しろがねの歌

しろがねの歌1 鷹の城

「う……ううっ?」 


 ジーク、ジークと、変な音が鳴っている。

 それで僕は目を覚ました。

 呻きながらまぶたを開けば、銀地の帯がいっぱい垂れ下がっている天井が迫ってくる。

 象牙になんともすさまじい幾何学模様の彫刻がなされた寝台の、これまたなんともすさまじい天蓋だ。

 寝台を囲むそれは、まるで卵のようなドーム型。天井面には寝台と同じ彫刻がびっしり。


「今のは? 夢? それとも……?」

 

 我が師の体を起こす。

 僕の魂は今、師の体内に宿っている。我が師は死んだ僕の身代わりとなり、天へ行ってしまった。

 それが納得できないでいたら、『宵の王』につけこまれた。

 僕は『宵の王』を抱えて、みんなから離れた。

 だれも襲わず、傷つけないように。

 悪魔の囁きにさいなまれる僕には、離れる、ということだけでせいいっぱい。

 悪魔をどうにかして封じ、またみんなのもとに戻る。

 それが理想だったんだけど――


「この寝間着……絹?」


 つるつるで肌触りがいい寝間着。

 毛布も寝台の敷布も、手触りふかふか。わが師の体をやわらかく受け止めてくれる。なんていう名前の生地かわからないけれど、たぶん最高品質の布地なんだろう。

 ジーク、ジークと、変な音がまだ鳴り続けている。 

 

「ごきげんよう、ナッセルハヤート。さあさあ、午睡の時間は終わりですぞ」


 銀色の幕をあげて寝台からでようとしたら、先に外からめくられた。

 ぴかりと光る頭頂がひどくまぶしい。しかしまとうその衣は闇夜のよう。

 白鷹家後見人の、スポンシオン様だ。

 さっと幕を開け放したハゲ導師様は、戸棚の上にあるごつい銀時計を押して変な音を止めた。

 ジークジークと鳴っていたのは、あの鷹を模した時計。その目覚まし機能が作動していたのだ。


「ほうほう。どうですかな? 宵の王の声はまだ聞こえますかな?」

「あ、いえ。もう全然」

「でしょうな。カラウカス様の守護印が発動したときに、奴がそなたの魂につけた印が燃え尽きましたからの。さてさて。これから晩餐、夜の音楽会、それから遊戯ですぞ」


 頭頂まぶしき方は、遺跡めぐりと称して寺院から抜け、隠密に動いている。

 夜の街道で僕を捕まえ眠らせて、『宵の王』と一緒にこの白鷹城に連れてきた。

 異様に上機嫌なこの御方とは反対に、僕の心中は焦りでいっぱいだ。

 宵の王が無害になったのはありがたいが、それを金獅子州公のもとへ持っていかないと、トルが困る。どうにかして悪魔が封印された袋を、金獅子州公に届けなければならない。

 だから白鷹州公閣下を説得したいんだけど……

 

「あのう、音楽会には、州公閣下もご出席なさるんですか?」

「ほうほう。そんな堅くならずに。父上と呼ぶことを許されておる身分なんですからな」


 昨日。

 魔法の眠りに落ちているうちにこの城に運び込まれた僕は、州公閣下に拝謁した。

 でも白鷹家の家長たるその人は……


『破門されたのに、いまだそのいでたちとはいかに?』


 声だけで、姿がなかった。

 その人の顔を、僕は見ることができなかった。

 かのお人は謁見の間にはいなくて。

 玉座の後ろの、閉じられた壁の向こうにいた――。


「心配せずとも、兄上はご出席なさいますぞ」


 スポンシオン様がおだやかに微笑む。

 頭頂まぶしき方は、我が師の中身が僕であることに、まだ気づいておられない。

 どうにも信用しきれないから、このままできる限り、ばれないようにするのがいいかもしれない。

 でも。


『兄上、第五庶子殿は黒の韻律の技を完璧に身につけております。廷臣のひとりに加えますれば、鬼に金棒ですぞ。どうか所領をお与えになり、廷臣団に迎えてやってくださいませ』 


 謁見の間で、この御方は終始、我が師のことをかばっていた。

 スメルニアのシドニウスと蒼鹿家のヒアキントスにはめられたのだと、語気を強めて。

 それに対して、壁の向こうの人はほとんど無反応。

 黒き衣を脱げ、といいたげなあの問いかけだけが、僕に発せられた言葉のすべてだった。


『このナッセルハヤートは、必ずや、お役に立ちましょうぞ』


 スポンシオン様こそ、我が師の本当の父親で。厳しい叔父を必死になだめている――

 そんな錯覚を覚えそうな雰囲気だった。


「さあさあ支度を」


 スポンシオン様がぱんぱんと手を打つや、左右にすうっと侍女たちが現れる。

 「帰城」した僕につけられた側仕えたちだけど、さすがは州公家。やんごとなき家の子女を雇っているらしい。


「失礼いたします。ごきげんは麗しゅうございますか?」

「よきお目覚めであられましたか?」

 

 見目が良いことはいうまでもなく。挨拶完璧、ものごし優雅。喋る口調は流麗で。


「さあ、お召しかえが済みました。とても男前でございます」「ええ、大変麗しゅうございます」


 褒め言葉なのに無表情。ちょっと……こわい。

 手際よく僕に服を着せるのを手伝った侍女たちが、姿見の前に僕をいざなう。

 白い上着に白ズボンの我が師の姿が鏡に映る。

 額はオールバックで長めの黒髪はひとつにたばねられ、銀のリボンで結ばれてる。

 って……うわぁ……なにこの二枚目貴公子!

 いやもともと我が師って、ちゃんとしてれば結構見られる顔だったのはわかってたけど。


「すごく若返ってる……」


 思わずあごを撫でてつぶやいてしまった。

 昨日浴槽に放り込まれて、侍従たちにきれいにひげを剃られたのだ。黒き衣はそのとき、どこかへ持ち去られてしまった。もしかしたら捨てられてしまったかもしれない……。

 我が師の晴れ姿の左右に、侍女たちがにょきにょきとあらわれ鏡に映りこむ。


「素敵な貴公子様ですわ」「本当に惚れ惚れいたします」


 褒め言葉なのにやっぱり無表情。かなり……こわい。

 二人とも、胸元がみえそうでみえない、銀糸の刺繍がびっしり入った胴着に、ふわりと裾が大きく広がる裾長のドレス。いわゆる「お姫様」の出で立ちだ。

 きゅっと腰が締まった体形は、砂時計の形。腰ってこんなに細くできるものなんだと、その異様な細さに心中ドン引く。

 彼女たちがその細腰に巻いているのは、銀刺繍が入った大輪の花のようなリボン。透き通った白地の帯が、リボンから長く垂れ下がっている。

 白銀は、白鷹家を象徴する色。そしてどうやら長い帯は、鷹の翼が変形具象化したものらしい。

 だからこの城にいる人はみな、銀地の帯を衣装のどこかにあしらっている。

 

「ほうほう。これは大変りりしいですな、ナッセルハヤート」  


 スポンシオン様がぽんと僕の肩に手を乗せてきた。

 鏡に映る我が師の姿を、惚れ惚れと眺めている。まるで実の息子を見るようなまなざしで。

 本当に、優しいお父さんって感じだ。

 いちいち様子を見に来てくれて、付き添ってくれて、かいがいしいことこの上ない。

 でもその実は。

 僕が逃げないよう、監視しているんだろう――。





 王様のお城って、おとぎ話の絵本に描かれているように、きんぴかできらびやかで色とりどりできらきら、という印象があった。

 でも白鷹の城内は石の壁がむき出し。飾り気なんて全然なくて、暗くてすごく寒々しい。

 とてつもなく長い廊下がえんえん伸びていて、左右に分かれる通路が何十もある。

 まさに四角四面の石壁の迷路。

 どの曲がり口も同じに見えるから、案内がなければ確実に迷ってしまうだろう。

 スポンシオン様に先導された僕は、第三食堂と呼ばれるところに入った。

 寺院の大食堂のように、長方形の長い長い卓がひとつ据えられた広間だ。

 室内には石壁を覆うように、銀の垂れ幕がたくさん下がっている。壁から突き出たいくつもの燭台の上に、銀の光を冴え冴えと放つ灯り球が置いてある。

 中に足を踏み入れるや、すでに席についている人々が一斉に、視線を向けてきた。

 下は十才ぐらいから、上は我が師と同じぐらいのまで年代はさまざま。

 十数人いるけど、みんな男。


「ごきげんよう、皆様」


 ぎこちなく挨拶すれども、みな無言で少し頭を下げてくるだけでだんまり。


「それではな、ハヤート。食事が済んだら迎えにくるからの」


 しかしハゲ導師さまが空いている席に僕を座らせ、食堂から退室するや。


「それでだ、北部地方の今年の農作業の様子なんだが……」

「それより優先事項は、南部平野の酒造がうまくいくかさ」

「スグリのパイをとってくれまいか」

「今日は肉は無しか?」

 

 どっと、面々から会話がはじけた。がやがやわいわい、みんなあっけにとられるぐらいの大声で話し合い、結構大きな音を立てて食事し始める。

 卓上の皿にはパンがたっぷり。パイも魚もふんだんに盛られて、豪勢だ。

 でも肉が無い、肉を食べたいとみな口をそろえてぼやく。

 しかし。


「このソースはおいしいんだけど」

「肉だよな。肉」

「魚が出てるだけいいさ」 


 僕に話しかけてくる人は、ひとりもいない――。

 昨晩も僕はここで、スポンシオン様からひとりひとりを紹介されたあと、食事を摂った。

 すぐ右の席の人は、葡萄谷領主ドリナンスン卿。

 その隣は早瀬川領主リカンスン卿。

 その隣は剣山領主ゴランスン卿。

 さらにその隣は粟野領主ポルンスン卿。

 ええとそれから……とにかくみんな、なんとか領主なんとかスン卿っていう名前だ。

 正直居心地悪いんだけど、僕はここで朝昼晩、この人たちと食事をとらないといけないらしい。

 この第三食堂は、「州公閣下に認知された庶子の男子たち」が使う食堂なのだそうだ。

 ちなみにスポンシオン様はひとつ上の階の第二食堂で、州公閣下と同腹、すなわち正嫡のご兄弟たちと一緒に食事をなさる。

 そして州公閣下はそのさらに上の階の第一食堂で、「ご家族」と食事を共にされる。

 州公母様、州公妃様、そして正嫡の公子・公女様たちと。

 また、階下には「第四」「第五」「第六」と、州公閣下の一族でさらに下位に位置づけられる人々が使う食堂があるという。

 女子の庶子とか。州公閣下の非正嫡のご兄弟、ご姉妹とか。庶子を産んだ妾妃様たちとか。

 「ご家族」は男女同席で家族そろって食べるのに、庶子は兄弟でも男女別で食事。

 庶子は性別で位階に差があるみたいだ。


「兄弟何人、いるんだろう……」


 食後に迎えにきてくれたスポンシオン様にそれとなく聞いてみたら。

 庶子の男子は全部で十五人。女子は六人。そのうち十三人が、貴族出身の五人の妾妃たちから生まれていることがわかった。


「リゾルデが存命ならば、泣いてハヤートの帰城を喜んだでしょうなぁ」


 しみじみおっしゃる様子から推察するに、我が師の母上はこの世に無く。

 

――「ハヤート坊ちゃま!」


 廊下を移動中、感無量といった感じで声をかけてきた女中さんによると。


「あああ、こんなに大きくなられて。リゾルデも草葉の陰で泣いてよろこんでおりましょう。まさかあの湯殿番の平民娘が、州公閣下の御子様を生むなんてねえ……」


 平民の娘、ということが判明。

 なるほど。それで貴族出の妾妃様の息子たちは、僕にひとことも言葉をかけてこなかったのか。

 

「妹ちゃんが死産じゃなかったらねえ……あのお産で死ななかったら、今頃リゾルデはお妃のひとりになっていたでしょうに」


 おいおい泣いてハンケチで目をぬぐう女中さんは、飾り気のない黒のドレスに白エプロン姿。僕につけられた侍女たちとは、ひと目で身分や格が違うとわかる。

 城内の清掃を担当しているらしく、手には箒。話し言葉は、とてもくだけた普通の共通語で、僕の耳にはここちよかった。

 しかしなんというか、とどのつまり。

 

「州公閣下って……手当たり次第?」

「ぬ?」

「いえそのあの。子沢山ですよねっ」

 

 あわてて言いつくろえば、スポンシオン様はおそろしいことをのたまわってきた。


「いや、歴代の白鷹家当主にくらぶれば、ずいぶんお子が少ない方であろうな」

「えっ……」

「かつてこの州が王国だったころの白鷹王は、この城に大後宮を抱えていた。妾妃は数十人、お手つきの女官は、百人を数えるほどいたそうですぞ」

「ひ? ひゃく……?」

「ゆえにその名残で、我が祖父上も父上も、お妃を十人ほど囲われておられた。兄上は、それに全然及びませんからなぁ。ずいぶんと身持ちが堅いですな」

「そ、そうなんですか……身持ち、堅い方なんですか……」

「ほうほう。さあ、音楽会じゃ。楽しみましょうぞ、ナッセルハヤート」


 頭頂まぶしき方はにこにこと、息を呑む僕の腕を引っ張って城内劇場に入った。

 城の中に劇場があるというだけで驚きだが、これがまたかなりの広さ。なんと二階建てだ。

 庶子の我が師は廷臣たちよりは上席に座れるらしく、席は一階席中央の後ろの方。

 でも正面に小さな円天幕があり、それが邪魔で舞台がよく見えない。

 そこにどうやら、州公閣下がおわすようだ。

 後見人のスポンシオン様が、天幕斜め後方の席にお座りになられると。

 

「席がひとつずれてずいぶん見やすくなった。それにしてもスポンシオンの叔父上は忙しそうだな」


 隣の青年がぶつぶつつぶやいた。

 僕と同じ食堂で食べていた庶子のひとりだ。


「ええとたしか……ゴランスンさん?」

「卿をつけてくれないか? これでもいちおう所領持ちなのでね」

「あ。すみません」


 ぎろっと睨んでくるその顔は結構二枚目。金髪碧眼。

 しかしそれきりゴランスン卿はむっすりだんまり。

 僕が話しかけるそぶりをみせると、無言で黙っていろと睨んでくる。

 会話をあきらめ前を見やれば、舞台で催しものが始まった。

 外国から呼ばれた楽団が、劇場内に妙なる調べを響かせる。巷では大変有名な楽団らしくて、スポンシオン様はそれでワクワクしておられたようだ。


「わ……ぁ」


 流れてくる音の渦。渦。渦……。

 なんと見事な調和の調べだろう。

 こんなにたくさんの人が舞台の上で一斉に演奏するなんて、すごい……

 って、のんびり音楽鑑賞している場合じゃない。

 見事な演奏が終わるや、僕は席を立ち、天幕へ走った。

 州公閣下に直訴しなければ。

 『宵の王』を持って、金獅子州公に謁見したいと。

 またはそれにかわる外交手段をとってもらいたいと。

 何の役にも立たなかった僕が、トルを窮地に落としいれるなんてことは、絶対にしたくなかった。

 

――「州公閣……ひ?!」


 しかし僕の接近は、スポンシオン様によって阻まれた。


「こらこらハヤート。アポなしで兄上にお会いすることはできませんぞ」

「いますぐ話を。閣下にお願いしたいことがあるんです」

「今宵も明日も、すでに枠が埋まっておりますからの。話をしたくば、謁見願いを出さねば」


 枠? 謁見願い?

 くそ……実の父親と自由に話もできないなんて。

 

「待っている暇なんて、ないんです。『宵の王』がないとトルが困るんです。だから――」

「ハヤート?」


 頭頂まぶしき方は首をかしげた。

 

「なぜにメキドの女王にそんなに肩入れするのだね?」

「ぺぺに頼まれたんですよ」 


 僕はさもあらんというような話をでっちあげた。


「弟子のぺぺがいまわのきわに……トルナート陛下をたのむと」

「ほうほう、おぬしが焼き殺してしまった弟子かね」

「う……はい……ぺぺはトルのことを……」


 のどが詰まる。


「トルのことを、大事に思っていたので」


 好きなんて。

 言える資格ない――。


「ほうほう。つまり弟子の遺言ですな?」

「ですからどうか、スポンシオン様からも州公閣下にお口添えを。どうか、金獅子州公閣下に疑われている女王陛下を、お救いしてほしいのです」


 トルは金獅子州公から、『宵の王』を操ったのではないかと疑われている。

 身の潔白を示すために、あの悪魔を差し出すよう要請されていた。

 

「金獅子州公は難癖をつけて、『宵の王』を手に入れたいのでしょうなぁ。しかし白鷹家がおいそれと、あの国に古代の遺物を渡すわけにはいきませんぞ」

「ですが――」


 困ったように眉根をよせるスポンシオン様に、さらに食い下がろうとしたとき。

 

――「ハヤートお兄さま!」


 背後からきんきんとかん高い呼び声が響いた。


「え? おに……?」

「お兄さま、でしょう?」


 ふりむけば。そこに艶やかな緑のドレスを着込んだお姫様がいた。

 見事な砂時計。侍女たちよりも、胸のふくらみがすごく……すごく大きくて、谷間が見えるその肌は真っ白。

 長い黒髪の巻き毛をふわりと揺らし、青い瞳をきらめかせるその貴婦人は。


「ああ、生きてまた会いまみえるなんて」


 声を奮わせ、目を潤ませ。

 

「お会いしたかった!」


 どっと僕の胸に飛び込んできた。

 とても嬉しげに。

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