深淵の歌11 顕現

 絶対このままだんまりじゃないだろうとは、思っていた。

 ケイドーンの巨人たちがくろがねの兵士の動きを封じ込め、僕が扇で「宵の王」の魂をすっこ抜き、大団円になった広場での戦い。

 二位の御方は御身の魂をとばして、終始傍観していたことだろう。

 すでに御身自体、寺院を出てかなり近くにいるのかも、と。

 最後まで僕たちの好きにさせるなんて、そんな都合のいいことなどあるはずない。

 和やかな酒宴の席は格好の標的。お酒が入ればみな気が緩む。

 だからトルの周囲には、絶えず視線を走らせていた。

 変な気配を感じたら、すぐに飛び出せるように。

 だが安全なのは、その広間だけ、になっているのかも――。

 回廊の闇は宵闇だけではなく。蠢く影に覆われている。

 それはずるずると僕とわが師の足元に忍び寄ってきた。

 果て町や深淵で見たものよりもっとどす黒くうねうねしている。風とはおよそ呼べない、固形物に近いもの。限りなく物質なようで実体ではない。

 わが師を突き飛ばしたら、影なるものは僕の方に寄ってきたけど、床一面の影は少しも薄くならない。やはりこのあたりの廊下はもう「闇」に沈んでいる。 

 つかもうとすると影はずるりと逃げ、僕の周囲を取り巻いてきた。

 まるで檻を作って閉じ込めようとしているごとく。

「あう? なんだこれ?」

 我が師がよろろと起き上がり首をかしげる。

「クソオヤ……お師匠さま、広間に戻れ!」

 黒いうねりはぐるぐるとぐろを巻いて、僕を覆いかくさんばかり。

 胸によぎるのは嫌な予感。

 二位の御方は広間をまず闇で囲んで、それからどうするつもりなんだ?

 僕の怒鳴り声で、わが師がようやく正気に戻った。

「え……? 弟子? 弟子い?! なんてこった! これって!」

「お師匠さま! 僕はいいから広間をっ……ああっ!」

 ずるる、と音を立てわが師の姿がさかさまに宙に持ち上げられる。

 闇の触手が足に巻き付き、引っ張り上げたのだ。ぎゃあ、と悲鳴をあげるわが師に思わず目を覆う。

 だって足首も垂れてぶらぶら。黒き衣のすそがべろっとめくれて下に垂れて、健全な男子的には非常に見たくないものが、そこに。ど、どうして首根っこをつかんでくれなかったんだ?

 垂直九十度に吊り下げられた状態って、すね毛足全開どころか腰布もめくれちゃうじゃん……

「つかむのやり直せよ!」

 魔法の気配を降ろして必死に影の渦を押し広げようとするも、全然効かない。渦はぐるぐる回転するばかりだ。


『おとなしくしろアスパシオン』


 どろどろした渦から、聞きたくない声が聞こえる。


『抵抗すれば、君の大事なウサギを殺すぞ』

「俺のぺぺを!? くっそ卑怯だぞシドニウス!」

『宵の王に取り憑かれた責任をとって、ここで死んでくれるかね?』

 僕を人質に?! くそ、それで二位の御方は僕を渦の中に閉じ込めたのか。

 この渦の密度。この濃度の風で本体ははるか北の果ての寺院ということはありえない。たぶん、どこかすぐ近くに体が在るんだ。おそらくこの建物の中に。

 それにしてもシドニウス様おひとりで建物の廊下一面を、というのはさすがに無理に思える。導師様たちを数人、引き連れてきているかもしれない。

「責任だとお? 何言ってんだ、おまえが俺の体に宵の王を突っ込んだんだろうが! おわわわわ!」

 さかとんぼりに吊り下げられたわが師が、ぶるんぶるんと激しく振り回され始めた。僕が人質にとられているせいで、結界すら張れずになされるがままだ。

『くくく。隙を見せる方が悪いのだよ。無防備に体を空けるなど、なんと愚かな。それでメキドの女王に助太刀とは小賢しい。国無し風情が!』

 トルを助けた――

 やっぱりわが師は、かなり前からサクラオに取り憑いてたんだ。

 体を空けていろんなところに行ってたって、前に言ってたけど。もしかして、中庭でぐうぐう寝てばっかりになったのもそのせい?

 昼寝のおさぼりが始まったのは……


『なんとかしようねえ。にんじん、ぶしゃー☆』


 ゆる神ピピちゃんがそう言ってからだ……。

 つまりわが師は、僕のためにトルを助けたってことなのか?

 でもそうならなんで、トルとサクラオをひっつけるんだよ!

『トルは、サクラオの。ぺぺは、俺の』

 なんでそんなキモチ悪い考えになるんだ! 子離れしろよちくしょう!!


『くくく。よい怒りの波動だな、ぺぺくん』

「う?」


 暗い渦が悦に入る。


『君の苦労と献身。常日頃から、感心して見ていたぞ。こんなふがいない師では憎悪が募るのも当然だ。こんな者が君の所有者ではねえ』


 周囲の触手の一部がずずっと蠢き、とある形をとり始める。

 みるまにしゅるしゅると、先が尖った巨大な針の形になっていく。


『分かるかね? これは怨念の輪。ありがたいことに私に力を与えてくれている。今この渦は、君の暗い怨念を吸い上げているからねえ』

 

 なんだって?!


『アスパシオンのぺぺ。君こそが、師を殺すのだ』

 

 わが師を振り回していた触手が、ひた、と止まる。

 影の触手が何をしようとしているか察して、僕は触手の渦に突進した。

「やめ……やめろおおおおお!!!!!」

『死ね。アスパシオン』

「うああああ!! お師匠さま!! お師匠さま!! お師――」


「がっ……」


 ずしゅっ、と針が有機物を貫く音と。我が師の息が詰まったような声と。

 そして。見たくない光景が……目の前に……。

「うあああああ!!」

 影の槍がわが師の体を……体を……。

「やだ! いやだあああっ! うああああ! うわああああ!!」  

 がんがん渦に体当たりしても、黒い渦はびくともしない。

 もっと体が小さかったらすりぬけられる?! どれぐらいの大きさ?!

 犬? 猫? いや……僕がなれるのは。

「ぐっ……」

 もう一度、ざしゅっと、いやな音がする。

 また刺された?!

 やめろ。やめろ! これ以上傷つけないでくれ!

 腹は立つけど、我が師はこんなことされていい人じゃない!

 ちくしょう! ちくしょう!! 

 僕のせいでこんな!! 


「はぐっ……ぺぺ……シドニ……のいってること……嘘……ぐうっ!」

「お師匠さま!!」


 助けなきゃ――!


『歌え音の神!』


 変身術の韻律。

 変身術の。

 変身……


『……かく空に広げし銀光は

 白はやぶさの疾風はやて立つ』

 

「ぐはっ……」


 韻律を紡ぐ口が震える。また、刺された?

 いやだ。やめろ。やめろ。やめろ。やめてくれ!!

 急いで唱えないと。急いで……


『風切る翼 きめらかに

 変じよ我が腕 おおらかに』

 

 一言一句正確に。音程がひとつでも正しくなければ、ウサギになれない。


「ひぐっ!」

 

 急いで、完璧に、唱えろ――! 


『我に歌え音の神

 その聖なる息吹にて歌い始めよ

 我が身動かせ音の神』


 師のうめき声がひっきりなしに聞こえてくる。

 おそろしくてたまらない。人が串刺しにされているのを目のあたりにしながら、難易度の高い韻律を間違えずに唱えるなんて。どこかに心を置いていかないと、そんなことできない。

 どこか自分の体の外に、感情を放り出さないと。

 おのが体が縮みだすや、わが身をぎりぎりと渦の隙間に押し込む。

 隙間の向こう側に突き出した腕が、みるみる白いもふっとした小さな手に変わっていく。

 すっかりウサギとなった顔を次に突っ込み。頭でこじあけるように、隙間にわが身をねじ入れる――。

 ウサギになった僕はすぽんと渦から抜けて、我が師のもとへ飛び出した。


「お師匠さま!!」


 よかった……まだ動いてる。もがいて必死に急所をはずしているようだ。

 でも肩は貫かれて。足は傷だらけで。

「ぐひい!」

「あああっ!!」

 わき腹に深々と槍が――!

 我が師の全身から力が抜けていく。だらりと、腕が下がっていく。

 それでも情け容赦なく、影の槍が助走をつけるように一瞬じりりと身を引き。

 わが師の胴体めがけて――


「やめろおおおおおおっ!!」


 僕は思いきり、後ろ足を踏み切った。

 わが師にむかって飛び上がった。

 渾身の力を、こめて。 

「お師――」


「ぺぺええええええええええっ!!!!!」


 あ。

 落ちて……いく。

 我が師へのとどめの一撃は――

 よかった、防げたみたいだ。なんとか間に合ったみたい。

 まったくもう。最後まで世話が焼ける人だったな。

 最後まで?

 なんだ僕。これから死ぬようなこと言って。

 仕方ないか。

 なんだか胸におっきな穴が開いちゃってる。でも全然痛くない。

 針に刺されて、体中の神経が焼けちゃったような気がする。

 たぶん心臓が……なくなっちゃったと……思……


『さすがは使い魔。どんな状況でも主人を守るのだな。だが十分に時間は稼いだ。広間の中の者どもは逃げられぬ……くくく』

「ぺ……うあ……うああ……ぺ……」

『む?』

「ぺぺええええええええ!!!!」


 うわ……まぶしい。

 なんだろうこれ。我が師から出てるのかな。

 銀色の光が……ぎゅるぎゅると周囲にほとばしっている。

 なにかの精霊でも呼んだんだろうか。

 きれいだなぁ……


『なんだおまえは!?』


 二位の御方が何か叫んでる。

 でも……もうよく、聞こえない。

 黒い風が、まばゆい光に呑まれていくと同時に。

 二位の御方の声も、途切れ途切れになってる。

 

『アスパシオ……じゃな……何……だ?!』


 我が師じゃ……ない? ああ……これきっと、精霊だよね。

 そういえば我が師って、どんな精霊持ってるんだろ。

 魔力は底なしにあるから、まさか僕みたいに水溜りレベルじゃないよね。

 山とか。川とか。そんなレベルだったらすごいなぁ。


『ぐ! ぐあああああ!!』


 二位の御方が苦しんでる。

 光……すごいな。光属性、なのかな。

 あ。ふわっと浮いた? だれかに、拾い上げられたのか。

 光の塊?

 いや……いや……

 うわあ……

 

 なんて、きれいなひと……

 

 ぎんいろのかみ……

 

 おんなのひと?

 

 なんだか、あったか……い……



「ピピさん!!」


 きれいなひとが。さけんでる。

 

 なんども。さけんでる。


「ピピさん! ピピさん! 死なないで!!」


 ピ……ピ? 

 ちがう、よ。

 ぼくはぺぺ。

 ぺぺだ…… 

 

 それにしても。

 

 きれいなひと、だなぁ。

 

 おししょうさまがだした……んだよ、な? 


 このひと……

 

 だれ……

 

 だろ……

 

 う……




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