第6話 海野先輩と遊ぼう

「その子がまーの彼女?」


海野先輩は僕のことを『まー』と呼ぶ。

昔はマー坊だったけど、豆腐みたいなので高校生になってやっと止めてもらえた。


「違いますよ。それだけは違います」


「それだけって、あとは何があるのよ」


「僕と先輩ならあるいは恋人同士に間違われても仕方がないかなって」


「まー。今日は随分と、はっちゃけてるね。発情期かな」


 海野先輩を近くの喫茶店に呼び出すと、意外にもあっさりと応じてくれた。

 更に意外なことに先輩は制服姿で現れた。艶やかさと清楚さが両立する制服姿の先輩が至高というのが僕の評価だった。


「先輩とこうして話すの随分久しぶりですね」


「そうかなぁ。結構学校でも見かけるし、そんな感じはしないけど。まぁ、話をしていないと言われたらそんな気もするかな程度かな」


 海野先輩は僕と会話しながらも、チラチラと隣に座る凛の方に視線を向ける。まあ、気になって当然だよな。

 焦らしてみるってパターンもあるけれど、先輩は昔から僕らの悪だくみを見抜くのがうまかった。なによりばれた後のお仕置きが怖いんだ。


「彼女は神楽坂凛さん。隣のクラスの転校生です。彼女の正体について後々話すとして、まずは僕たちの事を話し合いませんか」


「何々、私たちのことって?」


 海野先輩が僕を見据える。ああ、先輩に5秒以上見つめられると僕のハートは無残に破裂してしまうんじゃないだろうか。

 ここ1月は学校ですれ違う程度だったし、それ以前だって実は1対1で先輩と接する機会はあまりなかった。


「僕たちのことは僕たちのことですよ。あ、その前に野暮用を済ませておきましょう。海野先輩は、あの3人を殺しましたか?」


「まー」


 そういうと海野先輩は拳骨を作り、僕の頭はこつりと叩いた。

 少しだけ怒の表情が見えた。


「答えてあげない。そういう大事なことを、聞けば答えてもらえるだなんて思うな」


「先輩の愛のご指導ありがたいですけど、立場上聞かないといけないこともあるんですよ。じゃあ、本題です。僕は他人の嘘が分かります。これが僕の力です」


僕たちのこととは僕たちの能力のことだ。

最後の水曜会から1か月、全員が変わりなく登校している様子をみると、誰一人、命に別状はなかったのだと安堵した。

 力を得てからの数日、いつ悲劇を知らされるだろうかと重しがかかった心臓の痛みに耐え、息苦しい中登校していたことが嘘のようだ。

 さて、そこでネタ晴らしでもよかったのだが、僕たちは綾瀬先輩の設定した期間を律儀にも守った。

 身に付けた能力を試す時間は楽しかったし、実戦レベルまでスキルを磨いてみんなに披露したかったのだろう。

 ここで、初めて僕は僕の力を海野先輩に伝えた。


「ふーん。そか」


先輩は幾分か表情を緩めると、軽く呟いた。

先輩はすっと凛のほうに視線を向けた。


「彼女は、そういうこと了解してるってわけ」


「彼女の正体は大事なことなので、簡単には答えられません。でも僕を信じてください」


 随分と無茶な要求かもしれないけれど、その程度には信頼して貰えていると自認している。


「よし、分かった。じゃ、私の能力の話」


 先輩は迷いなく返事をくれた。通学カバンの中からヘッドホンを取り出し、僕の耳にそれをかぶせた。

 

「え、なんですか。あっ」


その瞬間、時が止まったかのように思えた。

僕の世界から音が消えた。


 先輩が口をパクパクさせながら、なにかをしゃべっているが僕にはそれが何だかわからない。

 先輩はヘッドホンを取り上げると、今度は凛の耳にそれを被せた。


「これは消音ヘッドホン。私がこれ付けてる間になんでもいいから喋ってみて」


 説明するよりも実演する方が早いということ。

 消音ヘッドホンはとは、周囲の音を感知し、その逆位相の音を発することで無音状態作り出す装置だ。

 先輩は自らヘッドホンを身に付けると、水の入ったコップをテーブルの真ん中へ移動させ、そのコップをじいと見つめている。


「神楽坂さんは、先輩が何をしようとしているか分かる?」


「全然です。ちょっと楽しみですね」


 何でもいいからしゃべれって言われると逆に難しいよな


「普段言わないようなことを言わないと意味がないですよね」


 なるほど、それもそうだな

 僕は思いっきり真面目な顔を作ると、先輩の眼を鋭く見据え


「僕は、先輩……のおっぱいが好きです。おっぱいが揺れるたびに僕の心も弾むんです。きっとその谷間の奥にエデンの園があるんだって。何を言ってるんだコイツみたいに思うかもしれないけど、もし、僕が本当に頑張ったんだなって思ってもらえるなら、先輩の豊満な胸で僕を受けとめてください」


ふぅ……こんな感じでどうだろうか



「ちょっと、ちょっとぉ。どうだろうかじゃないですよ。マコマコ何を言ってるんですか」


凛が僕の襟をつかんで乱暴に揺さぶった。

大丈夫だよ、僕の気は確かだよ。

こころなし凛の顔が赤く染まっているように見える。


「一度くらいは自分に正直になってみようかなって思ったんだよ。ちょっとやり過ぎたかな。こんなチャンスはめったにないしさ」


「海野さんは聞いてなくても、私が聞いている事を忘れてませんか」


「あ、いや、神楽坂凛さんには公務員としての守秘義務というものが、あるじゃないですか」


「守秘義務とかそういう問題じゃなくて、これから私はどうやってマコマコに接していいか分からなくなりましたよ」


「分かりやすく言うと、おっぱい聖人かな?」


「大丈夫ですか? 熱でもあるんじゃないですか」


「いや、なんか僕ってこういうのが嫌いじゃないっぽい」


「これが、Mって奴なんですか。もう、やだぁ」


 いちいちちゃんと反応してくれる凛は愛いうい奴だと思う。

 なんて、僕らが戯れていると海野先輩がヘッドフォンを外す。いよいよネタばらしの瞬間だ。

 漫談を切り上げて二人そろって期待に満ちた視線を送る。


「ふう」


先輩はもったいぶるように息をつく


「まー。正直、お姉さんとしてどう反応したらいいか本当に悩んでしまうよ。まーの言葉真面目に受けとったらいいのかな」


「ごめんさい。止めてください。ほんの冗談です」


僕はテーブルに額を擦り付けて謝罪する。


「高校生男子のほとばしる熱いパトスも理解しないわけじゃないけど、お姉さんも女の子なんだからいつでも笑って済ませてあげられないよ」


「いや、本当にすいません」


「とりあえず、エデンの園はそんな所にはないと思うよ、多分。あっと、あとなんだっけ。まーがMで、おっぱい星人なんだっけ?」


「いや、おっぱい聖人です……てそんなことはどうでもよくて、先輩が僕らの会話をしっかり聞いていたことは理解できましたよ」


先輩のすっかり困り果てた表情がすべてを物語っていた。


「じゃあ、解説の時間。コップに入れた水があれば今のようなことが10km先でも可能ってこと。いわゆるクレアオーディエンス。遠隔聴覚という奴だけど、分かる?」


そういって先輩はグラスを指ではじく。

クレアオーディエンスという言葉自体初耳だけど、実演してもらえれば何となく理解はできた。


「水の振動を音として感知しているみたいだから、グラスに入った水以外でも水槽とかペットボトルも水でもOK。流水は音がかき消されちゃうから、あまりよくない。ヘッドフォンは周りの雑音をシャットダウンして精神集中するためのアイテム。これなしでも能力を使えるようになるのが当面の目標ってところかな」


一方的に聞くばかりでは申し訳ないと、僕も自分の能力を簡単に説明する。僕が見破ることができるのはあくまで口に出した言葉の嘘だけ、それも対面した相手でないと効果はない。電話の相手や、テレビに映っている第三者の嘘なんかは分からない。


「なるほどね。お互い人を殺したりできる能力じゃ、なさそうね」


先輩は最後のそう付け加えた。


「そうですね。僕は海野先輩が犯人じゃないって信じてます。それと神楽坂さんは、僕たちの味方です。正体については言えませんけど困ったときは僕と同じように彼女に頼ってください」


「あら、それは頼もしいわね。神楽坂さんよろしくね」


「凛と呼んでください。私のことについてはまた語る機会もあると思います。今日のところはこれで失礼させて下さい」


「説明してもらっても、他人の正体なんて、そう簡単に分かるものじゃないよ。気にすることじゃないって」


「ありがとうございます。今日は私がお願いして海野さんに来てもらったんです。例の亡くなった三人の件ですが、私のほうから3つだけ質問させていただいていいですか?」


「どうぞ」


 先輩は背筋を伸ばすと不敵な笑みを浮かべる。

 悪い意味ではないのだけれど、僕らの中で一番『一筋縄ではいかない』のが海野先輩だ。

 真実がどうであれ、思惑がどうであれ、簡単にボロを出すということはない。

 その点だけは安心できる。


「答えは強制されるものではありません。ですが、正直に答えていただければ幸いです。海野乙女さん。貴方は先ほどの力を使って野槌の周辺を調べていますね」


「否定しないわ。ここ3日ほどのことだけど」


これは僕の知らない情報だった。たしかに、すべての元凶である野槌の周辺を警戒するのは、犯人にたどり着く一番いい方法かもしれない。


「だったら、貴方の知っている情報を皆さんに伝えてください」


「言われなくてもそうするつもりよ」


 少しだけ語気を強めた凛に、先輩は強く反発する。

 先輩は僕の方を向き直り深刻な顔で語りだす


「もちろん、直ぐに伝えるつもりだったことよ。野槌の父親が裏社会の人間を使って今回の事件の犯人を探している。今、アイツの周りをうろつくのは得策じゃない。もちろん、野槌たちのの素行の悪さは折り紙つきだったから、ヤツを恨んでいる容疑者は山ほどいるわけ。だから、大人しくしていれば、私たちにまで火の粉は飛ばないと思うけど」


 なるほど。幸い僕らは、仲間の中に犯人がいるという発想に拘って、野槌には全く注意が向いていなかった。綾瀬先輩や小町が奴らに近づくことなんてないとは思う。


「それと、野槌の父親がプロを呼び寄せたって話もしていたわ。一番の悪党が生き残るのも癪だけど、これ以上は危険。もし犯人を知っているのなら止めないと……」


 もし本当に僕らの中に犯人がいるのなら、野槌を生かしておくはずがない。最後に野槌が残ったことさえ、彼に最後まで恐怖を与えようとしたのではないかと邪推してしまうほどだ。

 復讐を完遂させる、心のどこかにそういう選択肢も残っていたけれど、そんな余裕はもうなさそうだ。


「犯人が誰であろうと、これ以上罪を重ねて欲しくありません。それだけじゃない。犯人にだって身の危険が及ぶかもしれない状況なんです」


そんなことを言う凛は本当に刑事らしかった。


「そこで、二つ目の質問ですが、海野乙女さん。貴方は今、木野甲丙と行動を共にしていますね」


「ええ。まあ、甲丙と一緒なのはいつものことだし。アイツには無茶して欲しくないし」


 やっぱり海野先輩は木野先輩と一緒なんだ。二人はコンビなのか。

 ぶっちゃけていうと、客観的に見れば5人の中で一番疑わしいのは木野先輩であると思う。

 海野先輩は木野先輩の二人が常に行動を共にしているというなら、二人の共犯。凛はそう疑っているのか。


「最後の質問です。もし今回の事件の動機が棗さんの復讐だとしたら、貴方に容疑者となる資格はありますか」


 その質問の意味を僕は理解できなかった。あえて聞くまでもない質問だろう。


「そうね。あるわ。殺したいと思ったことは……あるかないかわからないけど、死ねと思ったことは何度もある。死んだと聞けばいい気味だと言ってやる。まーや小町を巻き込んじゃったことは本当に後悔してるんだけどさ」


「巻き込んだってどういうことですか」


それは心外だった。


「まーが復讐なんて望んでないことは分かってたよ。私らはただ棗のことを思い出して、笑って、懐かしんで、悲しめばよかった、そう思う」


「そんな、そんなことはないですよ……」


 なぜだろう。先輩は今になってなぜそんなことを言うのか。


「ありがとうございます。海野乙女さんも、くれぐれももう一度野槌に近づこうとは考えないでください。あと3日もすれば、すべては解決しますから」


 3日。その具体的な数字に何か根拠があるのか。

 僕は凛の顔を覗きこむけれど、いつも通りの笑顔しか窺い知ることはできなかった。



「いきましょう」


僕は凛に促されるまま店を出た。先輩を一人残して。


                 ◇


「さてさて、刑事殿。捜査は順調かな」


「そうですね。それより、マコマコはなんでおっぱいだなんて言ったんですか」


「それはね、凛に足りないものは何かなってずっと考えてたんだよ」


「そう言う誤魔化しは刑事には聞きませんからね。好きなら、好きって言えばいいじゃないですか。おっぱいじゃなくて先輩の事ですよ」


「まあ、海野先輩も素敵だけどね」


「意気地なしって奴ですか。浮気症の意気地なしって最低ですよ」


「だって、海野先輩は木野先輩と付き合ってるんだぜ」


「ああ、そんなことを気にしてたんですか。でも……」


「『でも』も『だっても』だよ。それにだいいち今このタイミングでそんな告白したら、死亡フラグ立っちゃうじゃないか」


「死なせませんよ。私が死なせません」


いつにない、それでいていつも通りの真剣な眼差し。

その視線が、このときに限って僕の心を抉った。

僕を見つめる彼女の顔が、無性に愛おしくなった。

僕は、凛の頬にそっと手を当てた。


さて、今日の捜査はここまでです、凛はそういうとどこへとなく消えて行った。

僕は臆病な道化師だ。


その夜。僕は何度か電話のベルを鳴らした。だけど、その夜に限って誰にも繋がることがなかった。





















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