くろがねの歌3 真夏の思い出
寺院に帰って丸一日、僕は共同部屋の寝台で寝込んだ。
無事生還できた、という安堵と、トルに関する衝撃的な事実から、どっと疲れに襲われたのだ。我が師がかいがいしく看病してくれたような気がするが、まともに受け答えするのは拒否。
『トルに返事書いちゃった』
あの言葉に、ほとほと呆れたからだ。
『いや、婚約おめでとうって書いただけだから! ほんとにそれだけだから!』
信じてやるが、それでもやりすぎだろう。クソオヤジ。
凍えるような鍾乳洞とは正反対に、盛夏の寺院はうだるような暑さ。だらだら汗を垂らしながらふと目を覚ませば、すぐ脇の小卓に水がたっぷり入った桶が置いてあった。手を伸ばしてつっこみ、その冷たさに思わず口をほころばせると。白い封筒が、桶の底にさりげなく挟んであった。
トルからの手紙だ。我が師がこっそり置いていったらしい。しかし封筒についている紋は、今までのと少し違っていた。緑の地に枝の輪の王家紋の上に、新しく二本の戦斧がついている。
別の紋が組み合わされた――それが意味するところは……。
覚悟を決めて手紙を読めば。トルの言葉は、喜びと希望に満ちあふれていた。
『アスワド、いよいよ王手だ!
少し時間がとれたから、今までの経緯をざっと報告するね。
君が報せてくれたあの毒薬を、ボクらは逆に利用させてもらったよ。
吉日に開かれた公式行事で、ボクらはバルバトス様からの贈り物が毒だというのを、みなの面前で暴露した。ネズミに飲ませて見せたんだ。廷臣たちだけでなく、地方貴族や王都に住む名士たちが集まるその前でね。王宮前の広場で、ボクらは廷臣たちを脅した。バルバトス様はかように恐ろしい方なんだと。いつお前たちも、いきなりやられるかわからないぞと。廷臣たちの大半は顔を真っ青にして、ボクらに忠誠を誓ってくれたよ』
ボクら。
トルの一人称は、終始それだった。当然、あの「彼」のことなんだろうと、すぐに察しがついた。
『むろん、宣誓を拒否した者たちもいる。宮廷は、ボクらの味方が三分の二、叛旗を翻したのが三分の一ほどとなった。従わない者たちは旧王都の古い王宮に本拠を構え、チェルリと並ぶ名家であるフェルリ州公家を王家に立てようとした』
そして。件の「彼」はやっぱり、奥さんと子供と孫持ちの白髪のお爺さん将軍……ではなく。なんとごく普通の王子やら騎士といった部類のものでも、なかった。
『このままでは内戦かと思いきや、事態を打開すべく、「彼」がたのもしい援軍を召集してくれた。なんとケイドーンの巨人傭兵団、総勢一千人をそっくりそのままだ。まさか一騎当千の傭兵たちのほとんどがメキドに集結して、近衛騎士団になってくれるなんて……。
ああアスワド、夢みたいだよ。おかげで、旧王宮に篭もる者たちの多くがボクらに恭順してくれた。
誰はばかりなく政を行えるようになったボクらはさっそく、バルバトス様を後見から罷免することを貴族議会で承認させた。ファラディアへの出兵も取りやめさせた。
ボクらはダメ押しとして、現在、大陸同盟からボクらの王権の公式承認を得ようとしている。今度そのために同盟本部たる
ボクらの王権、と先走って書いてしまったけれど……。
アスワド、ボクは「彼」と結婚することになった。挙式は半年後だ。
「彼」はとても素晴らしいケイドーンの戦士だ。名はサクラオという。ケイドーンの傭兵団長の腹違いの弟君で、巨人と人間との混血なんだ。
君をボクらの結婚式に呼べたらどんなにか……と思う。
友よ、どうかおめでとうと言ってくれ』
ケイドーンの戦士。
僕は何度もその字面を読んだ。
ケイドーンの戦士!
手紙の通り、一騎当千と謳われる巨人の一族だ。先祖代々傭兵業を生業としており、身の丈は人間の成人男性の一,五倍。その太ももや二の腕の太さは、あたかも木の幹のよう。
一世紀ほど前のエティアとスメルニア皇国の大戦では、大陸最大級の巨大な金剛石三個でエティアに雇われ、スメルニア軍五万の重装歩兵をたった五百騎で蹴散らしたとか……そんなすさまじい武勇譚を持つ一族だ。
金剛石の煌めきこそ
王妃の涙の結晶なれば
巨人の戦斧は唸りたち
大地を引き裂き海を割る
なんて有名な歌が伝わっている。
巨大な戦斧は彼らの象徴。斧を使ったさまざまな戦技を会得しているといわれている。
ああそれで、夫君となる人の戦斧の紋が、トルの紋に付加されたのか。
件の「彼」は武術だけではなく韻律も駆使でき、策謀にも長けているとは。とても僕なんかが張り合える相手じゃ……ない。
深く落ち込み手紙をぼうっと眺めていると、白肌のリンがお見舞いに来てくれた。なんともいい匂いがする紫の花束を抱えている。
「ラジェンドラという花です。香りに沈静と安眠の作用があるの。そばに飾ってよいかしら?」
「もちろんだよ。ありがとう」
「アスパシオンの。あなたには、なんとお礼をいっていいか……無事にお帰りになられて本当によかった」
リンがうっすら涙ぐむ。採石場の一件で、僕はリンを助けることができた。自ら強引に背負ったものだが、役に立てたと……思う。誇りにできることだと。そのことを思いだすと、辛い心が少し楽になった。
「七位の方が、恐ろしくご機嫌斜めです」
小卓に花を活けながら、リンは囁いてきた。
七位の方とは、序列七位の長老バルバトス様のことだ。
「トルが……メキド王国が、あの方を罷免しました。数日前にその情報が寺院に伝わり、周りはその話で持ちきりです」
「うん、知ってる」
なんとか口に笑みを作って見せる。トルの幸せを祝福したい。その気持ちに、嘘偽りはない
から。
「トルから手紙をもらったよ」
「まあ……」
リンは驚いて僕が握っている便箋を見つめた。
「まさか、婚約のことも?」
「うん、書いてあった。これ、五日前に書かれたものらしいけど。よかったよね」
「トルの婚約は昨日、大陸公報で正式発表されたばかりですよ」
やはりあなたは特別なのね、とリンはうらやましげに目を細めた。
「あなたはトルの一番の友達でしたもの。それにしてもトルは目が高いですね。二つの種族を繋ぐ方を夫君にするとは。まごうことなく、彼女は王者です」
「婚約祝いを贈らなきゃ」
思わず僕の口から、それまで思ってもみなかった言葉が出た。するとリンはうなずきながらも貌を硬くした。
「それは素敵な考えですね。でもアスパシオンの、トルと交流があることは秘密にしなければいけませんよ。七位の方はここの導師様の誰かが、トルに密書を送ったのではないかとお疑いです。手紙をやり取りしていると知られたら、あなたが疑われます」
リンは本当に優秀で鋭い。どきりとすることを言う。
「七位の方は恐ろしいお方です。先日ファラディアに出張なさったコロンバヌス様のところに、あの方の差し金と思われる刺客があらわれたそうですよ」
あ……! ヒアキントス様は岩の舞台で、蜂を雇ってファラディアに送り込めとバルバトス様に勧めていたっけ……! 僕はトルのことばかり気にかけていたけれど、あの方も危なかったんだ。
「そ、それでコロンバヌス様は?」
「ええ、見事に刺客を撃退されて、意気揚々と院にお戻りになられました」
よ、よかった! さすが黒き衣の導師。でもバルバトス様は、本当にあの密談通りに刺客を送った、ということか。
ぞくり、とおのが背筋に冷たいものが走る。導師様たちの見えない攻防は本当に恐ろしいものだと、この時僕はほぼ初めて、黒き衣の方々に恐怖を覚えた。
「アスパシオンの、だからあなたも慎重に行動した方がよいです」
「うん。ありがとう。でも、リンだから打ち明けたんだ」
「アスパシオンの?」
リンがびっくりした顔で僕を見つめる。綺麗な菫の瞳で。
「君はトルが還俗したあと、独りになった僕のことを気遣ってくれた。今も僕を心配してくれてる。それに君も、トルのことをすごく気にかけてたよね。だからこの手紙、君も見る権利があると思う」
僕はリンの手をぎゅっと握って手紙を渡した。心の中で、おのれに言い聞かせながら。
トルは好きな人と幸せになるんだ。祝ってやらなくてどうする?
……吹っ切れ!
「ありがとう……!」
頬を染めてとても嬉しげに微笑むメニスの子に、僕は今できうる限り最高の笑みを返した。
「リン。一緒にトルの勝利を祝おう」
リンと二人でトルに婚約祝いを送ろうと決めたあと。僕はトルの手紙を枕の中に隠した。とりあえずの隠し場所だ。動けるようになったら、厳重に箱に封じて誰にも見つからない場所にしまおう。
それからほどなく長老様七人全員が、僕が臥せる共同部屋にやってこられた。
ずらっと取り囲まれてびっくりしたが、最長老様が、僕が無事生還したため、脱院の罪は天の配剤によって許された、と宣言なさった。これで無罪放免、ということらしい。
意外なことに二位のシドニウス様は「よくやった!」と僕をベタ褒めした。
「すばらしいな、アスパシオンの。鍾乳洞から生還するとは。おまえの噂はすごいぞ? 我の弟子に欲しいぐらい話題になっておる」
他の長老様もすごいと驚きの言葉を下さるやら、あっぱれだと労ってくださるやら。なんだかとても面映かった。
しかし。七位のバルバトス様だけは、口を真一文字に引き結んでおられた。いまにも怒鳴り出しそうな、どす黒い顔。その躯からかもし出される、暗い波動……。押し殺した怒りがびりびりと、肌に突き刺さってくる。
僕は一瞬で気圧され、息が詰まった。あわてて床に視線を逃したので、最長老様が具合が悪いのかと気遣って下さる始末だった。
「アスパシオンの。まだ体力が戻っておらぬようだな。ゆるりと休むがいい」
「は、はい。ありがとうございます」
「ふん! 生還するとは。運のよいことだ」
バルバトス様はぶっきらぼうに言い捨てて、ズカズカ荒い足音を立てて部屋を出て行かれた。 僕の心臓はドキドキ高鳴った。
もしあのお方に僕のしたことがばれたら、きっと百万の呪いが降りかかってくることだろう。洒落じゃなく禁呪の精霊を召喚されて、体を八つ裂きにされるかも。
長老様たちが退室されたあと、僕は寝台にぐたりと伸びた。
我が身の安全を考えれば、トルの手紙は思い切って焼いてしまうのがいい。でもトルは公式発表前に、僕に一番大事なことを報せてくれた。あれは残念ながら愛情の証ではないけれど、かけがえのない友情の証だ。失くしてしまいたくない……。
「トル……」
しかし暑い。あまりのけだるさに、僕は手紙を隠した枕を撫でながら、うとうとまどろみの中へ沈んでいった。
遠い国にいる、赤毛の彼女を思いながら。
夢の中へ――。
寺院の中庭に照りつける太陽の光。
おいらの家来が、畑仕事をサボって手ぬぐいを頭からかぶって座り込んでる。おいらの隣にべったりと。
『あついってハヤト』
『うん。暑い』
『だるいってばハヤト」
『うん。だるい』
『おまえ、ちょっと、はなれろよ』
『え。なんで』
『べたべた暑苦しいんだよ。おいら、ただでさえ全身もふもふの毛で暑いのに』
おいらは大きな後ろ足で家来をどんとおしのけた。
こいつ、いつもすぐにひっついてくるんだよな。わきゅわきゅ手を動かして、もふもふしたいとか、わけわかんないこと言ってくる。もっと兄弟子のエリクを見習えよ。真面目に勉強しろっての。
『ハヤト、ちゃんと畑仕事しろよ。当番だろ』
『うええ、つかれたぁ。暑いしさぁ』
『仕方ねえな。じゃあ、ニンジンの
おいらが命じると、家来はへいっ! と敬礼して、蒼い衣をひるがえし、調理場に駆けてった。
……よし。邪魔者は消えた。今の隙に、家畜小屋へ突撃だ。
今日こそ告白する! 告白して、一気に「結婚モーしこみ」までいく!
結納は家来に作らせてるニンジン百本で決まりだ。足りなかったら、もっと作らせようっと
いとしのリリアナちゃん。おいらの愛を受け止めてくれ――!!
――『ペペ! ニンジン氷菓作ってきたぞー。ペペ? ぺぺー? ……ちょ、おまえ、どうした?!』
『ハヤト……』
血相を変えたおいらの家来が、中庭の茂みに行き倒れてるおいらのところに駆けて来る。
おいらは……長い耳をだらんと前に垂らし、腹を見せて倒れてて、息も絶え絶えだ。
『ね、熱でも出たのか? ぺぺ!』
熱? あるかもな。もう、おいら悲しくて悲しくてたまらないよ。
抱き上げてくれた家来の胸に、おいらは頭をこすりつけた。
『ハヤトぉ……どうして? どうして、ウサギは……』
『な、なに?』
『どうしてウサギは、牛と結婚できないんだよおぉお!』
『は……あ? ちょ……まさかおまえ……牛のリリアナが好きなのか?!』
『うわああああああんっ!』
おいらはおいおい泣き出した。
白黒まだらの美しい彼女に言われた言葉が、おいらの脳裏によみがえる――。
『んモー冗談がお上手ねペペさん。アタシ、ニンジンは大好きだけどモー、とってモーすてきな結婚モーしこみだったけどモー、でモー、ウサギさんとは、結婚できないモー。それにアタシ、モー素敵な牛さんと、結婚してるモー』
いとしのリリアナ。お、おいらはそれでも。君を……!
「……なに今の……夢?」
寝床から起き上がり。僕はぶるっと頭を振った。
なんだか、黒髪の男の子に抱き上げられてわあわあ泣いていたような……。
しかしさすが盛夏。寝床がぐっしょり汗だらけだ。
「弟子、おはよ」
すぐそばに、黒き衣の導師がひとり立っている。
我が師だ。暑さしのぎに衣の袖と裾をまくって紐で結んでいる。腕はともかく足を見せるのはやめてほしいんだけど。いい年したおじさんのスネ毛なんて、ちょっと見たくないんだけど。ていうかまだ、あんたとは話したくないんだけど。
「あ、暑いだろ? 涼しくなるもん持ってきてやったぞ」
僕の顔色をうかがう我が師は、真っ白いものがこんもり盛られている器を両手に持っている。その白い物のてっぺんには、毒々しい橙色の液体が……。
「あの……なんですかそれ?」
「何って、おまえの大好きなニンジンの
「ニンジン?」
ニンジンは、嫌いじゃないけど。氷菓のシロップにするなんて見たことも聞いたことも……。
「ほら口開けろ。食べさせてやるから」
「結構です! どうせなら練乳味の方がいいし、あんたのこと、僕はまだ許したわけじゃ……」
匙を差し出す我が師から後ずさりながらつぶやくと。我が師はひどく悲しげに目を伏せた。
「弟子、練乳は無理だ。牛のリリアナが昨日ついに参っちまってさ」
「えっ?」
「一番たくさん乳を出す奴がいなくなったもんで、寺院名物の自家製チーズが作れねえってみんながっくりしてる。って、弟子? おいこら待て! まだ起きるなって! 弟子!」
気づけば僕は家畜小屋の前にいて。声をあげて泣いていた。
この小屋の中には、ヤギと牛がそれぞれ三頭ずついるはずだが、牛の姿が一頭、見当たらない。リリアナがいない。白黒まだらでつぶらな瞳。とてもやさしい気性の彼女が……。
小屋の中にいるもう二頭の牛も、ヤギたちも、みな耳を垂らしてさびしそうな顔をしている。特につがいだった牡牛のスタインは、見るからに意気消沈の顔。
家畜の世話は、僕が好きな当番のひとつだ。餌をやったり体をブラシでこすってやったりするのが、特に好きだ。リリアナはとても気立てがよくて、一番なついてくれてたのに。
泣いている僕のそばに我が師がそうっとやって来た。導師たちはみなリリアナの功労に感謝しているという。
「ちゃんと
食肉にされないと聞いて安堵した。寺院では肉を食べない。肉を食すると魔力が落ちると信じられているからだ。でも向こう岸の果て町では高く売れる。
我が師は、ホッとしてさらに泣きじゃくる僕の頭をぐりぐりと撫でてきた。
「一緒に見送ろうな、弟子」
「うわああああああん!」
僕は師の胸に頭をこすりつけた。どうしてこんなに涙が出てくるのか、わけが分からないまま、声をあげてわんわん泣いた。
その日の夕刻。夕餉の後、乳牛のリリアナは湖の岸辺で荼毘に付され、その灰を湖にまかれた。この寺院に住まう人間たちと、全く同じ弔いのされ方だった。
長老様たちの手によって、ケーナという楽器が奏でられた。この竹製の管が連なる楽器は、正式な儀式の時に使うもの。とてもきれいな、そして物悲しい音が出る。
僕はその楽の音を聴きながら、また涙をこぼした。
どうしてこんなに涙が出るのか分からないながらも。涙をぽろぽろこぼした。
それから数日後。
僕と我が師はリンとこっそり湖の岸辺で待ち合わせて、式鳥に小さな包みを託して飛ばした。宛先は、メキド王国王宮、トルナート女王陛下。包みの中身は、メディキウム様特製の、どんな毒にも効く万能解毒薬と、精霊を呼び寄せて遊べる
僕らは僕とリン二人の連名の手紙が、包みを引っさげてはばたくのを見送った。
我が師に飛ばしてもらわないといけない、というのがなんだかちょっと不本意というか、心中複雑だった。早く導師になって、自分で飛ばせるようになりたい……。
「アスパシオンの、今回のは婚約祝いですからね。結婚祝いにはもっとたくさん送りましょう」
「うん、もちろんだ」
トル。
トル。
どうか幸せに――。
その日の昼下がり。回廊掃除の午後当番を終えた僕は、我が師に手招きされた。
「弟子! ちょっと弟子、手伝って!」
「なんですか? 瞑想室にちゃんと行ってくださいよ」
師は僕の腕を引っ張って自室へ向かい、外出の準備をしてくれと頼んできた。
「ええっ? また寺院を出る?」
向こう岸の街に行って牛を買い付けてこいと、最長老様に命じられたという。
「ま、一ヶ月経つから、パシリの仕事はこれで最後だな」
「え?」
「いやその、行き先はまた向こう岸の果て町だし。牛買うだけだからさ」
我が師は僕の肩にとんと手を置いた。
「明日には戻れるんじゃね? でも念のためにこいつ渡しとく。持っておくだけでいいわ」
「これは……?」
それは小さな金の懐中時計だった。文字盤が透けていて、中のぜんまいがうっすら見える。赤い宝石が転々とはまっているのがなんとも美しい。文字盤からは鍵の先っぽのようなものがにょきっと突き出ている。その反対側には輪がついており、金の鎖が通されていた。
「首にかけて衣の中に忍ばせておけ。すっげーご利益があるお守りだぜ。お・ま・も・り♪」
文字盤には、刻を表す印のほかに金文字が焼き付けられている。
『創砥式7320』
数字は年号だろう。今年は神聖暦7370年だから、丁度半世紀前に造られたものなんだろうな。創砥の意味はよくわからないし魔力は感じないけど、材質からしてかなりの珍品のようだ。こんなものを渡してくるなんて……
「あ、あのさ。こないだは、ごめんな? 勝手にその、返事書いて」
やっぱり。トルの手紙の件に対する謝罪のつもりか。
「ありがとう、ございます」
いちおう礼をのべてお守りを受け取った僕は、この前のように我が師の身支度を整えてやった。髪を梳いてやり、黒い外套を羽織らせ、最長老様の名代の杖を持たせるや、師はすぐに漁師メセフの船に乗って出かけていった。
翌日には戻る。
その言葉を信じていたけれど。
次の日の朝、メセフの船は半分焼けた状態で寺院にやって来た。帰ってくるはずの我が師を乗せずに。
そしてメセフは、船の異様な様子に驚いて集まった導師や弟子たちに向かって叫んだ。血の気のない顔で。
「大変です! 果て町に軍隊が……! 兵士がたくさんやって来て! 戦になってます! 町が……町が、焼かれてます!!」
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