#4 僕の話を聴け

 「水槽が届いたよっ」

 の一言だけで電話は切れた。

 僕はサチコの家に行った。となりだ。となりと言っても畑を挟むから、都会でいえばひと区画ぐらいの距離はある。彼女は門の前で待っていた。

 漆黒のバスタブのようなものがあった。レンコンの栽培とかに使う農業資材だ。

 「これでカエルを養殖するの?」

 「だよ」

 「こんなでかい水槽、どこ置くんだよ」

 サチコが指さしたのは、うちの敷地だった。巨大なビワの木がある。

 「かなめ石までずらっと配置すればいいんだ」

 サチコは空中で図を描くようにする。

 「そうすれば水槽を八つまで置ける。ちゃんと計算したんだ」

 「うちの面積を勝手に計算するな」

 「ちゃんと君の両親には話したよ。かなめ石さえ動かさなければいいって」

 かなめ石というのは、ビワの木の下にある岩の名前だ。テントほどの大きさで、なめらかな表面にへこみがふたつある。指でつまみあげた大福のような形だ。

 「さあナカタ君、はやいところ作業にかかろう」

 サチコはうちの納屋からスコップや手押し車を取り出してくる。

 設置は重労働だった。

 地面に浅く穴を掘って、水槽の下の方を埋めていく。温度を安定させるためだ。水槽ひとつ設置するのは人間ひとり埋めるぐらいの作業だった。汗だくになって僕は考える。なんでこんな事してるんだろう。答えはない。

 作業が一段落するたび、ぼくたちはかなめ石に座って休んだ。

 「ああ、冷やっこくてきもちいいねえ」

 サチコは弁当を取り出す。彼女の母がおにぎりを用意してくれている。具はいつも決まってアサリしぐれだった。お茶は僕が用意してきている。

 交互に飲む。会話はあまりしない。

 ただ風景をながめる。黒い水槽と、田んぼと畑、まばらな家々、小学校。遠くにピンク色の建物が見えている。さいきん建った大型ショッピングモールだ。


 おにぎりを食べ終わったころ、けたたましいバイクの音が近づいてきた。

 「おまえら何やってんだよ」

 バイクの持ち主がドスの利いた大声を出す。タケ君の声だった。くそ暑いのにライダースジャケットを着ていた。

 タケ君は幼なじみだ、子供の頃は三人でよく遊んでいた。人とろくに話せなかった僕と、浮きっぱなしのサチコと、トラブルメーカーのタケ君。

 「おにぎりを食べてるんだよ、あとカエルを増やして売るんだっ」

 サチコが叫び返す。説明になっていない。

 「なるほど。わかった」

 タケ君はあっさり納得した。

 「ところで俺、来年の夏に東京行くんだよ!」

 「引っ越すってこと?」

 「結婚!」

 「来年の夏って、すごく先じゃない?」

 「産んでから結婚すんだよ」

 できちゃった婚というやつらしい。このへんでは珍しくない。

 「おめでとうっ」

 サチコがおにぎりをほおばったまま言う。米粒が飛ぶ。

 「おまえらも結婚式には呼べよ」

 「えっ、僕らはそういうんじゃ」

 僕の声はエンジンの音にかき消された。排気ガスの臭いをのこして走り去るタケ君。だいたい話の途中で帰るんだ。そういうのをかっこいいと思ってるのだ。

 「行っちゃったねえ」

 「なんか勘違いされてるみたいだね」

 「ああ、みんなぼくたちがつき合ってると思ってるみたいだよ」

 「みんな?」

 「ナカタ君はぼくのために東京の仕事を捨てて、田舎に戻ってきた。ってストーリーになってるらしい。でないと、優等生のナカタ君が都落ちするはずないってさ」

 「まいったな」

 「みんな、ぼくのこと罪な女だって」

 「いやそこは訂正しようよ」

 「いまさら無駄だよ。おとうさんの職場からうわさがぶわーっと広まってる」

 サチコパパの職場は農協だ。農協で話が広まるということはここら一帯に広まることを意味した。彼はなぜか僕の事を気に入っている。

 「それ、陰謀じゃないの」

 「陰謀って?」

 「べつに」

 「まあほっとけばいいと思うよ。別に本当につきあうことにしてもいいよ。今と何も変わらないと思うけど」

 「つきあうったって、性欲がないからなあ」


 翌日は二人で寝ころんで過ごした。体中の筋肉が痛かった。サチコがビールを一本持ってきて、分けて飲んだ。二人とも弱いので、これでじゅうぶん酔う。

 僕が大学生のころにも、同じようにビールを分けて飲んだことがある。帰省して家にいたら、サチコがビールを持って遊びに来た。寝たのも、そのとき。

 「まあ、一発やってみるのも悪くないかもしれないね」

 そう言い出すサチコの顔が赤かった。照れじゃなくアルコールのせいだ。

 「一応押さえておきたいって感じじゃないか、あれ」

 「通過儀礼みたいな?」

 「むずかしい言葉を使われてもな」

 「ああ、うん、まあいいけど」

 酔いが醒めないまま二人で国道沿いのホテルに行った。交通手段は自転車だ。ペダルを踏むたびに酔った頭がガンガン痛んだ。ホテルの明かりが近づいてくる。

 部屋の写真を見てスイッチを押すシステムになっていることを初めて知った。どの部屋もそれぞれに悪趣味でイヤだった。躊躇していると、サチコが適当にボタンを押した。人生における選択なんてだいたいこんなものだ。

 部屋はタバコ臭かった。内装は予想通りひどかったので。迷わず電気を消した。

 まあ、できるにはできた。

 終わると、予防接種が終わったような気分になった。

 僕はサチコの乳をぼけーっと眺めてみたが、何の感想も抱けなかった。サチコが服を着る仕草を見て。ああそういえばサチコさんは女性でしたね、と思った。

 結果、通過儀礼は僕らの関係をよけい淡泊なものにした。

 べつに人生が変わるほどのものでもなかったし、たんに僕たちのあいだの最後の未開拓地が消えただけ。

 かこん。と音がして何かが頭に当たる。

 僕は目をさます。いつの間にか眠っていたようだ。空になったビールの缶が転がっていた。サチコはもう帰っていた。テレビをつけると、ニュースキャスターが梅雨前線の到来を告げていた。

 こうして、フロンティアなき僕らの新しいフロンティア、カエルの養殖が始まった。カエルは僕の魂を救ってくれるだろうか? ちょっと、期待できない。

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