第9話 ライバルは明日…前編
使用人ホールで午後の茶を飲んでいると、執事室で郵便物を仕分けしていたマリガンが入ってきた。それぞれメイドや従僕たち宛ての手紙を手渡す。
ほとんどが家族からのものだったが、一通だけきらびやかな雰囲気を漂わせる封書があった。縁に蔦模様が描かれ、カラフルな赤い小花模様までついている。
「アレックス、おまえに豪華な手紙が来ているぞ。出版社だ」
「おれに?」
「懸賞にでも当選したのか」
「なんだろう」
催促のあった短編小説は、つい先日、郵送したばかりだ。招待されるような栄光ははるか先のことだと思っていたが。
自室に入り、開封した。読んでみたら、出版社の社長が主催するパーティーの招待状だ。なんでも毎年夏の恒例行事になっており、編集者や記者だけでなく、作品を寄稿した作家たちも対象だった。
アレックスは感動した。
――おれも作家扱いされてる!
あまりにもうれしくて、招待状を持ったまま主人のいる書斎へ向かった。さっそく報告をする。
が、ウィルフレッドはさほど興味なさそうに言った。
「ああそう。よかったな。パーティー、楽しんでおいで」
主人は社交界でパーティーや夜会に出席するのが仕事だ。だからだろう。たかが一出版社のパーティーなど心躍らないのだ。
「で、いつ? 休暇をやらないと」
「三週間後の金曜日です。ブライトンまで行かないといけませんから、日帰りは無理でしょう。一泊のホテルが用意されています」
「ブライトン?」
ウィルフレッドの深い青色の瞳が見開かれる。
「ブライトン、といえば海水浴場だよな。パーティーは海辺で?」
「はい。海辺のホテルだそうです。時間が空いたら自由に海水浴もできるとありました」
「ああ、海水浴、行ってみたかったんだ! 同行者の宿泊も用意されているんだろう? ほら、従者とか侍女がいるし」
「旦那さま、従者になるんですか? おれの代わりに重い荷物を持つのは無理です、無理。それにこれ、夫婦同伴なら、ってありますよ。記者や作家だと使用人連れていくほうが、少数派なんじゃないです?」
「夫婦…………」
「しまった…………」
アレックスは「夫婦」という単語を出したことを悔やんだ。
そう、忘れていたが、主人の中身は女性。従者は無理でも、夫婦なら問題ない。
「よし、決まりだ。水着も用意しないと。海ってしょっぱいんだろう? 舐めてみたかったんだ。魚が泳ぐのも見たいし、貝殻も拾いたい。ああ、夏用のワンピースもいるな。わくわくする!」
「だいじょうぶかな。おれ独身なのに」
主人にばんばん肩を叩かれる。
「きみと私の仲だろう。格好が変わるだけさ。いつもどおりいけば問題ない。少しぐらい失言したって、今回はメイドだ。令嬢らしくしなくてもいいさ」
「かえって不安のような」
「タダで海水浴ができるんだ。この機会を逃すものか」
アレックスは乾いた笑いが出た。
「あはは。結局、それが目的なんですね……」
家計が赤字でなかなか旅ができないウィルフレッドのため、アレックスは旅支度を始めた。
初めての海を楽しみにしている主人のために、アレックスは予算内で最高の支度をした。自分の水着は買わず、婦人用の水着を始め、さわやかなターコイズブルーのワンピース、小菊の造花がついた麦わら帽、編み物が趣味のバード夫人から借りた手提げのハンドバッグとレースのついた白いショールなどなど。
いつものように、庭園のはずれにある小屋で着替えるのを、荷馬車で待った。
着慣れない衣装と格闘しているのか、いつもより時間がかかり、ようやく姿を現した主人に感激する。
――か、かわいい!
われながらセンスが良いと自画自賛するほど、庶民風のワンピース姿が似合っていた。背の高い真面目なメイドが、奮発しておしゃれしました、という雰囲気が出ている。
今回のファッションポイントは、ワンピースの胸の下にある白いレースのリボンだ。それが切り替えのアクセントになって、ゆったりとした軽やかなシルエットを作り出していた。もし自分がかわいい少女だったら、迷わず選んだ服である。
当の本人は着心地が悪そうに、着替えたばかりの服を見ていた。
「……おかしくない?」
「いえいえいえ! 早く海に行きましょう。楽しみだな!」
「急に張り切りだしたな」
呆れ顔のサンドラを荷馬車に乗せ、鉄道駅へ向かう。
庶民として旅に出ることにしたので、いつもの一等客車に乗るのをやめ、二等にした。ひとつの客車に四人がけの座席が並び、向い合って座る。
夏の休暇シーズンだけあり、列車はいつになく客が多かった。奥まで進むと空席があった。荷物を網棚に乗せて座る。
「よかった、ここ空いているぞ!」
聞き覚えのある声とともに、会いたくない顔が見えた。
――げげっ! スケベ医者夫婦!
名前はともかく、中年医者の彼が苦手だった。サンドラはさらに輪をかけてきらっており、スケベ医者の話題を出すだけで眉をしかめるほどだ。
その天敵はにっこり笑顔であいさつをしてくる。
「やあ、きみたち。偶然だね?」
アレックスは三日前、たまたま同僚の診察に来た医者と会い、世間話をしたのを思い出す。休暇をとってブライトンへ旅行するのだと。
――偶然なものか。こいつのことだ。絶対……。
変態親父根性丸出しの夫とちがい、妻の看護婦は慈母のような笑みを浮かべている。
「わたしの妹夫婦がブライトンの近くに住んでいるの。夫がどうしても今日、遊びに行きたいっていうでしょう? だから休診にして夏の休暇を楽しむことにしたのよ」
「やっぱり。先生、おれらを観察するつもりですか?」
思いっきり怖い顔をして問いただすが、相手はまったく動じなかった。それどころか楽しそうに手を叩く。
「いやあ、きみの話を聞いたら、僕も海を楽しみたくなってねえ。偶然、偶然!」
サンドラの顔が怖かった。まったく話そうとしないが、明らかに殺意が芽生えている。怒ったときのあの目だった。
呑気な医者はアレックスの隣に座り、看護婦はサンドラの隣に座った。
「お茶を持ってきたの。いかが、サンドラさん?」
「ええ…………」
地の底から絞り出したような声だった。
あまりの威圧感に、アレックスは不安になる。目で合図をした。
――旦那さまいけません。今はご婦人ですよ!
すると少しだけ唇をとがらせる。
――わかってるよ!
そう言っているようだった。
看護婦が水筒で淹れてくれた紅茶を飲みながら、四人は世間話をした。ほとんど、医者が話し、看護婦が相づちを打つだけだったが。
「きみ、ハートレー家のお屋敷で奉公しているんだろう? しかも領主さまの従者っていうじゃないか。一度でいいから、お会いして診察したいんだよなー。でもなぜか、呼ばれない。話に聞くと、病弱らしいっていうのになあ。どうしてだと思う?」
そうふられ、アレックスは逃げ出したいのを我慢しながら答えた。
「旦那さまには専属の医者がついているんですよ。何かあれば、ロンドンからその先生をお呼びすることにしているんです。残念ですが、お会いすることはないでしょう」
医者はがっくり肩を落とす。
「ええー、そんなー。少年みたいに繊細な、若き領主さまを診察したいのになー。好きな食べ物とか、趣味とか、女性のタイプとかいろいろ知りたいじゃないか。もしかしたらお好きなのは女性じゃなくて……と、いう噂もあるけど、僕は気にしない」
アレックスは飲みかけの茶を吹き出す。
――旦那さまのまえで、あからさまな話をするなよ!
心のなかでそう叫びながら、話題を変えようとしたがむだだった。べらべらと謎の領主さまについて語る。
「僕は思うんだが、領主さまは孤独な少年のままなんだよ。病気がちで学校にもほとんど行かれなかったそうじゃないか。近いうちにお風邪でも召されて、僕をお呼びになって診察しましょうって、なればいいんだがなあ。そのとき、悩み多き領主さまに僕は言うんだ。『友達になりましょう』って。僕もあれやこれやは、ませた兄貴を持つ友だちから学んだものなー」
「そういうの旦那さまは苦手ですから。遠慮しときます」
「きみこそ、きちんと男女のそれや楽しみを教えないと。結婚してるのだろう。領主さまに良縁が恵まれるようお手伝いするのも、従者の仕事だよ。もちろん、医者の僕も相談に乗るから」
「だから、そういうのは…………」
偽装夫婦なのだからあれやこれやを話せるわけがない。
あまりにも赤裸々な話題に、アレックスは撃沈してしまう。顔が熱くなるのを感じながらうつむくしかなかった。
医者は夢見るような顔で、ため息をついた。
「ああ、ますますウブな領主さまに聴診器をあてたくなる。胸と背中とお腹とあそことむふふ……。たまらないなあ。か弱い上流階級の坊ちゃま、僕は大好物――失礼、お力になりたいんだ。薄幸の若さまか。ロマンチックだなー」
さすがにきわどいと思ったのだろう。医者はとってつけたようなセリフをつけ加える。
「――あ、言っておくが、村人すべてが健康に生活をおくるのが、僕の幸せなのだからね。その筆頭が領主さまだ!」
「ああ、そうですか……」
――やっぱりこいつ、超変態ド・スケベ野郎だ!
その領主本人が斜め前に座っているのも知らず、下世話な説を垂れる医者の姿に、アレックスは生きた心地がしなかった。
サンドラは無言を貫いていたが、わなわなと拳を握りしめ、突き刺すような視線で医者をにらみつけていた。
険悪な雰囲気を知ってか知らずか、医者は話し続ける。
「病弱領主さまってお聞きしていたんだが、最近はお元気に領地を視察されているそうじゃないか。農業や養豚、放牧の収益を上げるために、あれこれ相談や指導をされているとか。なかなか頼りになりそうだ。かっこいいなー。ああ、健康相談でもいいから、僕をお呼びいただけないかなあ」
耐えかねたアレックスは、ぼそりと言った。
「一生、ないと思います……」
だが、医者の耳にはまったく入っていないようだった。
列車がブライトンに到着する。駅で医者夫妻と別れた。妹夫婦の住んでいる町は海水浴場から少し離れているのだという。
彼らの姿が小さくなるなり、サンドラにぽかぽか頭を叩かれる。
「ランバートのバカ、アホ、マヌケ。クラゲに刺されて溺れてしまえ!」
「痛たた! だってまさか、ついてくるとは思わないじゃないですか」
「私のことをあんな風に見ているなんて、ぞっとする!」
「お嬢さまは秘密が多いですから、ああいう手合いに目をつけられやす――あいてっ!」
拳が顔面に直撃した。
「最悪の旅行だ!」
ふん、と不機嫌丸出しの顔で、彼女は歩き出した。両手に荷物を抱えながら、アレックスは続く。
幸先の良くない旅行だったが、市街地を抜けて浜辺が見えてくるといやな気分は吹き飛んだ。目の前に広がるのは青い海。どこまでも続く海原。さわやかな潮風。まぶしい真夏の太陽。
昔から保養地として知られるだけあり、砂浜に寝そべるひとびとがたくさんいた。日光浴をする者や、海で泳ぐ男たちの水着姿が見える。少し離れた浅瀬には、浴用車と呼ばれる女性が更衣に使う箱型の車が数台と、女性用浴場があった。
初めて海を見るサンドラは年甲斐もなくはしゃいだ。荷物を持ったアレックスの前で、早く着替えて泳ぎたいと言う。
「まってください。まず、荷物をホテルに置かないと。あと二時間でパーティーが始まります。泳ぐと疲れますから、明日のほうがいいと思いますよ」
「ええー、もうそんな時間?」
「パーティーに出ないと晩餐抜きになります」
「仕方ないか」
「明日は早起きして泳ぎましょう」
「そうだな」
招待状にあったホテルに到着すると、さっそく夜会用の服に着替える。真夏だから夕刻とはいえ、まだまだ日は高かった。
晩餐会用の給仕で着る燕尾服が、いつもより窮屈に感じた。今夜は仕事でなく、客がわだからだ。どんな会話をすればいいのか、今さらのように頭のなかで自問自答した。
――うーん、この前書いた、新作のこと? それとも?
さっぱり見当がつかず、不安が胸中にこみあげてくる。
いっぽう、サンドラは慣れたもので、六月の結婚式で着たエメラルドグリーンのドレス姿になると、余裕の笑みをこぼした。
「今夜は何が出てくるかな。うまい料理だったら最高なんだが」
富豪リスター家の晩餐を食べて以来、主人は美食に目覚めたようだ。でかけて帰ってくるたび、あの料理がおいしかった、いまひとつだった、と感想をもらす。
「あまり食べすぎはいけませんよ。コルセットなんですから」
「わかってるよ。さっき、少しだけ緩めたし」
「そういう意味ではなくてですね……」
呆れる自分の腕を、ぎゅっとつかまれる。
「今は夫婦なんだから、敬語はだめだよ、アレックス」
「もちろんです――じゃない。もちろんだよ、サンドラ」
少し照れくさく、笑ってしまった。
同時に震えるほどの幸福感が全身をかけめぐった。
――このまま本当の夫婦になれたらいいのに。
そう思う自分が高慢そのものような気がした。
パーティーはホテルの二階にある広間で開かれた。招待状を持って入り口のボーイに渡すと、高らかに来場を告げられる。「アレックス・ランバート夫妻」と。
早めに顔を出したのだが、すでに立食パーティーには先客が大勢いた。そのなかに見覚えのある顔があった。眼鏡をかけた青白い顔の青年――名前は……。
アレックスが声をかけてみるが、反応は鈍い。
「どなたです?」
「どこかでお見かけしたんですが」
「はて? 僕は初めてお目にかかります」
「ひとちがいかな?」
すると、サンドラに耳打ちされた。
「……朗読会のときのメンバーだよ」
ああ、そうか。彼はパトロン令夫人に見限られた、売れない作家だ。
自分は従者だったから、参加せず広間の出入り口からのぞき見しただけだった。彼が知らないはずである。おまけに今、隣にいるのはウィルフレッドではなく、サンドラだ。
「かんちがいでした。すみません。それより、あなたも今度創刊される文芸誌に寄稿された作家さんです?」
「そうだが」
「おれもなんです。こういうの初めてだから、緊張してしまって」
「へえ、新人作家くんか。僕は五年目だ。パーティーだって五回目。ここの社長、気前が良くてね。毎年、ブライトンで交流会をするのさ」
彼は――名刺を交換したあとで知ったのだが、ジャック・ヘストンといった。おどおどしていると感じたのも最初だけ、アレックスが名もない新人作家だと知ると態度が少しばかり大きくなった。
先輩らしくここでの作法を教えてくれる。
「いいかい、社長はもちろんだが、編集者に必ずあいさつをしておけ。雑誌記者じゃないぞ、文芸編集者だ。顔と名前を覚えてもらえば、優先的に仕事が回ってくる」
「へえ、そうなんですか」
「あと、作家仲間にもあいさつをしておいたほうがいい。彼らと交流を持てば、なんらかの企画や集まりに招待してくれる可能性が高まる。もちろん、僕も何かあればおかえしに、招待する」
「なるほど。助け合いっていうやつですね」
ヘストンは、不愉快そうな表情になる。
「きみ、言葉が悪いぞ。同時に僕らはライバルなんだ。人脈を利用して、さきに売れた者勝ちの世界でもある」
「書くだけじゃだめなのか。大変そうだな……」
突然、競争という名の激流に放りこまれた気がして、震えが走った。
「アレックスも食べたら? おいしいわよ」
作家ではないサンドラは呑気に料理を堪能していた。ロブスターのサラダを皿にとったのを手渡される。口に入れるが味がしなかった。
「やあ、ヘストン。新作の短編、手応えあるかい?」
「久しぶりだな、ハッチャー。今回は孤島の冒険ものだ。きみは何を?」
「増ページの創刊号だからジャンルは自由だったろう。思い切ってミステリーにしてみた。犯人はまさかの――おっと。あとは読んでからのお楽しみ」
「へえ、ミステリーか……」
声をかけてきた作家仲間、ハッチャーは明らかにヘストンより若かった。陽気な相手に対し、眼鏡姿の彼は眉間を曇らせる。
ふたりの作家仲間へ、どっと三人の男たちがやってくる。ひとりは四十代ぐらい、あとのふたりは三十代ぐらいだろうか。
「ハッチャーじゃないか。あの連載、なかなか面白いぞ。悔しいが、きみは売れっ子の階段を昇り始めたようだ」
「いえいえ。たまたまだよ。まだ学生の身分だし、先輩がたにはかなわない。物事を知らなさすぎて、毎日、資料本と格闘さ」
しかし彼の表情は優越感に満ちていた。口の端を上げ、勝ち誇った笑みを作る。
「卒業したら専業作家になるのだろう?」
「どうだろう。父が反対しているからな。早く実績をつけておかないと」
「大学の講義もあるだろうし、忙しそうだな」
「ああ。けれどここで挫けてしまえば、父の工場のあとを継がなくてはならない。できれば執筆に集中したいんでね」
「健闘を祈るぞ」
作家たちの視線がアレックスに移った。
「きみは? 初めて見る顔だな」
ハッチャーがそう言うので、自己紹介する。
「へえ、デビューしたばかりか。知らないはずだ。僕と同い歳ぐらいのようだけど、どこの学生?」
「あの、学生ではなくて。使用人を……」
「なんだって! 労働者階級の人間なのかい? 中等学校は?」
「いえ……」
「冗談だろう?」
ハッチャーだけでなく、作家仲間たちも仰天した表情を見せる。ぶしつけな質問をさらにした。
あまりにも露骨に驚かれるものだから、アレックスは何も言えなくなった。立っているのが怖くなり、その場から逃亡したくなる。
「よく編集者が原稿を受け取ったな。親戚なのかい?」
「ちがいます」
「では、どうやって?」
「どうだっていいだろう。彼は実力があるから、原稿を依頼されたんだ。もちろん、働きながら執筆した。作品に学歴は必要なのかい、きみたち?」
見ていられなくなったと言わんばかりに、厳しい表情のサンドラがあいだに入った。顔つきがすっかりいつもの紳士になっている。
「あなたは?」
眉をしかめるハッチャーに、サンドラは堂々と答える。
「アレックス・ランバートの妻だ」
「奥さんか。ずいぶん男らしいご婦人だな……」
「男らしい妻ではいけないのか、ハッチャーくん」
「いえ。ただ、驚いただけです」
「そうか。もの珍しいか。気鋭の作家なのだろう? もっと私をわくわくさせる答えを返したまえ。とんでもなくつまらない男だな」
「……」
何か言いたそうな顔だったが、ハッチャーはそれ以上、口を開かなかった。ほかの作家たちは笑いをこらえている。仲間とはいえ、ライバルなのだ。生意気な年下の彼を、あまりよく思っていないのかもしれない。
さらに別の顔が近づいた。壮年の太った紳士を見るなり、作家たちはあいさつをする。どうやら編集長のようだ。
編集長はアレックスを見た。そして言った。
「ああ、あなたがアレックス・ランバート? 想像通りの御方だ。いやあ、期待の新人だよ。寄稿した短編、とてもよかったぞ」
まさか褒められるとは思っていなかったので、アレックスは満面の笑みで答えようとしたが、編集長の手がすうっと、サンドラの前に伸びる。握手を求めた。
「ランバート女史。夫婦同伴されるから、やはり、と私は思ったんだ。いい女流作家がなかなかいなくてね。いや、いることはいるんだが、みな男性ペンネームをつけてしまうだろう? あなたはどうかな、と初めて原稿を読ませていただいたとき、迷った。写真も載せて、うちの看板になっていただけないか? 作品は少なくても、タレント性のある作家が欲しくてね。ほら、若くて美しい知的な女性だと、男性だけでなく少女たちの憧れになるだろう?」
興奮して一気にまくしてたてる編集長に、アレックスは唖然とした。もちろんサンドラも、周囲にいる作家たちも。
引きつった笑みを浮かべ、サンドラは言った。
「あの、書いたのは私でなく、夫ですの……」
「ええ?」
つぎはアレックスがまじまじと見つめられる。
「あれを書いたのかい、きみが? てっきりご婦人かと思ったよ。金はあるが、不細工で退屈な夫から逃れるために、美しい妻がそっと毒を盛る場面。あの心理描写こそ、ご婦人ならではと私は思ったんだけどなあ。なかなか面白い作家だね、きみは」
「はあ……」
「そしてまさかのラスト。妻が殺したのかとだれもが思うじゃないか。真犯人が驚きの息子。退廃小説と思わせておきながら、じつはミステリーだったとは。やられたな。あとで読み返せば、伏線がきちんとあるし、私はうれしくなったよ。期待の新人を見つけた、とね」
「ありがとうございます」
――やった、編集長に認められた!
アレックスはその場で踊りだしたいほどうれしかったが、作家たちの目が怖かった。とくに有望株のハッチャーの視線が痛い。彼もミステリーを書いたのだから、同じ雑誌に掲載となると、比較されるのは火を見るより明らかである。
編集長がその場を去って、べつの作家へ声をかけると、だれかが言った。
「あの編集長が褒めるなんて、なかなかないぞ。すごいなきみ」
ヘストンだった。そういえば、彼は作家仲間とあいさつをしただけで、あとはまったく相手にされていなかった。
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