第3話 水曜会
時計の針を少しだけ過去に戻そう。
暦を1か月ほど遡った6月の中旬水曜日。
僕たち五人はいつも通りマンションの一室に集まっていた。
綾瀬先輩、木野先輩、海野先輩、小町、そして僕。
いつも通り一人も欠けることなく。
そこは木野先輩の父親が管理する物件だが、空き室ということなので無断で使わせてもらっている。
この一年、僕たち五人は毎週水曜日の夜に会合を設けてきた。
名称はなかったが、僕はそれを水曜会と呼んでいた。
この会合は、棗の死によって始まり、彼女を弔うためにあったのだから、棗の会でもよかったのかもしれないけど、僕たち五人の誰一人して彼女の死を受け入れられてはいなかったのだから、やっぱりそれは無理というものだ。
綾瀬棗は、高校1年生の夏、その短い生涯を終えた。
事件の詳細を語る勇気は僕にはない。
4人の中学生に乱暴された末に自殺をした。今ここで伝えるべき情報はそれで十分だろう。
加害者たちが処罰されることはなかった。リーダー格の少年が地元有力者の息子だったから、というのは根も葉もない噂などではなかった。
真実を知ることはできなくても、加害者たちの犯した罪は明々白々だった。
端的にいえば罪を逃れた彼ら加害者4人を社会的に抹殺しようというのが水曜会の当初の目的だった。
棗の兄、肉親を失った綾瀬慎太郎がこの会の発起人だ。
検事志望の木野先輩は、どちらかというと社会正義のために彼らを罰しようとしていた。
海野先輩は、棗の声を聞いたと言っていた。加害者たちを罰してほしいと夢枕に告げるのだという。棗がそんなことを言うはずがないと僕は思うけど、棗はずっと彼女を姉のように慕っていた。海野先輩しか知らない棗がいたのかもしれないと思うこともある。
小町については、彼女自身の意思よりも僕が巻き込んでしまった感が強いと思っている。
棗と小町、そして僕の三人は近所に住む同級生ということでずっと一緒に育ってきたのだけれど、復讐という目的にはあまり共感していなかったようだ。結局、棗を失った辛さを5人で分かち合いたかったんだと結論付けている。
時計の針が7時を示す。海野先輩が面白いから絶対に観るべきだと言って、テレビに電源を入れた。そこには最近人気急上昇中のあるお笑い番組が流れていた。
くすりとも笑わない木野先輩だが、微動だにすることなく真剣に画面を見つめ、すっかり番組にはまっている様子だった。
初めのうちは真っ暗な部屋にランタンひとつで始まったこの秘密の会合も、海野先輩や小町が色々と部屋に持ち込むうちに、随分と立派な装いになってしまっていた。
ゆるい雰囲気はいつものとおりで、水曜会は深刻な目的とは裏腹に、決して真面目な会といえるようなものではなかった。
理由はいくつかあった。50回近くにわたって続けられた会合も結局、大した成果を生み出せないままにいた。所詮は高校生の集まりだ。社会的抹殺だと威勢のいいことをいっても現実的な手段など持ち合わせてはいなかったのだ。
それに、自分達を破滅させるような直接的な報復に走ることがないように、わざとゆるさを演じることで相互に気遣っていたということもある。
そしてなにより、ただこうして五人が集まり、彼女のことを思い出し、ぼんやりと目的を共有している、それだけで意味があることなのだと僕らは感じていたのだろう。
こうしている限り、僕らの心の中で揺らめく炎は、決して消えることはないのだと。
◇
「魔法とかさ、綾瀬っちとうとう頭おかしくなっちゃった?」
番組も終わる頃、サプライズだと言って綾瀬先輩が何か持ち出してきた。
「乙女だって普段から占いだとか霊感だとか言ってるじゃないか。魔法は好みじゃないのかい?」
「ああいうのは曖昧だからこそ、真実を含んでいるのよ。そういう塩梅は男子には分からないんだろうけどさ。そんな機械を持ち出されて、魔法を使ってみたいとか言われてもハァ?ってね。甲兵も、何か言ってあげなさいよ」
「いや、『魔法』については俺もいろいろと噂には聞いている。そういうのが現実味を帯びてきたのがここ5年くらいの話だ」
木野先輩は、綾瀬先輩の持ち出した『何か』を真剣に見つめている。
僕は木野先輩のように何かを知っているわけではなかったが、ここ数年『魔法』にまつわる都市伝説のようなものが増えているようには感じていた。
しかし、それだってブーム程度の認識だった。
「勿体ぶるつもりはないよ。世の中には面白いことを考える人間がいてね。さぁこれを見てくれよ」
それは、一部のゲーマーに用いられるヘッドマウント型ディスプレイというものに似ていた。口の部分だけ大きく開いた剣道の面のような見た目で、すっぽりと頭に被ることで、目も耳も機械の中に包み込まれることになる。主にゲームの世界に没入できるという理由で使用される。
ただ、市販のものとは違い上部のカバーが外され、そこにつながれた電極のようなものがいくつか露わになっているのが気にかかる。
「あぁ、それ知ってるぅ。ドリームメーカーってやつよね。昔流行った好きな夢が見られるっておもちゃだよ」
海野先輩がさっそくそれを頭に被りながら愉快そうにこちらを向く。
いかつい装置は、海野先輩には不似合いで不気味ささえ覚える。
見た目にも人が装着するにはちょっと大きすぎるその装置は、やはりそれなりの重量があって、お辞儀でもすると頭を戻すもの大変そうだ。
先輩は子供のころ、親にねだったこともあるそうで、どこかうれしそうだ。
「宇宙船のパイロットみたいだな」
と木野先輩がいうけれど、そのセンスは僕には理解できなかった。
「たしか、頭痛や記憶障害を訴える者が現れて販売中止になったと記憶しているな」
そういいながら木野先輩も、すっぽりと顔を埋める。
綾瀬先輩は同じものを丁度5人分用意してくれていて、気が付けば各々が一つづつ手に取り、それを被ったりして戯れていた。
「これおもーい」
と言いながら頭をぶらんぶらんと勢いよく振る小町。あんまやり過ぎると冗談でなく首の骨が折れちゃうぞ。
魔法とドリームメーカーに一体どういう関係があるのだろうか。
夢の世界でMMORPGでもするつもりなのか?
「これは、販売中止になったドリームメーカーの違法改造品だ。珍しいものだけど、ちょっとした伝手を使って入手した。出力を25倍にしたものだ。」
綾瀬先輩がそう告白するのを聞いて、海野先輩が慌てて装置を脱ぐ。電源につないでないのだから、大丈夫ですよ。
「出力25倍って、綾瀬っちはよっぽど悪夢に悩まされているのかな」
「まあ、黙って聞きなよ。世の中には面白いことを考える人間がいてね」
ドリームメーカーを被ったままの綾瀬先輩が、みんなを見渡すように首を振りながら話を始める。
「睡眠学習ってあるだろ。それの応用さ。このドリームメーカーは、脳に特殊な電気信号を送って使用者が見る夢をコントロールする。その精度は実は大したものではないのだけどね。それでも自由自在に夢を見て楽しもうという本来の目的を越えて、自動車を運転する夢や、英会話をする夢を見続ければ寝てる間にスキルを身に付けることができるんじゃないかって考える人間もいたんだ。
「実験はある程度成功した。知識を詰め込むようなモノはうまくいかなかったが、ただひたすらに反復練習する課題にそれは効果を発揮した。まぁ、そこまではよかったんだけどね、結局は健康被害のおそれが見つかって、とても実用的なものにはならなかったのは、甲丙の言うとおりだ。
「勿体ぶるつもりはないといっただろ。そうさ、魔法さ。奇跡的な出会いによって魔法は科学と融合した。発明者が魔法と呼ぶから魔法と呼ばせてもらうけど、超能力といった方がイメージしやすいかもしれないな。とにかくそういった力を使うには、人間が普段使っていない脳の一部分を使う必要があったんだ。じゃあ、ドリームメーカーを使ってその眠っている脳神経に強制的アクセスを繰り返してみたらどうなるだろうか。結果は大成功さ。こうして今この世界には魔法が溢れているというわけさ」
綾瀬先輩はどんな質問にでも答えるよと言いたげに、両手を広げると僕たちに発言を促した。
最初に口を開いたのはいつも通りに木野先輩
「リスクはないのかというのは愚問なのだろうな。そんな便利なものが表の世界に出てこないのは、相応のリスクがあるからだろう」
「15%から20%の確率で脳に致命的な損傷を負い廃人になる」
綾瀬先輩はあっさりとそう答えた。
場はすっかりシリアスな空気に支配されていた。
「死を免れたとして、本当に魔法を使えるようになる確率は10%程度。しかも、その内容もランダムで予想がつかないと来ている」
語る内容こそ深刻だが、綾瀬先輩は表情を変えない。
「法に束縛されることのない手段か」
木野先輩が、ただ一言で端的に本質を突いた。
綾瀬先輩は、もうほとんど言いたいことは言われてしまったという表情をする。
仮に魔法なんてものがあれば、それによって『どんな結果』を起こそうとも、僕たちが罪に問われることはないだろう。
そんな手段があれば、停滞していた僕たちの目的にも新たな可能性が生まれる。
そして、同時に僕たちの目的の大前提さえ覆ってしまう可能性があるのだ。
その場にいる全員がほとんど同じようなことを口にしようとしたのだと思う。
しかし、その例外である提案者の綾瀬先輩が機を先して、少し意外な提案をした。
「しばらく……そうだな2か月ほど、水曜日の集まりを休止しようと思う。それまでこの装置をみんなに預けるよ。装置を使うのも自由、使わないのも自由だ。そして、そのことに関して相互に過度の干渉しないこと、集まりを再開するまで『行動』にでないことを約束して欲しい」
綾瀬先輩の意図をすべて汲み取ることが出来ていたのだろうか分からない。
装置を使うのも自由、使わないのも自由。
僕の答えは既に決まっていた。使うに決まっている。
たった20%の確率に怖気づくようなら、僕はこんな集まりに参加はしていない。
どんな結果になろうとも、僕はサイコロを振る。
海野先輩はいつも通りのゆるーい表情で僕らの顔を見回した。ただその瞳にはいつにない真剣さを宿していたように思えた。
自分自身はいい。だが、他のみんなはどうだ。うまくいかず脳を破壊された仲間たちを見て、僕はどう思うだろう。
『そのことに関して相互に過度の干渉しないこと』という綾瀬先輩の言葉。それは、全員がこの装置を使うという決意を持っていることを見越して、互いに最悪の結果が生じた場合の責任を負わせないための配慮だったのではないだろうか。
僕の決意が決して変わらないように、僕にも他人の決意を変える権利など無いんだろう。
ずっと目を閉じていた木野先輩が先ず、「異議なし」と声を上げた。
僕もすぐに続きたかったけれど、海野先輩の言葉を待った。
「まー綾瀬っちの言いたいことは大体わかったし、大体それでいいんじゃない?大体ね、大体」
そうですねと僕もそれを肯定する。
最後に残された小町も異議などないようだ。
ただ、僕は小町にだけは装置を使わないで欲しいという気持ちを伝えるつもりでいた。小町を特別扱いにすることに当然のように慣れてしまっていたから、なぜ彼女にだけという問いかけには答えることはできない。
「じゃあ、僕はお先に」
異論がないことを確認すると綾瀬先輩は部屋を出て行った。
「逢坂も、妹尾もいつでも相談に乗るよ」
「なるようにしかならないから、なるようにしかね」
海野先輩と木野先輩は、言葉少なに僕らに声をかけると二人揃って部屋を出ていく。
僕は何と声を掛ければいいか分からず、そのまま別れることになった。
「マコトくん。もし、私がもう会えなくなったのなら、交通事故にでも遭ったと思ってさ。それで気持ちの整理をしちゃってよね。私もそうするしさ」
「小町。一度だけしか言わないから、いいか」
「ダメ」
小町は僕の口を塞ぐと、足早に部屋を出て行った。
僕は、一人残されたこの部屋をゆっくりと見渡す。
これで最後かもしれない。
物寂しさが突如溢れだした
でも、だって、そんな別れは唐突過ぎるじゃないか。
そんなこと、絶対にあっていいはずがない。
「マコトくん。何してるの?早く帰ろうよ!」
廊下から小町の呼ぶ声が聞こえた。
灯が消え、闇に沈む部屋が僕の不安をさらに掻き立てた。
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