第6話 縛られる緊張のオーガズム
開店前は清掃、ストック整理。開店後はイベントが始まる昼過ぎまで配膳の準備。イベントが始まったらシャンパンサービス。有名人が来ない前夜祭のような金曜日の盛り上がりはイマイチだったが、本番は土日だ。
イベント2日目の土曜日、休憩時間、配膳係もお邪魔する控え室でゲイ同士のランチに遭遇した。
「専務より部長の方が絶対にデカいはずよ」、真昼間から男性器の話で盛り上がる。想像したくないが頭に絵が浮かんでしまう。ひょっとしたらこのブランドにノンケは一人もいないんじゃないかと疑心暗鬼になる。ブランドの創業者、イタリア人デザイナーがゲイのため、レディースも人気だが、本当は、「ゲイによる、ゲイのための、ゲイだけのブランド」なんじゃないかと錯覚させられる。
一般客も遠目から見ることができるイベント2日目、土曜日、シャンパングラスを見事に割ったが、カウンターの中で誰も見ていないのをいいことに、さっと片づけ知らんぷりした。名前が出てこないが、テレビでよく見る顔ぶれがいて、イベントにもスタッフにも活気が出てきた。1000万のバッグになるために殺されたクロコダイルが、『不況なんか吹っ飛ばせ!』、そう言っている気がした。
ついに来た!!サキコが登場するイベント最終日の日曜日、新作発表パーティー本番だ。今日は続々と有名人が参加予定だ。昨晩、夜9時に布団に入ろうとしたオレを見て、妻は呆れていた。
朝、諸々の準備のため、オレ一人だけが1時間前の出向を命じられた。金縛りに合いまくり、まったく寝付けなかったオレは眠い目をこすりながら一人孤独に掃除をしていた。納品処理を終え、案内板や、ディスプレイの員数チェックが終わり暇を持て余していたオレはカウンターのパソコンで裏アゲサゲというアダルトサイトを見ていた。パソコンをミュートするのを忘れ、コンマ何秒かAV女優のあえぎ声が店内に漏れてしまったその時だった。
「おはようございます、本日はよろしくお願いします!」
(こんな早くに誰だ?)
慌ててネットを閉じカウンターの外に出て挨拶をした。
「はっ、はじめましてよろしくお願いします」
そう挨拶をしながら顔を上げると、鼓動が停止した。
そこにいたのはサキコだった。
オフィスの担当に連れられ、内巻きにしたロングヘアーをフワフワさせ、洒落た水色のバッグを手に下げ、スプリングコートの中は花柄のワンピース姿でその長身美女は現れた。
その笑顔を見た瞬間、オレは心の奥底の開けてはいけない扉を開けたのではなく、開けてはいけない宝箱を手渡された気がした。宝箱を手にしているのに、鍵がないといった状態だった。わかるかな、確かに手にしているのに、この手の中にあるのに、肝心な鍵がないのだ。もし鍵穴を見つけたとしたら、過去と現在が一瞬でクロスオーバーしてファイヤーしそうな想い出の宝箱が心の奥底から飛び出してきて、この両手にずっしりと乗っかっているかのようだった。「決して開けてはいけない、お前には開けられない」、そんな御触れが施されているようだった。
オレはビデオやDVDやブログやHPで現在のサキコを知っている。しかし15年も会っていないオレにサキコが気付くとは思えない。ましてや現在の仕事柄、自分の過去を知る人間に気安く声をかけられたくもないだろう。
オレは名前を名乗らず下を向き、「飲み物でもお持ちします」と何が飲みたいかも聞かずに、ストックルームに逃げ込んだ。
頭はパニックだ。落ち着け、とりあえず落ち着け、頭を整理しろ。予定通りじゃないか。サキコに会えたじゃないか。この運命の再会を物語にしたかったんだろ、小説家を目指して最後のチャンスに掛けて、エネルギー燃やして全力で書いてコンペに出したいんだろ、そのためにストーリーそのものに自分がなろうと決めたんだろ。サキコは今は有名人だがもとは単なる幼馴染じゃないか、本社の人間がいなくなった隙に、よお、久しぶり、元気か? それでいいじゃないか、それともこのまま黙ってストックルームに隠れているか、神様が再会のチャンスをくれたのかもしれないぞ、いやそんな大げさなことではないんだ、再会したからと言ってどうなるわけでもない、AV女優って大変だな、お前のビデオ見たよ、とでも言うのか、それとも一回ぐらいたのむよ、とでも言うのか、バカ野郎、落ち着けとにかく落ち着け、口から飛び出しそうな心臓を再び飲み込み、オレはストックルームの中からドアに耳を当てて開店前の空調の音だけがスーッと響く妙な静けさに包まれているフロアの声を聞いた。
サキコはこのイベント出演をきっかけにショップアドバイザーになるというのだ。
オレは緊張のあまり2歳~10歳までしか発作が起きないと言われている自家中毒を発病させ嘔吐しそうだった。
オレはいつもポケットに万が一のために忍ばせておいた鎮静剤のロキソニンを2錠生唾で飲み込み、ドアにぴったり張り付き、心拍を落ち着かせて会話の続きを盗聴した。
どうやら、サキコを撮り続けているAV監督Tがもともとこのブランドの大ファンで彼女をよくこの銀座本店に連れてきていたらしい。税金対策もあるのだろうか。ワンピースが25万という高額帯にも関わらず、衣装代として領収証を切り、彼女に買ってあげていたようだ。もちろん下着もそうだ。カタログで金髪の白人モデルが身につけると芸術的でセクシーだが、日本人がつけるといやらしいだけの下着もそうだ。
サキコは以前雑誌で『AV界の異端児、第二の飯島愛』と称され、このブランドのモデルをやったことがあった。それがきっかけで本社の人間との付き合いが深くなり、今日のイベントのゲスト、そして今後はショップアドバイザーとして不定期ながら店に来るというのだ。(まじかよ)
もしオレがここで引き続き働けたら、またサキコに会えるのか、そんな打算と共に驚きで心がかき乱された。サプライズ、ハプニング、デスティニー、サドンデス…それを言うならサドンリーだ、この状況を最も的確に表す英単語を探したが見つからなかった。
オレがドアに張り付き目を見開いて盗聴していると、後ろから背中をポンッと叩かれ飛び上がった。
「なにやってんの? 掃除終わったの?」
「いっ、今、ストックルームをやってます」
ストックルームの裏口から社員が入って来るのを忘れていた。冷や汗をかきながらじっとりと汗ばむ耳を貼り付けていたドアを拭いた。
おかげでやや現実に引き戻された。
お局は「どこぞのモデルか芸能人か知らないけど、やるからにはちゃんと宣伝してほしいわよ」といいながらフロアに出て行った。
ブランド物を売る女は気が強い。本当に気が強い。経歴を重ねれば重ねるほど芸能人やモデルや医者や弁護士や各界の著名人やヤクザと接する機会が増え、肝っ玉は据わる一方だ。モデルの一人くらい、驚きもしない。気が強くなければ靴に画びょうの世界、ゲイは意地悪だし、それでなければ性同一性障害しかいないこんな世界ではやっていけない。
その後続々とスタッフが出勤してきた。本社の人間が「今日のイベントに参加してくださいます、モデルで女優さんの〇〇さんです」と紹介し、若い女子たちは「生で見ると本当にお綺麗ですね、握手してください~」と駆け寄っていた。
その光景をオレは遠くから眺めていた。
美人は3日で飽きると言うが、3日で飽きるようなら本物の美人ではない。サキコは「本物の」美人になっていた。もともと顔が小さくスタイルがよく、地味と言ってもそれは中学の時の発育途中の話であり、大きなお世話かもしれないが、オレは脱がなくても十分にやっていけたんじゃないかと思っている。やっぱり監督が見抜いたように、地味な娘ほど変身した時の振り幅がでかいのだ。サキコの場合、AV女優だからといって普段からいやらしいオーラがムンムンというわけではないのでなおさらそういうところがファンを掴む。女に興味のないゲイたちはサキコがAVをやっているとは知らず「今回のモデル、まあまあ綺麗じゃん」と横目で見ながら、本社のマッチョな男性社員のケツばかり見ていた。
笑顔で挨拶するサキコをスタッフたちが囲み、マネージャーが朝礼を始めた。オレは180cm以上あるオーランドブルーム似のゲイの後ろに隠れていた。サキコの少し鼻にかかったその優しい声を聞き、思った。中学の頃と変わってないな…。デビュー作と2、3作目までしか見ていないが、その中で彼女は清純派、且、長身美女として、ほぼそのままのサキコで出演していた。しっかりとした演技は求められただろうが、過剰な演技はないのだ、というよりまだその頃は体当たりの状態で演技まではいっていなかったのかもしれない。あれから何年もたって出演作も増えると、続きが見たくなったのも確かだ。彼女のプロ意識は演技力も上げているだろうし、この優しい声が絶叫に変わるのだろうかと考えたりもした。
「え~本日のイベント、最終確認ですが―」、元気よくダミ声で説明を始めるマネージャーの声はノイズにしか聞こえなかった。オレの中にサキコの声が身体中に染みわたっていた。店内に流れるジャズの女性ヴォーカルと差し替えてやりたいと思った。彼女はこのブランドの一押しである豹柄のハイヒールを履いていて、見下ろされる男性スタッフも多かったが、みんなサキコの人懐っこい笑顔に好感を持っていた。
もしブログやHPで現在のサキコを見ていなかったら、オレは彼女と気付かなかったかもしれない。美人になったな・・・心の中で何度もそう呟いた。幼稚園の頃を思い出したり、一緒に入院した時のことを思い出したり、一人勝手にセンチメンタルになっていた。そして女にはブランド物の一つや二つ、買ってやるもんだなぁとぼんやり考えていた。
ダミ声の説明が終わり今日の大まかな流れ、トリの演出などもなんとなくわかった。オレはどうせ裏方だし適当に来客にシャンパンを出し、疲れたらストックルームに隠れていようと思った。
スタッフそれぞれが散らばり、全員で開店の準備が始まった。洋服をたたみ直し、ディスプレイのチェックをし、「今日ほかにどんな有名人来るのかな?」、「あの俳優さんも来るらしいよ」、「きゃ~マジで」、と目をキラキラさせているゲイもいて、イベントってこうやって出来上がっていくものなのだと実感した。
ぼんやりとしていた意識が徐々に戻ってきた。各々が散らばった後、オレはサキコに声をかけようか迷った。ラグジュアリーブランドのスタッフは有名人に馴れている。まるで対等な立場かのように挨拶を交わす。サキコは関係者と話し込み、こちらに気付く気配はまったくない。ドキドキしているのはこのオレだけなのだ。むしろ15年も会っていないのだからこのオレだとわかるはずもないだろう。もしかしたらオレが勝手に淡い思い出を引きずって、コンペだか何だかわからないストーリーを勝手に書いているだけで、幼馴染だという記憶さえないかもしれない。
サキコが”ひとり”になった。2階のレディースフロアを見終わり、1階奥にあるネクタイのコーナーにいる。彼に記念に買っていこうとしているのだろうか。「関取にそんな細身のタイは似合わないぞ」、と言ってやりたかった。他の男か、それともお世話になっている監督Tにプレゼントするのだろうか。オレには分からない。今日のイベントを盛り上げるため、今後アドバイザーとしてメンズ商品も知っておかなければいけない、そう思っているのだろうか、何やら真剣だ。しばらくするとサキコは近くの女性スタッフに声をかけた。
「誰かちょっとだけ練習台になってもらえませんか?」
サキコは男性にネクタイを結んであげる練習をしてみたいと言い出したのだ。
オレはとっさにストックルームに逃げようとして背を向けた、その時だった。
「ヨシカワくん、ちょっとお願い!!」
後ろから心臓を一突きにされたようだった。
サキコにネクタイを結んでもらう、練習台になれと呼ばれたのだ。
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