深淵の歌3 吠える精霊
エリク。
そう叫んだ自分にびっくりした。
兄弟子様、と呼んだつもりだったのに。
黄金の鎖に繋がれた人とは、今日初めて会った。
なのにその人の名前がするりと出るなんて。
ああ、やっぱり。
やっぱり僕の前世は――。
「おまえ……」
黄金の鎖の人が僕をまじまじと見つめてくる。
「お、お願いです! 僕らを助けて下さい!」
「やっぱりおまえ、使い魔ウサギのペペだな? そうじゃないかと思ってた」
僕の頭に、大きな手が乗っかってきた。たのもしくて、暖かい手が。
「ハヤトに約束した通り、生まれ変わってきたんだな? よく今まで無事で……」
手のぬくもりを感じたとたんに――涙がとまらなくなった。
知っている。
僕は知っている。この手の感触を。
うまく言葉にできないけど、なんて不思議な感覚なんだ……。
そばにリンがいるのに、僕は小さな子供のように声をあげて泣いた。
泣きじゃくりながら、兄弟子様に洗いざらいすべてを話した。
向こう岸の街が焼かれ。我が師がはめられたことを。
二位の方が氷結の方を使って黒髭の方を陥れ。最長老様を暗殺しようとしていることを。
しゃくりあげて言葉が抜けて説明不足になったのを、賢いリンが捕捉してくれた。
リンがいてくれて本当に助かった。僕ひとりだったら、この人に状況をうまく伝えられなくて手間取っただろう。
「お……お願いします! 僕らに力を貸してくださいっ! 一緒に来てください!」
しかし。
あぐらをかいてうーんと腕組みする兄弟子様の反応は。
「でもなあ。ハヤトは寺院の外に出てるとはいえ、シドニウスの掌中にあるんだろ。ただの人質より性質悪いなぁ。それにここ、結構居心地いいんだよなぁ。だから超めんどく――」
「えええっ?」
なんだか微妙。居心地いいって、めんどくさいって、そ、そんな。
「いやその、あの化け物狸とまっこうからタイマンはるのはやばいわ。ハヤトが危なくなる。さっきあいつを追い払ったのは、深淵を守る番人としての務めを果たしたってだけだからなぁ。それに俺様を縛ってるこの鎖はどんだけでも伸ばせるけど、離すにゃ深淵の中にある神器が要るぞ。そこんとこ、ハヤトはどう考えてたんだ?」
黄金の鎖に繋がれた人の問いに、リンが答える。
――「全部、番人がなんとかしてくれる、と仰ってました」
「丸投げかよ!」
兄弟子様が呆れて天を仰ぐ。
ああもうほんとに。うちの師匠は……。
そういえば僕に言った言葉も、「なんとかする」だったし。
我が師はほんと、何も考えてないような気がする。
「要するに。子ども二人預かって。深淵に入って。便利道具と鎖解く神器とってきて。寺院から出て。ハヤトのところに行って。華麗にシドニウスを倒せと?
しかもハヤト姫がシドニウスに首締められないよう、すべての行動をこっそりやり遂げろと?」
「で、ですね」「ハヤトさんの要求はそうかと」
「うがああああっ! めんどくさすぎ! ハヤトの野郎っ、にーちゃん頼るのもたいがいにしろっての!」
頭を掻きむしる兄弟子様。たしかに鎖に繋がれてる人に対して、無茶ぶりすぎる。
すみません。それもこれもすべて我が師が、ドジをふんで体を奪われたからです。
ほんとすみません。
でもここでこの人につっぱねられたら……。
「あの、鎖伸ばすのは大変でしょうから、深淵から道具とってくるのは、僕ら二人でどうにかします。でもそのあとは……」
「う。まて。その顔やめろってぺぺ! おまえ人間になっても、うるうる攻撃すんのかよ!」
僕は歯を食いしばって、両手を広げてバッと突き出した。
「お酒、十年分!」
「……!」
「僕の師匠の、お酒の割り当て十年分、さしあげます。お酒、好きですよね?」
「ちょ、おま……」
「二十年分でも、いいです! それに相当する分量のお酒! 大団円の暁には必ず、我が師におごらせます!」
「なんでおまえが勝手に約束してんだ。あいつまだおまえに面倒みられてんのか?」
「はいっ! 思いっきりみてます! 兄弟子様、どうか! どうか!」
「ぺ、ペペ、落ちつけ! 目つきがヤバイぞ」
「兄弟子様! どうかお願いだから!」
僕が必死になって思わず兄弟子様に抱きつくと。
「ちょ、おまえすがりつくのやめろ! 聖印持ってるだろ?!」
兄弟子様はあわあわとあわてふためいた。
「どわあ! やめろっ。まじで衣が焼けるっ」
ああ、そういえば。
禁欲の掟厳しい寺院では、胸につけられた聖印が効果を発揮する。誰かとべたべたしようものなら、聖印は熱を発して我が身と相手を焼く。
『十五秒だな』
トル。
必ず君を助ける――!
「ひいい! やめろ! はなせ! まじで焦げる! お師匠様の衣がぁああ!」
兄弟子様にしがみつく僕のむきだしの胸に赤い円形の印が浮かび上がり。
ぶすぶすと熱を放ち出した。
「わっ、わかった! 協力すっから! だから今すぐ! 離れろおおっ!!」
ぴちょん、ぴちょんと水滴が落ちる音がする。
暗闇の中に浮かぶふたつの白い光球が、あたりをほんのり青白く照らす。
目の前には、大きな蒼い泉。
見上げれば、剣山のごとく細長い鍾乳石がびっしり連なった天蓋が広がっている。
鍾乳石からこぼれ落ちる水滴が、泉の水面に作っているのは……。
「綺麗ね」
灯り球を水面ちかくにかざして、リンが感嘆の息をついた。
水滴が作るいくつもの波紋。ゆらゆら広がる輪の模様。
この泉。寺院の中庭ぐらいだろうか。かなり広い。
岸辺近くの水面に、細かく白いものがうじょうじょと固まっている。
淡く発光しているそれは……目がとんでもなく小さい小魚だ。
「ここが、深淵……?」
兄弟子様を味方にした僕らは、びちりと閉じられた岩の扉の向こうに侵入した。
我が師がくれた時計鍵には、その扉を開けるための鍵――七つの名前がしっかり刻まれていた。
名前をすべて唱えるや、ごご、と轟音をたてて開いた扉。
その先に入るなり目前に広がった光景が、これだ。
どこをどう見ても、およそ宝物庫という雰囲気ではない。
「どうせなら、リンちゃんに迫ってほしかったなぁ」
真っ青な泉を前に息を呑む僕らの後ろで、黄金の鎖に繋がれている人がぼやく。
岩の扉のすぐそばで、あおむけにぐでんと伸びてる格好で。
しぶしぶ「大仕事」を引き受けてくれた兄弟子様は、二位の御方を欺くため、「ペペとリンが番人を倒して深淵に侵入した」ことにした。僕ら以外だれもいないのに、現在それを、なんとも律儀に演技中だ。
「ここ、泉しかないんだけど」
「およそ宝物があるようには、見えませんよね」
僕とリンが顔を見合わせるその後ろで、仰向けに倒れている兄弟子様はくいくいと、人差し指を地面の下に向けた。
「ぶっちゃけここに入るのは、俺も初めてなんだけどさ。きっと中だわ」
泉の中?
「こないだレクサリオンがさ、深淵に入ってなんか宝石みたいなもの取っていったんだ。あいつ、ずぶ濡れだったぜ」
封印物は泉の中に沈んでいる?
僕らが暗く底の見えない蒼い水中を覗きこむと。
突如、泉の真ん中あたりがうわっと盛り上がり――。
「な、なんだ?」
くおおおと、変な雄たけびをあげるぬるっとしたものが姿を現した。
これは……!
『歌え音の神!』
それが何かを正確に把握する前に、リンがとっさに魔法の気配を降ろして物理結界を張った。
さすがリン。反応が速い。
降り落ちてくる泉の水が、ほんわり円形に光る空気の壁に当たり、だらだら筋を作りながら流れ落ちる。
泉の中から出てきたものは、蛇のごとく長い胴体にカニのような鋏をもつ、実に硬そうな奴だった。鎌首をこちらにむけ、くわっと丸い口をあけて威嚇してくるが――
「目がない?」
鋏があることをのぞけば、巨大ミミズのごとし。そいつは、ざん、ざん、とカニのごとき鋏を岸辺に突き立てて、首をうねうねさせてきた。
「たぶんそいつが、本来の番人だと思うぞー」
倒れている兄弟子様がのんきに仰る。御自ら排除してくれる気は、全く無さげ。
そこまでいたれりつくせりは、望んではいけないようだ。
僕はリンの結界の中で、自分の魔法の気配を降ろした。
『歌え音の神! 暗黒より飛び来たれ、七つの守護霊!』
「おはぁ、地獄の七霊か!」
黒い渦弾が僕の肩にふしゅふしゅと現れるなり、背後の兄弟子様が嬉しそうな声をあげた。
実体のない精霊は、物理結界を透過する。
僕が召喚した黒い七霊は、すぐさまひゅひゅんと結界を抜け、カニ鋏の化け物めがけて突進し――
「いけ! 爆発しろ!」
ぽす、とかわいらしい音を立てて着弾した。
が。
相手の肌はやはり硬いらしい。黒い弾は衝撃を与えられず、パッと霧散した。
「効かないみたいですね」
リンが展開した結界の内側にもう一枚、結界を張る。相手が鋭い鋏を振り上げ、結界を刺してきたからだ。突き立てられた鋏の先がびきりと音をたて、ほのかに光る膜にひびを入れる。
まずい。割れそうだ。
急いでもう一度、七霊を召喚して放つ。だがやはり相手にはほとんど効かない。
黒く渦巻く七つの弾がはかなく消えたとたん。
兄弟子様がけらけら笑いだした。
「それ、鍾乳洞のちっちぇー水たまりの精霊だろ。かっわいいなぁ」
「水たまり?!」
リンがなによそれ、と叫びたげに目を剥く。
「アスパシオンの、それはさすがに攻撃力がほとんどないのでは」
い、いやでも七つもあるし。便利な自動砲塔だし。
我が師は僕がこれを出そうとしたら、び、びびってたよ?
「そらびびるわ、七霊って、全身くすぐってくるやつだろ」
え。
「図書館の本にのってるイタズラ専用の精霊だよな。本体はヘロム鉱石採掘場の、七つ穴」
「七つ穴? 人の顔みたいに見える人面穴のことですか?」
「お、リンちゃん知ってるか。昨今はそう呼ばれてんの? 俺様当番サボってさ、あれによく、指ずぼずぼして遊んでたわ。なにげにみんな、あそこにずぼずぼしちゃうよな。特に鼻のとこ」
するか! ていうか、当番サボるなよ!
そりゃあひとつひとつは、指一本入るかどうかの水たまりだけど。七つもあるし人の顔に見えるから、てっきりすごい精霊だと思っ……
『轟け! 音の神!』
リンがキッと鋏の化け物を見据え、右手を突き出して韻律を唱え始めた。
『虚空に在りしは
かかげし御旗は烈空の怒り』
ずん、とリンの物理結界に巨大ミミズの鋏が再び突き刺さる。
ついに一枚目の結界が割れた。
僕は急いで二枚目の結界の内側に、もう一枚結界を展開した。
『……きたれよきらめき ほとばしるもの
閃光まばゆき 雷の精鋭』
リンの詠唱は長い。おそらく精霊を呼び出している。
すでに契約済みで短詩で済むはずなのに、その呼び出しの調べが長い。
淀みなく歌う声はとても澄んでいる。なんだか、思わずうっとりしてしまう……。
鋏の攻撃で、リンの二枚目の結界が割れた。そのギヤマンが砕けたような音でハッと我にかえった僕は、右手を薙いでもう一枚結界を加えた。
聴き入ってる場合じゃない。援護しなければ。
『歌え 轟け 音の神
荒ぶる息吹を解き放て
歌え 輝け 音の神
歌の終音が響きわたった、その刹那。
ばりばり凄まじい音をたてて、リンの右手からまばゆい光の帯がほとばしった。
目がくらむほどの閃光。網目のように広がる魔法の息吹。
それは……。
「おおう!」
背後で兄弟子様が感嘆の声をあげた。
「四大精霊! 雷の
泉の水を這っていった黄金の光は、あっというまに異形の番人を捉え。一瞬にして、その気味の悪い全身を包み込んだ。
あまりのまぶしさに、僕は我が目を腕で覆った。
目を守りながらかいま見れば。
神々しい輝きが、鋏の化け物を感電させて焼いていた。
まるで神の鉄槌が、今ここに下されたかのように――。
「いっやぁ、リンちゃんはすごいねえ。さっきのあれって、三日に一度寺院の避雷針に落ちてくる雷だろ。風編みの結界の副作用で起こる飽和現象。ハタタの灯し火。あれと契約するとはなぁ。いやぁ、ほんとすごい!」
兄弟子様が嬉々として、自身の前に長い銀の棒をつったてる。
黄金の鎖が蛇のようにしゅるしゅると、その棒に巻きついていく。
その動きは不気味なほど速くて、本物の蛇のようだ。
「いやしかし、七つ穴にはくそ笑ったわ。おまえウサギの時の方が、もっといい精霊と契約してたぞ? ぺぺ」
棒に自ら巻きつく鎖を眺めながら、僕はいらいらと我が手にある鋼鉄製の扇をにぎりしめた。
なにもしてないあんたよりマシじゃん!
そう突っ込んで兄弟子様をこの扇でひっぱたきたいが、そうすると魂がすっこ抜けるらしいので自重する。
我が師を救うための鋼の扇も。
それから、兄弟子様の鎖を解くための棒も。
僕とリンの二人でがんばって手に入れて、泉の岸辺に戻ってきたところだ。
水中にいるものには、雷が効果的に効く――リンがとっさにそう判断して召喚した精霊のおかげで、化け物はクタッっと泉の岸辺に倒れた。
大きく開いたその口こそが、なんと深淵の宝物庫への入り口だった。
本来なら鍵の名前を唱えて口を開けてもらうところを、力でごり押ししてしまったのだが。急襲された僕らには、時計鍵に刻まれたその鍵を読む余裕がなかったから、仕方ない。
洞窟のごとき暗い口に金属の梯子がついているのが見えたので、化け物の首は通路なのだとやっとこ気づいた次第だ。
僕とリンはかなりの時間をかけてそこを下り、ついに深淵の宝物庫にいたった。
内部の形から察するに、化け物の首は長く細い蛇のよう。しかし泉の奥底に隠れている胴体は、ごろっと円形でとてつもなく大きいと推測できた。
宝物庫の中は、僕の腰のあたりまで完全に水没していた。
水は泉の水に何かの溶液が入り混じっていて、真っ黒。透明度は零で、水中に何か潜んでないかとこわかった。
水上には真っ白な半円型の箱がいくつも浮かんでいた。
箱には文字が記されていたが古い時代のもので判別しがたく、ひとつひとつ蓋をあけて探さないといけなかった。
「蓋を開ける鍵の名前は、化け物の口を開けるものと同じでした。それで何十個か開けて、やっと見つけられました」
リンがにこにこと兄弟子様に報告する。
「これで道具はそろいまし……ハヤトさんの兄弟子様? な、なにを?」
鎖がとれて自由の身になった兄弟子様が、うう、と呻きながらリンの肩にしなだれかかる。
「あわれ深淵の番人は侵入者に拉致られて、美少女におんぶされて寺院から連れ出されるのであった――ていう筋書きでいくべ。てことで、リンちゃん、かよわい俺様をおんぶして」
ちょっと待て。
こいつ……我が師よりフザケてないか?
まじで扇でばしりとしてやりたいが、魂すっこ抜けたらやっぱり困るのでぐぐっと我慢。代わりに僕は、リンと兄弟子様の間にずいっと割って入った。
「兄弟子様は僕が連れていきます。どうぞ抱きつくなり肩抱くなりしてください。なんならお姫様だっこしてさしあげましょーか?」
脅すように胸元をつかんでぴとっと胸をつけてやると、兄弟子様は血相を変えて即時反省。
「いやいい! いいから! 衣焼けるっ」
「まったくもう……あれ?」
ちょっと釘を刺そうとそのままの体勢で説教しはじめた僕は。
そこでおのが胸の異変に気がついた。
「あれっ?」
胸が熱くならない。聖印が……浮かび上がってこない。
「およ? 発動しないな」
「おかしいですね」
「全然、出てくる気配ないな。おいこれ、印なくなってるんじゃね?」
兄弟子様が目をすがめる。
「つけたのは、最長老か?」
そうだとうなずく僕。
聖印は……寺院に入る前にレクサリオン様がつけてくださった。
手を胸に当てられて、じゅうと焼かれた。
あれは本当にきつかったな。熱くて痛くて……。
「まさかそんな、消えるなんて」
リンが僕の背中に抱きついてくる。一瞬どきりとしたが、聖印の有無を確認するためだ。
とたんにリンは眉根を寄せて、自分の胸元を見下ろした。
やはり、何も起こらない。リンの体も熱を帯びてこない。
「おいおいおいおい? リンちゃんの聖印も消えてるみたいだな。これはひょっとしてひょっとすると……」
みるまに。兄弟子さまの口角がにやりと引き上がった。
まるで――悪魔のように。
「最長老に、なにかあったんじゃね?」
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