#3 岐阜を焼く
「あんたねえ」
母親はシャケの切り身をハシで切断しながら言う。
「なんで裁判とかにしなかったわけ?」
僕は何もいわず、シャケの小骨を取り除いていた。
「聞いてるの? 小骨とってないで!」
「聞いとるよ」
僕は小骨をとりのぞき続けながら言った。子供のころ、のどに刺さってひどい目にあったので、僕はいまでも小骨にとても慎重である。
「人の話を聞くときはちゃんと目を見る!」
僕は顔をあげ、母親を見た。
最近の母は仁王に似てきた。もともと骨ばった顔だちなのだが、さいきんとみに押し出しが強くなってきている。会うたびに仁王に似てきている。
「泣き寝入りか?」
仁王の口からご飯粒が飛び出す。
「内定まで取り消されといて!」
またご飯粒が飛び出す。二連射。
「まあまあ、ナカタも納得してるんだから」
父親がおだやかな声で口ぞえをする。
ナカタというのは僕の名前だ。名字ではない。
「本人がよければいいじゃないか」
「よくない!」
仁王が一喝する。父は黙った。
「今からでも慰謝料をとりなさい! 弁護士ぐらいどうにかする。よろしいか」
「わかったってば」
「やられたらやり返す!」
「わかった、わかった」
実家に帰ってきてからというもの、事あるごとにこの話を蒸し返されている。よっぽど僕が東京でまともに就職できなかったのが気に入らなかったようだ。
僕は二階の自分の部屋に戻り、寝転がって天井を見た。
天井にある人の顔みたいな木目と目があう。
性欲があったが、自慰をするほどではなかった。
「ナカタ、サッちゃんが遊びにきたよ!」
うとうとしかけたころ、大声が聞こえた。
「やあナカタくん」
部屋を出ると、階段を駆けあがってきたサチコと目が合った。もうけっこうな大人なのに、サチコは人んちで走る。
「会社の名前を考えようじゃないか」
「名前って?」
「カエル会社の名前だよ」
「ああ、あの話まだ生きてたんだ……」
「もちろん」
「本気でやるの?」
「ぼくがやるといって、やらなかったことがあるかね」
「たくさんある」
母親が笑顔でカルピスと麦茶を持ってきた。
「邪魔はしないからさ」
サチコは氷の入ったグラスにカルピスを注ぎ、飲んで、氷をガリガリかみ砕いた。
「氷にいくの早いよね、サチコは」
「それより。紙をくれたまえ」
僕はスケッチブックを本棚からとりだした。
「よしよし、名前の候補を考えていこう。ちょっと。ペンもくれたまえよ。なんて気がきかないんだ。本当に大学を出たのか」
「出たって」
ペンを渡すと、サチコは床にスケッチブックをひろげて、四つんばいになって何か書きはじめた。彼女はまず紙の中央に「なまえ」と書いた。いきなり中央。
僕は向かいに座って麦茶をコップに注ぐ。
「何か適当に会社名を考えてくれ」
サチコは言う。
「マイクロソフト」
「それはもうあるだろう。まだない名前じゃないと会社名にならない」
「そう言われても」
僕はアイデアを出すとか、そういうのがとても苦手なタイプだ。会社名と頭の中で念じても、すでに知っている会社名が先に頭に浮かんでしまう。
「頭が固いなー。大学まで出たとは思えないなあ」
「大学はカエル会社のネーミングを学ぶところじゃない」
「じゃあ、何を勉強してたの?」
「経済学」
「それっておもしろい?」
「普通かな」
僕は適当に答えた。
「そうか、ふつうか」
納得するサチコさん。
「サチコも会社の名前考えてよ」
「デスキラー株式会社」
サチコは紙に「デスキラー(株)」と書いた。
「なんだそれは」
「強そう」
「中学生か」
「交互に言おう。次はナカタくんね」
「株式会社マリリンマンソン」
サチコは紙にマリリンマンソンと書く。
「胸見えてるよ」
サチコはゆるいタンクトップを着ていた。古着屋で買ったらしく、プリントがひび割れていた。四つん這いになると、よれた襟元から普通に乳が見えた。
「べつにいいよ。いまさら」
それもそうだね。と僕は言って、二杯目の麦茶を注ぐ。
「性欲か? 性欲なのかッ?」
「いや、べつに」
二杯目の麦茶を飲む。
いまさら乳ぐらいでどうこうなる間柄ではない。
「バーニング岐阜」とサチコ。
「燃やしてどうする」
デタラメに会社名を言い合ったが、使えそうな名前が出てこなかった。
サチコはデスとかヘルとかキラーみたいな単語を名前に入れたがったし、僕は僕で、考えるのがめんどくさいので、棚にある本のタイトルや過去に聞いた音楽の名前を適当に言っていた。
「アースウインドアンドファイアー」
「えっ、なにそれ」
「むかしのバンドの名前」
「いいね」
ぜんぜん会社っぽくないが、サチコはそれを大層気に入った。たぶんわかりやすい横文字が並んでいて、必殺技っぽかったからだと思う。そのままは気が引けたので少しもじって、アースウインドアンドフロッグという名前にした。
「いい名前だ」
サチコは満足げに笑う。
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