第5話 欲望は美しき生き様を越えて

「小説を書く、オレは絶対に賞を取って、彗星のごとくデビューするんだ、それはオレにとってこの世の中に対する復讐なんだ」。そう妻に対して強気だったのも最初だけだった。「おかんにだけ強気なダメ男」っているものだが、オレはまさにそういうタイプだった。

 体調が良くなく長続きはしなかったが、元々は音楽志望で格好だけのヒップホップなんかが流行った時はダンススクールにまで通った。詩を書く延長で散文を書き始めなんとなく小説を書き始めた。小説家を目指すという言い訳の元、こんな悠々自適な毎日にありつけたわけだが、いつかはおさらばしなければいけないだろうと感じていた。

「諦める、諦めない、諦める、諦めない…」とブツブツ言いながら、日課であるサキコのブログチェックをしていて、一つの打開策が浮上した。『告知』のコーナーに、あるイベントへの出演が記されていたのだ。それはあるイタリアの洋服ブランドの新作発表パーティーへのゲスト出演だった。サキコはそのイベントの最終日にモデルとして出演し、インタビューもあるようだ。AV女優サキコはもはやアンダーグラウンドではない。れっきとしたモデルであり女優であり、そして芸能人だ。オレにとっての唯一のチャンスは、、

 そのイベントに潜り込めばサキコに会えるかもしれないってことだ。


 以前オレはたったの1カ月半、銀座のブティックでドアマンをしたことがあった。何のスキルも必要ないし、ただドアを開けていればいい。脚は痛かったがこれほど気楽な仕事はなかった。そんなやる気のないオレに激怒したのが上司Jだった。Jはドアマン歴17年で、前の仕事も入れると銀座に20年もいる。周りからは「主」と呼ばれていた。彼は今まで銀座の様々なブランドショップや宝石ブティックに派遣されており、ドアマンというポジションながら、店長クラスの知り合いがたくさんいた。ブランド業界は本当に狭い世界での転職がよくみられる。ランチの時間に制服を着て通りを歩いているスタッフを見かけると、彼女は以前どこそこのショップにいて、社内恋愛で首になったとか、あの子は実はバツ一だとか、彼は来年マネージャーになるなどと言い当てる予言者、情報屋であった。リスクが付きまとうが、そんな上司Jに新作発表パーティーに潜り込む方法はないかと聞いたのだ。

 彼に一つの質問をすると、本題にたどり着くまで最低2時間はかかる。

「景気が悪いよ、まったく。銀座も廃れたな、もう昔の活気はないな。若いあんちゃんが腰パンでウロウロするようになっちまったし、ドレス姿で歩くホステスの数も減っちまったし、つまらんなぁ。最近は新橋のガード下まで歩いて行って、そこの焼鳥屋での飲むんだが、サラリーマンの第一声はそろって『不況ですねぇ』だもんな。日本経済は停止状態だなまったく。とにかく持ち堪えろ、がスローガンだもんな。耳にタコができるわ。朝礼でな、『不況ならではの工夫と、サービスの見直し』を毎日のように言われるしな。これでもたくさんの人を入れてるって言うのに。わかるか? 客は入ってくるんじゃなくて、俺が入れてるんだぞ。今俺が勤務してるのがな、銀座のブランドショップの中でも1、2の値段の高さを争う宝飾店なんだがな、多大なる人事異動の嵐だよ。まあ、異動する場所があるだけましで、百貨店なんかのインショップは立て続けにクローズだわ。不況下で高額品はそう簡単には売れないから1日の大半は暇を持て余している。接客業の人間は良く喋るなぁ。不況の危機感を持ってるのかな。スタッフはお喋りが仕事のような毎日を過ごしているぞ。一時はごった返すほどの人気を誇ったうちのブランドももうだめだ。人事異動、派遣切り、ほんで社員切りだ。派遣社員は即刻解雇、正社員もあぶれている。売り上げが良かった各地の優秀な社員たちを一気にこの本店に集めるらしく、売り上げの悪いスタッフはほとんどが行き場を失うだろうな。もはや日本全土が不安に侵され、不況という問題提起をされてるな。俺もそろそろかもしれないな。銀座に20年、この足はもはや深い根っこなんだがな。」

 電話して、「お元気ですか?」 と言っただけなのにこれだけの情報量で返ってくる。ただ、一見閉ざされた世界に感じるブランド業界でも派遣社員の制度があるのだと“ピン”ときたのは事実だ。

「ところでヨシカワ、久しぶりだな。なにか目的があって電話して来たんだろ?何を聞きたいんだ? そう言えばお前が好きだったT社の○○ちゃんだがな、やっぱりバツ一だったぞ。俺の勘は当たるな。ただあいつはやめとけ。酒癖が悪い。この間なんか飲んでる時にストッキングを脱いで男性社員の首を絞めようとしたぞ。今ドアマンコンビを組んでる新人の沼田ってやつは興奮してたがな。ヤツは心臓にペースメーカーが入っているが、良いドアマンだ。きっと俺の後継者になるな。そうしたら俺もいよいよ潮時かな。」

 相槌を打っているわけではないのに、上司JのKYな話しぶりは相変わらずだ。オレは強引にカットインした。

「ブランドの新作発表パーティーに潜り込むにはどうすればいいですかね?」

 その質問にたどり着くまでに1時間半もかかった。携帯代が心配だ。

「なんだお前、潜入取材でもするのか? 目当てはモデルか、デザイナーか、女性スタッフか? 確かに有名人がいっぱい来るからな。客として潜り込むのは厳しいな。パーティーに一般客は入れないだろう。そのブランドで相当リピートしてないとインビテーションカードはもらえないぞ。まあ外から覗くことくらいはできるがな。それで気がすむくらいならこの俺に相談なんかしないか。ならば、社員通用口で清掃員のふりして掃除でもしながら待ってたらどうだ? もしくは関係者のふりしてそのブランドの服着て立ってるとか。ちがうか。警備員に追い出されるか。そうだ、それならそのイベントのスタッフをやるのはどうだ?」

 オレはその有力な情報を引き出すのに1時間55分かかった。

「イベントはいつだ? 大体土日だろ? セールススタッフは顧客さんにベッタリしてなきぃけないから、その有名人がフリーな時間は少ないかもな。大道具や会場設営はどうだ? それかイベントなんだから大量の物販があるだろ。単発でストック係とかも必要になるんじゃないのか。でもそれは他の店舗から応援が来るか。よし、わかった。配膳だ! ウエイターだ。いくら派遣切りと言っても、ブランドのセールススタッフが酒まで作ることはないだろ。パーティーは必ずシャンパンが出るだろ。カクテルなんかもあるんじゃないか。さすがにその辺は外部に委託するだろう。スタッフは洋服を扱うわけだから、ドリンクやつまみと服は同時に扱えないんじゃないのか。流石俺だな。もしお前がどうしても接近したいデザイナーやモデルがいるなら、ドリンクをお持ちする時がチャンスだな。へへっ、うまくやれよ、若者よ。下半身だけで行動するなよ。頭を使え頭を。俺はまた来週沖縄に行くんだ。Pちゃんに会えるぞ。いいだろ・・・。」

 PちゃんとはJ氏が惚れ込む沖縄の風俗女だ。あなたこそ下半身で行動しないようにと言いたかったが、何も聞かずとも気持ちを察してくれて、ここまでの戦略を立ててくれるのは彼しかいない。ただし、また脱線して、Pちゃんの話で2時間かかるのはごめんだ。バッテリーが切れますといって、その配膳でもストックでも大道具でもいいので、委託先はどこかを聞いた。J氏は何でも知っている。

「バッテリー切れか、すまんすまん、それなら、今は派遣会社A社とB社とC社の3社しか銀座には出入りしてないな。おそらくC社が配膳も請け負っていたと思うぞ。営業の◯◯知ってるから聞いといてやるぞ。」

「急ぎなので自分で電話します」

「そうか、じゃ、俺の名前出していいぞ」

最後の最後でようやく会話のキャッチボールが成立した。

『電池切れ』はこれからも使えそうだ。

あざす、と言ってさっさと電話を切り、すぐさまC社の担当に連絡した。大道具は専門の業者が請け負っていて、NG。もしカクテルを作れるのなら、ウエイター枠は一人空いています、ということだった。元、銀座のいかさまバーテンダーのこのオレをなめるな。銀座の店でバーテンダーをしていました、といって、シャンパンを出すウエイター件バーテンダーとして、イベントが始まるまでは物販も手伝うという条件で潜りこむことに成功した。

 銀座での時給の相場は1300~1500円だが、最後に出された条件、『時給1000円』の壁を乗り越えている暇はなかった。

 イベントは今週末、金土日の3日間。サキコは最終日、日曜の昼に出演する。


オレはブランドものに対して無知だ。無知は命取りだ。金曜日、イベント初日、派遣されたイタリアの高級ブランド、そのブティック、見るのも恐れ多い銀座の本店にいくと、そのギラギラ感に圧倒されてしまった。ウインドウに飾ってあるジャケットを見て、こんなもの誰が着るんだと思うほどギラギラしていて、派手という概念を越えていた。目眩がして、脂汗が流れた。3日間も持つかな…。不安がよぎったがここで作戦を諦めるわけにはいかない。

 社員通用口、警備員に入店許可証を見せ、まだ誰もいないフロアでさっきのジャケットの値段を見てみた。150万円…。イタリア人はみんなこんなものを着ているのか、大量の汗をぬぐうのに永ちゃんのバスタオルが欲しかった。

 クロコダイルの1000万円のバッグを見ると本当に不況なのかと疑問に思った。

 配膳道具の搬入まで、まだ少し時間がある。簡単なストック整理を手伝うよう指示された。高額帯のブランドらしい綺麗なおたたみ、お包みなんかできるはずがない。頼まれた物を運んで棚にしまうだけだった。

 ストック作業をしていると、たったの3日間とはいえ最低限の人付き合いしかしなくなっていたこのオレが再びこういう人が集まる場に来れたのも運命のような気がした。気分の浮き沈みがあって、調子のいい時は水商売だってできたが、一度気分が陰へ向かい出すと家を出られなくなっていた。いやらしいくらいに相手を持ち上げるという点で水商売とアパレルは似ていて、究極の接客業と言えよう。そんな場に戻って来れたのが、精神が調子のいい時期でよかった。

 スーツ、ジャケット、皮ジャン、デニム、靴、レディースはドレスやバッグやアクセサリーのあまりのゴージャスさに、本来の目的が飛んでしまいそうだった。いけない、いけない。頭は冷静に、冷静にだ。少しでもサキコに接近するのが今回の目的だ。そのためにも初日から周囲の情報には耳をすませよう。

 水を飲んで少し気を落ち着けると、店の奥から聞こえてくるひそひそ話に空気感染したようだった。

「今年もこの時期がきたねぇ」

「不況でも毎年恒例だしね」

「マスコミもよぶし、芸能人も来るらしいじゃん」

「中止するわけにはいかないよね」

「そこのカレ、かわいい娘がいても、手出しちゃだめよ」

突然話をふられてビビった。

そうオレをからかったのは女性スタッフではなく、日本人ながらオーランドブルームにそっくりのゲイのスタッフだった。

「そ、そんなことできるわけないじゃないですか」

何かを見透かされた気がして一瞬動揺した。動揺してさらなる脂汗をかき、拭った手を制服で拭いた。


 このブランドショップのヘッドカウントは全部で十二名ほどのようだ。性別上は男性七名、女性五名に見えるが、男女共に中性的な人間が多く謎だ。おそらく七人の男性中、カミングアウトしているゲイが三人で、二人は隠れゲイ、残る二人は不明だった。ゲイブランドの代表として名を馳せるこの会社の中では、ゲイでなければまるで人間じゃないかのような扱いをされることもあるそうだ。同時にゲイは繊細で意外に奥手で相手がノンケだと知ると手出しするどころか、仲間外れにすることもあるとJ氏に聞いたことがあった。ゲイはゲイ同士つるむ方が心が通じ合うのだ。

「あんたノンケでしょ」、オーランドブルームのあまりにも唐突な切り出しに、一瞬自分がどちらなのか分からなくなって焦った。「はい」という前に、「あんた、男の目をしてるわね。ゲイかどうかは瞳の奥を覗き込むとわかるのよ。」オーランドブルームが真っ正面に立ちオレを見つめたので、蛇に睨まれた蛙のようにたじろいでしまった。

 性別上の女性は五人いて、男性もそうなのだが、以外にも年齢層が高いことに気が付いた。アパレルと言うと若い娘が渋谷で派手な服を売る姿を想像してしまっていたが、ここは銀座のブランドショップ本店、富裕層を相手にする最高峰のアパレルブランドだ。よって年齢層は30代の前半から半ばに集中しているようだ。

 女同士の会話を聞いていると面白い。「なによ、あの鬼婆」と小声で言ったかと思えば、本人の前では、「どうしてそんなにお肌がツルツルなんですか〜」と媚を売っている。鬼婆と呼ばれる40手前のお局に媚を売っているのは、どうやら新人のようだ。オレとストック整理を共にしたのが、この不況下では珍しい二22歳の新卒で入社した、ヤクザの組長をパトロンに持つと自負する生意気な女だった。外資のアパレルショップでは経歴の長いものが常に先輩であり、年下であっても敬語を使わなければいけない。ましてや単発のオレはツンとしたその子に絶対服従なのだ。

「頼まれたストックは全部片付きましたが…」

 新卒に作業終了の報告をすると、

「まだやってたの、遅すぎるわよ、不器用すぎじゃないあんた」

屈辱だった。立場があるといえどもね。

 次の一言でオレは誰もいなくなったストックルームで200万のレザージャケットをビリビリに裂いてやろうかと思った。

「あんた、ほんとにドンくさいわね」

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