第3話 絡みあう伏線

 サキコの出演するAVに衝撃を受けて以来、いつも頭の片隅にサキコがいた。あれはそっくりさんなんじゃないか、とか、実は妹がいたんじゃないかとか、画面いっぱいに繰り広げられる様々な行為のことをぼんやりと考えていた。同時にそんなサキコのことを頭から消す努力もした。考えないようにすればするほど頭の片隅からサキコが消えず、より強く脳を侵食する勢いで駆け巡ってしまう。AV女優になろうが何になろうが人なんてふとしたきっかけで変わってしまうものだ。オレたちのような田舎者は一度東京に出れば新しい自分になれるし、過去なんてくそくらえ、変身のチャンスなんかいくらでもある。「東京デビュー」、「大学デビュー」と言うようにまったく新しい人格で人生をやり直すことだってできる。微妙な秋田なまりでさえひた隠す者も多いわけだ。このオレがそうだったし、いじめられっ子だった同級生が真っ赤な髪の毛とピアスで肩で風切って渋谷のセンター街を歩くのも見かけた。

 しかしなぜサキコはAVでなければいけなかったのだろう。モデルすら目指すようなヤツじゃなかったサキコがよりによってなぜAVだったのか。『うぶ』と題されたそのデビュー作を見て、思わずオレが取ってしまった行動を思い出すのも嫌だ。そして周りの連中もきっと同じことをしているのだろうと想像すると、さらに気分が悪くなった。そのロケ地が東京ではなく地元の動物園の裏に広がるオオモリヤマ動物公園であったのは一目でわかった。しかも同じく秋田出身の大物AV男優が相手役で、十分すぎる衝撃のデビュー作だったのだ。

 そのオオモリヤマ動物公園で中学一年の時、宿泊研修というキャンプがあり、オレとその仲間たちは話しやすいサキコのテントに行って、サキコをおとりにマドンナだったシバタと仲良くなろうとして、担任に見つかりゲンコツをくらって、以降テントから外出禁止令を言い渡されたのだった。

 初恋はあくまで初恋であり、幼馴染はあくまで幼馴染だ。額縁にでも飾っておきたい淡い思い出であり、時が経てば思い出の切れ端の曖昧な関係性に過ぎない。オレはオレで今まで何人もの女と出逢い別れ、その中で今の妻に出逢ったのだし。

 しかし今年で30になろうとしている今、15年振りにサキコとの連絡がつながるきっかけは、このオレ自身が作ったわけだ。幼馴染であるというアドバンテージを利用し、何としてでもコンペに出す作品を書き上げたかったのは事実だが、純粋に大人になったサキコにもう一度会ってみたかった。30歳という年齢は、センチメンタルだ。

 コンペ以前から書いていた小説の登場人物である創造上のヒロインに、オレは強烈な輪郭を求めていた。それがサキコになるわけだから、モチベーションは上がる。しかしいつも自分のことはすらすら書けるのに相手のことはうまく書けない。想像力の欠如だ。ここを超えられるのが本当の作家だ。

 サキコというヒロインに何を求めるのか、どう再会してどんな話をしたいのか、なぜこれほどまでに会いたいと思ったのか、コンペのためか、初恋の相手だからか、幼馴染だからか、サキコに会うことによってストーリーが生まれるという下心か、きっとそれ以上の何かがあるのは間違いない。遠くから聞こえてきそうで、すごく近くに感じる。

 そのどれもが真実であり、虚構なのかもしれない。


 オレの名は吉川秀樹、職業は小説家だ。

 いつか本当にオレが書いた小説が世に出たらそう書き出してみたかった。つまりオレは残念ながら自称小説家であって、本来の姿は小説家を目指す単なるフリーアルバイターだ。サキコ同様、秋田の片田舎で生まれ、父は国語の教師で母は専業主婦、三つ上のダウン症の姉がいる。10年前、20歳の時に母は癌で死んだ。毎年命日が近くなると、法事とは別に、父と水入らずでひっそりと母を偲ぶ会をする。場所は決まっていて秋田の歌舞伎町と呼ばれ、北海道で言うとススキノである、川端という繁華街へ繰り出す。繰り出すと言っても自転車で行ける距離で、秋田の歌舞伎町と言っても賑わいはその百分の一にも満たない。日本海からの風が吹きすさぶ場末のスナック、母はそのスナックのホステスだった。父はその店の常連でいつもカウンター越しに母を口説いていたそうだ。その事実を知ったのは、母の葬儀が終わって一段落した後の偲ぶ会だった。御歳70になる父の薄い白髪は抜け落ち、酔っ払ってカウンターで寝てしまい、寝言のように母の本名と源氏名を交互に繰り返していた。当時を知る三代目のママが、さすがにオレも動揺する年ではないだろうということで本当のことを教えてくれた。

 オレの祖父、すなわち母の父親がダメなやつで、オレが生まれる前に多額の借金を残し蒸発したそうだ。母と祖母で必死に返済していたが、それを肩代わりしたのが、国語の教師で弱い者の味方の金八先生のような父だった、というわけだ。

 母がホステスだったことやそんな過去があったことなどに多少の驚きはあったが、今となってはむしろそのカウンター越しの愛を祝福してやりたい。母がもし、迫る父との関係を拒んでいたら…今ここに《オレ》は存在しなかったのだから。

 人生って不思議だ。両親が出会ったから自分が存在すると大抵の人は考える。でももし自分自身がどうしてもこの世に生まれたくて、両親を出会わせた…そう考えると、生きなきゃなって思えたりもする。つまらない人生をあてもない未来から逆算して考えると、過去を頼りに生きることほどくだらないものはない。今この瞬間ですら0.1秒後には過去になり記憶の中に葬り去られる。記憶は好きに書き換えられるものだし、「今」を認識したこの瞬間から人生は始まっているのかもしれない。

 カウンターで酔いつぶれて眠る父に毛布をかけてあげるママの気遣いは場末のスナックらしくて好きだ。


 オレは学費や家賃などすべてを父に負担してもらい、十分な仕送りももらっていた。無事に私立の四大を卒業したが、職には就かずアルバイトを転々としながら小説を書いていた。

 スナックのホステスであった母のDNAを受け継いでか、水商売の才能があったオレは自然と夜のアルバイトをするようになった。何度かトライはしたもののホストクラブのような騒がしいところは苦手で、落ち着いた雰囲気の銀座のクラブで黒服のアルバイトをした。授業にはほとんど行かず大学生活の大半を銀座の夜で過ごした。父が母を水商売から足を洗わせたように、当時23歳の若いオレを拾ってくれたのが今の妻だった。

 自動車会社に勤続年数15年になるOLの姉さん女房、彼女は当時小説を書くオレを原石と見たのだろうか。いや、フラフラしているこの若者をなんとか更生させたいと思ったのかもしれない。妻となんとなく付き合い始めたおかげで、オレは夜の世界から足を洗おうかなどと考えるようになった。銀座のクラブと言っても本当の意味で高級クラブはほんの一握りで、大抵は、動物園だ。

 妻との出会いは渋谷の整体治療所の院長が主催するサークルだった。バイクやスポーツや音楽を共に楽しむ会、『第一興行』という集まりで多種多様の人材が集まっていた。興行と言っても芸人がいたりイベントを運営したり営利目的で何かするわけではない。職業や年齢性別問わず気が合えば誰でも加入でき、様々な人種と人生に触れ合える刺激的なサークルだった。そう書くとなんだかとても健康的でさわやかな感じがするが、言ってしまえば単なる大人の合コンサークルである。なぜ『第一興行』というネーミングなのかその理由を聞いたことがあったが酔っ払っていて忘れた。ツーリングやフットサルもするが、そのサークルの中心的活動は男女混合のバスケットボールで、そこで妻と同じチームになったのがきっかけだった。そのチームはユニホームの胸に『第一興行』と大きく刺繍されていて、大会に出る度に相手チームに「お笑い志望なんです」と売り込まれて迷惑した。

 学生の頃から銀座に通い、政治家やヤクザを接待すると、自ずと同い年の学生が異常なまでに子供に見た。大人の世界を知った気になったオレはいつも背伸びをし、仲良しごっこのくだらない学生サークルではなくて『第一興行』のみんなとよく遊んだ。遊んでもらったと言った方が適切かもしれない。社会人サークルであったため自分以外はほとんどアラホーだった。十歳近く年の離れた人間とつるんでいるといろんな方面の刺激的な話が聞けるし、最年少のオレは可愛がってもらえた。

 今でもはっきりと覚えている。5歳年上のOLの妻は、知人の紹介でその『第一興行』にオレよりも後に加入してきた。初めて逢ったのはある日曜日の午後、港区の体育館だった。新入りの癖に挨拶がなかったのにイラついた記憶がある。そんなとんがりな発想自体学生っぽくて馬鹿げているのだが、のちにそれはオレを意識していたからだと妻は言った。そんな出会った頃の話をしたのはそれから約6年後、入籍の手続きをするために市役所のカウンターで順番待ちをしている時だった。

 入籍したことは周りのみんなからは呆れられていた。反対されるのを通り越し呆れられていたのだ。妻はしっかり者だが問題はこのオレだ。なぜならオレは無職だったからだ。たまに仕事が入れば出勤するだけの、微々たるアルバイト収入しかなく、貯金もない。結婚式も披露宴もなく、親を紹介し合った食事会が精一杯だった。オレは小説を書き続けてはいたものの、応募しては落選し、出版されるわけでもなく当然収入がない。それ以前に、もうどうすれば小説家になれるかもわからず路頭に迷っていた。才能がないから認めてくれるパトロンもいない。唯一の存在が妻だったのだろう。自動車会社ではなく出版社に15年間勤務してくれていたらよかったのにと卑猥なことを考えた自分を最低だと思った。

 生活はというと大学を卒業するまでは仕送りに頼ることができたが、卒業後はそうはいかない。黒服で鍛えたはずの接客は昼の仕事にはマッチしなかったのだろうか。体調も崩すことが多くなり、第一興行も辞め、みるみるうちに体力が落ちていき、どのアルバイトも長続きしなかった。一人暮らしの家賃5万円が払えなくなり、公共料金の督促状は当たり前、妻と出会って3ヶ月後に彼女の家に、枕と中上健次の19歳の地図を持って転がり込むしかなかった。そんな生活が5、6年も続くとさすがに便宜的な諸所の問題もあり、入籍した方が効率がいいのではということで、妻がオレを説得し入籍を決断したのだ。

 妻がオレを住まわせてくれたのは家賃15万円、川崎駅から徒歩5分、オートロックで壁は打ちっぱなし、2LDKのデザイナーズマンションだった。

 そしてそこは妻が元旦那と5年間愛を育んだ場所だった。

 その元旦那がS氏だったのだ。


 当時オレは旦那であるS氏の悩みを聞いてあげていた。それは彼女と話すうちに、旦那が大手出版社の宣伝、広報担当であると知り、コネを持ちたかったからだ。

 旦那は様々な売れっ子作家たちを担当していて、広告代理店との繋がりも深かった。仕事が忙しい上に、女遊びと酒癖がひどく、妻は耐えられなかったそうだ。仕事ができる男は遊びもできるなどとのんきなことは言っていられない。妻も心のよりどころが欲しくて手軽な若いオレと気軽に遊べると思ったのだろう。S氏は恋愛相談役のこのオレが浮気相手になるとは思ってもみなかっただろう。自分が浮気をしている時は相手もしていて、相手がしている時は自分もする、実に面白い。男と女は常にフィフティーフィフティーだ。

 仕事か女かオレの知ったことではないが、いつも旦那は明け方に帰ってくる。旦那がいない昼間にマンションに上がり込みセックスしていた。たまたま会社が近くにあり、妻は仕事中に抜け出してくるのがうまかった。旦那の汗が染み込んだダブルベッドに若いオレの汗の匂いが重なり妻は二重の興奮を感じていたのだろうか。

 いつもなら帰ってくるはずのない夕方7時に旦那が帰って来てしまい、はち合わせる修羅場があった。他に女を作り帰って来ないくせにどうして妻が他の男と寝ると怒るのだろうか。確かに気は動転するよな。たまたま下着を取りに来た旦那が、玄関でオレの高校生の内履きのようなスニーカーを見て「誰かいるのか!」とリビングに入って来てオレと顔を見合せた。妻は開き直り取り繕う様子を全く見せなかった。その時裸でなくてよかったと思った。すでに2回のセックスを終え2人ともソファで煙草を吸っていた。旦那はオレに迫り、オレはソファを立ち上がった。旦那はオレの胸倉を掴み殴った。オレは自分の鼻血を拭った右手で旦那の顔ではなく脇腹を殴っていた。頭に血が上っているのは確かだがお互いに本気で人を殴った経験がないというのがわかった。まるで開き直った妻が殴るシーンの台本を2人に手渡し、2人の大根役者が演じているかのような静けさだった。互いに1発ずつ譲り合うように殴り、それ以上ののしるわけでもなかった。「昼ドラのようなこんな修羅場が本当に存在するんですね」と世間話のような感想を言い合えそうだった。オレは殴られた鼻に広がるぬめった違和感と殴った右手にあばらがめり込むような感触があったが、うずくまる旦那に救いの手を差しのべたいとも思った。オレはそうしなければいけないというラストシーンのように妻の手を引き、家を飛び出し、どこまでも逃げ、新幹線に乗り込み、ゆくあてもなく北へ北へと向かい、たどりついた宿でまたもや燃える夜を過ごした・・・というのはオレが2人の家にあがりこむスリルから考えた当時のつまらない小説の出だしだ。

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