確定しましたな」


 穏やかな声には、ほんのり哀しみが混じっていた。 


「どうやらいずこかで、くろがねぶつかり合う戦が起こっているようですな。空の燃え具合からしますと、この州ではなく。しかし、遠く離れた国でもありますまい」





 空に一発、大輪の花。

 スポンシオン様が美しい花火の技で魅せて、その夜の宴はお開きになった。

 空に散らされた光は、最後に幻像で映し出された、あの薔薇の星雲のようにあでやかだった。

 観客たちは見ごたえある見世物に感嘆しきり。小さな第三公子は始めの澄まし顔はどこへやら、最後には素直に無邪気な歓声をあげていた。

 

「白鷹州は戦に巻き込まれない」


 出された結果に大満足の観客たちとはうらはらに、僕の心には暗雲が垂れ込めた。

 スポンシオン様が読んだ戦の場所は、近すぎず遠すぎず。

 場所は大陸東部。おそらく、隣国あたり――。

 白鷹州に接しているのは、金獅子州とエティア王国だ。

 もしかして、宵の王を金獅子州公に持っていけなかったトルの身に、何か起きている?

 金獅子州とメキドの仲が悪化したとか?

 観客たちが退出していく中、懸念に押しつぶされそうになりながら、小天幕の前にかしづいたものの。


「お願いします。どうか僕の言葉を聞いて下さい。現在宵の王がこの城にあるためにメキドの女王陛下が……」


 訴えねばならないことを、僕はみなまで言えなかった。

 妹さんがサッと小天幕から出てきて、僕の言葉をさえぎる。


「ごめんなさい。お父様はもう、お休みになりたいそうなの」


 驚いたことに、小天幕そのものが幾人もの侍従たちによって担ぎ上げられた。

 軽々と持ち上げられたそれは、あっという間に屋上から運び出されていく。


「ちょ、ちょっと、待っ……!」


 追いかけようとした僕の腕を、妹さんが掴んで引き止めて、僕に羊皮紙の巻物を手渡してきた。


「お父様が、これを」

「でもメキドの女王陛下を救わないと!」

「とにかく、それをごらんになって」


 広げて見れば、そこには大きな朱色の印がでかでかと押されてあって――。


「ナッセルハヤート・アリョルビエールを……白鷹家の『後見人補佐』に任命……する?」

「おお! これはこれは。やりましたなハヤート。父上に認められましたぞ!」


 ひょいと覗き込んできたスポンシオン様が、とても嬉しげに僕の肩を抱いてきた。


「いやこれはめでたい。これでそなたは、私の代理として第二食堂で食事出来る身分になりましたな」

「だ、第二食堂で?」

「私はいったん寺院に帰らねばなりませんからな。それまでこちらのことは、そなたに任せますぞ」

「い、いや任せるといわれても僕にそんな力量は――」

「いやいや大丈夫ですぞ。いつでも連絡がとれるよう水晶球をお渡ししますからな」

「そ、そうですか。ええとつまりこれって、僕はスポンシオン様の下につけられた、ということですよね? なのに第二食堂で食事できるって……?」

「ハヤート」

 

 スポンシオン様は苦笑して僕の頭に手をぽんとのせた。


「代理の意味を、わかっておられるかな?」


 わかってなかった。

 この時僕は、星見の結果に気を取られていて、まったく自覚できなかった。

 おのれが一体、どんな力を手にしたか、ということを。

  


 

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