第10話 女神は二度、微笑む…前編



 八月のある日、うれしくない訪問者があった。叔父のシドニー・ハートレー氏だ。

 だが、あらかじめ電報で予告されていたため、いやがらせではないようだ。それでも息子のゴードンがついてくるかもしれないのを警戒した。

 ウィルフレッドは応接間で叔父を待つ。何かあってはいけないので、従者ランバートと従僕ハンクを背後に控えさせた。やがて、執事マリガンがやってきた叔父を客間へ通した。ゴードンはいない。

 シドニー叔父を見たウィルフレッドは、首をかしげずにいられない。

「叔父上、痩せられました?」

「ああ。どうやら完治しない病にかかったようでね。春先から調子が悪い」

「そうですか。それはお大事に。それで用件とは?」

 叔父は懐から札束を取り出し、マリガンを呼んで銀盆へ乗せる。

「今月分の返金だ。つい、先日、知ったのだが、ゴードンのやつがおまえに迷惑をかけているようだな。いくら相続問題で不満があるとはいえ、情けない限りだ」

「病をおして来られたのですか……」

「まあな。義姉上――レディ・ハートレーのことはともかく、おまえはよくやっているようだ。収入を増やそうと、尽力しているそうじゃないか。ろくに学校にも行けず、母親に家のことを任せきりにしていたものだから、正直、領地管理は無理だと思っていた。それをいいことに、ゴードンのやつが横領を働いたのだな。知らなかったとはいえ、申しわけなかった」

 会うたび、母親をなじっていたあの叔父とは別人だった。病ですっかり気力を削がれてしまったのだろうか。

 あまりにもすまそうにするものだから、警戒していたウィルフレッドは気が抜けた。茶を用意するようマリガンに指示を出すと、彼はハンクを階下へやった。

 差しだされた札束を上着の懐へ収めながら、ウィルフレッドは問うた。

「それで、ゴードンは? 謝罪するのなら、彼も同伴させるのが筋でしょうに」

「私が問い詰めたら、帰らなくなってしまった。今ごろ、クラブに入り浸っていることだろう。いい歳をしてどうしようもないやつだ」

「そうでしたか。まさか、またギャンブルをしているのではないでしょうね?」

 叔父は肩をすくめる。悪い予感は当たったようだ。

「あの野郎。叔父上に謝罪させながら、凝りもせず。せめて借金を精算してから、ギャンブルをしろよな。くそったれめ」

「まあまあ、サー・ウィルフレッド。私の息子なんだ。こちらでケリをつけるさ」

「いいえ。私もそのカジノに顔を出してみます。ギャンブルをするぐらいなら、その金を返済にあてろ、と言ってやりましょう。ほかの客たちの眼前でね」

 シドニー叔父は「よしたほうがいい」と言うのだが、ウィルフレッドは辞さなかった。

 完治しない病にかかっている叔父は、すっかり弱ってしまった。任せきりにするにはあまりにもたよりないし、気の毒だ。

――父親が重い病気なのに、遊び歩いて最低な野郎だな!

 あいつはハートレー家の恥だ。だから本家の当主である自分が、ただす必要がある。

 茶を少し飲むと、シドニー叔父は彼の執事に支えられるようにして、屋敷を出て行った。あまり永くなさそうだ、とウィルフレッドは不安にかられる。



 従兄ゴードンがよく顔を出す下町のキャバレーは、ギャンブル場をかねていた。同じロンドンでも高級住宅街がならぶウエスト・エンドと、貧しい庶民が暮らすイースト・エンドではまるで空気がことなる。そんなビショップゲイト街の裏道に入ると、場違いなほど立派な門をかまえる酒場があった。

 その高級キャバレーは会員制となっており、ウィルフレッドはシドニー叔父を通して二名ぶんの招待状をよこしていた。

 紳士向けの店なので、ウィルフレッドは正装用のフロックコートを着、ランバートにも着せる。今回は従者でなく、遊び仲間として連れ立つことにした。

 店の入口に立っているボーイに招待状を出すと、なかへ案内される。重いドアの向こうは、見たことがないほど華やかな世界だった。豪勢なシャンデリアや調度品がまばゆい。

「これがキャバレーか……」

 クラブやギャンブルに縁がないウィルフレッドは、一瞬、たじろいでしまう。とくに躊躇してしまったのが、胸元の開いたドレス姿のホステスたちだ。妖艶な彼女たちが自分を見るなり、色目を送るのを感じて背筋が寒くなる。

――やっぱり、ああいう女性が苦手だ……。

 友人としてならいいのだが、明らかに性の対象として見られてしまうと困る。

「いらっしゃいませ――サー・ウィルフレッド・ハートレーと、ミスター・ランバートですね。こちらは初めてのごようす。まず、わたくしがここのルールの説明をいたしましょう」

 燕尾服を着たキャバレーの支配人が笑顔でそう言い、ウィルフレッドたちをある席へ案内する。ソファに座るなり、注文しないのにワインボトルが運ばれてきた。

 小声でウィルフレッドはランバートに注意する。

「……いいか、飲むなよ。支払いが大変だ」

「わかったよ」

 いつもの召使口調でないランバートは新鮮だった。一ヶ月近くみっちり教育した成果が現れ、一見するとどこにでもいる若い紳士である。

 そんな場違いな自分たちを蔑むことなく、笑顔のまま支配人は店のルールを説明する。

 酒を楽しむのはもちろん、お気に入りのホステスがいれば指名できる。ただ、人気があると先約があるから、その客より多くのチップが必要になる。その後はいっしょに店を出てすごそうが自由だ。ただし、彼女らに支払う代金は、さきに店にあずけなくてはならない。

 隣の広間はカジノとなっており、ブラックジャックとポーカー、バカラ、ルーレットができる。掛け金用のチップを販売していて、カウンターで現金と交換してくれる。手持ちの掛け金がないときは、請求書と引き換えに後払いできる。

 ひととおり聞いたウィルフレッドは、すっと立ちあがり、迷わずカジノへ移動した。そのあとをランバートがついて歩く。シドニー叔父が言っていたとおり、見覚えのある顔があった。くわえタバコをしながら、真剣な顔でポーカーのカード札とにらめっこしている。

 ウィルフレッドはどのギャンブルにしようか、と迷っている客を装い、さっとゴードンの背後についた。そして大声で用件を話す。

「おい、ゴードン。私に借金があるというのに、いいご身分だな。今夜は勝てそうかい?」

 ぎょっとした顔で、肩越しにふり返るゴードン。

「き、きさま。なぜここへ。会員制のはず……」

「シドニー叔父上が招待状をくださったのさ」

「親父が? いつきさまの味方に?」

「味方もくそもあるか。それだけ叔父上はまいってるのさ。きさまの放蕩ぶりに」

 同じテーブルでポーカーをしている三人の紳士が、不愉快そうな顔をした。

「ハートレーさん。ゲーム続けるんだろう?」

「え、ええ……」

「中座されては困るな。今、いいところなんだ」

「はあ……」

 抜けては困る。つまり、ゴードンは負けが確定しているらしい。

 それにもかまわず、ウィルフレッドは返済を求めた。

「今すぐ手持ちの金をよこせ。きさまが領地の収入を横領したせいで、家計がまだまだ厳しいんだ。このままだと、プディングなしのクリスマスになりそうだな」

「おい、そんな話をここでするな」

「それがどうした。きさまはわが一族の恥さらしだ。大いに失態を披露してやろうじゃないか!」

 わざと大きな声を出したものだから、カジノにいた紳士や従業員たちがいっせいにこちらを見た。とくに紳士たちは興味津々のまなざしを向ける。スキャンダルは社交界の大好物なのだ。

 こそこそと話し声が聞こえる。

「……おい、面白いな。少年みたいな領主に、ハートレー氏が説教されてるぞ」

「借金は本当らしい。見てみろよ、あの顔」

「そういえば、ハートレー家の准男爵が金策しているという噂があったが、氏が元凶だったのか」

「たしかに恥さらしの親族だな」

 ポーカーの札を見つめたまま、彼らは笑う。

 その場に居づらくなったゴードンは、乱暴にカードを置くと、懐から数枚の紙幣を取り出してウィルフレッドへ投げつける。無言でキャバレーを出た。

 ランバートが止めるのもかまわず、そのあとをウィルフレッドは追いかけた。店の門前で呼び止める。

「ゴードン、シドニー叔父上は永くないのだろう?」

 ふて腐れた顔をしていた従兄の眉間が曇り、悲しそうなそれになった。

「ああ。肺がんだ。医者にそう言われた。弱り切った親父を見るのがつらくてね。まだ出歩けるからいいが、そのうち衰弱してしまうだろう」

「そうか。ならばなおさら、生活をただせ。私にもしものことがあれば、きさまが次期准男爵だ。放蕩ばかりしていれば、領地を失いかねない」

「そんなこと言われなくても承知している。だが、どうしてもやめられない。初めてこここでルーレットをしたとき、大勝ちしたのさ。あの快感が忘れられないんだ」

「かえって運が悪かったようだな」

「ビギナーズラックは悪魔の誘惑だ。情けないが……」

 そしてゴードンは背を向け、おとなしくキャバレーを出て行った。

 従兄の後ろ姿が見えなくなると、ウィルフレッドはふたたびキャバレーの店内へもどろうとする。ランバートが止めた。

「きみ、用事は終わったはずだろう」

「聞いただろう。ビギナーズラックだった、と」

「まさか、ルーレットを?」

「ああ。私――いや、きみがビギナーズラックに賭けてみたまえ」

「ええ? おれ――じゃない、僕、掛け金など持ってないぞ」

「これがあるさ」

 ゴードンから投げつけられた紙幣を、ランバートに握らせる。

「ただし、一度かぎりだ。何を言われようが、催促されようが、それで終わりだ。いいな」

 自分に考えがあるのだと察知したらしく、ランバートはうなずく。

「ああ、了解した」

 カジノにもどり、ランバートが現金をチップと交換した。それを持って、ルーレット台へ移動する。

「どれに賭けようか……」

 迷う彼に、ウィルフレッドは言った。

「初めてだし、迷うな。赤――ルージュがいいか。数字はきみがお好きなのを」

「よし。二一にしよう。それに全部」

 ディーラーが玉をルーレットへ放りこんだ。からからと音を立てて台が回る。

 初心者そのものの賭け方だったが、ディーラーは終始無表情だった。

 じょじょに回る速度が遅くなり、玉がぴたりと止まる。

 驚いたことに赤の二一だった。

「やったぞ!」

「ビギナーズラックだ!」

 ウィルフレッドはランバートと手を叩き合ってはしゃいだ。どっと、大量のチップが目の前に置かれる。それを両手で抱えるようにして持ち、ランバートがカウンターへ向かおうとするのだが、予想どおりそばにいたボーイに制される。

「お客さま。まだまだ夜は長いのですよ。たった一度のお遊びだけで、お帰りされるとはもったいない」

「僕、これから大切な人と会う約束があるんでね。おいとましないと」

「では、もう一度だけルーレットをなさっては? 幸運が続くかもしれませんよ」

「また今度にするよ」

「お客さま。初心者でいらっしゃいますね。わが館のルールをご存じない」

 カウンターにいたべつのボーイがベルを鳴らす。すると、足音があまたやってきて、ランバートをぐるりと取りかこんだ。見るからに屈強そうな従業員二名と、支配人だった。

 案内したときと同じ笑顔で支配人は言った。

「賭け事がおいやなら、うちのホステスを同伴されてはいかがです? 今夜はお客さまが少ないですから、いい娘がよりどりみどりでございますよ」

 ランバートの代わりにウィルフレッドが言った。

「けっこうです。そういうのに、興味ありませんから」

 支配人の頬が、ぴくりと引きつった。

「失礼ですが、お客さま。なぜ、うちの店にいらしたのです? まさか冷やかしではありませんでしょうねえ」

「それは…………」

 ビギナーズラックで得た金を、手放さなくてはならないようだ。しかしもったいない。これがあれば、ゴードンから横領された金をだいぶ取りもどせるのに。

 だからといって、そのままおとなしく帰してくれなさそうだ。

――どうしよう?

 ランバートは、と見ると、チップをふたたびルーレット台へ置こうとしている。

「よせ、ランバート」

「このままでは、僕らが無事ですまなそうだ」

「せっかくの大金なのに……」

「サー・ウィルフレッド。無理をしないでください」

 そのとき、聞き覚えのある声がカジノに響く。

「客人がやめたい、と言っているんだ。きみ、帰してあげたまえ」

 スプリング伯爵令息であるウォリック卿だった。粋な彼は、黒いフロックコートに緑色をしたペイズリー模様のベスト姿がさまになっている。

「ウォリック卿。あなたも会員なのですか?」

 助けが入り笑顔になったウィルフレッドへ、卿はウィンクを返す。

「ああ。たまにカードゲームの頭数合わせに参加している。いい小遣い稼ぎだ」

「お強いんですね。すごいな」

「まあね。ここは昔、私の祖父が出資した知り合いの店なのさ。今でも売上のいくらかが、私の勝利に回されている」

「そうだったのですか」

 要するにオーナーだった祖父の孫だから、店がわは優待している。仕組まれたビギナーズラックといい、この店は公平なカジノではないのだろう。愚鈍なゴードンはいいカモというわけだ。

 ウォリック卿の一声で、支配人と屈強な従業員は一礼し、その場から去った。そして、久々に再会したのだからと、卿とともに遅い晩餐をとることにした。



 ウォリック卿がひいきにしているだけあり、そのレストランの料理はおいしかった。

 ビギナーズラック――といってもルーレットをディーラーが操作して、一発当てた大金があったので、ウィルフレッドはそれで三人分の食事代を支払うつもりだった。

 ゆったりとした心地良いヴァイオリンの音色が響く。奏者はまだ十二、三歳ぐらいの少年だったが、それは見事な演奏だった。一流のソロコンサートと遜色ない。高級レストランだけある。

 店に入るまえ、ランバートは遠慮したのだが、紳士としての教育をかねているのだと言い聞かせ、渋る彼を同席させる。ウォリック卿はランバートを一瞥した。

「彼、たしか従者だったよね?」

 戸惑うランバートの代わりに、ウィルフレッドが答えた。

「ええ。ですが今は新人作家です。友人として交流しています」

「へえ。きみ、作家だったのか。従者をしていたのも、生活苦のためかい?」

 堅い表情のままランバートは言った。

「ええ、まあ、はい。旦那さま――サー・ウィルフレッドのもとでたくさん学ぶことができました。おかげで作品に活かせそうです」

「なるほど。旦那さまはパトロンだったというわけか。もし売れっ子になれば、サー・ウィルフレッドも鼻が高いだろう。私が見つけて育てたのだと、社交界で自慢できる」

「自慢ですか? 旦那さまはそういう御方では……」

「ああ言いかたが悪かった。投資とでも言えばよかったか」

「……」

 ランバートの顔が感情的なそれになる。言い返したいのをぐっとこらえているようだ。

 肉料理が運ばれてきた。さわやかな柑橘系のソースが添えられた子羊肉だった。ポートワインをおかわりし、しばらく無言で食べる。ウォリック卿もだが、ランバートにも笑顔がなかった。

 ふだん会食をしない卿といるのだ。せっかくの機会なのに、空気を悪くしたくない。

 ウィルフレッドは話題を変えた。

「あの、私の従姉なんですが、妹ぎみのレディ・クレアと親しくしております。彼女から聞いた話では、ブランドン・リスター氏とうまくやっているそうですよ」

「あ、そうかい。そういえばきみの従姉――ミスなんといったかな。披露宴であいさつをしたな。よく似てた」

「ええ。ブラッドリーです」

「クレアから聞いたよ。面白いご婦人だとね。テニスのペアを男対女にしたり、スカート姿で二輪自転車に乗ろうとしたり」

「おてんばなものでして」

「こういうことはあまり言いたくないのだが。クレアと親しくしないよう、従姉どのに忠告しておいてくれないか」

「え?」

 ウィルフレッドは食事中の手を止めずにいられなかった。

 ウォリック卿は口の端をわずかにゆがめる。まるで困った、と言いたげに。

「妹は純真でね。外の世界を知らないまま育った。いや、そう育てられた。奇妙な行動をとるご婦人と親しくしてしまうと、スプリング伯爵令嬢としての誇りを忘れかねない。エキセントリックなご婦人ほど、厄介な存在はないよ。しかもいまだに独身令嬢だそうじゃないか。あの御曹司と噂になりかねないし、世間体も良くない」

 言葉にしがたい衝撃が走る。

 あれはあくまでもべつの自分なのだから、気にするな、とおのれに言い聞かせるも、手に震えが走った。見られてはならないと、膝の上に手を置く。

 気分を害してしまったと思ったのだろう。ウォリック卿は「失敬」と言い、笑顔を見せる。

「……言いすぎたか。しかしそれが世間一般的な見方だよ。早くご結婚をして身をかためられたほうがいい。ハートレー家の評判にも関わりかねないからな」

「はい。そのように伝えておきます……」

「そんなこと伝えなくてもいいですよ、旦那さま」

 ぐいっとワインを飲み干したランバートが言った。

「世間一般では変わり者かもしれません。でも、そんなミス・ブラッドリー、僕は好きです。なんていうか、取り繕ったところがなくて、楽しいというか。そういうところがかわいい、と思うのは僕だけですか?」

 ナイフとフォークを置いたウォリック卿から笑みが消える。

「しょせん、きみは庶民だからな。私らの誇りなんぞ、鼻につくだけだろう。今夜同席してやるのも、サー・ウィルフレッドの顔を立てているまでだ。余計なおしゃべりはよしたまえ」

「ブランドン・リスター氏と口論されたとき、僕は思ったんですがね。あなたさまが大きな顔ができるのも、僕らがいるからです。リスター家の富に、僕ら使用人の働き。それらがなければ、ただの人じゃないですか」

「きみ……」

 ウォリック卿は目を細める。しかし感情的に言葉を出すことはしなかった。

 ランバートは明らかに酔っていた。ふだん飲みなれない高級ワインを、緊張をほぐすために何度もおかわりしたのがよくなかった。

「よせ、ランバート」

「本当のことを言ってはいけませんか? それこそ世間一般の見方です」

「だからよせ、と私は言ってるんだ。悪酔いしたみたいだから、外の空気でも吸ってこい。な?」

「ええ、はい、えっと…………」

 われに返ったのだろう。ランバートは立ちあがると、逃げるようにテーブルから去った。一瞬だが、ウォリック卿をにらみつけた――ような気がした。

 テーブルで卿とふたりきりになると、ウィルフレッドは謝罪した。

「申しわけないです。作家デビューしたばかりで、舞いあがっているというか。私があとでよく言ってきかせておきます」

「ああかまわないよ。庶民とはああいうものだ。上流階級社会に嫉妬しているのさ。いくら金があっても、誇りを買えないリスター家のようにね」

 面と向かってひどいセリフを吐かれたにも関わらず、ウォリック卿は余裕の笑みを浮かべていた。

「醜い連中だ。だが平民は平民。どうあがこうが貴族にはなれないし、准男爵の称号すら買えない。哀れな存在だよ」

 ウィルフレッドはどう答えてよいのかわからず、黙って聞くしかなかった。

 デザートのアイスクリームが運ばれてくる。ウォリック卿はそっとウィルフレッドの肩に触れた。

「きみ、友人を選んだほうがいいかもしれない」

「ランバートとは付き合うなと?」

「そういう意味ではなく。彼は彼で親しくすればいい。だが、ふさわしい階級の紳士たちとの交流も大切だよ。ほら、きみは病気がちのせいで、同年代の友人もほとんどいないそうじゃないか。世間知らずに見られるのもそれが原因だ」

「……たしかにそうかもしれません」

 実年齢は卿とひとつしか変わらないのに、周囲から見ると教師と生徒のように見られても不思議ではない。

 ウォリック卿はきらっている連中には辛辣だが、根は悪い男ではない。何かあると、そっと力になってくれる。銀細工のシガレットケースをくれたとき、そう思った。

「よかったら、私が所属しているクラブを紹介しようか。あらかじめ根回ししておくから、気が向いたら連絡をくれたまえ。そこにいる連中は、みな優雅な独身者だ。結婚がわずらわしい連中のクラブなのさ。もちろん、妻帯したら脱会してもらうがな」

「クラブか……」

 ウィルフレッドは躊躇した。

 紳士たちが集うクラブはどこも会員制である。入会するにはすべての会員の承認が必要だ。だからハードルが高く、それなりの収入があるにも関わらず、所属できない者すらいる。つまり、クラブに所属することで、一人前の紳士として認められたといえる。

 一番の問題は、男性しか入れないという条件だった。

 いくら性別を偽っているとはいえ、男たちの聖域に足を踏み入れていいのか……。

「どうだい? 返事は今すぐでなくていい。だが、私の気持ちからすれば、ぜひ入会して欲しい。大歓迎するよ」

「ええ、考えておきます、ウォリック卿」

 デザートを半分だけ食べ終えたウィルフレッドは、先に席を立ってウォリック卿と別れた。表にいるランバートが気にかかったから、長居できなかった。

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