第五章 総理官邸の怪

1 抜け穴。


 門衛に挨拶した。


 フロントで自分の写真入りのネームカードを受けとった。セキュリティの間では百子は人気者だ。総理の危機をすくったクノイチのリーダー。内閣調査室の調査員。警視庁に招聘されている。国立最高学府東大医学部留年中のキャリャ候補のクノイチ。


 そしてかなり美人。熱い視線が百子に向けられている。

「室長」

 駈けつけた経緯を最期まで聞かなかった。でっぷりと太った恵比寿顔の木村が立ち上がった。

「麻田総理の部屋に行く!!」

 めずらしく、顔をひきつらせている。こんなにとりみだした室長を見るのは、百子ははじめてだった。ところが総理は部屋にいなかった。

 秘書も総理が部屋を出たのを見ていない。モニターにも部屋をでる総理は映っていない。


 木村は全員部屋から閉めだした。監視カメラのスイッチも切った。そして、百子とふたりだけになった。


「これからのことは、ふたりだけの秘密だ」


 総理の執務机の下を探っていた。カチっとスイッチ音。椅子が床を滑る。そのあとに穴が開いた。


「緊急の場合の脱出路だ」


「抜け穴ですね」

「忍者らしい表現だ」


 ふたりは地下の通路に下り立っていた。


「あっ。アリサのこえだ。翔子さんもいる。どうして門の外で待機していたはずなのに」

「外部からはいれる脱出口を探し当てたのだろう」


 百子は走った。走った。


「翔子!!」


 翔子の裂帛の気合いを久しぶりで聞いた。


「翔子」


 叫びながら駈けこんだ地下駐車場のような空間。


 全員そろっていた。総理。竹原。美咲。少年X。翔子。アリサ。


 どうして。どうしてみんなそろっているの。そして――彼らの周囲にはVの群れていた。

 どうして。総理官邸の地下の秘密の抜け道にVがいるの。


2 「家政婦のミタ」見た?


 木村室長はとまどった。冷静な性格だ。沈着な思考の持ち主だ。その木村がぱっと拳銃をかまえた。ほかの者は――動きがない。無表情にちかい。活人画のようだ。それぞれが、それぞれの服装でストップモーション。


 なにがあったのだ。なにか不可思議なことが起きている。瞬きもしていないではないか。


「総理!! 麻田総理」


 木村の呼びかける声が空しく広い空間にひびく。


「総理、どうしたのですか」


 百子も必死で呼びかけて駈け寄ろうとした。


「やめて。やめて。チカヨラナイデ」


 アリサの声がした。アリサは動いていない。むろん唇だけが動くようなことはない。ちいさな映像が百子の前に浮かんだ。3D映像だ。


「いましゃべったのはわたしです。こちらの時間ホッパーが故障しています。いま全力で機能回復にあたっています。いますこし動かないでください。あなたたちも、まきこまれますよ」

「見たか。家政婦のミタ。見た?」

ようやく木村から得意のオヤジギャグがとびだした。

「見ましたよ。最終回ミタ、見た」


 百子が返す。そこでいくぶん客観的に現実を眺められた。おそらく、未来のvirtual reality。VR。バァチーャルの世界がリアル世界に混在してしまったのだ。と百子は実感している。このことをわたしは遠い未来で想いだすだろう。ここでいま、起きていることを――。『家政婦のミタ』が大ヒットをとばしている平成の12年の暮れを――。


 アリサはこの時代の存在ではない。

 それがいまはっきりとした。

 アリサの現実にたいするチグハグナ行動、言質もそう思えばすべて理解できる。アリサは時を越えて未来からやって来ていたのだ。

 でも、目の前にいる。この現実をどうとらえればいいのか。

 した。した。瞬きがした。アリサだ。アリサがピクっと動いた。


3 クロノス縛りが解けた。


 ジョークをとばしているどころではない。この現実をどうとらえればいいのか。

 百子は焦った。総理官邸の抜け道。そして、その地下の部屋。


「アリサ。聞こえる」


 アリサのまぶたがぴくぴくふるえた。百子に気づいた。口が動いている。声はきこえない。だがクノイチの口伝えだ。口の動きだけをみて、コトバを理解する。

 でも、クノイチでないアリサが――。どうして。


「ワタシモドル。美咲を死なせないで。わたし美咲の娘。未来から来たの。美咲が死ねば、わたしは消えてしまう。わたしは生まれてこなかったことになる。おねがい。美咲ママを守ってください」


 アリサが美咲の子ども? だとすれば、クノイチの読唇術にも長けているのがうなづける。


「わかった。美咲のことは守る。また、こられたら来てね。いろいろ訊きたいことある」

「ありがとう百子さん。さようなら」


 アリサの像が薄れた。消えた。同時にほかのものが動きだした。


「総理!!」


  木村がすっかり室長の顔になって呼びかける。ジョークをとばして百子をリラックスさせていたのがウソのような真剣な表情だ。


「すべてつつぬけだったわけだ。木村、ここに地下内閣があったのだ。Vはここから日本の情報をコントロールしょうとしていた」

「それを知らせるために、アリサは駆けつけたのよ」と、翔子。

「あら、アリサはどこ? いままでここにいたはずなの」と、美咲。


 少年Xが隣の部屋に逃亡を図る。竹原が追いかける。いっせいにみんながそれぞれの動きを始めた。

 

4  クロノスがホコロビた。


 明るい地下駐車場のような空間から――。

 竹原は少年Xを追いかけた。隣室に入った。薄暗かった。いままでいた場所とはまったくちがっていた。 薄闇の中に白銀色のメタリックな光輝を放つ装置が並んでいた。メカはブーンというかすかな音をたてて作動していた。


「入ってはダメ」


 竹原の耳にそんな声がきこえてきた。 だが、竹原はメカの形成する迷路の奥へ逃走する少年Xを追った。 その部屋には憎悪が満ち溢れていた。憎悪は人間に向けて放射されていた。 闇にしか住めないVの、人への憎しみの感情だった。


 昼の世界で生きる者への、夜の世界からの猜疑心があった。どうして、おれたちは光のもとで生きられないのか。 Vの人を憎む感情だった。ここは、Vの巣窟か。こともあろうに、首相官邸の地下にVのアジトがあるというのか。


 竹原ははじめてVの憎悪に触れた。それは重なり合って、渦をまく嫉妬だった。疾風のように襲いかかってきた。

 人を石にしてしまうかのような激情だった。 その怒涛のような妬みの感情に竹原はたたらを踏んだ。 動けなくなった。金縛りみたいだ。動けない。


「それでいいの。それでいいの。もう先には進まないで。お父さん」

 ――お父さんだって。その声はアリサ。アリサなのか?

 それは確かにアリサの声だった。

 アリサの残留思念が父の危機を救おうと必死で伝えてくる声だった。

 ――アリサ!! どこだ。ドコにいる。


 竹原も美咲も少年Xを搬送中の車を後ろから警護していた。

 その護送車がVとそのRFに阻まれて転覆した。代わって護送車を運転している最中にふいに転移した。何が起きたのかわからなかった。ふいの転送だった。何が起こったのかわからなかった。


 ふいに陥没したように開いた〈次元〉の裂け目から。この地下に吸収された。車からやっとはい出した。そこへ、翔子とアリサが追いすがってきた。


「時間を操作したの。やっと追いついた」


 あのとき、アリサはそんなことをいっていた。

 少年Xは透けて見える迷路を遠ざかっていく。


「それでいいの。また彼とは会えるから」

 ――どうして、そんなことがわかる。

「わたしは未来からきていたの。さようならお父さん」


5  わが娘アリサ


 竹原はアリサのいうように少年Xを追うのを中止した。部屋にそれ以上踏みこむのを止めた。ひきかえした。

 ――そうか。おれと美咲のあいだにあんなにかわいい娘が生まれるのだ。美咲にこのことを早く教えたい。ほのぼのと幸せなきぶんになった。


 百子が携帯で部屋の様子を撮っている。美咲が総理と話している。

「総理がわざわざ出向かなくても」

「いや、いちどは美咲さんたちに助けてもらった命だ。そのひとたちが危険だと知らされれば、助けに下りて来るのは、あたりまえだ」


「その電話は、だれが」

「おそらくVだろうな」

 そんな会話が竹原に、聞こえてくる。

 ――クロノスホッパーでこの年にジャンプしてきた。

 とアリサはいっていた。


 おれには、はしご酒(グラスポッパー)のホップ(とび跳ねる)としかそのことばは理解できない。

 おそらく未来社会、それも近未来に時間を『跳ぶ』ことが可能になっているのだ。







 おれたちの記憶が時系列にしたがったものではなくなっている。

 アリサは生まれる前の記憶の世界に存在していたことになる。

 そして、おれは未来社会から来た娘とふたりで、このリアル世界で時間を共に過ごせたのだ。


 竹原の美咲を見る目が、かぎりなくやさしかった。

 美咲はアリサがじぶんの娘だとは、まだ知らない。


6 今宵の敵は?


「そんなことってあるの」


 思わず百子は口にしてしまった。

 Vバスターズの指令室だ。大型モニターを見ていた。


「まちがいありません。チーフの携帯から転写したピクチャをぜんぶ分析しました」と夕実。百子が総理官邸の地下でひそかに撮影した写真。そこに写っていたデバイス。装置のすべてのメカは始めからあの地下に設置されていたモノだった。

 Vが導入したものではなかった。ではあの悪意にみちた部屋のフンイキはなぜなのだ。

 アリサなら、未来から時間をジャンプしてきたアリサなら知っている。でもアリサはもとの未来世界にもどってしまった。


 モニターの映像から恐怖が漂ってきた。いや、漂う。などという穏やかなものではない。恐怖が放射されている。それはいままで絶対的な信頼を寄せていたモノが揺らぐ 瞬間。


 崩壊するような瞬間だった。

 いや、そんなことはない。

 そんなことはまだ起きていない。

 わたし疲れている。

 負の思考にとらわれている。

 それこそVの狙いだ。


「どうかしました?」


 夕実の声で百子はリアル世界にもどった。ほんの一瞬でも迷ってわれを失ったことを恥じた。これが実戦のさなかの出来事なら――。まちがいなく、死んでいた。 瞬時の迷いでも命取りになる。

「リーダー。百子さん!!」

 緊急の赤ランプが明滅している。場所は西早稲田。

「翔子さんとこよ」百子の声だけが残った。百子はもう部屋にはいなかった。

「緊急。緊急。西早稲田村上道場。翔子さんとこよ!! リーダーはもう向かってるわ」

「八班ケイ向かいます」

「三班。ツバメ。向かいます」

 タノモシイ呼応がひびいてきた。今宵もまた、クノイチの戦いが始まった。


7  少年Xの実体


「これは!!」村上道場にとびこんだ百子が絶句した。道場の中央に翔子がいた。背後に美加子をかばっている。

「姿!! 見せなさい」

 百子はやっと二句目を叫んだ。

「百子。これは心霊攻撃よ」と翔子。濃霧のようだ。

「わたしたちが、倒したVの霊魂を集めてアタックしてる」

「姿見せなさい」と翔子。

「じゃ、ぼくだけでも」

 小さな姿が浮かび上がってくる。なんとストーカー行為で逮捕された少年Xだ。総理官邸の地下で姿を消した少年Xだ。

「どうして、あんたがここにいるのよ」

「ぼくは、若い女の子の血を見るのが好きなんだ。オバサンタチ」

「いったわね。ゆるさない」翔子が少年Xに斬りかかった。バック転をして少年Xは後ろに逃げた。

「だから美加子を狙うの。だから菜々を襲ったの。もうゆるさないから」


 百子が激しく声を荒げた。突きを入れる。

「ああ、こわい。いきなりなんて、ひどいよ」

 ぜんぜん、怖がっていない声だ。憎悪が渦をまいていたのに、少し薄らぐ。


 悪意の渦が翔子を取り囲んでいたのが。消えていく。目には見えないが。百子には感じられる。狂気が百子にも襲いかろうとしていたのが。薄らぐ。反対に、現われた。Vの群れ。道場の入り口から入りこんできた。ケイの八班。ツバメの三班。の。クノイチに斬りたてられて後退してきたのだ。心霊攻撃がさらに薄らぐ。


「おい、みんなどうしたんだ。ぼくを援護するわけじゃなかったのか」

「あんたぁ!! みかけより歳くってるね」

 百子が押し殺したような声で少年Xに迫る。

「援護なんて、ジジイ臭いコトバ使って――。なにイキガッテルノ。ロリータ―コンプレックスなのね」

「そうよ。せめてサポートするとか。ヘルプとか。カタカナ語を使ったら」

 

 Vを追いたててきたケイとツバメが百子につづいて少年Xに立ち向かう。

「たぶん、こいつがボスよ!!」

 翔子も大声をあげた。心霊攻撃の濃霧は晴れていた。


8  人間は動物を食べるじゃないか!!


「おれたちにはボスはいない。おれたちには、組織はない。独立している」 

 だが、ケイやツバメの班に追い立てられてきたVは。少年Xに敬意をはらっている。

 少年Xの背後に控えている。彼が命令すればいつでも戦う。臨戦態勢だ。

「あんたぁ。噛まれたなんてウソだったのね」

「ほんとだよ」

「RFにしては、えばってるジャン」

「そんなの簡単だよ。ぼくの噛み親が貴族だった。それだけだよ。ヒエラルキーの頂点にいる貴族だったのだ」

「だったら教えて。どうして最近になって、Vの活動が目立つのよ」


 百子は食い下がった。少年Xの周りを固めたVがあいかわらず殺気だっている。組織はないなんてウソブイテいるが。少年Xの命令があれば勢いづいて襲いかかってくる。

 飢えた目。害意に満ちた顔。カチカチ鳴る乱杭歯。


「どうして、美加子をおそうのよ。受験前で、ナーバスになっているのよ」

「しるか」


 百子は徒労感にさいなまれた。なにやっているの、わたし。Vとの対話なんて成り立つわけがない。考えがちがいすぎる。


「人の血をすうなんて残酷なことよくできるわね。おやめなさい!!」

「やめたら、生きていけない。だいいち人間だって動物を殺して食べているよね。どこのパーツがウマイとか、牛タンは淡白でオイシイとか。ずいぶんと残酷なことを、平気でいってるよね。あれって、どう説明するのかな」


 百子は反駁できなかった。


「ぼくらは、ほんの少し血をすすらせてもらうだけ。食い殺すようなことはしない」

 理屈だ。論駁できなかった。

「なら戦うだけよ」

 翔子がぎらりと剣をかまえた。百子と少年Xの話しあいをきいていたが、忍耐の限界をこえたのだろう。神聖な道場をVたちに汚された。怒りがバクハツしたのだろう。

「翔子、いますこし、待って。おねがい」


9 少年Ⅹの正体


「でも、わたしの仲間は大勢い殺されている」

「あれは、センソウだったと聞いている」

「ソウ、戦争なら殺し合うのね」

「あたりまえだ。これは戦いなんだよ。きみらがジャマナダケダ」

「なら、美加子のことはどうし襲うの。教えてくれるかしら」

「ぼくが美加子に執着しているからだろう」

「またむずかいし言葉つかっている。あなたが、その貴族なのね。オアソビはやめましょう」

「残念、露見したか」


 こんどはわざと古い言葉を使っている。オジンジョークにもならないが。少年Xの体がふくらんだ。あらあら、ソコマデしなくてもいいのに。百子の目のまえで、少年Xが正体を現した。


「これを、見ろ!!」


 両手をつきだした。爪が射出されたように瞬時にのびた。硬度を増し、鋼色にひかっている。

「あの小娘は、この刃を避けた。それも、後ろからこっそり近づいたのに」

 ――菜々のことをいっているのだ。

「おかげで、アイツを奪はれた。アイツを吸血鬼化するのに失敗した。キサマラの能力がジャマだ」

 ―― アイツとは、町田警部補のことだ。


「菜々をストーカーしていたのね。ストーカーはパブリック・エナミーよ」

 少年Xの体が倍にふくれあがった。美加子は道場の隅にいた。彼女の周りを、ケイやツバメの班のクノイチが守っている。そして、翔子がいる。

 百子がいる。

「ヤル気なの!?」

「うちの道場よ。ワタシに任せて」

 先ほどから焦れていた翔子が一歩前に出る。手には鬼切丸が光っている。


10  アキバでの牙との戦い


「ああ、またよ。どうなっているのよ、今夜は――」

 大森にあるクノイチ48、「Vバスターズ」の指令室。大型モニターに向かっていたオペレーターの夕実が悲鳴をあげていた。モニターにはVと接触したチームからの赤ランプがついてる。同時に五か所も点灯することはいままでになかった。

 これは異常事態だ。


「ノゾミが喉ボトケを食いちぎられた。助からない。救援タノム」

 相手の声量の大きさと、悲痛な音声に夕実が反応した。

 悲惨な報告だ。

 アキバのメード喫茶「キュンキュン」でバイトをかねて警戒にあたっていた。

 第四班サクラ組のサクラからだ。少しくらいのことでは、班長を任されていてネをあげるコではない。絶望的な声をだすコではない。


「緊急。緊急」

 それぞれの現場の近くにいるクルーに夕実はemergency callをいれる。喉のあたりが熱をおびてきた。ノゾミがVに牙をうちこまれた痛みが夕実のものとなっている。牙が肉にくいこんでくる。感触。肉を断ちきられた痛みがある。じかに夕実の喉に伝わってきた。喉に牙が打ちこまれ血があふれだした。啜られている。血をふいて苦しんでいるノゾミ。

 わたしも駆けつけたい。でも、ここを離れるわけにはいかない。

 喉が苦しい。熱い。

 

 百子は携帯をそっと閉じた。翔子はまだ鬼切丸を青眼にかまえたままだ

「あなたたち、今夜のところは、コレデで引いたら。たしかに道場を血で汚すことは不謹慎よ。それともわたしたちを相手に戦いますか」

「いや、引こう。ムダに戦うことはない」

 緊迫がとけた。百子はひそかに溜息をついた。

「いくわよ」

 掛け声も勇ましく村上道場を後にした。めざすはアキバ。

 闘争の巷。


11 ノゾミの仇。トドメだ!!


 戦いの場は路上に移っていた。

 サクラと救援にかけつけた美咲がVを相手に斬り結んでいた。

「リーダー。こいつらおかしい。戦いなれている」

 とサクラが叫ぶ。

「たぶん、鬼島組のヤクザがまじっているのよ」

 とさすがに美咲の推理はするどい。暴対法の実施以来、行き場をうしなった。

 組員をRFにすることで、Vとの関係をより親密なモノとしている。そうとしか、思えない。いままでのVとRFは日本刀で武装などしていなかった。

 牙と鉤爪が武器だった。ところがこの集団には刀をもったブッソウナRFが混じっている。いままでだったら、そっと背後から気づかれないように吸う。

 吸われたのがわからないようにひかえめな吸血行為。そんなVもいた。

 これではテロだ。無差別殺戮だ。なにかこのところ様子が変だ。

 

 ノゾミの喉元からパッと血吹雪が飛び散った。悲鳴、混乱、まさかノゾミはふいに客が喉に喰らいついてくるとは思わなかった。

 そこに、油断があった。戦いの最中ならこんなことはなかった。こんなに簡単にやられることはなかった。ノゾミに喰らいついた男に同じくメイド服のサクラは体当たりをした。ノゾミはピクピク痙攣している。

 もう、声もだせない。それでも隠し持った小太刀の鯉口はきっていた。とっさに、肌身離さず隠しもった刀をぬいたのだ。サクラはその太刀をしっかりとノゾミから受け取った。

 

 ノゾミの腕がガクッと床に接触した。

「ノゾミの仇!!」

 血の噴水が男の顔にかかった。血が天井に噴き上がった。男の左腕がだらりと垂れ下がっている。血は細いホースから噴き出たような勢いがあった。


 男の顔を赤く染めた。まだ、血が赤い。まだ完全にRFに成りきっていない。

 サクラは携帯で夕実に惨状をつげた。

 男は階段をころげるように外に逃げる。サクラは追いかけた。

 トドメだ。ところが男の仲間が路上にいた。

 そこで乱闘になったのだった。いますこし、美咲が駈けつけるのが遅かったら。

 サクラも毒牙にかかっていた。


12 ロケ? それともリアルバトル!!


「なによ、アレ!!」

「決まってるジャン。AKB48のロケよ」


 舌がまるまっているような、甘い声が応えた。


「ソッカ。AKB48の路上パフォーマンスね」

「同じようなものよ」


 ロリータルックのガールズが騒いでいる。


 報道陣はまだ駈けつけていない。

 おれだけの独占スクープだ。水野昇は携帯を開く。

「毒性スープってなによ」

 心ブスの受付女だ。アイツ、おれに悪意をもってる。

「おれだ、水野だ。フリーのアナウンサーの水野だ。スクープだよ。まだだれもいない」

 やっとチーフの川島につながった。もう、余裕がない。すぐにも他局のプレスがくる。携帯に向かって水野は話しだした。映像はかたわらにひかえた麗子が――。

同じくこれも携帯動画で送っている。


「こちらは水野昇。いまアキバで起きている乱闘をお伝えします。クノイチ48のロケだとさわいでいるひとがいます。でも明らかにこれはテロです。無差別ナイフのテロに立ち向かっているのは、三人の美少女です。彼女たちが無意味にナゼカ、ビジァル系なのでロケと思われています。アッ。メード服の裾をはためかせて少女が吸血鬼のメンをかぶった男の頭上を飛び越えました。なんという跳躍力でしょう。助走なしです。180近い男の首をはねました。おやっ。オカシイです。やはりロケなのでしょうか。男が体から粉末をふきだして倒れました。みるまに消えていきます」


 ヤジウマをかきわけて少年Xがあらわれた。

「どうして、アンタガ!!」

 百子が驚く。わたしたちを、つけて来たのかしら。

「それは、こちらも同じ」

 百子をみて、少年Xは不敵に笑っている。金がないせいで、女にモテナイ。ぼくだったフェラーリにのった田園調布のオボッチャマだったら、と思っていた。そんな、身勝手な、果てしない夢をかかえて、ナイフで、女をおそった。少年X。そんなぼくが貴族に噛まれた。いや貴族がぼくのなかにはいってきた。

 いまでは牙ももっている。鉤爪だってある。傷をうけても、再生できる。 

 少年Xが貴族に変身した。


13 リアル人狼だ。


「なによ。アレ!!」

 また同じ質問を隣の友だちになげかけている。

「顔が、きゅうにかわった。カワイクないシ」

 甘ったれた声が応える。

「カラダだって大きくなった」

「SFXよ。Apesを人間に……いやちがったわ。人間を猿に見せる時代だもの。少年を吸血鬼に見せるくらい簡単なことよ」

「SFXって、なによ」

「特殊撮影」

「ああ。イリュージョンね」

「マジックショーを見ているみたい」


 クチサガナイ野次馬をかきわけてユウヤが乱闘の現場に到着した。

「わぁ!! 人狼だ。暴走族の総長みたい」

 みたい。ではない。関東暴走集団『人狼』のキャップ。ユウヤだ。

「リーダー。ここはおれたちにまかせて。東京暴走連合の連中もスケットに駆けつけてくれるはずですから」

「ありがとう。戦線が拡大していく予感がする」

 百子はユウヤにこの場の指揮権をゆだねる。ユウヤが右手をあげて合図する。野次馬の後ろから狼が現われた。フードをすっぽりとかぶっている。狼の顔が刺繍してある。


 でも、そのフードの中のほうが、より狼らしいと知ったら、群衆はどんなリアクションをみせるだろう。夕実から連絡が入った。

「リーダー。メンバーが足りません。Vの出現している場所が、八班の数より多いのです。十か所もあります。メンバーが足りません。今夜はおかしいですよ」

「夕実。聞けてる?  刀エクササイズの研究生も動員して。それに東京暴走連合ともユウヤが話しつけた。連携した。わたしたちの味方になってVと戦ってくれる。呼びかけてみて」


14 リーダーがきてくれたのですか!?


 百子は携帯で夕実と話しながらバイクをころがしていた。手薄なところへ行く。

「どこも、ヤバイですよ。今夜のVの動きはおかしいですよ。大手町の日枝神社の境内でハル子が苦戦している。Vがおおすぎるみたい」

「わかった。ハルコのところへ急ぐ。大手町の日枝神社ね」

 ――わたしは、と百子は回想した。

 いつのまにか、Vとの闘争に明け暮れていた。

 はじめは、ほんの正義感からだった。

 青山一丁目の双子ビルの陰で暴漢におそわれている少女を助けた。

 暴漢はVだった。その凶暴さ。ソノ手強さ。これこそわたしの敵だ。

 こいつこそ、女性の敵だ。手柄欲しさではなかった。

 強いていえば、無償の行為だった。相手は――か弱い女の子の敵だ。

 じぶんを守ることのできない女の子を襲う――。

 敵は、変質者、通り魔、ストーカーだ。犯罪者に対する怒りだった。

 犯罪者は人間ではなかった。Vだった。そして、使命感。

 わたしならこいつらと戦える。そのための修業をしてきた。

 わたしはクノイチ。伊賀の百々百子。伊賀の里の仲間を呼び寄せた。

 女性を守ることが、ストーカーの被害から守ることが、仕事に成るなんてあのころは考えてもみなかった。


 病んだこの社会の、病んだ者たちから女性を守る会社を立ち上げた。

 それが『Vバスターズ』だ。

 いま窮地に追い込まれているハル子も、会社設立当時からのメンバーだ。

 そしてそのころから同じ少女のガードについている。

 いまは、もう中学生だ。政府要人のご令嬢だ。一人娘だ。

 今夜も、ブジ玄関口まで送り届けての帰りだったはずだ。

 ハル子そのものがストーカー被害にあったようなものだ。

 狙われていた。やはり狙われていたのだ。彼女がジャマだったのだ。


「ハル子。ダイジョウブ」

「リーダー!!」

「どこ?」

「鳥居の影」

「いま行く」

「リーダーが来てくれたのですか!?」


 鳥居が見えてきた。黒い影が鳥居柱を駈け上っている。

 ハル子だ。銃声がする。


15 リーダー。痛いです。


 まるで、マシラだ。サルの木登りのようだ。

 すばやく、かけ登っていく。

 薄闇の中、鳥居の円柱を黒い影となって上へ上へとはい登っていくハル子。

 銃声がした。みようにクグモッタ銃声だ。サイレンサーをつけている。

 円柱を上に移動するハル子に向かって。発砲している。


「ハル子!!」

 百子はおもわず叫んだ。クノイチにあるまじき行為だ。

 さらに銃声。むごい銃声。冷やかな響き。冷酷無情な銃声。

 あの乱射を浴びて――。ハル子はブジなのか。無事であるわけがない。

 生きてはいない。マニアワナカッタ。

 わたしが、Vを敵にすると決めたら。


「わたしも戦います。百子さんといっしょにVを倒します」

 といってくれたハル子。Vの掃討に初めから参戦してくれた第一班百子組のハル子が。……わたしの前で。殺された。銃殺された。ハル子!!! 百子は走った。

 走った。

 走った。

 絶叫しながら。

 走った。クニイチのあるまじき行動だ。その時。薄闇を光が。光が切り裂いた。 少し遅れて爆発音。

 なんてことを――。

 自爆だ。

 ハル子に襲いかかっていた暴漢。が。吹き飛んだ!!

 一瞬。百子は目を閉じた。そして、目を静かに開けた。

 ストーカーは四人。ぶすぶす燃えながら。のたうっている。

 百子は急所に手裏剣を投げた。

 恨みをこめて。復讐だ。


「リーダー。百子センパイ。モモコさん」

 かすかな声が――。

 植え込みの陰でした。

 ?????

 百子は声のする方に近寄る。

 そして。ハル子がいた。


「変わり身の術だったの」

 ハル子は爆死していなかった。

 五体ついている。生きている。

 ハル子がコクントとうなずく。

「わたしまで、ひっかかったよ。スゴイ技よ!!」

「リーダー。来てくれてありがとう」

 百子はムチュウデ。ハル子をだきしめた。

「よかった。ブジでよかった」

「百子センパイ。敵が霞が関に集まってきている。そう思いません?」

「………………」

「この周辺の動きが怪しいです」

「よかった。ハル子が無事で」

「センパイ。痛いですよ。痛いです」

 百子はあわててハグをといた。ハル子がガクッと首をたれた。

 ハル子の背に回した百子の手。グッショリと濡れていた。


 銃創から血がふきだしていた。

「ハル子。しっかりして。死なないで。ハル子」

 ハル子の血で百子の手は濡れていた。

 ふたたび、ハル子がガクッと首をたれた。体から温度が失われていく。

 冷たくなっていく。


「ハル子!!」


 百子の悲しみの声が闇にのみこまれた。涙が止めどもなくほほをながれた。

 クノイチが、また、ひとり今宵の闇に散った。


16 伊賀の里に遊びに帰ろう。


「ハル子。ハル子。しっかりして。いま救急車を呼ぶから」

 返事はもどってこない。

「どうしたの。口きいて」

 応えはない。

 ガードの対象者を玄関口まで送った。

 張りつめた心がゆるんだ。

 そのすきに襲われたのだ。

 ふいの銃撃ですでに傷ついていた。

 仲間の助けを借りず、自力で切り抜けようとした。

 立派だったよ。

 ハル子。

 ハル子の手には、極細のワイャ―をまいたリールが握られていた。

 ワイヤーのさきにバックパックをつけた。ワイャーをあやつった。

 バックが鳥居の柱をはいのぼる。人影にみえた。

 わたしまで、ダマサレタヨ。ハル子の変わり身の術。

 たしかに見せてもらったからね。百子はまたハル子をだきかかえていた。

 涙がこぼれた。百子の頬がひきつっていた。

 ハル子の明るい笑顔はもうみられない。

 赤子をあやすように、話しかけていた。


「みんなで、伊賀の里に遊びにいこう。春になったら遊びにいこう。よろこんでくれるよ。なにを、お土産にかっていこうか」


 伊賀の里で姉妹のように育った幼馴染がまたひとり消えた。

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