第7話 透きとおった冷たい炎…前編



 スプリング伯爵家の歴史ある城館は大きかった。大勢の客を滞在させるための客室が数えきれないほど並ぶ。

 アレックスは薄暗い廊下を歩き、主人のための寝酒を盆に乗せて運ぶ。

――見つかれば、おれ、どうなるかな。

 晩餐会で多忙な執事の隙をつき、こっそり貯蔵室から一本のウイスキーを盗んだ。眠れないであろう、主人のために。ついでに晩餐会で余ったチーズも。

 しかし酒を盗難して罰せられる恐怖より、主人がいなくなってしまう恐怖のほうが強かった。

――旦那さまをブランドン・リスターの愛人になんかさせるものか。

 あのブルジョワ紳士はどうしようもない貪欲野郎だ。裕福な家に生まれ、最高の教育を受け、伯爵令嬢と婚約している。それだけならまだしも、あの美男子ぶりが気にいらなかった。

――まだ足りないっていうのかよ?

 あいつは自分がハンサムなのを自覚している。だからこそ、ウィルフレッドの孤独につけこみ、おのれの慰めのためだけに肉体関係を迫ったのだ。

 主人の白い首筋にあった口づけの跡が生々しい。

 そしてウィルフレッドのあの表情。

 劇団にいたころ、色男に迫られた女優たちが見せた、恍惚としたそれだった。

 自分は本物の女優ではなかったから、言い寄られてもはねつけるだけで終わったが、恋する乙女はちがう。淡い期待と甘い官能が心をくすぐってしまい、つい、からだを許してしまうのだ。

――あいつ、何度も旦那さまを泣かせやがって。

 夕刻、軽食を持ってドアを開けた瞬間、泣きはらした目を見た。それが一番、許せなかった。

 主人のいる部屋の前まで来ると、一度、深呼吸をし、笑顔を作る。警戒されればおしまいだ。

「よかった。まだ起きてらしたのですね」

 なんだ、おまえか、と言わんばかりに、彼はほっとした顔を見せた。

「これ、上等もののウイスキーです。晩餐会があったから、開封したのはいいんですが、ほとんど飲まれませんでした。旦那さま、ウイスキーがお好きでしょう。ここの執事さんが欠席された旦那さまを気遣って、届けてくれ、とたのまれたんです」

 いつもの主人らしい表情になる。

「ああ、うれしいよ。眠れそうになかったし、ちょうどよかった」

 素直に感謝する彼の姿に胸が痛む。

――すみません、それ盗んだ酒なんです。

 その罪深い琥珀色の液体をグラスに注ぎ、氷を入れ、手渡した。

 ウィルフレッドはまったく疑うことなく、ウイスキーを飲み、チーズを食べる。数分もしないうちに、倒れるようにベッドに沈み、目を閉じた。

 さすが伯爵家が使っている薬だけある。睡眠薬の効き目は抜群だった。念を入れて少しだけ多くグラスに混ぜておいた。

 アレックスは乱れた主人の寝巻きを整え、そっと毛布と布団をかけてやる。

「安心してお休みください。おれが卑劣な紳士から守りますから」

 そしてオイルランプの灯りを消すと、自分も毛布を被ってソファで仮眠した。

 どれぐらい経っただろうか。

 ドアが開き、足音がして目が覚めた。確実な証拠が欲しくて、寝たふりをする。

 足音がさらに近づき、止まる。ウィルフレッドのベッドの前だ。

 ふう、っとため息が聞こえた。

「きみ、待ちくたびれて眠ってしまったのか。仕方がないから、僕から来たよ」

 返事はない。当たり前だ。睡眠薬で夢も見ず、ぐっすり眠っているのだから。

「僕の眠り姫は疲れてしまったようだ」

 がさごそと布と布が擦れ、肌へ唇を落とす音が聞こえた。

 今だ。

 アレックスはそばに置いていたランプの火を灯し、立ちあがる。

「ミスター・リスター。夜這いとはどういうおつもりですか?」

「な、なんだ、きみはっ!」

 寝間着にガウンを羽織ったリスターは目を丸くする。彼の手は掛け布団を剥がし、主人の寝間着をめくる寸前だった。

「どうしてここにいる?」

「それはおれのセリフですが」

「使用人ごときが、主人の寝室にいていいのか?」

「旦那さまを守るためです。夜這いをする男から、ね」

「……サンドラ嬢は、きみに僕のことを話したのか?」

「相談されました。すぐにピンときましたよ。あなたさまのことだから、きっと痺れを切らして訪問されるだろうって」

「くそう。小賢しい召使め」

 苦々しい顔でそう吐くリスターは、まるで本能を剥きだした猿のようだった。目をぐりぐり見開き、口の端を吊り上げる。せっかくの男前が台無しだった。

「さあ、今夜はお引き取りください。そして二度と、旦那さま――サー・ウィルフレッドに迫らないでください」

「何がサー・ウィルフレッドだ。笑わせる。彼女は男装した紳士にすぎないんだぞ」

「なぜ、笑わせるのです?」

「決まってるじゃないか。彼の存在こそ、不自然極まりない」

 アレックスは悲しくなった。

 たしかに主人と知り合った間もないころは、自分も同感だった。なぜ、令嬢として生き直そうとしないのか、と。

 しかし、今はちがう。主人といっしょにすごすうち、リスターのような考えは、かえって追い詰めてしまうのだと知った。

「ミスター・リスター。サー・ウィルフレッド――いえ、サンドラお嬢さまを本当に愛されているのなら、静かに見守っていただけませんか? お嬢さまはご自身なりの方法で爵位と領地を守られているんです。おれたちが無理に奪っても、悲しまれるだけです」

「まさか。母親のために、我慢して守っているんじゃなかったのか?」

 アレックスは首を振った。

「いいえ。ドレスを着る人生がおいやなんです」

「そんなご婦人いるのか?」

「目の前にいらっしゃいます」

「嘘だ。嘘だ……」

 にわかに信じられないらしく――しかし思い当たる節があるようだ。

 リスターは目を閉じ、ぎゅっと拳を握りしめる。ううん、と小さく唸り、しばらくするとようやく決断したのか、琥珀色の瞳を見せた。眠っているウィルフレッドの手を取ってそっと口づけをし、語りかけるように言った。

「僕はきみの優しさがたまらなく愛おしいんだ。だけど、友人としては無理だ。どうしてもそれ以上のものを求めてしまう。すまない」

 やりきれないように頭をふり、ため息とともに手を放すと、ベッドへ背を向けた。

――よかった。あきらめてくれた……。

 安堵するアレックスだったが、去りぎわ、リスターは自分に強烈な言葉を残す。

「わかったぞ。きみもサンドラ嬢を愛しているのだな。しかし僕より分が悪いな。使用人と主人では、天地がひっくり返ろうが、結ばれることはありえない」

「……」

「気の毒に」

 まさか。

 アレックスは心のなかで否定するのだが、その瞬間から、見えない冷たい炎がおのれを包みこむのがわかった。



 ようやく完成した原稿を何度も読み返し、封筒に入れた。タイプライターで清書した最新作は、数えきれないほど書き直した代物だ。前回、劇団の支配人に読ませた脚本より、はるかに出来が良い――はず。

 緊張しながらソーホーにある某二流劇場の裏口に入る。あらかじめ電報で知らせておいたから、すぐに支配人が事務室へ入ってきた。

 だが期待も虚しく、「上演は厳しい」という答えだった。

「なぜです? 陳腐にならないよう、工夫したんですけど」

 パイプをくわえた支配人は苦笑した。

「大衆受けしない。だいだいだな、主人公が猿、というのがいただけない。だれが演じるという? 猿の仮面か? それこそお笑い劇場だ」

「インパクトありますよ」

「喜劇ならな。悲恋がテーマのファンタジーに、猿は合わない」

「そんな。会心の作品だったのに…………」

 努力がたちまち水泡化した。がっかりしすぎて、事務室のソファでうなだれるしかなかった。

 そんな自分を哀れに思ったのだろう。支配人は原稿を返しながら言った。

「始めに言ったろう。大衆受けしない、と。ある程度深読みができる観客でないと、これは理解できない。しかし、素養ある観客だと、反応がちがうかもしれないぞ」

 ますます意気消沈してしまう。

「ああ、文学チックってことですか。小難しく書いたつもりはないんだけどな、おれ」

「まだ小説のほうがいいかもな」

「小説か……」

 小説こそ、星の数ほどあふれいている。注目されるには、まず文芸誌で発表する必要がある。だが、学歴も人脈もない自分には、あてがなかった。かつて働いた劇団しか、伝手がない。

「まあ、出来は悪くないんだ。趣味にしておけば、どこかの気まぐれ貴婦人がパトロンになってくれるかもしれないな。あはは!」

 支配人は愉快そうに笑うのだが、まったくおかしくなかった。

――ああ、くそう。これじゃ、書いても書いても出口が見えないな。

 事務室を出てむしゃくしゃしていると、かつて共演した女優たちが、いっせいに楽屋から出てきた。

 リンダ筆頭に、アレックスに向かって質問攻めが始まる。

「アレックス! 元気そうね。まだサー・ウィルフレッドにお仕えしてるの?」

「うん」

「舞踏会とか開かれる?」

「いいや」

「えー、残念ね。准男爵さまは劇はお好き?」

「どうだろう。あまりそういうお話はされないな」

「ねえ、ねえ。今度、准男爵さまをうちの劇に誘いなさいよ。あたしたちがうーんと歓待するからさ」

 結婚を夢見る乙女たちにウィルフレッドが囲まれる姿を想像したら、背筋が寒くなった。破談になったフォーブス嬢の二の舞いだけは避けたい。

 だが無下に断るとあとが怖いので、愛想笑いでごまかした。

「いつかね。あまり丈夫な御方じゃないし。たびたび遠出はできないんだ」

「ええー、残念。それよりさ、支配人はどう言った? 上演できそう?」

「無理、無理、無理……」

「なーんだ。がっかり」

 リンダのその言葉を合図に、女優たちは楽屋へもどってしまった。ひとり残ったのは年増女優アントニアだった。

「あてが外れたんだよ、彼女たち。まったく、図々しすぎてしょうがないね」

「すげえ露骨すぎて、萎えた……」

 アントニアは苦笑する。

「あはは。前は『マリーローズちゃん』って呼ばれてたのに、ついにあんたも夫候補に入ったようだよ。気をつけないと、色仕掛けがまっているからね」

「劇作家になれそうにないから、それはないよ」

「まあ、二流劇場だからね、ここ。あんたのほかにも、脚本持ってくる連中がいるんだよ。一流は無理だけど、三流は安っぽい。ちょっとした野心家には格好の劇場なんだろうねえ」

「まさしくおれだ…………」

 アントニアの指摘が心に突き刺さる。傷心しながら、裏口を出る。

「ほかの劇場で交渉してみなよ」

「ありがと。考えとく」

 口ではそう答えるが、今すぐにでも街のゴミ箱へ捨ててやりたいほどだった。

 鉄道駅まで歩いていたら、某劇場のまえを通った。午後の上演待ちの客たちが、列を作ってならんでいる。人気がある作品らしい。

 アレックスは看板を見た。今、評判の悲劇『ヘンリー八世と仕立屋』だった。脚本は小説家でもあるレナード・モンティーニ氏だ。観劇をしなくても、だれもが一度は名前を聞いたことがあるほど有名だった。作家を目指す者や、売れない者にとってはあこがれの存在だ。

 雑誌にときおり肖像写真が載っていたが、なかなかの美男子である。名前がしめすとおり、イタリア系の氏は、黒髪とギリシャ彫刻のような端正な顔立ちをしている。豪快な作風そのままの印象だった。

――おれもいつか、ああなりたいな。

 看板に自分の名前が書かれた未来を空想したら、バカらしいと思いつつも、少しだけ気分が軽くなった。



 ハートレー家の田舎屋敷に帰ると、すぐに主人に呼ばれた。着替えもそこそこに、書斎へ入る。

 執務机を指で叩きながら、ウィルフレッドは眉をひそめた。

「ゴードンのくそったれが予告なしに来た。今、玄関ホールで待たせているが、おまえも来い。あいつのことだ、何をしでかすかわからない」

「かしこまりました、旦那さま」

「マリガンにも言って、私の護衛をしろ」

「はい」

 執事室へ行くため、書斎を出るアレックス。直前、ウィルフレッドが部屋着のスーツの懐へ、コルト製の拳銃を忍ばせる姿を見て、複雑な気持ちになった。

 ウィルフレッドの従兄、ゴードン・ハートレー氏が通されたのは応接室だった。あらかじめアレックスと従僕ハンクが待機し、左右に別れて椅子に座った主人の横に立つ。

 執事マリガンがゴードンを案内したら、入り口へ待機させ、あいさつもなしにウィルフレッドが言った。

「さあ、持ってきた金を出せ。そして、床に置け」

「せっかちだな」

「ごたごた言うな。私の指示に従え」

 しぶしぶゴードンは懐から札束を出す。腰を落とし、絨毯へ置いた。

「それだけか?」

 眉をつり上げるウィルフレッド。

「無理言うなよ。僕だって生活がある」

「それがどうした。きさまはわが家の召使を飢え死にさせる気か? 来月はその倍、返せ。いいな、ゴードン」

「……」

 不満いっぱいの表情のゴードン。

 そのまま黙って帰宅してくれればよいものを、またも余計な火種をまいた。

「親父から聞いたぞ。あの淫売――失礼、レディ・ハートレーが投資詐欺にあったそうじゃないか。かなりの金額を奪われたとか。その腹立ちを僕にぶつけてもらっても困るよ。世間知らずの准男爵どの」

 ウィルフレッドは舌打ちする。

「あい変わらずきさまは一言多いな。その舌禍、私が抜いてやろうか。それともいっそ――」

 アレックスは息をのむ。銃口がゴードンへ向けられていたからだ。

 さすがにやりすぎだと、執事マリガンが青い顔で止めに入る。

「だ、旦那さま。お金ももどってきたことですし、ゴードン氏にお帰りになるようおっしゃっては?」

「侮辱したのが許せない。一度ならず、何度も。きりがないほど、私をバカにした。毒入りの菓子で殺そうとしたこと、忘れていないからな」

 まったく悪びれることなく、ゴードンは言いわけした。

「何のことだ? 毒菓子? 被害妄想がすぎるぞ」

 そう言い終わった瞬間、拳銃が火を吹いた。

 マリガンは硬直し、ハンクは絶叫し、アレックスはウィルフレッドの拳銃を取りあげる。

「いけません、旦那さまっ!」

 弾は応接間の壁紙を焦がし、めりこんでいた。そのわずか数インチ横に立っていたゴードンは、失禁したのか蒼白なままズボンを濡らす。

 ウィルフレッドは腹を抱えて笑った。

「あははっ! みっともないぞ、ゴードン! つぎは私がきさまの失態を社交界へ広めてやる。職業軍人のくせに、世間知らずの病弱准男爵にしてやられたのだからな。言っておくが、射撃の腕には自信があるんだ。面子をつぶして悪かったな!」

「……」

 茫然自失するゴードン。いくら氏が悪いとはいえ、アレックスは笑えなかった。

 見ていられないと判断したらしく、マリガンがハンクに耳打ちをする。ハンクが応接間を出ると、数分もしないうちにゴードンが連れてきた執事がやってきた。彼は魂の抜けた主人を連れ、ハートレー家の屋敷を逃げるようにして出て行った。

 その夜、いつものようにアレックスは就寝前の酒を主人へ運ぶ。

 ベッドに入ったウィルフレッドは、ナイトテーブルに置いていた銀細工のシガレットケースを手にした。うっとりとした顔で見つめ、愛おしそうに指で撫でる。

――あれから少し、変わられたんだよな。

 スプリング伯爵令息であるウォリック卿が、友情の証としてウィルフレッドに手渡したシガレットケースだ。蔦模様が施されたケースには、卿のイニシャルが刻まれている。卿は洒落者――ダンディとして知られ、紳士たちの流行を生み出すほど、伊達男な貴公子であった。

 そのウォリック卿に「認められた」ことが、ウィルフレッドにとっては誇りになったのだろう。堂々と社交界へ顔を出すようになり、態度がさらに紳士らしくなった。

 紳士らしくなった、と言えば聞こえはいいが、アレックスは少し不安になった。

――無理して、以前より男らしくされてるんじゃ……。

 主人の個人的な心情にまで立ち入る気はないが、そばで見守る自分の目には、いささかぎこちなく映った。



 その日は晴天だった。昨日までの雨が嘘のように止み、五月の陽気が主人に同行したアレックスを照らす。

 領地にあるハートレー家の農場を訪れるのは初めてだ。先代のころからほとんど農場主に管理を任せきりにしており、そこから上がってくる農作物の売上を当主が収める、という形だった。

 しかし年々、減っていく収入は、ハートレー家の家計を圧迫する。海外――とくにアメリカから輸入した穀物のために、小麦の相場が下がったのだ。それはウィルフレッドだけでなく、領主たちの大きな悩みのひとつだった。

 箱馬車から降りたウィルフレッドのあとを、アレックスは鞄片手に同行する。なかにはマリガンがあらかじめ集めていた、農場の経営状況を記した書類が入っていた。

 小さな屋敷から出てきた壮年の農場主に出迎えられ、食堂へ案内される。昼食時だったので、テーブルには農場で採れたのだろう、野菜やチーズ、肉料理が並んでいた。屋敷で出るものより素朴だが、新鮮な田舎料理だった。

「さあ、召しあがりくださいませ、サー・ウィルフレッド。いやあ、旦那さまがわが家を訪問するなんて、先代さまが一度あったぐらいでしょうか。大変、光栄です」

 領主らしい落ち着いた笑みを浮かべ、彼は言った。

「歓待ありがとう。しかし話は明るいものではないことを、あらかじめ謝罪しておくよ。農場の経営が想像していたより、悪化しているようだね」

 さっきまで笑顔だった農場主の顔が曇る。

「ええ、まあ。昨年は夏が涼しかったですし、小麦の相場が下がるばかりで。いえ、収穫量はわたくしが若いころより増えているのですよ」

「そうだろうな。ならば、小麦だけでなく、もっと売れそうな作物はないかな。そうだな、よければ私が種のカタログを取り寄せようか。良さそうな品種があれば、わが家の家計で購入しよう。あと、最近、化学肥料というものが出回っているそうじゃないか。家畜の糞だけでなく、思い切って使用してみないか?」

「は、はあ……。いろいろご存じなのですね」

 農場主は面食らっているようだ。ただのご機嫌取りのつもりだったのだろうが、まさか本気で経営に口を出すとは思っていなかったにちがいない。

 黙ってようすを見守るアレックス。つい、笑みがこぼれる。

――旦那さま、がんばって情報を仕入れてらっしゃったものな。社交界に顔を出したり、書物を取り寄せたり。

 食事もそこそこに、真剣な話し合いが二時間ほど続いた。

 ようやく交渉がまとまり、アレックスたちは帰路につく。箱馬車に乗り、屋敷へ向かって馬が歩き出した。

 だが、さきほどまで活発に話していたウィルフレッドの表情が曇る。馬車に揺られながら、口元をゆがめた。

「……きた」

「何がきたんですか」

「……あれだ」

「あれ?」

「どうやら、今回は最悪らしい。明日から一週間、全ての予定をキャンセルしろ」

「ええ? 具合が悪いのですか!」

「いつものあれだ。いまいましすぎて、情けなくなるよ」

 それから彼はしゃべらず、ひざ掛けを握りしめたまま目を閉じた。

 屋敷に到着するなり、ウィルフレッドは寝室にこもってしまった。寝間着に着替え、ベッドに横になる。晩餐の時間がやってくるころは、うめき声が聞こえるほどだった。

 あまりにも苦しそうだから、アレックスは二度、三度、加減をたしかめる。

「お薬を用意しましょうか」

「ああ。痛め止めをたのむ」

 寝室を出、階下にある家政婦室のドアをノックした。バード夫人が出てきたので、主人のために薬を用意して欲しいと告げる。

「あらまあ。頭痛かしら」

「ええ、まあ、たぶん」

「はっきりしないのね。医者を呼びましょうか」

「そこまでじゃないよ。とりあえず、鎮痛の薬があればいいってさ」

「そう。心配ね」

 アレックスはごまかすしかなかった。

――旦那さまが月経痛だなんて、絶対言えるわけがない!

 冷や汗をかきながら、薬と水を乗せた盆を持って寝室にもどる。苦しそうな主人を起こしてやり、薬を飲ませた。

 早く良くなるよう祈りながら、アレックスは寝室を出た。

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