第8話 人形屋

 泰良川たいらがわの河川敷は広く、いくつもの野球のグラウンドが設置されるなど市民の憩いの場として活用されている。しかし中流域にまで遡っていくと十分に管理が行き届いておらず、雑草が生い茂り、違法な小屋や菜園などが無秩序に点在するようになる。

 A(仮にそう呼ばせてもらう)の証言では、廃屋の一つをアジトに使っているらしい。

 利用方法も考えては見たが、やはり足手まといになるということで、目的地のあたりを付けるとAも気絶させ、公園のベンチに放置する。

 連中の仲間は、野槌邸周辺を警戒しているグループと、容疑者を探すグループに分かれて理うようで道中それっぽい男たちを何人か見かけたけれど、大人しくしていれば因縁を付けられるようなことはなかった。

 全員を相手するわけにはいかないから、今はそれでいい。

 血染めの凛は、フード付のパーカーを着て貰い何とか誤魔化している。

 速く血を洗い流したいだろうが今は我慢してもらうしかない。 


「乙女の無鉄砲のせいで、振り回してしまって悪いな。今がどういう状況なのかはアイツが一番よく分かっているはずなのに」


「何で木野先輩が謝るんですか」


「うん?それもそうだな。俺が謝る話でもないな。俺に聞きたいことがあるんだろ。今聞いたらどうだ」


「そういう状況でもないですから」


「あの3人を殺したのが俺かどうか聞きたいのだろう」


「率直に言えばそうです」


「乙女は素直に答えなかっただろう。ああ、お前に嘘を見破る能力があることは聞いているよ。乙女は寂しがり屋だからな。自分を信じてもらいたいんだよ」


「そうかもですね。でも、それも木野先輩が言うことですか」


「そうだな。何でもかんでも俺が口を出すべきじゃない」


「質問に答えてくれますか」


「すまない。乙女が答えないのなら、俺も答えるべきではない」


「二人は常に共犯だって言いたいんですか」


「『二人は常に共犯』か。映画のキャッチコピーみたいだな。ははは」


今日の木野先輩は随分とよく笑う。

そんな話をしているうちにいよいよ河川敷に辿り着いた。僕らは河川敷沿いに伸びる県道を上流へと登って行く。


 見慣れないスポーツカーが隣を通り過ぎた。

 真っ赤なオープンカーだ。

 これから決死の地を向かおうとする僕らが、思わず目を止めてしまうほどの威容を誇る高級車だった。

 すれ違ったのは一瞬だけ。

 でも、「止めて」と助手席の少女が声を上げた、そんなヴィジョンが僕の脳裏をよぎった。

 全員が一斉に振り返った。

 

 僕らを少し通り過ぎて、車が止まった。

 助手席のドアが開き、一人の女性がこちらに向かってくる。

 助手席から降りてきたのは紛れもなく、海野先輩だった。


「海野先輩。なんで!?」

「乙女、お前どうして」


 髪は乱れ、顔にはアザもあるし、唇からは血も流れている。

 今日は私服姿の彼女、服は泥に汚れ全身に争った跡が見えた。


「ごめん。ちょっとやんちゃしたかも」


少し恥ずかしそうに小声で答える海野先輩。


「身体は大丈夫なのか」


「どうかな。アバラとか折れてるかも。あ、まーは変な想像しないでよね。そういうのは大丈夫だから」


え、何で名指し何ですか、先輩。

しかし、その声のはいつになく弱弱しい。


「アバラが折れてたらそんなに元気にはしてられませんよ。相手を見て、抵抗しないという選択肢もあるんですよ。可愛い女の子が角材で殴られる姿なんか正直見たくなかったですよ」


 続いて運転席から降りてきたのは、豪奢なスポーツカーには不似合いの和服姿の男。すらっと背が高く、髪は短く刈り上げている。

 僕らがその謎の男を睨みつけると、海野先輩が割って入る。


「あ、この人は私を助けてkるえた人だから。お礼とか、私の代わりに言ってくれると嬉しいかな。いや、ホントこの人にも迷惑ばっかかけちゃって」


「いえいえ、気になさらずに。今日は不良どもが何やら騒いでいる様子。サバトの夜といった感じですかねぇ」


 そう不思議なことをいいながら男は僕らの真ん中へと歩み寄る。


「彼女はお返ししますよ。早く家に帰って着替えなさいな。病院に行った方がいいかもしれないけれど、ちょっと事情を聞かれちゃうよね、その怪我だと」


「いえ、大丈夫です。自分で捲いた種ですから。骨が折れていないなら安静にしていれば、そのうち治りますって」


「乙女。強がりばかり言うなよ」


「甲丙、ホントごめんねぇ。でも、大ジョブだから」


「まあ、これ以上いうと逢坂が怒るからな。説教は止めだ」


「え、なんで僕が名指しですか?」


 とりあえずこの和服の人が海野先輩を助け出してくれたようで、安心した。


「どこのどなたか知りませんが、ありがとうございます」


僕は男に礼を言う


「いいの、いいの。気にする必要はないよ。言ってしまえばこういうのも僕の仕事だからさぁ」


「仕事というと、刑事さんですか」


「ハハハ。全然違う。紛らわし言い方で悪かったけど、分かりやすく言うと商店街の役員みたいな仕事だよ。本業は別だけど、役員の仕事で色々雑用をやってるわけ。警察に来てもらうほどじゃない小さなもめごとの仲裁をしているって感じかなぁ」


なるほど、確かに独特の服装も個人商店と考えれば不思議ではない。高級車を乗り回すほど儲かっているってことだろうか。呉服屋さんか何かだろうか。


「呉服屋じゃないよ。あ、別に心を読んだわけでなく、よく言われるからさぁ。僕は人形屋。その名のとおり人形を売っている。その名のとおり人形屋と呼んでくれるとありがたいねぇ」


屋号も無しで人形屋とは珍しい。


「じゃあ、人形屋さん。今日はどうもありがとうございます」


「はいはーい。気を付けてね。そうだなぁ、あと3日くらいは大人しくしとくといいよ。そうすれば、この街も落ち着くと思うなぁ」


あと3日。その期限に何か根拠はあるのだろうか?


「旦那、旦那、ダンナァ」


人形屋が来た方向から一台の原付が追い付いてきた。

運転するのは小さな原付には不似合いなジャージ姿の大男。

背の高い人形屋よりも、さらに一回りデカい。

筋骨隆々。格闘家だといえば信じてしまうほどの鍛え抜かれた身体だ。


「ふぅ。人形屋の旦那。やっと追いつきました」


「あおう、お岩さん。不良どもはどうなったんですか」


「二三発殴った後で小遣い渡しておっ払いましたよ」


「そいつはご苦労さん。さぁて、お嬢ちゃんは友達が迎えに来たようなので、私たちは仕事を再会するとしましょう。それではみなさん、ごきげんよう」


そういうと人形屋は静かに止めてある車の運転席へとゆっくりと戻っていく。

何だか拍子抜けだけど、喧嘩も無しですべてが収まったのならそれでよしだ。


「綾瀬から連絡は行っているか?今日の夕方4時、学校で集まるという話」


「はい。小町も了解と」


「俺は、乙女をいったん家に連れて帰る。逢坂はまだ俺に聞きたいことはあると思うが、こういう状況だ。後にしてもらえるか」


「仕方ないですね。4時にまた。凛、それでいいだろ?」


僕が声をかけるが凛は何も答えない。


「凛?どうかした?」


僕は凛の様子を窺おうとするが、そのとき、こちらに近づいてくる人の気配に気づく。

 人形屋さんだった。

 車は出発することなく、運転席からもう一度戻ってきたのだ。


「人形屋さん。何か用ですか」


「いえね、そのパーカーの女の子がどうにも気になってしまいましてね。僕の悪い癖なんですけど、小さなことがどうしても気になってしまうんですよ」


人形屋がそんなことをいう。

簡単に拭きとりはしたが一度血まみれになった凛の顔を見られるわけにはいかない。


「この子は、僕の同級生ですよ。ちょっと人見知りが激しくて、大人の人とか怖がって近寄らないんです」


「へえ、女の子に嫌われるのはどうにも気分がいいもんじゃないですよねぇ。どうですか、こんど私の店に来てもらえれば、お人形をプレゼントしますよ」


凛はうつむいたまま首を振る。


「せめて名前だけでも聞かせて貰えないですかねぇ?」


しつこく食い下がる人形屋を止めたのは、木野先輩だ。


「申し訳ないが、それ以上は大人のマナーとしてどうかと思う」


木野先輩はきつい言い方にならないよう精いっぱい慎重に接しているようだった。

人形屋はふむふむと二度頷き


「それもそうですねぇ。いやはや、申し訳ない。でも僕って血の臭いは嫌いなんですよねぇ。平和主義者ですから、血はダメですよ、血はね」


僕に血の臭いなんて感じられないけれど。


いこう、お岩さん


そう言うと人形屋は再び車に乗り込み、去って行った。




 












































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