くろがねの歌2 生還

 季節は盛夏だというのに僕の躯はひどく凍えている。がちがちと歯が鳴るぐらいに。 

 周囲はまっ暗闇。手を伸ばして探ってみれば、ぬるぬる湿った岩壁は氷のごとくだ。

 ぶっちぎりの氷点下。四六時中体を動かしていないと、手足の先の感覚が無くなってしまう。

 手探りで前に進んでみる。足もとでじゃぶじゃぶ水音がたつ。くるぶしが浸かるぐらいの深さで冷水が流れている。実に冷たく耐え難い。

 耳を澄ませば、はるか遠くから轟音が聞こえる。水……おそらく滝が流れ落ちる音だろう。周囲から絶え間なくピチョンピチョンと水が滴り、その低音の調べに弾む打音をつけている。 

「あっ……いたっ!」

 足を入れたところが思ったより深く、しかもつるつる。ずるりと足が滑る。ここで尻もちはきつい。尾てい骨にかなりの衝撃がきた。

「痛い……痛いよちくしょう……」

 下半身がびしょぬれだ。ランタンがないのが辛い。僕の力では、韻律の灯り球の持続力はせいぜい数十分というところ。

 よろよろ立ち上がり、震えながら手探りでまた歩き始める。

 あきらめるわけにはいかない。この迷路のような鍾乳洞の、出口を目指さなければ。

 まだ死ぬわけには、いかない――。





 独り鍾乳洞をさまよう。

 なぜにこんな状況になったのかというと、いつもと違う採石場へ先導した導師様たちが困ったことをしてくれたからだ。

 普段の場所とは格段に狭く、出入り口が一箇所しかない狭い洞窟。たしかにそこにはヘロム鉱石があり、僕らはしっかり当番をこなしたのだが。作業が終わっても導師様お二人はしばらくそこにいるようにと、当番の子たちをそっくりその場に足止めした。出入り口には導師様がひとり見張りに立ち、結界を張られて逃げるのは不可能。僕らはわけもわからず大人しく、導師様から配られた夕食代わりのパンをほおばった。

 しかし優等生のリンはそのわけを知っていて、洞窟の隅でこっそり教えてくれた。

『当番の子の中にシドニウスのメイがいるでしょう? 本命はあの子で人質にしたのです。でも表向きは、メイが勝手に奥に入って迷ったのをみんなで探していることにされていると思います』

『人質?』

『監督官のお二人の後見国は現在、スメルニア皇国に滅ぼされそうになっています。ですのでやんわりと脅しながら、皇国の後見人であられるシドニウス様に「交渉」をもちかけているのでしょう』

 僕が導師様たちの争いに巻き込まれたのはこれが初めてだったが、リンはなんともない顔をしていた。他の子たちも驚いた貌など誰一人していなかった。まるで日常茶飯事といった雰囲気だ。

 メイは二位の長老シドニウス様の末の弟子。十二歳だがメニスの血が混じっていて、見た目は十歳以下に見え、師から痛くかわいがられている。出自はもとスメルニア皇子。リンの異母弟にあたるそうだが……。  

『お父様の御代はメニスの血を入れる代で、後宮におわすお妃のほとんどがメニスの混血です。メイの母君はメニスの王族、アイテ家の血を引かれる方で正一品の賢妃様。お兄上さまは東宮、すなわち皇太子さまです。私のお母様などとは……格が全然違います』

 リンの母君は正五品の才人。市井から拾われ庇護された身寄りのないメニスの混血で、後ろ盾となる派閥一族は皆無。陛下にとっては単なる愛人以外のなにものでもないそうだ。ゆえにシドニウス様は利用価値がないとみて、リンを弟子に欲しがらなかったという。

『私がここに送られた理由は、東宮を立てる政争に巻き込まれないため。陰謀を疎んじるお母様のご配慮でした。メイがここに来た理由は違います。正式に東宮が立ち、宮中を二分する争乱が落ち着いたところで、元老院の議決がなされました。メイはシドニウス様に弟子入りし、後継となるようにと。つまり次期皇帝陛下のご実弟を、スメルニアの次期後見人とする。それが皇国が望んだ国策なのです』 

 寺院に入る前にすでに師が定められていた子。大国の未来を背負っているゆえに、二位のお方はメイを無下にできず、それはもう大事に扱っているという。

『そのメイにもし何かあれば、シドニウス様はスメルニア皇国からそっぽを向かれるでしょうね。元老院では、二位の方の評判は残念ながらかんばしくないそうですから。前任のカラウカス様の方がよかったとの評が大半だそうです』

 リンがどこからそのような情報を知るのかというと、母君が頻繁に宮中のことを手紙にしたためてくるのだそうだ。リンの母君は政争は嫌いだが、周到で用心深いらしい。両性具有のリンを皇女として育てたというのも、賢い深謀遠慮からだ。すごいね、と感心するとリンは肩をすくめて苦笑した。

『お母様は単に心配性というだけですよ』 

 小国を後見しておられる二人の導師には、味方がちらほらいらしゃった。朝になるまでに見張りとして他の導師様が二、三人、交代要員としておいでになり、その中にはリンの師であられるメディキウム様もいらっしゃった。薬学に長けているかのお方は、僕らの様子を気にかけてくださり、暖かい毛布やハーブ湯を差し入れてくださった。

 シドニウス様との交渉はあまりこじれることなく妥協線が見つかったようで、採石場に留め置かれていた僕らは一夜明けた後に解放された。

 そこまではよかったのだが。

「勝手に鍾乳洞の奥に行ったというのは、どの子かね」

 シドニウス様は不本意な譲歩にしっかり反撃してきた。建前上は人質をとったのではなく、弟子が勝手に奥へ行って迷い込んだため帰院が遅れた、ということにされたため、二位の方はその「罪人」の断罪を求めてきたのだ。

 監督官の導師たちはむろん、メイを名指しして事なきを得ようとしたのだが。メイに直接事情聴取したとして二位の方が「罪人」として検挙したのはなんと――リンだった。

 監督官二人の弟子は人質の中にはいなかったので、協力者の弟子がいけにえとして選ばれたのだ。

 断罪の情状酌量を訴えれば交渉結果を反故にすると脅されたようで、当事者の導師様たちはリンを救えず、みすみす刑の執行を許すことになってしまった。

 リンの行為は脱院未遂とされ、刑は「鍾乳洞への置き去り」となった。

 そう、あの死刑に次ぐ刑罰で、かつて我が師が受けたものだ。いくらなんでも重過ぎると他の長老様たちが難色を示したが、シドニウス様は手を緩めなかった。

 今後かのお方の弟子に手を出したらどんな報復を受けるか、周囲にとくと思い知らせる。そのためにリンを格好の見せしめにするつもりだった。

 地階の独房に入れられたリンを見舞おうとした僕は、メディキウム様が独房の前で泣き暮れて弟子に許しを乞うている場面を目にした。

「すまぬリン……そなたを救えぬ。せめて鍾乳洞の地図があれば……」

 図書室にあるものではおよそ役にたたぬ。薬と食料はたくさん持たせるから、どうか生きて帰ってきてくれ。生還すれば、罪は赦される。そう嘆いて語りかけ、扉にすがっておられた。

「何ものも寄せ付けぬ加護の韻律もかけてやるからな。最強のものをだ。そなたをだれよりも愛している……いとしい子」

 その言葉が放たれたとたん、中からかすかに聞こえていたリンの泣き声が嗚咽に変わった。

 僕はリンと話すのを遠慮した。まるで本物の親子のように絆深き師弟の逢瀬を邪魔してはいけないと感じたから。その代わり、唇をきつく噛んでシドニウス様のもとへ走った。

 だれかの役に立ちたい。

 どんなことでもいいから役に立ちたい。

 トルのことで落ち込んでいた僕の精神は実のところ少々おかしくなっていて、おのれがだれかの助けとなることを異常に欲していたんだろう。

 何より、鍾乳洞の詳細な地図がある。でもあれは大事な形見の本だ。おいそれと人に貸せるものではない。でもアスパシオンの弟子の僕なら。カラウカス様は、孫弟子の僕があの本を使うのをきっと許して下さる。そう思った。

「ほう? メディキウムのリンの身代わりになる?」

 僕の提案を聞いたとたん、穏やかなお貌のシドニウス様の目が、一瞬きらりと煌いた。とてつもなく面白いものを見たとでもいわんばかりに。

 そのかたわらにはかわいらしいメニスの混血の子。メイが心配げに寄り添っていた。

「お姉様を許してくださいってお願いしていたところなの」

 甘ったるい声でメイは二位の方の黒い衣に鼻をこすりつけた。 

「でもだめだって……お師さまはメイのこと大好きだから、許せないんだって……」 

 申し出た時のやりとりは今思い出してもぞくっとする。メイの頭を撫でる二位の方の手がなんだか気持ち悪かった。けれど深くは考えないようにして僕は何度も頭を下げた。

「リンは大事な友達なんです! それに無実です! どうしてもだれかが罰を受けねばならないのなら、どうか僕を罰してください」

 麗しい友情にほだされて処分がなくなる、という都合のよいことは起こらなかったが、僕の願いは叶えられた。いけにえは何が何でもリンではなくてはならない、ということはなかったからだ。

 目を細めて二位の方はこっくりうなずいたものだ。

「いいだろう、アスパシオンの。身代わりを認めよう」





 刑の執行はその日のうちに行われた。シドニウス様は果て町に使いをやったそうだが、我が師は帰還せず。すっ飛んで帰ってきて僕のために命乞いしてくれる……なんて夢のようなことは、まったく起こらなかった。

 正直、がっかりした。あの人はたぶん今も庁舎で、遺物鑑賞にうつつを抜かしているんだろう。

 リンもメディキウム様もむろん、仰天して僕を止めた。だが僕は頑として、我が身に振り変えられた罰を受けるといってきかなかった。

 シドニウス様は我が師が帰るまで待とうかと仰ったが、僕はすぐに刑を執行してくれと頼んだ。再三使いを出されて数日かかる、となりそうで想像するだけでみじめだったからだ。古代の遺物よりも価値がない奴だと、公然と示されるのは願い下げだった。

 かくして。長老様たちによって鍾乳洞に連れて行かれる寸前、僕は亜麻布にくるんだあの本を自分の腹にくくりつけて隠し、刑の執行にのぞんだ。

 今思えば、帰ってこない我が師へのあてつけもたぶんに入っていたのだと思う。

 執行人は三位のトリトニウス様と四位のクワトロス様。二位のシドニウス様の立会いのもと、僕はヘロムの採石場にほど近い、「すべり穴」と呼ばれる暗い穴に放り込まれた。

 落とされるとずんずん下へ滑り降り、いくつも穴が開いているところへ突入。どの穴に落ちるのか。鍾乳洞のどの部分に出されるのか。それは神のみぞ知る――。

 後頭部をしたたか打って唸るわが頭に響いてきたのは、どうどうという轟音。穴の出口は、滝の近くに通じていた。ここがどこなのか、寺院とどのぐらい離れているのか全く不明。でも、これさえあればと、さっそく地図本を出して開いた。

『ルチアス!』

 真っ暗闇なので、手のひらから光を出す韻律を使用。腹が減っていてあまり光量が出ないけれど、なんとか見えた。

「えっと……地図によると……滝の近くには、草地があるのか」

 使い魔ぺぺが書いたらしい地図には、滝がひとつしか記されていない。その周囲のどこかにいるとわかり、まずは音を頼りに滝を目指した。轟音が大きくなる方向へと進んだのだ。するとほどなく狭い洞窟が広い洞穴となり。大きな空洞となり。ものすごい量の水がなだれ落ちる空間に出た。

「滝だ……!」

 一気に緊張がとけてホッとする。ここまでこれたら、あとは地図通りに移動すればよいだけだ。

 滝の周囲にたくさんある洞窟の配置は、見事に地図と一致した。目を皿のようにして、寺院の場所はどこに記されているか探す。ずいぶん……遠そうだ。しかも迷路のように入り組んでいる洞窟のたった一本しか、目的地に通じている道がない。

 滝まで来た距離と時間を考えると、飲まず食わずで一気に寺院へ帰るのは不可能。

 ということで、滝壷の空間を基点として、まずは食料の確保に専念した。これは洞窟の中州で魚を捕ることで容易に達成できた。

 おのれが魔力のある導師見習いで本当に助かったと思う。魚の動きを鈍くさせてらくらくと魚を獲ることができたし、滝の横穴を抜けた「草地」で草を発火させて、焼いて食べることができたからだ。

 草地は露天の場所だが切り立った岩山の崖の上にあり、鳥でもないかぎりここから脱出することはかなわない。性懲りもなく鳥に変身することをためしてみたが、結果はいつもと同じ。耳がウサギのものに変化しただけだった。

 そこで僕はじっくり遠出の準備を開始した。

 地図が示す「塩の洞窟」へ行き、白い塩の結晶を掻きとって、獲った魚にまぶして塩漬けにする。これで長時間、魚を保存できる。魚を入れる入れ物は、「草地」に生える草を編んで、なんとか作成。 夜は寒い洞内ではなくこの「草地」ですごした。季節が夏で本当によかった。

 地図は本当にすばらしいものだったが、ところどころに書きなぐられたわが師の汚い字も、意外に役立つことが分かった。魚が獲れる場所などは特に。ヌシというのは、そのあたりの水だまりに潜む、巨大な顎とウロコを持つ魚のことらしい。たしかにこいつはとても獰猛だった。

 しかし「ゆうれい」というのは、その正体がよく分からない。一体なんだろうか? 目撃したという場所は二箇所ほど。そのどちらの洞窟にも行ってみたけれど、これといったものには全く出会わなかった。

 湿度が高く、滝つぼに落ちる水の純度が高いので、飲料水に困ることはなかった。これから踏破する予定の道も半分以上水流に覆われているようで、欲すればいつでも手ですくって飲める。だからひたすら、魚の塩漬けを作ることに没頭した。

 数日かけて、ほぼ一週間分の食糧がたまったころ。僕は地図をたよりに、ついに出発した。 

 たった一本か細くつながっている、寺院への道をめざして――。





――「弟子、もう少しで寺院に着くからな」


 

?!?!?!



――「二週間、よくがんばったな。俺のときは二ヶ月かかったけど。やっぱ地図あると違うよなあ」



 あ……れ……? 僕、誰かに背負われて……る?



 ええと……確か、寺院に通じるたった一本の道をひたすら進んで。進んで。進んで……。

 でも途中で道が、すっかり崩れて行き止まりになっていて。

 地図に見落としがないかと、引き返してひとつひとつ迷路みたいな洞窟をしらみつぶしに探しはじめて。

 でも通じている道はやっぱりなくて。しかも食糧が尽きて……。

「ごめんな。帰って来るの遅くなっちゃって。ちょっと用事がたてこんじゃってさ」

 そうだ……唯一通じている道に戻ったんだった。そしてもうだめかとへたれこんで、こごえそうになっていたら。道を塞いでる岩が、目の前で木っ端微塵に砕けて。

 岩の向こうに、黒い衣の導師の……我が師の、姿が――。

 ああ……探しに……来てくれたんだこの人……。

「地図本、役に立ったみたいだな。俺の戸棚から持ってったな?」

 うん。食糧袋の中に入れてるよ。

「俺に感謝しなくていいぞ」

 我が師がポツリと仰る。

「地図はお前が書いたんだからな、ペペ。ほんとあの時は助かったよ。すべり穴に落とされる寸前に、おまえがとっさに俺の懐にとびこんできてくれたんだ。しかもこの本と鉄筆と一緒にさ。さすが万能使い魔だよな」

 この人は一体どんな罪で、かつて僕と同じ罰を受けたんだ? いや、それより……。

 僕は我が師の首をぎゅうと抱きしめた。

「やだ……ペペじゃない……僕、ぺぺじゃない……」

 我が師が前を指さして、なだめるような口調で言う。

「わかったわかった。ほらペペ、寺院に通じる木戸が見えてきたぞ。あ、そうだ。あのな、トルからおまえにまた手紙が来てる。聞こえてるか?」

「トル……トルから?」

「うん。だからほら、元気出せ。メキドはどえらいことになったようだぞぉ。バルバドスが目を剥いてバタバタしてる」

「トル……トル、無事?」

「無事もなにもあの子、これからどどーんとやらかすぞぉ。それに、隅に置けないなぁ。あ、お前への手紙、中身読んじゃったけどいいよな」

「えっ……」

「だって状況が状況だったし。だからお前の名前で返事書いちゃった♪ 『婚約おめでとう』って」

 



 え……?


 


 こん……やく?

 いや、返事、かいたって……なに、それ……なんだよそれ……!!

「バ……カ……大きらいだ……!! ハヤトなんか……!!」

「え。今なんて? おまえ今……なんて?」

「だいっきらいだっ……!!」

「いやそのあと。だいきらいのあと、なんて言った?」

 我が師は一瞬身を固めて聞き返してきたけれど。僕は、答えられなかった。

 驚きと同時に感じた胸の痛みと。今までの疲労とで疲れ果てて……意識が、ぱっと飛び散っていった。

 まっ白い世界の中へ――。 



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