第2話 霊
吉田が私の腕を掴んだ。
「隠れて」
「え」
短い言葉と共に二の腕をつかまれ、ぐいっと強引に教室に引き戻された。
私を掴んでいるのとは反対の手で、吉田は教室のドアを閉めて鍵をかける。
わけのわからない私をそのままに、吉田は反対側のドアにも駆け寄って鍵を閉めた。
えっと、ほんとに何?
「……ヤバイ」
吉田が呟く。
こめかみにうっすら汗が滲んでいる。
「体調でも悪いの?」
軽く吉田の顔を下から覗き込む。
かなり顔色が悪い。
ずるずると、その場に吉田は座り込んだ。
よく分からないけれど、尋常でないのは確かだ。
「ここで待っていてね。いますぐ坂下先生呼んで来るから」
「いや、無理……」
宿直の先生を呼びに行こうとする私の手を、吉田は握り締めて引き止めた。
「それより、これを、左右のドアの前に撒いてくれ……」
苦しそうに、吉田が制服のポケットをまさぐり、小さな和風の小袋を手渡してくる。
その和風の小袋は、美術の時に吉田が使うのを何度か見たことがあった。
吉田は、絵に塩を使うのだ。
小袋を開けると、やはり中身は白い粉。さらさらとした塩だった。
でもかなり少ない。
教室の左右のドアにぱらぱらと撒くと、それでもう無くなってしまった。
これに何の意味があるのか。
そして、さっきの少女が、教室のドアの前に立っているのが見えた。
(彼女に先生を呼んできてもらえばいいんじゃない?)
少女が教室のドアに手を伸ばす。
瞬間、彼女の顔が歪み、引っ込めた指先がぐじゅぐじゅと赤く爛れだす。
「ちょっと、大丈夫?!」
慌ててドアを開けようとする私を、吉田が強く引き寄せる。
「絶対に、開けるな。じっとしてて」
さっきよりは顔色のましになった吉田が、低く呟く。
一体、何が起こっているのか。
ドアの前の少女は、じっとこちらを見つめている。
でも。
(……目線があっていない?)
まるで私が見えていないかのよう。
怪我をした指先を少女は忌々しげに噛んだ。
「座って」
座り込んでいた吉田に引っ張られて、私もその場に座り込む。
そのまま吉田は小袋を握り締めて、じっとしている。
「彼女は、吉田の知り合いなの?」
「そんなわけ無い」
「まぁ、そうよね。じゃあ、何で隠れてるの?」
「……幹原って、鈍いのか。視えてるのに。アレがなんだか、わかっていないのか」
その言葉で、なんとなく、私にもわかった。
きっと、視えちゃいけない何か。
この世ならざるあちら側の人。
そのせいで、吉田は体調を崩してる。
でも私の目にはごく普通の女の子に見えるのだ。
ゾンビのように腐っていないし、ホラー映画でよくみるような、身体があらぬ方向に曲がっているとか、そういった特徴がまるで無い。
昼間の学校ですれ違っていても、特に何も感じないだろう。
黒目がちの瞳は大きくて魅力的だし、さらさらのストレートヘアは癖っ毛の私からしたら羨ましい限り。
今だって、私には何も感じないのだ。
独特の存在感だとか、背筋が凍るような恐怖心とかが。
教室で吉田を見つけた時のほうがよほど怖かった。
「彼女は幽霊、なの?」
「まあ、そう」
「何で吉田は狙われているの」
「俺が狙われているわけじゃない。俺らだ」
「私も? 彼女に何もしてないよ?」
「俺だって何もしていない」
「じゃあ別に気にしなくても大丈夫なんじゃ」
同級生にしか見えない彼女なら、そのまま別に挨拶をして通り過ぎればいいのでは。
もっと姿形が異形なら、私だってそんなことは思わないし、多分今頃泣き叫んでいるけれど。
ドン!
ドンドンドンドンドンドンッ!
急に教室のドアが激しく鳴り、教室全体が揺れ始めた。
パラパラと天井から埃が落ちてくる。
チカチカと蛍光灯がちらつき、フッと掻き消えた。
一気に教室は闇に包まれ、揺れは激しさを増してゆく。
「何事も無く通してくれるとは、思えないだろ?」
苦笑する吉田に、私は涙目でこくこくと頷く。
揺れは止まらない。
あああ、ごめんなさいごめんなさいごめんなさい。
幽霊を馬鹿にしていたわけでもなんでもないんです、ただ、怖くなかっただけなんですっ。
「これ、どうなっちゃうのかなっ……」
「朝まで教室が持てば、大丈夫だな」
「持たなかった場合は?!」
「……言った方がいいか?」
「……いえ、聞かなかったことにします」
きっと、聞いてもいいことは何もない、うん。
「教室、壊れたりしないよね?」
「どうだか。彼女の力次第だな」
「吉田って、よくこうゆう目にあうの?」
「結構ね。ばあちゃんがいわゆる霊感体質って言うか。親はまったく無いんだけどね。なぜか俺に隔世遺伝」
「じゃあ、もしかして、御札とか持ってて、戦えたりする?」
「あったら今頃そうしてるよな」
「でもこうゆう時の定番だと思うの。霊感少年が御札で戦うって」
「それが定番なら、幹原は今頃魔法のステッキ片手に変身して戦ってるよな」
「無茶言わないで?」
「俺にもかなり無茶いってるぞ。……っと、彼女の怒りが増してきましたよっと」
ドンっ!
一際大きな振動でドアが軋む。
直後、ビシッとドアの窓に亀裂が走った。
「幹原、逃げるぞ」
顔色が大分良くなってきた吉田が、私の手を掴んで立ち上がる。
「逃げるって、どこへ?」
「外しかないだろ」
「ここ三階だよ?!」
「じゃあこのままここにいて、彼女にされるがままになってみるか?」
それは嫌だ。
何をされるかわからないけど、絶対、命が無い気がする!
吉田がベランダの窓を開け放つ。
廊下とはまた違う、冷たい新鮮な空気が教室に流れ込んだ。
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