第6話 家庭科室

 どうしようどうしようどうしよう?!


 坂下先生を前に、私の思考はどうしようという言葉ばかりを繰り返した。

 吉田が私を庇うように立ち上がり、前に出る。

 でも吉田は先生と戦えるはずがない。

 さっき先生にあんなに殴られたのだ。

 頭の出血は止まったけれど、ここにある武器なんて椅子ぐらい。

 いまの吉田に椅子もって戦えるわけがないし、私だって、せいぜい投げる程度しか。

 投げても先生を止められなければ意味がないし、当たり所が悪かったら……と考えると、ぞっとする。

 さっきは吉田を助ける為とはいえ、咄嗟に消火器をぶつけた私がいえることじゃないかもしれないけれど、坂下先生にも怪我なんか本当は負わせたくないのだ。

 でも。


 どうしようどうしようどうしよう。


 じりじりと、私と吉田は後ろに下がる。

 先生から決して目を離さずに。

 じりじり、じりじり。

 少しずつ先生から距離をとる私達の目の前で、先生が、一歩、部屋の中に足を前に踏み出す。

 私達の間に緊張が走った。

 一瞬でも目をそらせば、飛び掛られ、殴り飛ばされる。

 そう思った。

 けれど先生は、それ以上部屋に踏み込めなかった。

 その場に、ぐらりと倒れ込む。

 踏み出した足は、私が消火器をぶつけてしまった足だった。

 消火器で傷を負った足は、坂下先生の筋肉質な身体をもう支えきれず、ぐにゃりと折れ曲がったのだ。

 そして坂下先生は、這いながら家庭科室の机に手を伸ばし、呻いて虚ろな瞳で私達を見つめながら立ち上がる。

 けれどそれ以上は動けない。

 もう片足は使えなくなっているのだろう。

 この状態の先生になら、武器のない私達でもどうにかできるんじゃない?

 そうっと横を抜けるぐらいなら……。


「ぐぉあああああああああああああああっ!」


 そんな私の希望的観測を吹き飛ばすように、先生が再び雄叫びを上げた。

 目は完全に白目を剥き、口からは獣のように涎が垂れた。

 私と吉田は思いっきり後ろに下がる。 

 先生が立ち上がる。

 曲がった足の痛みはきっと無い。


 椅子、投げる?

 

 その考えが頭をよぎった。

 けど、椅子なんか投げつけてしまったら、今度こそ取り返しがつかなくなるんじゃない?

 逃げれるかもしれないけど、そんなのは、駄目だ。

 

 とんっ。


 じりじりと先生から距離をとっていた私の背中が、家庭科室の戸棚に当たった。

 戸棚のガラス戸から、食器類のほか、各種調味料が保存されているのが見えた。

 薄暗い中にぼんやりと浮かび上がる白い調味料に、私ははっとした。

 砂糖や胡椒、味醂や醤油と共に、見慣れた白いそれは、塩。

 紛れも無く塩だ。

 塩が戸棚の中に入ってる!

 私は戸棚の硝子戸を思いっきり引っ張った。

 でも開かない。

 くっ、やっぱり鍵が閉まってる。

「俺が開ける」

 言うが早いか、吉田が思いっきり硝子戸に肘鉄を食らわす。

 パキンッと軽い音と共に硝子戸が砕け散った。

「ちょっ、吉田?! 学校の戸棚だよっ」

「非常事態だろ」

 戸棚に入っている塩を掴み取る。


「逃がすかぁああああああああああああああああ!」


 先生が叫びながら私達に突進してきた!

 吉田は、思いっきり坂下先生に塩を袋ごと投げつけた。

 先生が腕を振って塩の袋をはたく。

 その瞬間、袋から真っ白い塩が、坂下先生に大量に降り注ぐ!



「「ぎゃあああああああああきゃぁああああっーーーーーーーーーーー!!」」



 直後、響き渡る絶叫。

 坂下先生の声に混じり、少女の悲鳴のような叫び声が重なった。

 ビクンッ、ビクンッ。

 絶叫を上げながら数度痙攣し、床に倒れてもだえ苦しむ先生。

 その身体から、何か白いモノが抜け出して逃げていくのが視えた。

 そして完全に動かなくなる先生。


 まさか、今抜けていったのって、先生の魂?!


 慌てて私は先生のそばに駆け寄って、屈みこむ。

 先生がいま飛び起きたら私は一貫の終わりだけれど、どうしても生きていることを確かめたかった。

 私が坂下先生の胸に手を置くと、少し小さくて荒いけれど、胸が上下に動く。

 先生は確かに息をしていた。

 さっきの白い塊は、きっと、幽霊の欠片か何かに違いなかった。

「良かった……」

 ほっとして、また涙が出た。 

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忘れ物をしたせいで 霜月 零 @shimoduki

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