#6 川辺の過負荷

 春がくると、オタマジャクシたちは目覚めた。彼らは温度に忠実で、暖かい日はよく泳ぎ、冷たい日はおとなしくしていた。そして少しずつカエルになっていった。水槽に木の板を浮かべてやると、そこによじ登るようになった。

 「ところで餌はどうするの」

 「ちゃんと考えてあるよ」

 サチコはショッピングモールでガーデン用の電灯を買ってきた。暗くなると光るしくみだ。夜になると、光に寄せられて虫がぶんぶん集まってくる。それがカエルの餌。このあたりは虫が豊富で、餌に困ることはない。

 暖かくなるにつれて、カエルたちはどんどん育った。ぎちぎちとカエルがひしめく水槽を見て、僕は東京のラッシュアワーを思い出した。

 「もう限界じゃない?」

 「うん。そろそろ売り出そうか」

 「本気で売るの?」

 「その前に試食だね」

 「げっ」

 彼女は近くの水槽にいた一番大きなカエルをわしづかみにして、我が家の台所に入っていく。その日の夕飯にはカエルの唐揚げが供された。脚の唐揚げだ。八本、つまり四匹分。形はカエルの脚そのまんま。サチコは食べる前に写真を撮った。

 父も母も気味悪がって箸をつけようとしなかった。

 「うん、まあまあだね。ナカタ君も食べなさい、ほら」

 サチコは真っ先にからあげをほおばって、愉快そうに言った。そしてぼくにレモン汁とタルタルソースをどっぷりつけたからあげを差し出す。家族の手前、僕が食べないわけにはいかなかった。

 食べてみるとなんてことはない。鶏肉に白身魚がまざったような味だ。正直、わざわざ通販で買って食べるほどではない。

 「懐かしいなあ、戦時中は食った」

 祖父は懐かしそうに言う。

 からあげの写真を看板に、サチコはネットオークションでカエル肉を売り出した。

 肉を売るんだから、何か手続きが必要なんじゃないかと気になったが、考えないことにした。サチコは役所が嫌いだから、たぶん何の届け出もしていないんだろう。

 「おっ、値段が付いたよ!」

 誰かがカエル肉に入札したとサチコが報告してきた。こんなもの買う物好きがこの世に一人でもいるという事実に僕は驚いた。カエルの脚肉十匹分は、僕が思っていたより高い値段で落札された。ふつうの鶏肉がたっぷり買える値段だ。

 「よくそんな値段で買うなあ、地鶏より高いのに」

 翌日、サチコはよく育ったカエルを水槽から十匹ピックアップした。

 次の日、落札した物好きから代金の振り込みがあった。

 また十匹出品する。これも売れた。次の週、十五匹売る、売れた。

 「幸先いいスタートだねっ」

 「この先商売になるのかな? これ」

 「わからないね。でもとりあえずお祝いすべきところだよ」

 僕たちはビールをひとつ買ってきて、かなめ石に座り、二人で分けて飲んだ。水槽の密度が減って、カエルたちもうれしそうだった。餌をひとりじめしていた大きなカエルが消えて、これで別のカエルに餌が行き渡る。

 あとがつかえてるんだぜ、とカエルたちは言っている。

 頭上では、ビワがたくさんの実をつけていた。

 何もかもうまく行くみたいに思えた。もちろん普通に働いた方が儲かっただろうけど。何か手応えのようなものを感じることができたし、ちょっとだけ楽しかった。

 「お金がたまったらさ、東京に遊びに行こうよ」

 悪くないと思った。ぐるぐる回る山手線が僕は大嫌いだったけど、旅行ならまあ許せる。サチコは水族館に行ってクラゲを見たいという。

 「意外に普通のこと言うんだね」

 「むりに変わったことしなくても、もう取り返しのつかないぐらい変だよ」

 「僕も?」

 君のほうが変だとサチコは言う。

 嵐が来たのは、その二週間後のことだった。

 暴風雨の天気予報を聞いたとき、僕は高をくくっていた。カエルの脱走を防ぐための金網を置いて、重石にレンガを乗せ、それで充分だと思った。

 来たのは、あの運動会の日に望んだような豪雨。

 そこらじゅうの土地が川のようになった。風は横殴りで、どんなかまえをしても傘が折れた。ビワの木がたわんでいた。家に来ていたサチコは、そのまま泊まることになった。サチコは当たり前のように僕の部屋で寝た。

 「東京では彼女いたの?」

 「いや」

 「だろうね。フーゾクとかは行った?」

 「いや、べつに」

 「つまらないな」

 バスドラムのような雨音に包まれながら眠った。


 そして雨上がりの朝。カエル養殖所は大きな池と化していた。

 自由を獲得した無数のカエルが狂喜乱舞していた。落ちたビワの実が、おもちゃのアヒルみたいに浮いていた。

 「おーい、どうなったー?」

 サチコが手を振りながら駆け寄ってくる。

 「どうもこうも」

 「あ、逃げたんだ」

 サチコは他人事のように言う。

 排水穴は役に立たなかった。飼育容器ごと周囲が水没してしまったのだ。ウシガエルたちはレンガごと網を持ち上げて逃げだした。

 がっかりして家に戻った僕たちに、祖父が言った。

 「あの辺はよ、大水になると水があふれてまう」

 「先に言えっ!」僕らは口をそろえた。

 こうして僕らは大量の商品を失った。

 ウシガエルは外来種だ。ブラックバスなんかと同じ。つまり歓迎されない。そもそもカエルはそう世間で好かれている生物ではないし、僕たちも世間で好かれる生き方をしてはいない。

 近所じゅうから苦情がきたのは言うまでもない。

 「捕まえるしかないねっ」

 僕たちは毎日カエルを捕まえにくり出した。五月の生ぬるい空気の中、田んぼを回った。野に放たれた動物を檻に戻すのは大変だ。小麦粉を床にぶちまけるのは簡単だが、逆は難しい。エントロピー増大の法則。覆水盆に帰らず。

 「このカエル探し、いつまで続くんだろう」

 「まあ花に嵐のたとえもあるさ」

 花に嵐のたとえもあるかもしれないが、泣き面に蜂のたとえもある。

 大量の注文が来ていたのだ。うちのカエルのもも肉を買ってくれたお客さんの一人が、たまたま有名なゲテモノサイトの管理人で、商品を宣伝してくれたのだ。ふつうの食用ガエルよりも味に野性味があると書いていた。当たり前だ、その辺の虫食わせてたんだから。

 僕たちはカエルの回収にかまけていて、注文状況なんか見ていなかった。気づいたときには、すでに二百匹分の発注を受けてしまっていた。

 もはやカエルを狩る以外に道は残されていない。

 「諦めようよナカタ君、これが僕たちの仕事さ」


 翌朝、僕はサチコに頭を蹴られて目が覚めた。

 「ほれほれナカタ君、狩りに行くよ」

 サチコはいつものウィンドブレーカーを着て、寝ぼけた僕を見下ろしていた。僕が起きずにいると、布団を引きはがされた。そうだ、狩りに行かないといけないんだっけ。窓を見ると、空はまだ新品のジーンズみたいな色をしている。

 「こんな早くから行くの」

 「早朝の方が捕まりやすいかもだろ」

 サチコは乾いた食パンと缶コーヒーを僕に手渡した。

 「魚だったらそうかもしれないけど。ところで、何それ」

 「大学まで出たのに知らないの? モリだよ、銛」

 サチコはモリをかついでいた。あの槍みたいな猟具だ。

 「それでカエルを?」

 「そうだよ。だってタモよりこっちのが捕まえやすいだろ。どうせ肉をとるんだから、生け捕りにしても串刺しにしても一緒じゃないか」

 やれやれやれやれ。

 外は静まりかえって、風は冷たかった。空にはまだ星が残っていた。僕とサチコは歩き出す。東の空がだんだん明るくなって、星が溶けていく。

 「おっ」サチコが駆けだした。

 「見つけたっ!」

 僕がサチコを追いかけ始めたころには、すでにサチコのモリは獲物を貫いていた。草むらに隠れていたウシガエルだ。サチコは素早くカエルの両足を切り取って、バケツに入れた。

 「よっしゃ! 幸先がいいね!」

 サチコは勇ましく死にかけのカエルを天に掲げる。

 「ひっさつ!」

 「何が必殺だ」僕は反射的に言った。

 サチコは体を弓のようにそらし、カエルを刺したままのモリを思い切り振った。カエルはすぽんと槍から抜けて、朝日に向かって吹っ飛んでいく。

 カエルの放物線を追うサチコの目は、紙飛行機を投げる子供のそれだった。

 「な、なんか興奮するね。狩りって楽しいな」


 サチコの狩猟本能は開花した。

 彼女はかならず獲物を見つけたし、狩った。モリは彼女の手の完璧な延長として、忠実に空を切り、カエルたちから総てを奪った。

 僕の役割はいうなれば気の利かない猟犬みたいなものだ。氷水の入ったバケツを持って、彼女のあとをついていく。

 家に帰ると、集めたカエルの脚を箱詰めにしてお客さんに発送する。僕らは黙々とカエルをパッケージに詰め、宅配便のあて名を書いた。注文は東京からのものが多かった。変わり者は東京に集まるのだろう。

 いつも商品は二キロ先にあるコンビニに行って発送した。宅配便を出せる一番近い場所だ。箱を自転車の荷台にくくりつけ、荷物を出しに通った。

 「サチコは、ここを出て行きたいと思ったことない?」

 コンビニに向かう道すがら、僕は訊いた。

 「愚問だね」

 サチコは自転車をこぎながら笑う。錆びたチェーンがチキチキ鳴っている。

 「ここは住むところじゃないんだよ、育って出ていくところなんだ。この町には出ていく理由がたくさんある。大学がない、仕事がない、結婚相手がない、未来がない。きみだって一度はここを出ていった。ぼくも出ていくべきだった」

 「出ていきたい?」

 「ここはぼくらのいるべき場所じゃない」

 サチコははっきりそう言った。

 「もう出ていけないのかな?」

 「そんな気がする。ぼくの本来いるべき場所はここじゃない。きみもね。でもきみは戻って来た。戻ってこなくてよかったのに」

 サチコはスピードを上げた。髪が持ちあがり、きれいなうなじが見える。

 「もっと子供でもっとバカだった時、出ていくべきだったんだっ」

 僕もスピードを上げて、サチコに追いつく。

 「僕たちは何をすればいいんだ?」

 「決まってる。カエルを狩るんだ!」

 笑ってしまう。僕らの終着駅はここだ、とサチコは言っている。

 「どうしようもないな」

 「いまごろ気づいたの?」

 「そうさ」

 「遅いよ」サチコは笑うのだった。

 走って走って、遠くにコンビニの明かりが見えてくる。

 「商品を出荷して、家に帰ってグースカ寝て、明日またカエルを殺そうじゃないかナカタ君! それが人生だよ」

 コンビニにはいつも同じヤンキーの店員がいて、めんどくさそうに荷物を預かる。

 僕らはへとへとになって家に帰り、朝まで眠る。翌朝カエル狩りに出る。

 そんな毎日。何もかもが繰り返し。サチコは毎日僕の家に泊まるようになった。まあ、いいや、なるようになればいい。

 カエル狩りはバカみたいに効率の悪い労働だった。東京でバイトでもやっている方がずっと金になる。でも、意外と後悔しなかった。

 僕たちは受けた注文を総てこなした。最後の商品をコンビニで発送し終えたとき、僕らは歓声をあげた。すっかり顔見知りになっていたコンビニのヤンキー店員が、缶ビールふたつをサービスしてくれた。お金を払っている様子はなかったから、たぶん横領だ。

 ぼくらはありがたくビールを飲んだ。ひとり一缶のビールは僕らには強すぎる

 「人生ろ選択肢なんれね。たいしたもんらないんよ」

 ビールを飲んでろれつが回らなくなったサチコが言う。

 「ラブホのへや選びとおなじぐらいくだらないんらから」

 それから昼過ぎまで寝た。

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