2章-5  言葉の詰将棋



 前回。

 セリス=マゼリアから殺されそうなくらい嫌われている《まれびと》になってしまった。

 などと言う悪夢のような結論に到達した磯城とアガサ。


『「…………………。」』


 四面楚歌と言う四字熟語すら生ぬるい状況を前に磯城の額から一筋の汗がたらりと落ちる。

 その直後先程から散々体験した胸の動悸が再びよみがえる。 


「で、でもさあ。殺した程度じゃ死なないんだろ?空間が歪むんだろ?そんなことないじゃん。ってか空間が歪むなんて自分はもちろん世界最高の魔術師、《センチュリア》でも無理じゃない?」

『……。』


『(……確かに今現在空間の歪みは坊ちゃまはおろか半径1km以内には観測されていません。)』

「だったら!!」

『(ですが。)』

『気付いてないんですか?坊ちゃま。腕をもう一度よく見てください。』

「………?」


 言われた磯城は袖をめくり腕を見た

 しかし腕には|傷どころか(・・・・・)|シミひとつない(・・・・・・・)。


「うん何もないぞ。アガサ。」

『あ、あの……坊ちゃま?先程までどんな目に遭われているんでしたっけ?』

「そりゃあ、荒縄でぐるぐる巻きにされて……。」


 そこで言葉を止めた磯城はハッとした顔になって腕をマジマジと見ながらポツリと一言もらす。


「縄の痕が……なくなってる?」


 そう。

 数分前には「当分消えそうにない」くらいにくっきり残っていたはずの縄の痕が完全に消えてしまっている。 それくらいの痕がほんの数分のやり取りの間に消えるなんてことはないはずなのに。


「い、いやもう痕がなくなったのはリベラさんは痕の残らない縛り方がうまかっただけじゃないかと……。何でもできそうだしあの人。」


 磯城はとっさに否定した。

 しかし彼は知らない。ぐるぐる巻きにしたのはリベラではなく傍らにいた少女……シャノアであることを。


『………。』


 そうなれば彼はあの少女にもそんなスキルがあると強く言えるだろうか?と思わず考えてしまったアガサ。

 そう考えつつ、アガサの追及はまだ続く。


『坊ちゃま?足はもういいんですか?』

「え?足?足がどうかしたっけ?」

『………坊ちゃま。《セリス=マゼリア》に来てから今まで非日常と命の危機の連続で大変だったのは分かりますが……。』


 若干呆れながらもアガサは質問をする。


『あのツノイノシシから逃げている時に足を挫いたとおっしゃっていましたよね?しかも立てないくらい痛かったとか?』

「あ…………。」


 そう。あの時磯城は足をくじいて立てなくなってしまったためにツノイノシシからの逃走から撃破へと移行したのだ。


『(どうですか?坊ちゃま?)』

「い……痛くない……。」


 その立ち上るのさえできないくらい痛かったはずの足首はもう何の痛みもない。

 それは当然だ。何しろ足を怪我したことすら完全に忘れていたのだから。


「……………。」

『(えーと。)』


 磯城は黙ること一瞬。


「い、いいいいいいや。もしかしたら捻挫じゃなくて大した怪我じゃないとか……ほら1時間で痛みが引くこむら返りとかさあ?」

『(……坊ちゃま。)』


 この時点で内心では完全に認めてしまっていたが、諦めの悪い磯城はそれでも必死になって現実逃避傍を図る様子を見たアガサはこれ以上ないくらいに哀れな気持ちになっていた。

 アガサが現在ホログラムを使った実体化をしていれば憐れむような目で磯城を見つめていただろう。


『(ごめんなさい坊ちゃま……。)』


 それでも、彼がどれほど頑張っても、アガサの追求は止まらない。


『(それと…………もう1つ。)』

「まだあるの!!」


 正直もう勘弁して欲しいと言わんばかりに喚くように叫ぶ。

 アガサとしては心を痛めるが磯城のこの先を考えると言わない訳にはいかなくなるために心を鬼にして磯城にトドメをさしていく。


『(首。さっき斬られましたけど大丈夫ですか?)』

「……あ。」


 そう。つい先ほど尋問の最中でシャノアに首筋を軽く切られ血を流してしまっていた。

 ほんの十数分前の事なので傷が塞がっているにしろ怪我は存在していなければならない。


「……。」


 だが。磯城は心の中で思う。

 なぜ今斬られた首筋が痛んでいないのかを。


『坊ちゃま。その傷お確かめください。』


 アガサにそう言われた磯城は反射的に首筋……つまり斬られたところに手を伸ばす。

 しかし、そこに傷口に触れた時に起こる独特の痛みも触れた部分が液体で濡れる感触も感じなかった。


「………。」

『塞がってますね。完全に。』

「…………むぐう。」


 これにて論破完了チェックメイト。将棋で言う玉将の立場で言えば駒をすべて取られ周囲を敵に囲まれている有様だろう。

 しかし、磯城はアガサが考えている以上に諦めが悪かった。 


「………斬られてなかったんだよ。斬られた気がしたからプラシーボ的な痛みが発生して……。」


 将棋で言えば待ったを連発されている達の悪い棋士を前にさすがにいら立ちを隠せないアガサはバッサリと切り捨てる。


『(斬られてました。血が出てました。間違いありません。証拠写真も見せましょうか?)』

「……いや、いい。」


 証拠もあると言われては引き下がるしかない磯城。

 だがそれでも粘る。本当に粘る。


「……ま……。」

『………ええ……。』


 まだあるんですか?という無言の主張を無視し言葉を進める。


「………魔法でも使ってたんじゃ………。」


 魔法。

 魔法とは魔力と言うこの世に存在しないエネルギーで起こる現象。

 あらゆる物理法則が通用しないこの現象ならば奇蹟や幻想も科学以上に容易に作り出せる。


 しかし、その彼が弱弱しく主張するのには理由がある。


 例えば魔法理論の存在。現行の魔法理論では魔法を現象を定義している以上決して起こりえない現象は起こらない。

 将棋で言えば王将がとられれば負けと言う絶対的なルールを変更できないのと同じだ。

 なのでRPGの如く呪文を唱えてHPを回復させるという便利システムなどは存在しない。

 しかし、ここは地球よりも魔法の歴史が長い|セリス=マゼリア(いせかい)。法則の歪み次第ではもしかしたら軽い切り傷程度なら実用化しているかもしれないというわずかな希望があるからこそ、こうして可能性を提示した。


「(……したんだけど……。)」


 しかし、それでも彼はこの可能性をかけらも信じてはいなかった。


『では魔術師である坊ちゃまに質問です。リベラ・ノースコートと傍らにいた白少女。どちらかでも魔法を使っておられましたか?《眼》を持っている坊ちゃまなら分かりますよね?』

「………使ってませんでした。」


 お忘れの方もいると思うが、《魔術師》とは滅亡しつつある地球を救済するための魔法の研究者。

 当然魔法を研究する以上動力源たる魔力を知覚できるようにならなければ意味はない。

 よって彼は魔力を目視できる目を持っていたとしても何らおかしいことはなかった。

 そんな彼の目が何の魔力の流れを取られられなかったからこそ、これが魔法による力でないことは最初から分かっていた。

 そしてとうとう彼は投了した。

 

「…………は~。分かったよアガサ……。取りあえず、本当に取りあえずだけど今だけはそういうことにそういうことにしておいてあげるよ……。」

『………………諦めが悪すぎです坊ちゃま。』


 アガサの盛大なため息を吐きながら磯城は考える。

 結局、《まれびと》がなんなのかは分からない。

 結局、《まれびと》がなぜ嫌われているかもわからない。


 それでも磯城は内心では確信した。


 自分は。御陵磯城は。《まれびと》なのだということを。

 

「ねえ。コレってマズクナイ?」

『分かりません。分かりませんが……。自分達が《まれびと》だという事が分かってしまうと非常にマズイという事だけはわかります。』


 先程の尋問で感じていたことだが、《まれびと》嫌うというよりも憎むという表現の方がしっくりくる感じだった。

 特に傍らの少女からは口に出す言葉の端々からさっきのようなものが感じられ一緒にいると背筋の震えが止まらなかったほどだ。

 

 実際以上の結論は推測の域を出ていないのでもしかしたら、本当にもしかしたら違うかもしれない。

(しかし、心の中ではもうそれは違うと確信している。)


 もし。自分が《まれびと》だと言うことが他人に知られてしまった場合はどうなるか?


「『…………。』」


 断言しよう。磯城は間違いなく世界中の全てから追われて終われる!!


「あ、あわわわわ……。」


 そう断言した瞬間どうしようもないほどの恐怖が磯城の心を蝕んだ。 


『坊ちゃま、どうか落ち着いてください!!』

「お、おおおおおおおおおおおおお落ち着いているぞ俺は。うん落ち着いている。」

『坊ちゃま、声が裏返ってますよ!』


 その様子は先程とは打って変って完全に挙動不審の怪しい人だ。

 動揺する磯城を見てアガサは思う。

 ここに誰もいなくて本当に良かった。と。



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