第1話 男はストーリー

「今はもう制作はやってないんだよね」

7年振りの電話、会話の始まりは重苦しいものであったが、S氏はもうふっ切れているようだった。

「…わかったよ、とりあえず書いたものを送ってくれる? 何とか時間を見つけて目を通させてもらうよ」

 S氏は電話を切る間際、そう言ってくれた。

 オレはまた自分の作品を読んでもらえることにほっとした。

 小説といったらおこがましいが、オレは自分が書いたものを出版社に売り込んだことがあった。もう7年も前のことだ。

 知人の紹介のおかげで、アドバイスをもらえるということになり、当時制作部の窓口であった営業のS氏と、編集長のY氏と会食の席までセッティングしてもらった。

「これはなんだ?」、「これを世に出すつもりか?」、案の定、オレの小説はボロクソに言われた。「まだ若いし、独特な表現や視点はいいので少しずつ勉強していこう」、そうS氏にフォローしてもらえただけでもよかった。

 今思えば、編集者を紹介してもらい名刺をもらえたチャンスをもっと大事にするべきだった。常に表現し書き続け、その都度「なんとか読んでいただけないでしょうか」と売り込むべきだった。おろかなオレはそんなチャンスを棒に振ったのだ。

 あれから7年が経って、少しは大人になった(かもしれない)オレは、これなら勝負できるかもしれない!という短編を書き上げていた。「自信作ができたらまた連絡をくれ」、という社交辞令とも取れるS氏の最後の言葉を思い出していた。

 そうはいっても7年も前のことだ、オレのことなんか覚えていないだろうし、入れ替わりの激しい出版業界、彼らは既に退職しているかもしれない。それでもオレは何かに導かれるまま、カビ臭くなったS氏の名刺を探し出し、電話してみることにした。S氏は出世したのか左遷したのか、何とかという部署に変わっていたが、まだその出版社にいたのだ。

 電話をつないでもらうと奇跡的に本人と話すことができた。そう言えばこんな声だったな、とオレはすぐに思い出したが、S氏はオレを他の誰かと勘違いしたのだろう、「その節は大変お世話になりまして」と丁重に挨拶された。オレが「○○さんのご紹介で、神保町のあの店でお会いして、○○という作品を読んでいただいた、ヨシカワです、ヨシカワヒデキです、覚えていてくださって嬉しいです、あの頃はまだ若くて、口のきき方もろくすっぽできずに、大変ご迷惑おかけしました」と言うと、電話の向こうから「あれ?」という心の声が聞こえてきそうだった。さらにオレは、「編集長のY氏と三人でお会いして、色々とアドバイスいただきまして…」と説明を加えると、S氏は何となく思い出したようで電話を切られそうになった。急に態度を変えられても怯まない図太さくらいはこの7年で心得ている。ネットで調べつくし、S氏のプロフィールを発見し、彼の誕生日に電話したのだ。「そう言えば今日でらっしゃいますよね、お誕生日おめでとうございます」、そう言われて機嫌が悪くなるヤツは少ない。オレの即座な切り返しでなんとか電話を切られずにすみ、且、新たな短編を読んでもらおうと取り繕った。S氏は多忙だ。しつこいオレを相手に早く電話を切りたかったのだろう、「じっくり読む時間があるかわかりませんが、なるべく目を通します」、7年前と一緒、そう言って電話を切ったのだった。

 

 当時S氏は裏でとある斡旋をしていた。それはAVのシナリオだった。売れない官能小説家にAVのシナリオを書かせ、時にゴーストライターもさせ、ピンはねしていたのだ。ライターに書かせたシナリオは当然監督名義のオリジナル作品として世に出される。ゴーストもその分の報酬があるから納得するわけだ。

 彼は小説の制作と宣伝を担当する傍ら、AVの制作会社とのコネクションを活かし、AV監督と密な付き合いをしていたのだ。

 AVのシナリオなんて、そんなもの監督やスタッフが適当に自分たちの欲望通りに撮るんじゃないか、と思ったら大間違いだ。ご存知の通り、近年AVのジャンルは恐ろしいまでに細分化され、いかにコアなファンを獲得するかにかかっている。制作会社は綿密な会議を重ね、満たせない欲望はないほどに斬新な作品を生み出し続ける。大量生産大量消費であっても、立て続けにリリースする、そのハイペースが大事なのだ。

 ジャンルの中で確立されているものの一つに、《ストーリー仕立て》がある。少なからずどんなAVにもストーリーがあり、男はそのストーリー、設定が好きなのだ。そのストーリー部分を早送りし、行為だけに先走るのが圧倒的大多数ではあるが、AV女優のファンであれば、彼女が様々な役柄に変身するのもまた興奮を駆り立てる。S氏は様々なジャンルの小説を扱い、制作の窓口として大量に原稿を売り込まれる立場を利用し、そちらの方面にも幅を利かせていたのだ。

「直木賞よりもドラマ化だ」、S氏は言う。出版不況の中、作家に賞を取らせることよりも自社のルートで先に映画化してしまった方がよっぽど原作が売れると。ネット番組でのインタビュー映像を見て、決して尊敬はしないが、S氏の発言には確かに頷かされる。

 S氏との関係が密なAV監督、Tは、元々映画の助監督出身で、本来の夢はAVではなく、映画監督として独り立ちすることだった。子供が生まれ家族を養うためにAV監督の道を選んだとかで、それもどうかと思うが、もう一度映画界に返り咲きたいという野望があった。AV監督Tが撮り続けているシリーズをいくつか見たが、なかなかの世界観である。作風はカラミの部分を除いても映画として成立するようなスケールの大きさと中身の濃さで、男優、女優にはしっかりとした演技を求めているようだ。海外のポルノ映画のように、ジギルとハイドになぞらえたり、ヨーロッパのホラーやカルト的伝説にひっかけたり、不倫や純愛があったり、行き過ぎた性教育、その実写化というユニークなドキュメンタリーがあったり、もう少し予算さえかけられたらと思うことはあるものの、斬新な作品が数多かった。このオレも行為に至る過程を飛ばす方だが、監督Tの作品だけは見入ってしまう。

 オレは7年振りにS氏とコンタクトが取れ、すぐに自分の小説を送った。思いのほか2週間ほどでレスポンスがあり、「設定は悪くないが、ヒロインの人格が不透明で突き抜け感がない」、ということだった。あの時と同じだ…やっぱりオレは成長していない。これ以上アドバイスしている時間はないというような意味のことをオブラートに包んで言われたが、「貴社で公募している新人賞はありませんか?」と聞き返した。実力もないのに「新人賞」という言葉が歯痒かった。「時期が時期でね、でももし来月中に推敲できるのなら、個人的にやってるコンペにかけることくらいならできるよ」とS氏は言った。

 そのコンペがAV監督Tの次回作だったのだ。

それはAV監督が撮る『AVではない映画』、AV業界から、映画界への返り咲き、殴り込みである。ある大物AV女優を撮り続けてきた監督Tは、次回が最後の出演作となる彼女を《女優》として映画界に送り出し、監督自身ももう一度映画を作りたいという目論みだった。安易なピンク映画とは一線を画す、もはやアンダーグラウンドを脱した、AVという世界から生まれたリアルストーリーだそうだ。官能というフィールドを越え、AV女優が《女優》になるための真実の物語。そのシナリオや小説の原作が欲しいとのことだ。どの程度のカラミを要するかは知らないが、オレの勝手な予想では、プラトニックセックスのような自伝的ストーリーを激しくしたものか、もしくは杉本彩路線で官能の女王としての芸能界入りを狙うものではないかと思う。つまりは女優のプロモーション映画だ。ならばその大物AV女優が書いた自伝を元に作ればいいのではと思ったが、今回はその大物AV女優自身が《女優》として主演することが決まっていて、監督も監督に専念するとのことだ。よって原作は他から持って来ようとしたのだろう。金や権利が絡んでいるのか、それとも自伝を再現するのが難しいのか、再現する以上のドラマを求めたのだろうか。なんだか話がややこしくてよくわからなかったが、要するにS氏はコンペにぶち込めるインパクトのある原作が欲しいのだ。

 男は女の前ではでかい話をするものだ。酒の席、あるいはベッドの上でのS氏の裏話は、すべて彼を紹介してくれた知人女性から聞きだしていた。

 だってS氏を紹介してくれたその知人女性は・・・今ではオレの妻なのだ。


 S氏と妻を別れさせたのはこのオレだ。少しオーバーに言ったが、原因の一部、きっかけであったことは確かだ。S氏はもちろんそのことを知らない。知っていたらこんなやり取りが成立するはずがない。まあ、プライバシーを暴露するような話はともかく、他にコネがないオレは、書き上げた作品を何とか世に出したい一心でそのルートにかけた。現在家庭内別居中の妻にはもちろん極秘だ。別れさせておいて、元旦那にわざわざ連絡して、まして小説を売り込むなんて勝手なことをしてくれるなと激怒どころじゃないだろう。

 性的なものを題材に書くオレは自分の作品を様々なコンテストに応募したり関係者に読んでもらったりしてきたが、出版には至らなかった。バンドのボーカルをやったことがあってカラオケくらいは得意だったオレは、S氏のコネのおかげで、ある著名な作家の「小説のサウンドトラック」という珍しい企画で一曲レコーディングさせてもらい、棚から牡丹餅なメジャーデビューをしたことがある。後が続かなかったのは言うまでもないが、一度くらいメジャーデビューはしてみるものである。

「素行不良なくせに純なんだよ」、田舎者で根が善人のオレは周りからよくそうからかわれた。小説も歌も全部ね。でもこんなオレにもささやかなるプライドがある。30を目前にして急激に作風を変えられる自信もないし、そんなレッテルを払拭してやりたいという反骨精神があった。少しでも作品を世に出していきたいし、生活の糧にしていきたいのも正直な気持ちだ。

 オレは少々テーマが強引な、あるラヴストーリーを書いていた。処女作に見られがちな「作られた感」という批評家の言葉が常に引っ掛かりながらも、それを今回のコンペ用に推敲し、エントリーしようと思ったのだ。

『AV女優の純愛、それによって彼女は、そして男はどう変わっていくのか』、(カラミよりもストーリー重視)という案件に応募することを決心したのだ。

 もちろん公募などしていない。7年前、S氏の斡旋は裏の仕事だったが、今では表の仕事の一つとしてAV業界とタッグを組んでいるようだ。斡旋だろうが、ゴーストだろうが、映画化だろうが、感動の純愛だろうが、唯一のコネクションといえるS氏に、勝負の作品をぶつけるしかなかった。

 しかしセックスを仕事とするAV女優の純愛とはどんなものなのだろう。セック抜きでストーリーを書けばいいのか、セックス抜きだとしてそれが純愛とは限らないし、きっとつまらないものになるだろう。作家としての技量を試されるかような難題だ。

 処女作を書いた時も描き切れないヒロインの内部が悩みの種だった。相手役はともかく、肝心なヒロインにインパクトがないと意味がない。そこがS氏Y氏に指摘された、「突き抜け切れていない部分」だ。そこをクリアしない限り、推敲し再提出することに意味はない。カラミよりもストーリー、屈折しつつも純愛、エロスを越えたカタルシス。ダメだ、オレには難題すぎる。

「ちなみに、その大物AV女優って誰ですか?」

その問いに帰ってきた答えにオレは心臓が飛び出し、失禁しそうになった。

「『K・M』だよ、男だったらみんな知ってるだろ」

大物AV女優、『K・M』は本名アオキサキコといって、オレの幼馴染なのだ。

「彼女今年で30なんだってね、今まで50作以上出してるらしいぞ、本も書くんだってね」、というS氏の話の続きはまったく耳に入ってこなかった。

売れてる作家がどのように取材や想像でストーリーを作り上げていくのかはわからないが、未熟なオレは実体験を基にしか書けない。

 オレは決心した。サキコに会いに行こう。

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