第2話 股を開いた理由
サキコは19歳でスカウトされてAVの道へ進んだ。地元の工業高校を中退したものの、担任のせめてもの紹介で、東京のとあるスーパーに就職したのだ。ひたすらレジ打ちの毎日、1カ月の給料はたったの10万、独り暮らしなど到底無理で、6畳一間、相部屋の社員寮生活をしていた。6畳一間をシェアするなんてオレには信じられない。仕切りもカーテンもなく、自分の部屋でオナニーすらできない。休日行くあてもなく歩いていると、新宿駅の南口で怪しい男に声をかけられた。「君、モデルに興味ない?」だそうだ。ベタだが本当にそう声をかけられたのだ。オレオレ詐欺と一緒で、そんなの現実にあるわけないだろという場面に出くわすと、人はそれを脳内で統合せざるを得なくなるそうだ。だから医者や弁護士や東大連中がこぞってオウムに入信した。地味でおとなしくスーパーのレジ打ちが似合うようなサキコは、その時どうしていかにも怪しい男の誘いについて行ったのだろうか。やっぱりその原理と一緒なのじゃないかと思う。難しく考えすぎだろうか。単純に休みの日までルームメイトや社員に顔を合わせなければいけない息苦しい現実から逃れたかっただけだったのかもしれない。窮屈で退屈で屈辱の日々から脱却したかったのかもしれない。サキコの長身からすれば、読者モデルくらいであれば化けるところを想像できなくもなかったが、顔というより存在そのものが地味なサキコが人前に出るモデル、グラビアというだけで驚きだった。そんな彼女が人前でセックスをするなど想像することもできなかった。
喫茶店で男がさらりと言う。
「グラビアもやってるけど、うちの事務所、ぶっちゃけAVもやってるんだよね、君、AVとか興味ない?」
モデルにトライしてすぐのことだった。素人だし表情やポーズがぎこちないサキコを売り飛ばしたかったのかもしれない。スカウトしたからには金にしないともったいないと思ったのかもしれない。事務所の社長の先見の明だろうか。その業界で有名なAV監督Tに紹介したというわけだ。
「君、セックスは好き? 経験人数は?」
サキコは答えに詰まる。監督は何を見抜いたのだろう。地味な娘ほど化けた時の振り幅が大きくなるとでも言いたいのだろうか。インスピレーションですぐさま『K・M』という芸名を付け、大手AV制作会社との契約を交渉し、デビュー作のロケ地までその日のうちに決めてしまったそうだ。(一部自伝参照)
『K・M』はこれまでに約100本以上の作品に出演している。新作発表のサイン会の日には秋葉原がラッシュになる。イベントやラジオなどのメディアにも多数出演し、全国を飛び回ることもある。撮影は多い月で10本、3日に一回の過酷なペースだ。20代半ば以降はさすがにペースを落としたが、当然ながら十分な大金を手にしたわけだ。生活にもゆとりができはじめ、サキコはお母さんに仕送りし、空いた時間には小説を書きはじめ、雑誌や新聞のコラムでもよく見かけるようになった。解説を書いた芥川賞作家が言う、
「AVファンには悪いが彼女には文才がある」
彼女の自伝は10万部を突破している。
サキコがAV女優になったという噂は今から10年前、彼女がデビューした半年後、帰省した時に地元の友人から聞いた。オレは信じなかった。
幼馴染という定義がどのくらいの密度を要求するかは知らないが、オレたちは幼稚園の年少から中学を卒業するまで一緒で、母親同士も仲が良かった。
オレは今までAV女優をモノとして考えた事しかなかった。性欲の対象と言うより、挑発的なパッケージとその映像の中にだけ存在する人形のような存在だ。脳科学的にも証明されている。男性が性欲の対象を見る時、働いている脳の部位は、目の前の机や椅子、本当に物を見る部位で認識するのだ。それが行き過ぎるからこそ、残虐な行為に至る者がいる。
アダルトというジャンルは近年あまりに細分化され、満たせない欲望はないのではないかと思わせるほどの数が店頭に並び、ネット上に溢れかえる。よってその女優が実在し、普通の生活を送る一人の人間なのだということまで考えることはほとんどない。反対にどんな私生活を送っているのかということに興奮する男もいるだろうが、どんな卑猥なことをカメラの前で繰り広げようと、汚物にまみれようと、その身体が切り刻まれようと少なくともオレには関係ない。
つまりそのAV女優が幼馴染のサキコでなかったら、どうだっていいことなのだ。
オレは先に《モノ》といった。それは明らかに偏見だ。しかし自分が幼い頃から知る人間をAVで見てしまった瞬間の、あの複雑に入り組んだこの気持ちをオレは誰にどう伝えればいいのだろうか。
サキコはオレの初恋の相手だったんだ。
10年前の出来事だが今でもはっきりと覚えている。自分が知っている女がAVに出演していると聞いて、男として当然の行為、女からは最低の行為に走った。オレは友人からその噂を聞いて、そんなわけないだろ、と聞き流したふりをしてそいつと別れてすぐに田舎のレンタルビデオ屋に駆け込んだのだ。あれほど慌ててアダルトコーナーに駆け込むバカな奴もいないだろう。田舎で気をつけなければいけないのが、レンタル屋が少ないうえに、店員が知り合いだということだ。たまたまその日は休みだったようで、驚くアルバイト店員を尻目にR18の暖簾の中へ駆け込んだ。いつもなら真っ先にフェティッシュのコーナーに行くが、その日は女優名五十音順に並ぶ棚をくまなく探した。
目をひんむいて、芸名『K・M』を探す。苗字は漢字で名前は平仮名だ。〈新作〉のコーナーも〈ジャンル別〉のコーナーも〈メーカー別〉のコーナーも〈監督別〉のコーナーもあさったが…なかった。安心でも期待でも不安でも裏切りでもない感情が心拍を完全に乱していた。ほら、やっぱり噂だっただろ、と自分をなだめた。火のないところになんとか、という諺がテロップのように頭を流れたが、二件目のレンタル屋に行こうとは思わなかった。
レンタル屋になければセルビデオ専門店に行けばあるかもしれない、とその時は思いつかなかった。
田舎のレンタルビデオ屋の嫌なところは、ビデオに埃が被っているところである。
サキコがAV女優になったという噂が本当であれば、彼女の身に一体何があったのだろう、その時のオレは一人考え込む羽目になった。
北の国から98、「秘密」のように、たった一度の過ちにしては出演作が多すぎる。
10年前はインターネットで検索するという行為がそこまでメジャーではなかった。オレが浪人生で貧乏で寮生活でPCがなかったということもあるが、とにかく詳しい奴に聞くしかなかった。当時オレは高校を卒業して大学進学とともに上京したと言いたいところだが、受験した13校すべてに落ち、予備校とその寮に入る形で上京させてもらっていた。日本橋浜町にある青雲寮という元社員寮は、首都高速のすぐ脇にあって、とてもじゃないがうるさくて勉強に適した環境ではなかった。同じ予備校の30人余りの浪人生が缶詰にされており、一人ひとりにサキコの芸名『K・M』を聞いて回ったのだ。そのためだけにドアをノックして回った。サキコがデビューして間もなかったこともあり、その名を知る者はまだ誰もいなかった。七階まであるその寮の上から順に回ってくるエロ本の新作情報もくまなくチェックしたがやはりその名前は見つからなかった。
翌年、10校を受験し滑り止めのみに合格したオレは晴れて大学生になった。 上京して二年が経ち二十歳になっていたし、サキコのことも忘れかけていた。
「男同士打ち解ける最短方法は性癖を熱く語り合うことだ」、大学に入って初めてできた友人の言葉だ。そう言い張る彼からランダムに借りたAVを見ていてオレは右手が止まった。
そこにいたのは紛れもなくサキコ本人だったのだ。最後に本人を見たのは中学の時だったが、面影があり過ぎてオレは泣き出しそうになった。
「お前、この娘知らないのか? 超売れっ子だぞ」
手にしたばかりの携帯ですぐさま友人に電話した。「俺が一番好きな女優だ、楽しめよ」とも言われた。
「実はオレ、幼馴染なんだ、幼稚園の年少から一緒で彼女の実家も近くて母さんも弟さんもよく知っていて、ガキの頃一緒に水風呂に入ったこともあるんだ」と言ってもサイン会の常連である彼は信じてくれなかった。
サキコと最後に喋ったのがいつだったのかという記憶はない。幼稚園の時は実家にある写真を見る限り年少と年長で確かに同じクラスだった。小学生の時は卒業アルバムを見ると1、2年生と5、6年生で同じクラスだった。
小学生の頃はまだ異性ということを意識することもなく、放課後一緒に遊んだり、男友達を連れてサキコの家によく遊びに行ったりした。サキコの家は借家でお父さんはいないと聞かされていた。サキコの家に行くと決まってのどを詰まらせそうな大福が出てきて、オレたちはそれが目当てだった。とんかつ屋の女将さんのようなかっぷくのいいお母さんは時々、小学生には甘すぎるクッキーを焼いてくれて、子供ながらに太っている理由がわかる気がした。二つ下の弟さんとも仲が良く、「ここからは男同士の話だ、サキコはあっち行ってろ」と仲間外れにしても優しいサキコは気を悪くするようなヤツじゃなかった。互いに部活が始まる三年生までは、家が目と鼻の先だったこともあり、オレたちは寄り道しながら一緒に帰った。ミミズを捕まえて拾った枝に糸で括りつけ、近所のドブ川で釣りの真似事をした。そこが立ち入り禁止区域だとチクられては次の日一緒に先生に怒られたりした。夏休みにはプールが解放されていて一緒に行った。オレたちは幼稚園から一緒の幼馴染だから水着になっても意識することはない。プールに潜り互いの股をくぐる遊びをしていると、同じ学年の男子からからかわれ、学年全員の冷やかしの的になった。小学生の頃は女の方が心身ともに成長が早い。サキコの方がオレを引っ張る形で、そんなサキコの気持ちにオレも気付いていた。五年生で同じクラスの時、大学を卒業したばかりの新米の講師が担任になった。道徳の時間に自分の好きな人を発表しましょう、とわけのわからないことを言うアホ講師で、わざわざ席替えをしようと言い、自分の好きな人を紙に書かせ提出させたり、いつもニヤニヤしていて気持ち悪かった。「ヨシカワはサキコのことが好きなのか、人を好きになるのはいいことだ」とわけのわからないことをわざわざ呼び出して言ってきてオレはそいつが大嫌いだった。
オレがふいに学級委員になってしまった頃、サキコは家庭で何か問題があったのかもしれない、手芸部も突然辞めてしまって、口数も減っていた。オレは部活のキャプテンになりどんどん頭角を現す一方で、サキコはおとなしい子になっていき、小学校高学年になると家に遊びに行くこともなくなっていた。
中学に上がると一学年が三百人もいて八クラスもあったため、一緒のクラスになることはなかった。はじめは廊下ですれ違った時は挨拶したり、弟、元気か? と話したりしていたが、徐々に会話を交わすことも廊下ですれ違うことも少なくなっていた。オレは『サキちゃん』ではなく『アオキ』と呼び捨てにするようになり、サキコも『ヒデくん』ではなく、『ヨシカワ』と呼び捨てにするようになっていた。互いに違う人を好きになり、オレはファーストキスを済ませ、サキコの存在を考えることもなくなっていた。サキコは中学に入ってから身長が伸び運動部にスカウトされることもあったようだが、きっと家庭での問題が深刻になっていたのだろう、おとなしい性格はさらに塞ぎこむようになり、運動もそんなに好きではないことをオレは知っていた。部活帰りにスーパーで何度か母さんにも会ったが、何かよそよそしかった。
サキコは誰とも会話せずただ黙々と絵を描いているような美術部に入った。小学生の頃からいじめられていたタカコとアキコとグループになり、サキコまでもがいじめられることがあった。オレはそれがサキコのかばう優しさと気づきながらも、何もしてやれなかった。
思い出せる最後の映像は中学三年の冬だ。早々と推薦で工業高校への合格を決めていたサキコを美術室で見かけた。オレは受験勉強の息抜きに体育館で一人バスケのショーティングをした帰りだった。雪が降り積もる真冬の二月、夕方四時、山の上にあった中学は校舎も体育館も冷え切っていた。ボールを片手に火照った体から湯気を出しながら、帰りがけ一本の廊下でつながっている美術室の前を通った。薄暗い中、明かりがついているので覗いてみると、そこにいたのは一人絵を描くサキコの姿だった。独りぼっちの美術室はとても広く感じられた。色白でポニーテールの後ろ姿ですぐにサキコとわかった。集中しているようだったので声はかけなかったが、どんな絵を描いているのか少しだけ気になった。目の前にモデルはなく、想像で何かをデッサンしているようだった。それがオレにとってのサキコの最後の映像だ。
互いに上京して二年、オレたちが二十の時だった。オレの母親が癌で死んだ。香典の中に『アオキサキコ』を見つけたが連絡先は書かれていなかった。オレはサキコの家まで行ったが、その借家にはもう誰も住んでいなかった。
上京してから母の法事以外ではほとんど帰省していないが、駅からの帰り道のため、田舎に帰ると必ず川沿いのサキコの実家の前を通る。最寄り駅は秋田駅から一つ目の羽後なんとか駅だが、そこを使っても回り道で、秋田駅からバスを使っても遠回りの不便な場所だった。猿田川という小さなドブ川を渡りさえすればサキコの家だ。
サキコ…その名前はオレの死んだ母さんと同じ名前だ。
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