第14話 密室談義(下)
さて、ここからは僕と凛が学校に戻るまでの暇潰し。
興味がない人は、すっ飛ばしてもらっていい。
ネタバレというほどのモノもないけれど、ミステリのネタバレなどが気になる人も避けてもらおう。
『密室』というモノをアプリオリなものとして語っていたけれど、ミステリファン以外に向かって『知っていて当然』という勇気はない。
そこで概念の整理も兼ねた雑談で盛り上がろうということだ
「あ、密室密室と所与のものとして語っていましたが、マコマコは『密室』というもの知っていますか」
「密室は密室だろ。それくらいは分かるよ」
「世の中全部が全部ミステリファンというわけでもないですからね。『アリバイ』や『密室』という単語にも神経質にならないといけないんですよ」
「考え過ぎじゃないのか」
「『分かる人間には分かる話』ばかりを繰り返していると業界自体が収縮していくばかりなんですよ」
「凛がミステリ業界の心配をしなくてもいいと思うけど」
「魔法刑事なんて存在自体がミステリですからね。さて、密室の定義からいきましょー」
凛ってばいつにも増してなんだか楽しそうだな。
「定義とか、そういう数学っぽいのは嫌いなんだが」
「定義も無しに議論するのはダメな大人ですよ。
凛ちゃん流の定義をご披露します、では
(1)推論者Dにとって
(2)ある空間Aが存在して
(3)空間Aの内部において、事象Xが発生したと推測される状況があって(事件性)
(4)空間Aの外部(すなわち空間notA)にいる人物Pが事象Xに因果関係を持ちえないと推測される状況があるにもかかわらず(密室性)
(5)空間A内において事象Xを発生させるに足る因果関係が完結していないと推測される状況がある場合(外部性)に
空間Aを密室というと定義することにしよう」
「なんだか、アタマがクラクラするんだけどさ。『密室』を理解するのってそんなにややこし事なのか」
「まーまー。最後まで話を聞いてくださいよう。定義が難しくなっている原因は、3カ所の『推測される状況』という単語かと思います」
「たしかに。なんかまどろっこしい言い方だよな」
「これには定義(1)が関係します。Dは探偵(Ditective)あるいは読者(Dokusya)の頭文字です。説明すると、何だそんなことかと思いますよ。つまり、密室は『犯人』あるいは『作者』にとっては密室でもなんでもないんです」
「ああ、密室も解かれてしまっては密室では無いってことだな。それくらいなら僕にも理解できたよ」
「さらにいうと、『密室』は解かれなければならないってことですね。ですから、3カ所の『推測される状況』という単語が出てくるんですよ。その3つの推測のうちどこかが誤っているから、『密室』は成立するんです」
「3つの推測が全部正しいとのどうなるんだ?」
「ハイ、マコマコ、ナイスアシストです。10点。じゃあ、定義(1)と『推測される状況』を外した定義をご覧ください
(2)ある空間Aが存在して
(3’)空間Aの内部において、事象Xが発生し
(4’)空間Aの外部(空間notA)にいる人物Pが事象Xに因果関係を持ちえないにもかかわらず
(5’)空間A内において事象Xを発生させるに足る因果関係が完結していない
ハイ、名前を付けるとすれば『純粋な矛盾状態』ですね」
「種も仕掛けもない密室はただの奇跡ってことだな」
「はい。定義(2)は説明不要でしょう。密室と呼ばれる限定された空間が必要です。注意したいのは、密室の『外』というとき、『外』というのが日常的な意味での外に限られないということです。つまり屋敷の内側が密室の『外』であり、屋敷の外側の世界そのものが密室の『内』になりうるということですが、まぁそこはミステリマニアの議論になりますから深くは触れないようにしましょう。SF的要素を加えれば『内』と『外』の概念は直感的ではないということです」
「凛の話は難しすぎるよ」
「はぁ、ミステリマニアの悪いところを見せてしまいましたかね。退屈かも知れませんが定義の説明を早く終わらせましょう。定義(3)の事象Xは何でもいいんですけど、ほとんどの場合は『殺人』ですね。密室はミステリ小説の中で扱われることがほとんどですし、ミステリ小説の主題は殺人がほとんどですからね」
「まあ、物語にテーマ性を求めると、人の命にいきつくってことだな」
「もちろんコージーミステリと呼ばれるような例外があることも承知の上です。秘伝のパイの作り方が盗まれたってことでもOKです。おっといけませんね、直ぐ横道に逸れるのが私の悪い癖です。定義(4)(5)は、敢えて説明する必要がないかもしれません。密室の中に入ることなく外から事件を起こせたり、あるいは出入りが自由だったり、密室の中だけで事件を起こせることが『明らか』なら密室にはなりません」
「こうしてみると当たり前のこと言ってるだけだな」
「定義ですからね。『当たり前』を言葉にするのが定義です。だから、必要以上に構えて、怖がる必要はないですよ。そして、このように定義すると、密室のトリックの分類もできます。つまり、事件性、密室性、犯人性のどれかの否定です」
「なるほど、そこにつながるわけだな」
「(3)事件性の否定とはすなわち、密室の中では事件が起こっていなかったということです。密室ができる前に事件が起こったとか、部屋の中で事件が起こったと見せかけて、実は別の場所で犯行が行われた場合などですね。じつは密室の扉が開けられた後に犯行が行われていたってのは有名なトリックなので知ってるかもしれませんね。そもそも事件なんて起こっていなかったというような場合もあります。
「(4)密室性の否定は一番わかりやすいですね。密室の中と外が隔絶されているとみえて、実はそうでなかった場合です。隠し通路や鍵があって出入りが自由って場合のことですね。遠隔装置を使う場合もあります。
「最後に、(5)外部性の否定ですが、実は密室の中にずっと犯人がいたとか、自動装置を使ったとか、自殺だったというような場合がこれですね。」
「なるほど。一つづつ可能性を潰していく場合には、分類は有用だね」
「密室殺人の分類に関しては、かの有名なディクスン・カーの『密室講義』や江戸川乱歩の分類など様々な作家に試みられています。今回の事件との関連で一番参考になるのは、密室を作る動機による分類かもしれませんね。麻耶雄嵩先生が『翼ある闇 メルカトル鮎最後の事件』の中で、犯人が密室を作る動機の分類をしているんですが、私、随分前に読んだので内容は忘れてしまいました。私もお気に入りの『ものすごい展開の』傑作ですので是非読んでくださいね」
「凛……それってまさか、ステマ!?」
「違いますよぉ。ごくごく自然な話の流れです。麻耶先生の分類については本当に記憶に残っていないので、私なりに勝手にまとめると、分類1:犯人の意図によらず密室が成立した場合。偶然に密室が成立してしまった場合などです。この場合、ただの殺人が、密室殺人という不可能犯罪になってしまう場合がありますけど、これは実は犯人にとってあまりいい結果にはならないんですよ」
「どういうこと?犯行が不可能なら、有罪になることもないだろ」
「まあ、そうですけれど、犯人としてはできるだけ別の容疑者がいてもらった方が都合がいいんですよね。そういう意味では、密室殺人事件というのは完全密室事件だと思われないほうがいいんですよ」
「密室がある限りトリックがあるということだから、いつかばれる危険性があるってことだね。ところで完全密室って言葉がいきなり出てきたけど」
「はい。密室には、完全密室と不完全密室があるんです。分類2:不完全密室の場合。ここで言う不完全密室というのは、ある人物にとって密室になるけど、他の人物にとっては密室にならない場合です。密室に鍵がある場合、その鍵を持った人間にとって密室は、別に密室ではないのですね。ものすごく狭い通路がある場合、子供なら中に入れるってパターンとか。そこで分類2-1:不完全密室を利用して容疑者を限定する動機が生まれるわけです。」
「鍵のかかった部屋で人が死ねば容疑者は鍵を使える人間に限定されるから、鍵にアクセスできない人間は容疑者から外れるってことだね」
「そそそ。ご名答です。次に分類3:外部性を否定する場合ですね。分類3-1:被害者の自殺に見せかけることで、容疑者から外れる場合が典型例ですね。他に、分類3-2:密室の中の人物に容疑者を限定するという場合もこれですね」
「分類2も3も、犯人が容疑者にならないために密室を作るという動機だね」
「そうですね。ですから逆に、分類4:容疑者から外れる以外の目的で密室が作られる場合が出てくるわけです。」
「密室を作る動機ってなにかな」
「色々ありますけれど、(他のミステリ作品のネタバレになる可能性がありましたので削除)、その先鋭な形として分類5:密室を作ること自体が目的の場合があります。」
「密室を作ること自体が目的?なんだそれ」
「犯人が密室マニアだとか、密室事件好きの探偵を呼び寄せるためとか、宗教的理由とか色々ですね」
「なんだか、とても現実にはありそうにないなぁ」
「それはどうでしょうかねぇ。実際、現実世界で密室殺人などはほとんどないわけで、故意に密室を作るとしたら、案外、それ自体が目的の場合が多かったりしますせんかね」
「実際、現実世界でうまくやれば密室事件として認知される前に、事故死や病死で処理されるだろうしな」
「はい。そろそろ学校が見えてきましたし、こんなところですかねぇ。ヒントとしてもこれで十分だと思います」
「ヒントだったんだ」
「もちろんただの暇つぶしでこんな話はしませんよ。私は良識あるミステリファンですからね」
「現実では全く役に立たなさそうな知識だもんな」
「そういわれると悲しいですよ。人間なら人生で一度くらいはミステリ小説を書きたいと思うときがきますって」
「そんなものかねぇ」
「そんなものですよ」
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