深淵の歌

深淵の歌1 黄金の鎖


 リン!!

 リン!!

 

 僕は叫んだ。必死に叫んだ。


 リン!! 

 死ぬな、リン!!!!


 深淵へ行け。

 遺物を北五州に持ってこい。

 まさか我が師が、そんな無茶ぶりをしてくるとは。

 我が師の言葉を伝えてくれた彼女。

 一緒にここまでついてきてくれた彼女。


 リン!!!!


 彼女がいなければ、封印所の結界を破ることはできなかっただろう。

 なぜなら僕が彼女にすがって叫ぶ声は。


「きゅううううう!!」


 人間の言葉にならなかったから――。





 二位の御方の冥き風は、一瞬にしてリンの周囲から空気を奪い、真空にした。

 息ができなくなった彼女に、僕はなすすべもなかった。

 せめて口がきけたら、韻律を唱えられるのに。

 万事休すか。二位の方に降るしかないのか。

 あきらめて黒い風に身を投じようとした、そのとき。

 まばゆい光が僕らを包んだ。

 

『うっせえええええ!!』


 地の底で耳にしたのは――轟く怒鳴り声。

 目の前に広がるのは――まっ白な光の洪水。

 それはいきなり周囲一帯を染めたので、僕の目は焼かれて、しばらく何も見えなくなった。

 全身にあたった熱線のごとき光は、炎のごとく熱い。

 竜が吐く炎というのは、こんな感じじゃなかろうか。

 そう思ったほどその光は熱く。勢い凄まじく。怒りがたぎっていた。

 「誰」の勘気なのか。

 怒声をあげたのは、「誰」なのか。

 やっとのこと回復した視界に映ったのは――

『退け、どろどろ風! うるさいわ!!』

 黒い風を薙ぎはらう、輝く物体。それはまるで翼のある人間のよう。

 光一閃の息吹によって、リンの周りの真空の空間にどっと空気が入り込む。

『おのれ! なぜこんなところまで出張って来ている? 囚人のくせに!』

 悔しげに叫びながら、どろりと後方へ逃げる冥き風。

 光の物体は追いかけようと、ものすごい勢いで飛び出してきた。 

 が。

 堅い岩盤をじゃりじゃり引っ掻く金属音が響くと同時に。

『うがあああああっ!!』

 まばゆいその物体は、僕らの眼前すれすれのところで勢いよく動きを止めた。

 いや。

 止められてしまった。

 黄金に輝く太い鎖によって。

 光の塊の光量が落ちていくにつれ、鎖で繋がれているその者の姿が、はっきり輪郭をとって見えてきた。翼だと思ったものは完全に光だったようだ。

 実際のところそれは。

 それは……


「え」


 あ、あれ?


「おじ……さん?」

「うがあっ。あの風、ぶっ潰してやろうと思ったのにっ」

 轟きが失せた声。輝きが消えた体。その大きさは、人間ぐらい。

 いや。これは人間だ。

 ぼろぼろの黒い衣。

 胸に十字にかけられた、黄金の鎖。

 地にどかりとあぐらをかき、むっすり顎を支える……

「や、やっぱりおじさん……光の鳥かなにかだと思ったけど……おじさん……」

 あ。

 僕の口からちゃんと言葉が出ている。

「あの、た、助かりました! 喋れるようにしてくださって、ありがとうございます!」

 お礼の言葉もするりと出る……!

 まばゆい熱光の放射。あれでヒアキントス様にかけられた呪いがとけたのか。

 しかしこの人は一体? 二位の方は「囚人」と叫んでいたけれど……。

 僕が訊く前に、鎖で繋がれたおじさんはじろじろこちらを見ながら訊ねてきた。

「おまえ、なんなのよ? 使い魔ウサギ?」

「いえ、僕は人間です」

「変身してんのか。どれ、本体見せてみ?」


『その言葉は、無に帰した』


 そのおじさんが韻律を唱えたとたん。

 あたりに強力な魔法の気配が降りてきた。ぐわっと頭にかかってくる重圧感。

 なんだこれは。これほど強い魔力は、今まで感じたことがない。

 驚く僕の手足は突然膨張して。長い耳はパッと消え失せて。みるみる体が大きくなって……。

 ウサギの変身があっという間に解けてしまった。

「ちっ。男かよ」

 とたんにおじさんが失望の声をあげる。

 じゃらじゃら金の鎖をひきずりながら四つんばいで近づいてきたのに、途中でぴたりと停止。その背中から伸びる鎖は結構長い。深淵への扉は、この人の背後にあるんだろうか。闇に沈んでよく見えない。 

「はぁ……まな板胸とか、チンコ見せられたって嬉しくもなんともないのよなぁ」

 ため息をつきながら、おじさんはちろちろと僕の下半身を見やった。

 そのいわんとすることを察そうと、下を向いた僕の顔がこわばる。

「あ。僕、服着てな……い……」

「女の子だったらよかったのになぁ」

「……っ!!」 

 ちょっと待て。まさかこのおじさん、すっぽんぽんの女の子が見られるかもって期待して、僕の変身を解いたのかっ?! 

 な! な! な! なんて奴!

「がぁーっかりだぜ。っと。こっちの子は女の子みたいだな。うひょ? 美人っぽいな。大丈夫かぁ?」

「り、りりりリンにさわるなっ!」

 僕はあわててまだ意識がうつろなリンの上半身を支え起こし、近づいてくるおじさんを手で払った。

 寄るな触るな近寄るな! とばかりに、二重三重に急いで結界を張る。

 しかし……

「無駄だぜ」

  

『その言葉は、無に帰した』


 鎖に繋がれたおじさんは、また打ち消しの韻律を唱えてきた。

 くそ!

 どんなものにでも効くという汎用的な韻律、というものがある。

 それが今このおじさんが唱えた、消滅韻だ。

 音波振動で作り出された事象を、強力な振動で消し去る力技である。

 その効果は、唱える者の魔力次第。長老級にはんぱなく強ければ、上級の韻律すらすっかり打ち消すことができる。 

 自信たっぷりなこのおじさんの魔力は、二位の方を退けるほどだったから……つまり僕が唱えた初歩的な韻律は、あっというまにことごとく――

「くそ! 消されたっ! だめ! こっちくんな! ……ふえっくし!」

 うう、ウサギには毛皮があるけど人間にはない。

 地の奥底のあまりの寒さにがくがく震える僕に、おじさんはブッと噴き出した。

「うは。必死になっちゃって。かわいいな僕。それ、おまえの彼女?」

「ち、ちが! ちがいまっ……」

「あのさ。すっぽんぽんの男にだっこされてるって気づいたら、そのお嬢ちゃんぶったまげるんじゃね?」

「う……!」 

 それは、一理ある。しかし今の僕にはどうしようも……。

 するとじゃらじゃら鎖をひきずるおじさんは、笑いながらいったん奥の闇に溶け込んでいき。すぐにまた僕らのもとに戻ってきて、布のようなものをばさっと投げつけてきた。なんだか草を編みこんだもののようだ。

「それ使っていいぞ」 

 何かの罠じゃないかといぶかりながら、草製の布を腰に巻いてるうちに。

「ん……あ? わた、し?」

 リンがうっすら目を開けて、意識をとり戻した。

 あ、あぶなかった。もう少しで一糸まとわぬ姿を見られるところだった。

 おじさんに感謝すべきだろうか?

「リン! よかった……!」

「おう、気がついたか。おおう、やっぱりかわいいな! ……ん? 菫の瞳?」

「あ……あなたは……」

 ぶるぶる頭を振り、よろけつつ上半身を起こすリン。

 さすがの彼女はなによりもまず先に、鎖に繋がれたおじさんに訊ねた。

「あなたは、深淵の番人ですか?」

 おのが身への気遣いを脇へ置き、凛と聞いた彼女に。おじさんはほうと声をあげ、一瞬間をおいてから、口元をにやっとひき上げた。

「番人。まあ、そうだわ。その認識で合ってると思うぜ」





 賢いリンは、黒い風に襲われたせいで消えたカンテラの灯をつけ直した。

 真っ黒な岩盤がぼうっと青黒く照らし出される。

 ぼろぼろの黒い衣をまとっているおじさんの顔も、幽霊のように浮かび上がった。

 よく見ると、その人は本当にむさかった。

 髪は伸び放題。顔じゅう無精ひげだらけ。そして風呂には永い間入っていないのだろう。鼻が曲がるほどとても臭い。

 この人がさっきまばゆい光を放った神々しい物体とは――とても思えない。

 胸部にばってん十文字にかかっている黄金の鎖。その下に見えるすりきれた黒い衣は……導師様の衣のようだ。

 おじさんは、二位の方に追われていた僕らの素性はどうでもいいようで、単純に来訪者がきたことを喜んでいるようだった。それが証拠にじゃらじゃら鎖を引きずって、じつに気前よく、自分の「住処」を僕らに見せ始めた。 

 早く深淵の中に入って、我が師に指示されたものを取りに行かなければ。

 僕は内心そわそわしたが、こらえた。

 このおじさんこそ、我が師が言っていた「番人」。

 本人がうなずくとおり本当にそうだとすれば、深淵の中に入るにも寺院を出るためにも、この人に協力してもらわねばならない。だから機嫌をとっておくのが得策、である。

 賢いリンもそう思ったのだろう。僕にこくりとうなずいて目配せしてきた。

 焦るな、様子を見よう、と。

 なにせ二位の方を圧倒する力を持つ人だ。怒らせでもしたらどうなることか。

 おじさんの黄金の鎖が届く範囲はかなり広い。深淵の入り口付近だけではなく、周辺にある穴三つ四つをゆうに行き来できるほど。

 その穴のひとつには、草みたいなものがうっそうと生えていた。

 僕にくれた布は、この草を編んで作ったものらしい。

「蜘蛛糸草だ。光合成じゃなくて、地熱で伸びる。こいつで籠や網も作れるんだぜ」

 いわれてみれば、そこは地面がなんだかほんのり暖く、寒くなかった。

 温泉みたいなものが近くにあるんだろうか。

 もう一つの穴には、蒼く深い泉があった。泉はやはり冷たくなくて、お湯じゃないかと思うぐらいぬるかった。

 ここにはでかい魚がいるんだと、おじさんは韻律を使ってひょいと、両脇でかかえあげるぐらいの魚をすくいあげてみせた。

「この魚の空気袋が水筒がわりになる。酒をいれるのに超便利なんだわ」

 え? 

 お酒? 

「あっちの穴に闇イチゴが生えててさ。それ発酵させたら、うまいもんができちゃってさぁ。へへへ」

 鼻をほじりながら、おじさんは蛍のような小さな発光虫がとびかう天井をあほんと見上げた。

「まあ、だから食生活にはあんまり困ってないわな。この穴倉生活」

「いつから、ここにいらっしゃるんですか?」

 とれた魚から器用に空気袋を取り出す作業を、興味津々のぞきこむリン。

 おじさんは切りわけた魚の身を、草籠にほいほい入れ込んだ。

「あーっと、ここに繋がれたのは、お師匠様が殺されてからだ。さぁて、どんぐらいたったのかねえ? おてんとさんが見えないから、そこはわかんねえわ」

 師が……殺された?

「もとは導師、であられたのですね?」

 たずねるリンの声が緊張で低くなる。

「レクサリオンがさぁ、俺がお師匠様を殺したって濡れ衣を着せたんだわ」

「えっ……」「な……」

 殺人の濡れ衣?!

 あの最長老様が、冤罪を起こした? まさかそんな……。

 

 この人の師とは一体……誰?

 この人は、一体……何者?


「おーう、おまえたち、一緒に酒盛りしようぜえ」

 おじさんはじゃらじゃら鎖を引きずりながら、泉の隣にある穴に魚を持っていった。

 背から伸びる黄金の鎖が不気味に鈍く光っていた。

 あたかも。

 この人にからみつく、大蛇のように――。





  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る