第11話 きみは羽ばたく…前編



 いつものようにあらかじめ電報を打っておいたから、劇場の支配人はすぐに会ってくれた。女将さんに言われたとおり、ノックして事務室へ入る。

 多忙な支配人は執務机で帳簿をつけていた。彼はこちらを見ることなく、話しかける。

「つぎの脚本か、アレックス? ソファのまえのテーブルに置いてくれ。三十分後に合否を告げるから」

「いえ、今日は個人的なお話があっておうかがいしました」

「話? わかったぞ。従者を解雇されて、つぎの紹介状が欲しいとか――」

 ようやく顔をあげた支配人。いつもの親しみやすい親父さん風から、仕事相手に見せるものに変わった。そして眉をしかめる。

「おい、おまえ――だれかと思ったぞ。ずいぶんと立派な紳士になったな」

 中身は変わっていないが、衣装と小道具、そして言葉づかいを変えただけで紳士扱いされた。主人であるサー・ウィルフレッドの教育の成果が出たのを実感し、よろこびを抑えながら答える。

「ええ。僕も社交をする必要にせまられましてね。今日、支配人にお会いしたのも、それに関するお話です」

「いつの間にか出世したようだな……」

 支配人は呼び出しベルを鳴らし、見習い役者の少年を呼ぶ。ふたりぶんの茶を用意するよう、言った。明らかに客人扱いである。

 両者は向い合って小さなソファに座った。アレックスから話を切り出す。

「親父さん。僕は今、新作の原稿を書いています。秋に出版された文芸誌――短編だったんですが、なかなか好評でして。次回作の要望がありました。あと、べつの出版社からも依頼があって、原稿料の交渉中です」

「はあ。すごいな。劇作家じゃなく、小説家か」

「もちろん、劇作家もあきらめていません。いつか僕の作品を上演するのが夢ですから。そのためにまずは、ある程度、名を売らないと」

「そうだな。それで?」

「ひとつ大きな問題がありまして。僕の少年時代です」

「ああ、あれか。女優をしていた過去ね。そんなの笑い話だ。それも売名になるさ」

「……気軽に話されては困ります」

「困るのか?」

「ええ。とても」

 支配人の顔が苦笑のそれに変わった。冗談めいた口調になる。

「あはは。気鋭の新人女優よりも、客たちの人気があったんだからなあ。楽しかったよ、あのころは。で、ローズマリーちゃんの写真を見た新入りの少女たちは言う。とってもかわいいから、お金持ちの旦那さまと結婚したんでしょ? ってな。だから俺は言う。ああ、そうさ。わが劇場の妖精だったからな。がんばればおまえも令夫人になれるぞと、希望を持たせているのさ。どうだ、傑作だろう?」

「無責任に、胡散臭い夢を与えないでください。少女たちが本気にしたら、かわいそうじゃないですか。ここに所属している女優連中、みんな現実を見ていないのがその証拠です」

「面白くないのか?」

 そのとき、ドアがノックされ、ふたりぶんの紅茶が運ばれた。気まずい雰囲気を流すように、しばらく無言で茶を飲む。

 きょとんとした支配人の顔を見ていると、計算づくしの人ではないと感じた。だからこそ、自分は彼を慕っていたのだ。

 だがその大らかさのために、深く考えることなく四年間も女装をさせた。ちやほやしたのだって、主人が言っていたとおり、金づるを逃したくなかっただけにすぎない。

「アレックス、おまえ、変わったなあ。ここを出ていくときは、夢見がちな世間知らずだったのが。ついに大人になっちまったか」

 やれやれ、と肩をすくめる支配人に、アレックスは堅い口調で交渉する。

「初めに言ったとおり、気軽に僕の過去を話さないでいただきたいのです。ローズマリーの存在はそのままでもかまいません。ですが、決して、正体を暴露しないようお願いします」

「そうは言ってもなあ。女房も知ってるし、古株の俳優たちも知ってる。おまえが売れたら、だれかが話すに決まってる」

「だから、それを口止めさせるのが、あなたの仕事です。いいですか、呑気なことをおっしゃっていたら、劇場がなくなってしまいますよ」

「突然、何を?」

 アレックスは一呼吸おいた。

 言いたくなかったが、あらかじめ考えておいた駆け引きの内容を口にする。

「もし、このことが世間に知れたら、僕はこう言います。『本当はいやだったのに、無理やり舞台に立たせられた』と。言うことをきかないと食べ物を与えられず、スラムに捨てられるところだったとか、まあ理由はいろいろつけますけど。子役を虐待している劇場なんて、醜聞がよくないでしょう? ほかの劇場でもやってると反論されても、有名人が被害者だと世間は黙っていませんよ。……たぶん」

「それは脅迫か?」

「ちがいます。円満な今後のための、紳士同士の協定です」

「……おい、紳士だとよ。笑わせるな」

「笑いたければ、どうぞ。お好きなだけ。では――」

 立ちあがったアレックスは、事務室を出る前、最後のあいさつをした。

「今までお世話になりました。さようなら、親父さん」

「そのようすだと、もう会うつもりはなさそうだな」

「残念ですが、仕方ありません」

「あーあ。一丁前にかっこつけやがって。ついに、俺たちの世界からさよなら、か」

 ふてくされる支配人の姿を見ていると、慕っていたころの情がよみがえった。つい、少年時代のように微笑んでしまう。しかし相手は、まったく自分と目を合わせようとしなかった。

 表に出て、大通りに向かうと、派手で大きな看板が目に留まる。ローマン座の劇場が掲げたものだ。

 十二月一日に公開された新作タイトル。それは、作家仲間であるジャック・ヘストンが書いた脚本だ。彼とはたまたま題材が被ったらしく、皇帝ナポレオンを取り巻く陰謀劇が繰り広げられる内容だった。

――せっかく、お屋敷の本を読み漁ったのになあ……。

 歴史ものがテーマの条件だったから、以前から興味があった当時の日記や小説を参考にした。運良く、ハートレー家の屋敷には同時代を生きた、先々代夫妻の本や新聞がたくさん保管されていたのだ。

 悔しいが、劇場はヘストンの脚本を採用したのだ。ほかに二人の作家もいたが、彼ら同様、自分も落選した。それを電報で知った。

 あれだけ必死に時間をかけて書いたのに、採用されなければあっけないものだ。苦労が水泡になって終わる。不安定な作家生活の予兆そのもののできごとだった。

 ローマン座に脚本が採用されたら、従者を卒業する予定だった。「あれだけ面白いのだから、選ばれるのはきみだよ」と、主人が言ったのがつらかった。

 顔や態度に出しはしないものの、ウィルフレッドもがっかりしたにちがいない。

 新作はなかなか評判のようで、劇場の前には長蛇の列ができていた。開演時間を待ちきれない客たちのために、行商人が群がってくるほどだ。呼び子の声にまじって、コーヒーやサンドウィッチ、オレンジ、マフィンといった食べ物の匂いが漂う。

――ああ、見たくない、見たくない…………。

それ以上、劇場の建物を見ていると、うらやましすぎておかしくなりそうだった。だから小走りで通りを抜けた。

 ハートレー家の町屋敷に帰る。ウィルフレッドは二階の居間でのんびりと新聞を読んでいた。アレックスと目が合うなり、笑みが返ってくる。

「おかえり。どうだった?」

「口約束ですが、承諾してくれました。まあ、気分はよくないようですが」

「よくやったな。同伴しようか迷ったが、きみひとりでもやっていけそうだ」

「ええ。ですが、もうしばらく従者生活が続きそうです」

 ばさり、と新聞をテーブルに置くと、主人はため息をつく。

「私はいける、と思ったんだけどなあ。なかなか手強いライバルたちだね」

「ヘストン氏は作家生活が長いですから、ようやく芽が出てきたのかもしれません。おれも精進しないと」

「そうだね。それにしても、惜しいよ。題材が被ってしまったのがいけなかったのかな。かのナポレオン一世じゃ、仕方ないとはいえ」

「どちらにしても、おれのよりずっと面白いにちがいありません」

「新聞の投書欄にあったぞ。面白いから週末は皆さま、ぜひ観劇をしてください、とね」

「どんな内容なんでしょう。気になるけど……」

「ならば、後学のために観劇しようか。私がおごるよ。チケットを手配してくれれば、いつでもいい」

 アレックスは迷った。

 観てみたい。けれど、悔しさが残ったままの自分だと、嫉妬のあまり正気を保てないかもしれない。主人に八つ当たりしてしまう自分を想像するだけで、憂鬱になった。

 だから断った。

「チケットは手配します。ただ、お気持ちはうれしいですが、おれは遠慮します。まだ心の整理がつきません」

 ウィルフレッドは苦笑する。

「私は書かないから、悔しさを実感できない。そうか。つらいのか」

「ええ、まあ、はい……」

 率直な主人らしい言葉に、アレックスも失笑せずにいられなかった。



 運良く、平日のチケットを入手できたので、翌々日、ウィルフレッドは単身、ローマン座劇場へ行った。アレックスは出版社から依頼された原稿を完成させるため、町屋敷の屋根裏部屋でタイプライターとにらめっこする。

 なかなか進まなかった。自分でも実感したのだが、あまりにも立て続けに原稿や脚本を執筆したものだから、疲れが出ていた。しかし、今、休んでしまうとせっかくの機会を逃してしまう。

 だから気力をふりしぼり、うんうんと唸りながら「あーでもない。こーでもない」と独り言をつぶやく。

――やっぱり、人生経験が足りなさすぎるよな、おれ……。

 女性や子どもは問題なかったが、中高年の男性を登場させるとどうも嘘っぽくなってしまう。上司である執事マリガンのような生真面目タイプなら、モデルがいるのでいいのだが、キザ男や、悪漢がうまく書けない。それを回避するため、登場人物はいつも絞っていた。短編なら問題なかったのだが、長編になるとごまかしがきかない。

 あまりにも筆が進まないので、いったん休憩をとることにした。気分転換に紅茶を淹れ、居間で古書店で買った本を読む。

 階段を上がる足音がした。勢い良くドアが開かれ、息をきらしながらウィルフレッドが言った。

「きみ、ヘストンという男に作品の内容を話したのかい?」

「いえ。どうしてです?」

「こんな偶然ってあるか。タイトルと主人公の名前こそちがうが、あとはほとんど同じだった。ラストももちろんだ。あまりにもそっくりだから、楽しんで観ていられなかったよ」

「まさか、あいつ…………」

――来月末までに僕のところへ原稿を送ってくれ。住所は名刺にある。僕がまとめてローマン座へ持って行くから。

 たしかそう言ったはず。

 ことの真相が読めたアレックスは、頭をかきむしり、叫ばずにいられなかった。

「やられたっ! あいつ、おれの脚本を盗作したんだっ!」

「やはりそうだったのか」

 見ていられないと言わんばかりに、ウィルフレッドはおのれの手を額にやる。そしてすぐに着替えるよう、言った。

「今なら、間に合う。たしか夜の開演だったが、劇作家ヘストン氏が舞台であいさつするそうだぞ」

「はい!」

 アレックスは訪問着用のフロックコートを身にまとうと、手袋をはめ、シルクハットを被り、ステッキを小脇に抱える。ウィルフレッドとともに辻馬車に乗りこんだ。

 運悪く金曜日、夕方の大通りは渋滞していた。ひっきりなしに通る馬車のあいだを縫うようにして、早歩きの人々が通りを横切る。雑多な大通りにはスリも横行しており、二度、立て続けに被害者の叫びが聞こえた。

「そのガキを捕まえてくれ!」

 しかしあまりにも素早い少年の動きに、周囲の人々はあっけにとられるだけだった。一瞬のできごとである。そして何ごともなかったかのように、それぞれの目的地へ向かう。

 馬車が多いため、あちらこちらに馬糞が落ちている。それを踏んでしまう気の毒な通行人がいたほどだ。

 ウィルフレッドが懐中時計を開いた。

「夜の部が開演したな。今ごろ、ヘストン氏があいさつをしているはず」

「間に合いませんでしたね。登場するまえに捕まえて、白状させてやったのに」

「まあまあ、落ち着いて。すぐには帰らないよ。劇団の関係者へのあいさつもあるはず」

「あればいいんですが」

 ようやくローマン座劇場の建物が見えてきたので、アレックスたちはそこで降りた。五分ほど歩き、劇場の正面玄関へ入る。なかへ入ろうとしたが、すでに本日のチケット販売は終了した、と告げられた。

 観劇ではなく、関係者と会いたい。ジャック・ヘスマン氏がいるはずだ、とアレックスは懇願するが、断られた。

「お客さま、名刺をおあずかりしますから、しばらくお待ちいただけますか。氏が会いたいとおっしゃれば、お通しいたします」

「僕が会いたい、と知れば氏は逃亡してしまいます。入るのが無理ならば、こちらへ来るようおっしゃってください」

「はあ。では、一応……」

 気乗りしないようすの販売員の男だったが、あまりにもしつこい客だから根負けしたようだ。しばらく待っていると、販売員がひとりでもどってきた。

「やはり断られました。名刺がない御仁とはお会いできないそうです。今回の公演が成功したおかげで、知らない親戚が会いたいと言ってきたのもあったそうです」

「なかには、いるのですね?」

「はい」

 ウィルフレッドが言った。

「ならば裏口で待機しようか」

 アレックスたちは劇場の裏手にまわり、従業員用の通用口でヘストンを待った。

 一時間経過するも、出てこない。なかへ入ろうとするが、ノッカーでドアを叩いて出てくるのは劇場の使用人である。正面玄関で告げられたとおり、そこでも同じ答えが返ってきた。

 「出てこないな。また表へ行こうか」と、アレックスとウィルフレッドは周囲に聞こえるよう会話した。いったん、通用口を去る――と思わせておき、隣の建物の陰に隠れてようすをうかがう。

 数分もしないうちにメガネをかけた痩身の青年――ヘストンと労働者風の男が出てきた。注意深くあたりを見回すと、駆け足になる。そのあとをアレックスが追った。

 ヘストンは大通りに出て、空の辻馬車を捕まえて乗った。アレックスが一気に駆け、叫んだ。

「まて、ヘストン!」

「……」

 彼は無視する。馬車は進む。

 アレックスはさらに追いかけた。息が切れそうだったが、逃せば二度と話ができないかもしれない。必死で駆ける。

 ようやく交差点で馬車がいったん、停止する。ヘストンへ呼びかけるが、また無視された。他人のふりを決めこむようだ。だからその場で用件を言った。

「きみ、盗作をしたな。ローマン座で上演されているのは、僕が書いた脚本そのままだそうじゃないか。今すぐ劇場へ引き返せ。そして、支配人へ謝罪しろ!」

「何の話かな? ひょっとして言いがかり? きみ、嫉妬のあまりおかしくなったようだ」

「しらを切るつもりかよ。あれはおれが書いた脚本だ。おまえのところへ送るよう言ったのも、初めからだますつもりだったんだろ。答えろよ、ヘストン!」

 怒りのあまりいつもの庶民口調になってしまう。

 しかし彼は涼しい顔を崩さない。あらかじめアレックス・ランバートが抗議してくるのを予想していたように、冷笑した。

「あはは。嫉妬ほど見苦しいものはないよ、ランバートくん。初めて会ったとき忠告したじゃないか。僕らはライバルだとね。たまたま題材が被ったぐらいで、盗作だとは。あまりにもひどい言いがかりだ。それ以上、僕に関わろうとしたら――」

 ヘストンが合図をすると、同伴していた労働者風の男が馬車を降り、アレックスの前へ立ちはだかる。屈強な彼はいかにもケンカが強そうだ。

「悪いが、護衛としてヘストン氏に雇われたんでね。」

「そうかよ。暴力で解決かよ。やっぱり盗作したんだな。最低のくそ野郎め!」

「証拠もないのに、盗作と言わないでくれないか。それ以上言うと二度と、ペンを握れない身体にしてやるぞ」

「なにがライバルだ。くそう……」

 ヘストンは魔が差したのではなく、故意に盗作した。初めから計画的に。

 ならばそれ以上、問い詰めても彼は白状しないだろう。護衛まで雇い、口封じをしようとしている。食い下がるだけむだだ。

 ようやくウィルフレッドが姿を現す。自分が長い距離を走ったものだから、体力のない彼はとちゅうで足を止めてしまった。疲れた顔でヘストンが乗った馬車を見送る。

「……白状した?」

「いえ。最低の野郎です」

「ゴードンみたいに?」

「ゴードン氏よりずっと頭がいいから、厄介ですね……」

「そうか。残念だったな」

 あまりにも情けなくて、悔しくて、思わずウィルフレッドに抱きついた。人目もはばからず、子どもみたいに泣いてしまう。

「また新作を書けばいいさ。今は泣きたいだけ泣くといいよ」

 ふたりの周りに人だかりができるが、ウィルフレッドは静かに抱擁し、受け止めてくれた。



 クリスマスが近づいていた。田舎屋敷の階下では、聖なる日のための準備で忙しかった。プディングや菓子を焼く匂いがする。バード夫人の手製だ。主人がカジノで大勝した金があったおかげで、今年のクリスマスも無事すごせそうだった。

 しかしアレックスだけはクリスマス気分になれない。新作の執筆をそこそこに、血眼になって毎日、新聞の社交欄や劇場の開演予定を見ていた。タイムズやデイリー・テレグラフはもちろん、大衆紙も購入して目を通す。あまりにも熱心なので、マリガンがあきれるほどだった。

――例の劇が閉演されるまえに、ヘストンの野郎に白状させてやる!

 用意周到なあいつのことだから、自分がどう抗議しようが、認めることはないだろう。白状してしまえば作家生命が終わってしまう。せっかく手に入れた栄光を手放すとは思えない。盗作をしてまで得たのだから。

 あとで冷静になって考えてみればみるほど、学歴も人脈も家柄もない自分だから、やつは利用できる、と判断にしたにちがいない。いくら盗作された、と訴えようが、証拠がなければ、世間がどちらを信じるかといえば……。

 馬車で去られた翌日、アレックスはヘストンの名刺にあった下宿先の住所へ行ってみたが、すでに引っ越したあとだった。今はどこにいるのかわからない。ブライトンで知り合った作家仲間へ手紙を書いてみたが、彼らも知らないという返事だった。

 いつものように朝、主人を起こしに寝室に入るが、姿がなかった。寝間着はすでに脱ぎ捨てられ、午前用のモーニングスーツに着替えた形跡がある。

 どこに行かれたのだろう、と屋敷のなかを探した。書斎はじめ、居間や客間をのぞく。今はだれも使っていない喫煙室を見たが、いなかった。

 あとはどこだろう。思い当たるといえば。

 アレックスは階段を上がり、塔部屋へ向かった。外からかかっているはずの鍵がはずされていたので、そっと室内をのぞく。主人といまだ正気でない女主人がいた。

「今週末はクリスマスです、母上。いっしょにすごしましょうか」

「ウィルフレッドがいるのならいいわよ。ずっと病気だったのでしょう。あの子の世話を看護婦に任せきりだったから、しばらく会っていないの」

「ですから……」

「おまえはあの子の家庭教師なのよね。いつもいっしょに勉強しているって、言っていたわよ」

「母上……」

「今日はどこへ行こうかしら。お父さまにお会いしたいわ。ウィルフレッドを連れて帰ったら大喜びよ」

「そうでしょうね……」

 何を言ってもまともな返事がなかった。女主人はウィルフレッドがまだ幼児で、夫が健在だったころが一番楽しかったのだろう。当時の時間のまま止まっていた。

 この屋敷で奉公を始めたとき、すでに女主人の精神は不安定だった。夫や息子を失ったときから少しずつおかしくなったのだろうか。そんな母親を守っている娘のことを、忘れてしまったのが残酷だった。自分が食事を持って行ったとき、何度か女主人は言った。「アレクサンドラは死んだのよ」と。

 やりきれないようなため息をつき、ウィルフレッドは母親に背を向ける。そのとき目があった。

 ドアを閉め、鍵をかけながら主人は言った。

「どこか遠くの病院で療養させようか。領地の収入が安定したら、スイスかフランスにでも」

「それがいいでしょうね。だれもハートレー家のことを知らない土地なら、問題ないと思います」

「ひとりにさせるのは不安だが、仕方がないな」

 アレックスは安堵した。ようやく自分本位な母親と決別する主人に。

 劇団にいたころ同僚から聞いたのだが、娘を「女」としてライバル視するあまり、愛せない母親がいるそうだ。そんな母親から逃げるため、劇団に入ったと少女は言っていた。そのぶん、息子はどうしようもないほど溺愛するらしい。

 寝室にもどったウィルフレッドは、今日の朝刊を読み始めた。朝の茶を飲みながら、ページをめくる。すでに着替えはすませているのもあって、アレックスは階下へもどろうとした。呼び止められる。

「ヘストン氏が顔を出すかもしれないよ。劇場の興行主が集う夜会が、クリスマス前に開かれるそうだ。ローマン座と、きみが所属していた劇団の名前もある」

 毎日、新聞を見て探していた情報だった。社交欄には上流階級の人々が集うパーティの模様が書かれている。華麗な内容に、世の奥さまがたやお嬢さまがたが、羨望のため息をつくのだ。

 そんな社交欄の端には、開催される大きな集いの告知があった。次回の取材先である。

「夜会があったのは初めて知りました。支配人、そんな話、したことなかったですし」

「あくまでも興行主だからね。お金持ちなオーナー同士の親睦会と思えばいいさ。ブルジョワはもちろん、貴族もいるだろう」

「ヘストンは招待されているでしょうか?」

「どうだろう。しかし今年、一番の客入りだったのが例の劇だそうだ。興行主にしてみれば、売上を伸ばした劇団はもちろん、綺羅星の劇作家を放っておくと思うかい?」

「可能性あり、か……」

 とにかく夜会が開かれるホテルへ行ってみれば、ヘストンがいるかもしれない。早めに待機して、フロントへやってきたところを捕まえるとか。

 話が決まれば早かった。

 残念なことにクリスマス前のため、ウィルフレッドは田舎屋敷を離れることができない。村の子どもたちや使用人へ贈るクリスマスプレゼントの支度があるからだ。

 予定外の訪問客があるかもしれないし、何より気がかりだったのが、病気を患ったシドニー叔父のことだった。最期になるかもしれないクリスマスを、本家ですごしたいという手紙が先日あった。

 多忙な主人の世話ができないのを申しわけなく思いながら、翌週、ロンドンへ向けて出発した。



 午後少し前、ホテルに到着したアレックスは、ロビーの隅でヘストンの姿を待っていた。招待されているのか定かでなかったから、長時間、見張っていると緊張感と退屈で気が遠くなる。

 午後三時をすぎた。ヘストンらしき男はいない。いらつくあまり、何度も懐中時計の蓋を閉じたり開いたりする。三時間もロビーで待ちぼうけている客が気になったのだろう、ついにホテルの従業員に声をかけられる。

「お客さま、どなたかと待ち合わせされているのですか?」

「ええ、まあ、はい」

「先方に不測の事態があったのかもしれません。電報を打つよう依頼をしましょうか」

「いえ、住所がわからないんです」

「さようでございますか」

 不審のまなざしを残し、燕尾服姿の従業員はフロントへもどった。

――まずいな。目立ってしまった。

 場所を変え、ロビーを出て正面玄関の端で待機する。すると、見覚えのある顔が近づいてきた。ハッチャーだ。

「やあ、ランバートくん。まさかこんなところでお会いするとは!」

 大学生で気鋭作家の彼はまぶしいまでに輝いていた。にこやかな笑顔といい、堂々とした態度といい、自信たっぷりなようすが伝わってくる。しかし、話をしたら、驚いたことに、彼もヘストンの脚本を怪しんでいると言った。

 ここではなんだからと、ふたりはホテルにあるカフェへ入る。コーヒーを注文し、さっそく話の続きを始める。

「……あのヘストンが、突然、面白い脚本を書けるなんて、僕は信じられなかったんだ。おそらくゴーストライターでも雇って、書かせたのではないのかって、作家仲間と話したんだが。そういえば、このまえ、きみから手紙があったよね。ヘストンの居場所を知らないかって。僕にも報せてないのならば、ゴーストライターの可能性が高いな」

「それほどヘストン氏の作品はつまらなかったのですか?」

「こう言ってしまうのもなんだが、彼は才能ないよ。僕にはわかる。彼が作家になれたのは、親戚に印刷所の社長がいるからなんだ。そのコネで、僕らと同じ編集長のもとで原稿を書いている」

「そうだったんですか。僕、何も知りませんでした」

「先週のタイムズで、たまたま社交欄を見たら、劇団の興行主の夜会があるのを知った。ほら、ヘストンは一躍有名になったし、ゲストとしてもてなされるかもしれないだろう。彼が出てきたところを捕まえて、真相をききだすつもりだ」

「ほかの作家仲間はどう言ってます?」

「関わらないほうがいいと言っていた。なにせ、親戚が取引先の印刷所だ。彼を本気で怒らせたら、原稿の依頼が来ないよう、根回しされるかもしれない。あいつ、陰では嫌われているんだ。だからみな、必要最低限の会話しかしないのさ」

――ああ、だから、ローマン座の脚本の件でおれだけ呼び出したのか!

 まったくの初対面で知り合いもいなかったから、事情を知らない自分をだましたにちがいない。

「ハッチャーさんはそれでも、ヘストンにお会いするのです? 危険では?」

 しかめっ面をしたハッチャーは、吐き捨てるように言った。

「あの男は作家のクズだ。僕は一から努力してここまでやってきたのに、ああいう手合がのさばるのが許せない。コネでのし上がる連中を見ているだけで、虫酸が走る」

 アレックスは緊張の糸が切れた。ひとりで問い詰めるより、ふたりのほうが心強い。

 ブライトンで会ったとき、ハッチャーにあまり良い印象を持てなかったが、さすが将来を期待される作家だけあり、ほかの仲間より勇気と誇りがあった。

 運ばれてきたコーヒーを飲み、一息ついたハッチャーに問われる。

「ランバートくん、きみもヘストンの脚本が怪しいと踏んだのかい?」

「怪しいもなにも、あれ、僕が書いた作品です。情けないことに盗作されてしまいました。だから抗議をするつもりで、待ち伏せしているんです」

「やはりそうだったか。ヒロインがきみが書いた作品らしいな、と思ったんだ」

「ああ、ハッチャーさん! あなたがわかってくださってよかった!」

 うれしさのあまりアレックスは握手を求めるのだが、断られてしまう。

「……僕だけでなく、作家仲間のことはすぐに信用しないほうがいい。僕らはライバルなのだから、必要以上に親しくすることはないよ。かつては売れなかった同士が、ひとり出世したらたちまち、嫉妬される。醜聞だって流される。そういう揉め事を何度か見てきた」

「いろいろ複雑な世界なんですね……」

「そうやって少しずつ学べばいいさ。きみ、教養はあるけど、お金がなくて学校へ行けなかったクチだろう? 世間を知らないのも無理はない」

 同い歳なのに、アレックスは諭されてしまう。ずっと年上の紳士と話している錯覚におちいってしまった。それだけ彼は作家同士の修羅場をくぐり抜けてきたのだろう。物書きたちはあらゆる想像をしてしまうので、疑心暗鬼になって人間関係が複雑になるのかもしれない。

 ホテルの従業員に怪しまれたアレックスの代わりに、ハッチャーがロビーで待機した。午後四時を回ったころ、ついに目的の人物が姿を現したようだ。階段の踊り場にいたアレックスは、聞き覚えのある声を耳にした。

――ジャック・ヘストンだ!

 ハッチャーは静かに問うていたのだが、ヘストンは真っ赤な顔をして怒りをあらわにする。それは濡れ衣だと言いながら。

「ハッチャー、きみ、突然おかしなことばかり言う。僕はゴーストライターを雇ってなどいない。長年温めていた構想だよ」

 ステッキの柄で相手のシルクハットのつばを押し上げながら、ハッチャーはさらに質問を投げかける。

「へえ、ゴーストライターじゃないのか。ならば盗作かな?」

「お、おい! それこそ人聞きが悪いだろう!」

「本当にきみが書いた作品ならば、堂々としていればいいじゃないか。なあ、ランバートくん」

「……き、きみもいたのか。なぜ?」

 ヘストンの背後に回っていたアレックスは、慇懃無礼に答えてやる。

「なぜって、盗作されたのですから、あなたを探すのは当然じゃありませんか。せっかくの夜会です。皆さまの前で盗作をお認めになられては? 僕らが追及する前に白状されたほうが、まだ印象がいいですよ」

「印象もなにも、僕はやっていない。きみたちこそ、僕への見苦しい嫉妬はやめたまえ」

「いいかげんにしてください!」

 語気を強め、にらみつけてやる。すると、ヘストンは「おい、トム!」と大声で呼んだ。護衛として雇われた屈強な男が近づいてくる。今日は労働者風でなく燕尾服を着ていた。彼も従者として夜会へ出席するようだ。

「どうされました、旦那さま?」

「彼らが僕を盗作者呼ばわりする。ホテルから追い出せ」

「かしこまりました」

 アレックスは逃げるしかなかった。自慢ではないが、腕力勝負ではまるで勝てたためしがない。ハッチャーに期待するが彼もまたスポーツが苦手な文学青年らしく、ホテルを走って出て行く。

 玄関を出ると、ふたりは顔を見合わせ、落胆するしかなかった。

 ステッキで石柱を軽く叩きながら、ハッチャーは苦い顔をする。

「護衛とはやられたな。それだけ警戒しているのか、あいつめ」

 アレックスもステッキを石階段に叩きつけずにいられなかった。

「あれだとうかつに近づけませんね。僕らが何を言おうが、しらを切り通すつもりでしょう」

「陰気でおとなしいから、あれほどの悪漢だとは思ってなかったよ。完全に見くびっていた」

「どうします?」

「まいったな」

 あきらめるしかないのだろうか。

 そのときふと、アレックスの目にホテルのボーイたちの姿がとまった。彼らは客たちの荷物を運び、丁寧に案内をする。まるで屋敷の従僕のように。

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