第三章 鷹野美加子

1 美加子のブルーノート

 

 美加子は窓に視線を向けた。


 Vが窓からはいっていいか? 

 

 と……許可を求めている。


『許されないと……われわれは部屋に入れないのだ』


 これっておかしい。どこか狂ってしまった。マジおかしい。だって、わたしは地下三階の病室にいる。窓などあるわけがない。そこでアリサにいわれたコトバを思い出した。


 そうだ。彼女のいうように。Vはわたしのなかにいる。内部にいる。こころのなかにいるのだ。今夜が山場だという。ココお乗り越えれば、今夜が過ぎれば血清が効いてくる。新薬を試したのだ。だめなら、わたしの体にV化現象が現れる。


 そして、わたしは身もこころもVの従者に成り下がる。わたしはいまのうちにわたしのことを書くことにした。最悪の事態になっても、残るように。わたしが生きてきた証となりますように。


「インターネットにはつなげませんからね」

 担当の看護師さんがやさしくいった。

「病院の医療機器に影響するから……」

 それはちがう。わたしが外部と、接触するのを恐れているのだ。Vを招き入れたら……。たいへんなことになる。でもVはわたしのなかにいる。外に出たがっている。わたしの血が汚されているからだ。血清が効いて。血が清らかになりますように。そんなことを願いながら……。わたしはwordで書き始める。


2  塾選び


 渋谷から原宿に向かって歩いて15分くらい。

 かな? 

 日輪学園の青山校はあった。

 

 お母さんが受け付けはすませてあった。一緒について来るといいだした。KY。空気読めない、かわいそうな母。いつもイツモ、わたしのキモチわかってくれないお母さん。


「こんどはひとりで、いけるから」

 申し込みのときだってはずかしかった。担任になる英語の先生の面接だってお母さんがひとりで答えていた。

「いまからでも、間にあいますか。受験まで一年しかないから」

「それは十分。当塾には促成コースがありますから。苦手な科目だけ集中的にやればいいわけです。月曜から金曜までは、一日に英語を3時間。帰りは10時になります。土、日は8時から12時まで。週23時間月92時間やりましょう。授業料は15万です」


「おれの月給の三分の一だぞ」

 その夜父と母がもめていた。

「成績をカネで買うようなものだ」

「どうしても、池袋に入ってもらいたいのよ」

「おまえの夢だったからな」


 最後にはパパがオレタ。


「そうよ。桜陰が池袋。わたしの果たせなかった夢よ」

 ところが……入ってみるととんでもない塾だった。


3 美加子ブルー


 個人授業(促成コース)でそれなりの成果があがった。二学期からは普通コースで学習することになった。学校での成績は上がった。でもなにか、大切なモノを置き忘れてきた感じ。


「一流の高校から、一流の大学に進学する。一流の会社に就職して、将来有望な彼を探して、ケッコンスル。それが美加子の幸せなのよ」


 毎日のように同じ言葉の繰り返し。の。母だったからすごくよろこんでくれている。母によろこばれるために一生懸命勉強した。ゲームもテレビも見ない。友だちとも遊ばない。これでブルーな気分にならない中学三年生っているのかしら。いるとしたら、そのひとは、勉強の天才なのだろう。勉強をするためにうまれて来たひとよ。2月期の中間試験を来週に控えた、V学園での昼休み。災難が襲いかかってきた。 


4 美加子、噛まれる


 キスしているのかとおもった。事務職員の橋身がケヤキの大木の陰で。女子職員の顔に唇を寄せていた。上げる。顔。唇が赤い。


「見ましたね。見ましたね」橋身さん。青年のはずなのに。きゅうに老けこんだような声。しわがれた声。このひとたちVだ。出井が駆けつけた。

「たすけて。助けてください」

「おい。橋身どうする。助けてくれといっているぞ」


 わたしはさとった。出井はわたしを助けに走ってきた。わけではなかった。教室の仲間もなんにんかわたしを囲んだ。


「美加子が最後なのよ。いちばんおいしそうだから、後回しにしたんだって」

「ぼくらの仲間にはいろうよ」

「わたしたちの仲間になって」


 みんなの手が周囲からのびてくる。


「仲間になろうよ」

「いゃあ!!」


 わたしは逃げた。橋身に抱きつかれた。いや出井だったかもしれない。あまりあわてていたのでわからない。恐怖のVに追いたてられていので。わからない。襟足に激痛。

 それでも、わたしは逃げた。フロントから街に逃げた。走った。走った。走れるだけ早く、走った。


「逃げなくてもいいよ。もうそれ以上痛いことはない」と橋身。

「ぼくらはみんな、仲間なんだよ」


 出井も、教室のみんなも同じことをいっている。ケラケラ笑っている。いやだ。Vになんかなりたくない。なんというひどい塾を、お母さんは選んでしまったのだ。もっと慎重に下調べをすべきだったのよ。お母さん。風評でもなんでもいい。もっと情報を集めるべきだったのよ。


 お母さん。進学率が抜群だ。というだけで選んではいけなかったのよ。

 お母さん。塾のキャッチコピーなんかいいようにかかげることが出来るのよ。

 お母さん。誇大広告。ウソだって書けるのよ。

 もう走れない。もう走れない。わたしはベンチにへたりこんだ。橋身と出井が寄ってくる。あの人たち、服装もかわっている。チンピラみたいな姿。あいつら、変化自在。なのだ。あいつら、カメレオンみたいだ。周囲のフンイキで。どんな擬態でもとれるのだ。もうだめ。また噛まれる。このときだ。このとき美咲の声をきいた。


「どうしたの。だいじょうぶですか」

「噛まれたの? でも助かるから……」


 アリサが励ましてくれた。このひとたちは、Vをひと眼で見破った。


5 Vの血が騒ぐ


 アリサってすごい。わたしと同じ年? くらいのはずだ。でも、笑って教えてくれない。

 名刺をもらった。『Vバスターズ生物学研究所』血液の研究をしているの。とだけは、教えてくれた。だれにも、この名刺見せないで。

 飛び級したの? だって大学卒業している年じゃない。


「ゼッタイ助かるって。心配しないで。ゆっくり休むといいわ。Vの恐怖を身を持って……体験したんだから……そういうときはあまり考えないほうがいい。こころをカラッポニシテ、お休みなさい」


 でも、そうはいかない。Vの牙が迫ってくる。白く光る牙がノドに迫ってくる。

 サメ肌の手がわたしの体をなでまわす。怖い。臭い息が、生臭い血の臭いが。

 体に沁みこんでくる。わたしの中でVがうごめいている。怖い。

 また変形がはじまったら、どうしょう。怖い。怖い。怖い。


6 噛み親は滅ぼしたからね


 Vになるのはイヤ。

 死にたくない。でも、Vになって、爬虫類みたいな肌になったら……。

 どんなに気分になるのだろうか? 再放送で、いまみている『妖怪人間ベム』のあの肌。


 悪人の涙でキレイナ人間の肌になる、のとはわたしの場合、反対みたい。

 わたしは妖怪になっていく。鮫肌になっていく。Vになってしまう。想像しただけでも。こわい。死にたくない。でもVになるくらいなら。死んだほうがイイカモ。病室の扉が開いた。担当医と看護師。そしてアリサが入ってきた。


「美加子。なにかかわったことない」

 わからない。何を訊かれているのか。わからなない。

 採血のためにチクンされた。蝶みたいなかざりのある針だった。


「そうよ。バタフライっていうの。正確には翼状針」


 ――どうしてわたしがこの飾りをチョウみたいって思ったことが。

 わかるの。アリサ教えて。アリサがほほえんでいる。


「もし、美加子が噛まれたのが出井だったら、美加子の噛み親が出井だったら、あなたは助かったわ。美咲が、アイツを倒したの。アイツ、青い粘液となって溶けてしまったから。溶けて乾いて粉になったわ。そしてチリは風に吹かれて消えてしまった」

「うれしいわ」

「どう??? まだVの、アイツの声がきこえる」


 そういえば、胸がスッとしたみたい。

 頭の中で声が、Vの忌まわしい声が消えていた。   

 わたしもうブルーな気持ちをノートの記さなくてすむ。これからは楽しいことを書いて行ける。うれしい。うれしい。


7 西早稲田『ムラカミ』塾


「アリサ、ありがとう」

「それいうなら、美咲さんやクノイチのひとたちにいって。そしてね、アイツラを滅ぼすことは、わたしにとっても必要なの。だからあまり気にしないでいいよ」

「わたしね、考えていたんだけど……ドクターになろうかな。ひとの命を救う仕事ってステキだとおもう」

「そうよ。そうよ」


 アリサがすごくうれしそうに。応えてくれている。


「わたしは高いハードルがないと奮い立たないタチなの」

「もう日輪にはもどれないでしょう。イイ塾、紹介してあげる。西早稲田の『ムラカミ塾』よ。美加子にはまだVから守ってくれるセキュリティがいるから……翔子のところがいいわよ。美咲さんがそういっている」


 受験まで、もう二月もない。わたしは独断でアリサの推薦してくれた塾にいくことにきめた。


8 剣の道も受験の道も同じよ


「わあ。カンゲキ。翔子先生は池袋学園の卒業生ですか」


 母が過激に感激している。わたしに何があったか今は、知らされているだけに。沈み込んでいた。母が最悪の選択を、こともあろうにVが影で経営している塾にわたしを入れてしまったのだから――。生命の危機にわたしを曝したのだから――。でもそれって母だけの責任ではない。運命だったのだ。

 ソノ運命が好転しそうな気配。

 第一志望校、池袋学園の合格が遠のいた。と、悲嘆にくれていた。かわいそうなほど落ち込んでいた母だった。それだけに、よろこびも大きい。


「ハイレベルの高校に入るのには、はっきりとした目的があって勉強する子のほうがいいのよ。美加子さんみたいに慶応か東大の医学部に進学するために池学をえらぶなんてステキ」

「でも学力が……」 

「学力はまったく関係ない。頭がよくなれば、いいのょ。いちど記憶したことを絶対に忘れなければそれでOK。忘れるから時間をかけて同じことをなんども勉強しなければならないの。だからまず記憶する力を高める、完璧にする。それには呼吸しないことをおぼえるべきなの。記憶する勉強では、死を意識して呼吸しないコレが極意」


 母にはなにをいわれているのかわからなかったみたい。

 わたしは受験まで泊りこみで、勉強することになった。

 宿泊代こみの、授業料を訊いた。そのあまりの安さに母がおどろいていた。


「記憶力がアップして独創性が伴えば――あとは自学自習。塾になんか通ってこなくて、すむようになるわ」


 翔子さんは笑っていた。


 その翌日。勉強が始まった。ただひたすら教科書を読むこと。自分の声に耳を傾け、暗記すること。124ページの英語の教科書なんて、一時間で読破してしまう。  

 えっ!! いままでの勉強ってなんだったの。

 記憶力がないのに、それを高めることをしないから、苦労していたのだ。

 同じような問題をなんどもプリント学習で解いていたから記憶力はますます弱まってしまっていたのだ。


 一行の基本文型を覚えれば、あとはその応用はじぶんで考えればいい。

 同じ文型の問題を何題も解いているから、それに頼り過ぎて、記憶力が鈍磨する。翔子さんにさいしょに叩きこまれた勉強法だった。

 剣の道も受験勉強もおなじ。命をかけること。命がけで勉強すること。ただそれだけよ。ですって!!


 わたしのブルーな想いは完璧に消えた。勉強って、楽しい。


9 受験勉強のブルーが消えた


 わたしは、じぶんから勉強しようと覚悟をきめた。

 決意した。命がけだヨ。美加子。

 わたしこんな気分になったことはなかった。


 目から鱗がおちた。

 いままでのわたしってブラインドだった。

 なにも見えていなかった。

 眼の前がパッと明るくなった。

 そして、勉強がたまらなく楽しい。楽しい。

 キラキラ輝いている。冬の大気が澄みきっている。

 清々しい。わたしのこの命は、みんなに助けてもらった。

 

 V化して人間らしさを失うところを、美咲、アリサ、クノイチ48、竹原さん。みんなでわたしを噛んだV、出井を滅ぼしてくれた。

 

 わたしのことを噛み、従者―レンフィルドにしょうとした噛み親。出井を消滅させてくれた。ひとが何かをしようとするとき、必ず身近なものから邪魔が入る。日輪学園に通塾していたなんて、いくら知らなかったとはいえ、最悪の選択だった。


 周りの塾生が、みんな邪悪なものに支配されていた。そして、授業だってテスト対策だからと毎日プリントの空白の穴埋め授業。丸をつけて返されるだけ。一時間に5枚のプリントがわたされて、5教科授業をやりました。こんなのって、おかしい。ブラック企業だった。


 早く気づくべきだった。うちの塾から女子校御三家に何名入りました。とPRする。塾だけのテガラにする。学校に対する冒涜だ。


 勉強は命がけ。呼吸はしないで。息をつめて。

 これは言葉のアヤなんだけどね。それほど真剣にやるということ。

 目前に白刃の刃をつきつけられている。

 そう思って。社会科の教科書なんかいちどよめば完全暗記。

 

 二度目があるとは思わないこと。ほとんど、神がかりな翔子センセイの授業で。

わたしって、こんなに頭がよかったのとウヌボレルホドダ。

 

 頭が冴えわたった。わたしのブルーが消えていた。

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