しろがねの歌2 薔薇の香り

「兄さま、こちらですっ」


 黒い巻き毛がふわりと、華奢な背中の上で揺れる。

 白銀色のリボンたなびくその髪の持ち主は、僕の――我が師の腕をつかみ、軽やかに廊下を走る。

 

「お城はとても広いから、とろとろ歩いていたら日が暮れてしまいますわ」


 光沢あるクリーム色のドレス。

 細腰の下にふわりと広がるその裾から、いったい何枚重なっているんだとひるむぐらい、たくさんのペチコートが見える。密集したレースの波はモコモコだ。相当重いと思うのだが、その足取りはびっくりするぐらい軽そうで速い。

 彼女は、我が師の同腹の妹さん。

 名は、アリージュワルド。

 そばにいたスポンシオン様のおかげで、僕が妹さんの名前を知らなかったことは、かろうじてばれずに済んだ。

 我が師が寺院に入ってから二十二年ぶりの再会だと、妹さんは嬉しげに涙をはらはら流した。


「お兄さまが寺院に行かれるとき、私ものすごく泣きじゃくって、だだをこねましたわよね。あのとき私はまだ五歳で……もう二度とお兄さまには会えないと侍女たちに聞かされて、とてもとても、悲しかったんですのよ」


 つまり妹さんは現在二十……いや、女性の年齢を正確に把握するのはやめよう。

 スポンシオン様が遊戯室で一緒に遊ぼうと誘ってきたけれど、妹さんは少し時間が欲しいと訴えて、僕をぐいぐい引っ張っている真っ最中。

 同じような壁。同じような廊下。

 迷わずこんなにささっと移動できるなんて、と、感心すれば。

 

「あら、お忘れになりましたの? 壁に記号が打ってありますでしょ?」


 なるほど、腰壁の高さのところに小さく印が刻まれている。数を表す共通語のアルファベットだ。

 部屋の「番地」を覚えていれば、迷うことはない寸法にしごく納得。でも内心は冷や汗だらだら。

 我が師は十歳までこの城にいたから、当然そんな「常識」をよく知っているはずだ。

 ばれたらスポンシオン様の耳に入ってしまうだろうし、それに……


「ああ、夢みたい……」


 お兄さんとの再会を喜んでいる妹さんを、がっかりさせてしまう。

 実は中身は別人です、なんてこの雰囲気でとても言えるものじゃない。

 瞳がぱっちりとしている色白の貴婦人は、まるで少女のようにはしゃいでいる。

 なんて素敵な笑顔なんだろうとうっとりしてしまうぐらい、とてもきれいだ。

 ほのかに香るいい匂いは、香水だろうか?


「お兄さま、車が通りますわ」

「え? くるま?」


 尋常じゃない広さの白鷹城は、その中を行きかうものも尋常じゃなく。


「ひ?!」


 なんと馬車のような乗り物がカラカラと、廊下を走っている。

 引っ張っているのは侍従たち。人力車、という車だそうだ。 

 この城は空高くそびえているだけではなく、一階分の床面積も、息を呑むほどの規模。てっぺんから二階の層の中央廊下は、果て町の大通りぐらいの幅がある。

 だからこんな便利な乗り物が、城内で利用されているらしい。


「うわ……いいねあれ」


 でも乗れるのは、州公閣下とその「ご家族」。閣下と同腹のご兄弟。叙勲されている男の庶子。つまりてっぺんから三階までに住む貴人のみだそうだ。

 我が師(僕)は食事も部屋も三階だが、それはまだ暫定的なもの。正式に叙勲されていないから搭乗資格がないんだと、妹さんは残念そうに肩をすくめた。


「お兄さま、本当にここのことはすっかりお忘れなのね。私たちのお母様は、側妃にならないまま亡くなったでしょう? だから基本、私たちは平民と同じ……使用人たちと一緒。あくせく走り回らないといけないのよ」


 城のかなり低層、地上一階にある狭い中庭に、僕は案内された。

 四方は天に向かってそそり立つお城の壁。宵の天がはるか頭上にかいま見える。

 

「ほらあのお花。ずっとお世話していましたの」


 小さな庭に作られた花壇のすみに、香りよい植物がひと株植わっている。

 何色の花か、暗くてよくわからないが形は薔薇のようだ。

 小さな茂みぐらいに育っていて、ほんのりいい香りがする。

 

「ピノちゃんの弔いのために、私たちで一緒に植えた白薔薇。こんなに大きくなったんですのよ」


 薔薇の株の前に、こんもりと小さな盛り土がしてある。

 

「毎日、お参りしていますわ」

「あ……これ……」


 一瞬。寺院の中庭の光景が脳裏をよぎった。

 畑のそばにある盛り土――「ぺぺのおはか」。その小さなお墓に手を合わせている、我が師の姿が。

 眼の前にあるものは、あの墓とそっくりだ。

 たぶん小動物の遺骸か何かが、眠っているんだろう。


「ピノちゃんが死んだのは、お兄さまが寺院へ行かれる少し前のことだったわね……」

 

 妹さんは愛しげに盛り土をそっと撫でた。

 

「お兄さま、おぼえていて? お兄さまが死んじゃったピノちゃんをここに埋めてくれて。お花の株を植えてくださって。そうして、泣きじゃくる私と一緒に眠ってくださった夜……私が不思議な夢を見たことを。

 お兄さまがね、銀髪のきれいな人に変わって、私の頭を撫でてくださったんですの。そうして私にこう言ったんですのよ。

『この星に生きとし生けるものはすべて、リンネする』と。

『ピノちゃんも必ずまた、生まれ変わってくる』と。

『だから泣かないで』、と……」


 銀髪のきれいな人?

 その人の姿を、僕は見たような。見なかったような……。

 我が師をかばって闇の刃に貫かれた時、まばゆい光に包まれた。

 その時ウサギ姿の僕を抱っこしていた人の姿を、おぼろげにおぼえている。

 何か必死に、僕に向かって叫んでいた。

 あの人。

 長い銀髪の。

 美しい人……。

 

「お兄さまは覚えがないとおっしゃいますけど、寺院に行く前の日にも、その不思議できれいな人は出てきたんですのよ。

 『きっとまた会えるから泣かないで』と……。

 嬉しいことに、本当にその通りになりましたわ」


 妹さんはぽきりと目の前の薔薇の花を一本手折り、にっこり微笑んで囁いた。ほんのり優しい香りがする花を、僕の胸元にさしながら。


「あの銀の髪の人はきっと、私たちのお母様に違いありませんわ」 

 

 



 中庭で昔話に花を咲かせる展開を、僕は避けたかった。

 だからスポンシオン様が遊戯室で待っているからと言い訳して、そろそろと後退。

 廊下に退避した。

 妹さんはもっと話したい満々だったけれど、深く話し合えば僕の正体がばれてしまう。

 我が師の幼少のころのことなんて、今までほとんど聞いたことはなかったから、ごまかしきれる自信は皆無だ。

 でも盛り土の下に眠っている動物はたぶん、ウサギだろう――。

 そんな気がした。

 

『俺の家はスキマ風だらけで寒くてさぁ……いっつも家族はケンカばっかり』


 かつて我が師が実家の話をほんのり醸したのは、ほんとに数回きり。

 内容は一言一句同じだった。


『妹は借金のかたにどっかに売られちまったし。オヤジは飲んだくれで母ちゃんは外に男作るし、弟は病気で死ぬし……この寺院に来て、ペペに出会うまでほんとひどいもんだったよ』


 僕だけでなく周囲の導師様にも、そううそぶいていた。


『ああもう! ぺぺってば最高!』


 たぶんにぺぺ大好きっていうのを強調するために、わざと実家を貧しくて酷い家設定にした嘘――つまり冗談なんだろうと、ずっと思っていたけど。

 寺院の中枢にある導師さまたちが、絶えずおそろしい陰謀をめぐらしていると知った今……もしかしたらあれは、本当の出自を隠すための防御的な嘘だったのかもしれない……なんて思ってしまう。

 白鷹家の庶子である我が師は、格好の餌食だったんだろうなと。

 実際にヒアキントス様は最長老様に召集されたとき、白鷹家を糾弾していたし……

 などと、階段を登りながら考えを巡らせていたら。


「わ……寒い」


 びゅう、と階上から冷たい風が吹きおりてきた。

 

『スキマ風だらけで』


 う……この建物、石組みだから……かな? 壁がすごくひんやりしているもんな。


「お兄さま、お父さまから早く居住許可が下りるとよいですわね。兄弟たちは大勢いて、普段から諍いや小競り合いが絶えませんけれど……でもきっと、みなさま受け入れて下さいますわ」


『いっつも家族はケンカばっかり』


 ううっ? 妹さんの言葉、なんだか我が師の表現と微妙に合っているような。

 で、でも。


『妹は借金のかたに売られちまってさぁ―― 』


 これはさすがに違うだろう。このお城に住んでいるようだし。

 ……と思ったら。


――「やぁ、ダイラム未亡人」


 階上からずかずかと、金髪の男が降りてきた。

 劇場で僕のとなりに座っていたゴランスン卿だ。

 妹さんは明らかにおびえて僕の背に隠れようとしたのだが。

 金髪男は僕をおしのけ、妹さんの腕をぎちりとつかんだ。


「こんな下層で何をしている? 今夜は俺と約束していただろうが?」

「す……すみません、ゴランスン兄さま。お誘いはお受けできませんと、昼間お断り申し上げたはずで――」

「黙れ。平民の娘のくせに、口答えするな」


 顔をうなだれる妹さんを、金髪男はぐいと肩幅広い胸に引き寄せた。

 未亡人? ということは、妹さんは……出戻り?


「大商人だった老夫の遺産で大金持ち。未亡人の奥様は、山ひとつしか持たぬ男爵など、鼻にもかけんというわけか」

「と、とんでもございません。決してそのようには思っておりませんっ」

「ふん。金を持っていることを盾にして、好き放題しているくせに。勝手にお前の使用人をそいつにつけただろうが? そいつは男なのに、女の使用人をつけるとは笑わせる」

「えっ……?」

 

 眉を怒らせるゴランスン卿の言葉に、僕はどきりとして。

 妹さんの弁明に、心がなんだかきゅんと苦しくなった。


「スポンシオン様が、お兄さまはまだ正式にお城に迎えられてないと仰るので……。ですので勝手ながら、私の召使いをお兄さまのためにお使いくださいますようにって、お父様にお願いしましたの。たしかに殿方に侍女をつけるなんてと、顔をしかめられましたけれど、お兄さまがお困りになるのはしのびなくて」


 この人。お兄さんに会えて本当に嬉しかったんだ……。まだ身分宙ぶらりんで、今後どうなるか全然わからない身だというのに。

 なのに金髪男は鼻でせせら笑い、妹さんの顎をつかんで、乱暴に揺さぶろうとした。

 

「ふん、父上はおまえを大目に見すぎだ! 俺がきちんとしつけてやる!」

「きゃあ!」

「おいやめろ!」

 

 止めに入った僕は、とっさに魔法の気配をおろした。

 初歩の初歩だったけれど韻律を唱え 静電気のごとき小さな光のひらめきを手にまとわせて、金髪男の腕にびたんと触れる。 

 ばちっと鈍い音がして金髪男がひるんだ隙に、妹さんを引っ張って逃走した。

 

「お兄さますごい!」


 いやほんとの我が師は、もっとすごいんだ。ほんとにすごいんだ。

 こっそり鼻毛を飛ばして最長老さまの肩にひっつけるくらい……。

 い、いやほんとに! 僕なんか足元にも……

 眼を見開き歓喜にふるえる妹さんと一緒に、僕は全速力で走った。


「あは。お兄さま、私たち、ほんとにあくせく走り回らないといけませんわね」


 できるかぎり。いや死んでも、正体がばれないようにしようと心に誓いながら。




 

 

 赤じゅうたんが敷かれた階段を登って。登って。

 人力車がぽつぽつ行き交う上層の廊下を駆けて。駆けて。

 僕らはスポンシオン様がおられる第二遊戯室に駆け込んだ。

 この階は最上階のすぐ下にある第二層で、州公閣下と同腹のご兄弟が住み、利用する室が並んでいる。

 招待されていない者は入れないので、必死の形相で追ってきたゴランスン卿は遊戯室の前で立ちぼうけ。ほどなく、ちっと舌打ちをして去っていった。

 

「後見導師さま、お願いが……」


 妹さんが事情を話すと、頭頂まぶしい方は快く、ほとぼりが冷めるまで妹さんをかくまうと請け負ってくれた。

 

「前々から、ゴランスン卿はそなたの財産を狙っていますからな」

「ええ、あの……困ったことに、毎晩遊戯に誘われていますの。第三遊戯室に」

「あれはあからさまだが、他にもそなたを狙っている者は大勢おるようですな。当分の間、夜は第二遊戯室にいる私のところに来られるとよろしかろう」

「ありがとうございます!」


 スポンシオン様は相変わらずすごろくが大好きで、お強かった。

 僕らは交代で相手をしたが、連戦連敗。


不正チートではありませんぞ?」


 おどけた言葉に、僕は苦笑しきり。

 なんだか本当に気さくなお父さん……そんな感じだった。

 夜更けに妹さんをかなり低層の私室に送りがてら。僕は今後また言いがかりをつけらないようにと、侍女さんたちを返した。

 度忘れしたフリをして、部屋がある「番地」を侍女さんたちからそれとなく聴き出して、部屋に戻り、泥のように眠った。

 スポンシオン様は念のため、部屋の扉に貼り付ける護符を妹さんに渡していた。

 だからあの金髪男がもし変なことをしようとしても、大丈夫だろう。

 翌朝。

 城内神殿に礼拝に行く途中、あの掃除番のおばさんにさりげなく聞いてみたら。


『オヤジは飲んだくれで母ちゃんは外に男作るし、弟は病気で死ぬし……』


 怒涛のように昔話をはじめたおばさんの話から、どうやら我が師は、しごくマジメに実家のことを話していたことが判明した。

 スポンシオン様から折々それとなく、実家や妹さんの動向を教えてもらっていたんだろうか。

 州公閣下は地酒が大変お好きで、それが原因でずいぶん前から病気を患っているという。

 それから我が師の母上は、はるか南の異国、多島海あたりで生まれた人だそうだ。

 リゾルデは閣下が勝手につけた北国風の呼び名で、本当の名前はリズワナという。

 

「南国の言葉でね、美しいとか、天使のようとか、そんな意味らしいわねえ」

「へええ、素敵な意味ですね」

「坊ちゃまも嬢ちゃまも、みんな南国の言葉由来のお名前ですよ」

「え? そうなの?」

「ええ。名づけたリゾルデ本人がそう言ってましたからねえ。ええと、なんていう意味だっていってたかしら……ナッセルハヤートぼっちゃまはたしか、堂々とした人? 勝利の人? とかいう意味だそうですよ。アリージュワルド嬢ちゃまは、なんでしたかしらねえ。何かの香り……? だったような」

 

 母上は十五、六歳のころに洋上で海賊に襲われ奴隷にされて、はるか北の果てのこの城の侍従長に買われたそうだ。

 湯殿番をしてすぐに閣下の目に止まったものの、母国に相思相愛の恋人がいるので、城を逃げ出すこと数回。そのたび追いかけられ、捕えられ、連れ戻された。

 幼い我が師を連れての逃避行も、一度ならずあったようだ。


『外に男をつくって……』


 恋人に会いたい一心の母上を、幼い我が師はちょっと誤解したのかもしれない。

 我が師が五歳の時、ひとつ年下の弟が病死。その翌年にあのアリージュワルドさんが生まれた。

 さらにその翌年。母上は、女の子を死産して天に召された……


「ワルド嬢ちゃまは本当に母親そっくりで。だから閣下のおぼえが大変めでたいんですよ」


 お掃除おばさんは、まるで我が子をいつくしむような顔で、アリージュワルドさんを誇らしげに褒めた。


「たった十歳でよぼよぼの老商人に嫁がされた時は、なんてひどいことをされるものだと思いましたけどねえ。でもおかげで清らかなまま、このお城に戻ってこれましたからねえ」


 結婚期間は六年。成人して本当の夫婦にならんとした、その初夜直前、旦那さんが亡くなり、莫大な遺産が入ったそうだ。


「その老夫はこの城の御用商人でしてね。ワルド嬢様がその成金の家も財産もそっくり相続されたものですから、閣下の借金は全部ちゃらですよ。ほんに閣下は運がおよろしかったこと」


 いやたぶん……閣下の借金を帳消しにするために、妹さんは嫁がされたんだろう。

 聞けば妹さんは、莫大な遺産の何割かを州庫に入れてもいるらしい。

 とすると。

 白鷹家に多大な貢献をしているからこそ、閣下に一目おかれているのではなかろうか。


「きっと嬢ちゃまは、今度はすばらしい家柄の、すばらしく見目良い殿方のもとへ嫁入りさせてもらえますとも。ええ、きっとそうなりますとも」


 察するに。

 妹さんは一生未亡人のまま、この城に置かれるんじゃないだろうか。

 結婚すれば、莫大な遺産は新しい旦那さんへの持参金になってしまうだろうから。

 しかしおばさんは、恍惚としてつぶやいてくれたのだった。 

 

「嬢ちゃまは、毎日閣下にお目通りできるんですもの。きっとそうなりますよ」


 僕にとっては、希望のよすがとなる事実を。


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