1章-8  襲撃③

 現在のツノイノシシの状況は単純。

 猛スピードで突っ込んできたツノイノシシは磯城に躱されて速度を殺せずにそのままご自慢の角が樹のど真ん中を突き破っていた。


「ツノが抜けないようだな。」


 一方のツノイノシシの方は必死になって抜こうともがいているが50cm以上もあるツノが深々と刺さっているため簡単には抜くことができないようだ。

 こうして偶然にもツノイノシシという障害を取り除けたことに安堵していたが、磯城の表情は浮かなかった。同然だ。何しろあれほどの衝撃を受けてもなお平気な強靭な身体。そして何より大木を貫通しうる角の威力を前にして心の中では恐怖したからだ。


「よし。今のうちに……!!」


 ここがチャンスとばかりに駈け出した。無論値のイノシシがいる方向とは反対側だ。

 荒事が苦手な磯城にとってトドメを刺そうなどと言う考えは磯城にはない。

 あの大柄の怪物相手に殺すどころか近寄っただけでも殺されてしまいそうだったからだ。

 とは言え角が幹を貫通し手足もつかない状態となっている以上ツノイノシシだってすぐには動けない。

 なので磯城のとった行動は1つ


「三十六計逃げるに如かずさ。」


 そういうわけで大急ぎで逃走した。


『さすが坊ちゃま。見事な逃げっぷりです。』

「うるさいな。それよりアガサ残り時間は?」

「そうですね……。後1分ちょっとですね。」

「そ、そうか……。それは良かった。急いであの場所から離れないと。」

「そうですか?しかし坊ちゃまあの様子では当分動けませんよ?もう少しゆっくりしても――」


 その直後。

 背後で大きな爆発が起こった。


「『………………。』」


 1人と1体は恐る恐る振り返る。

 そこには。

 ツノイノシシが刺さっていた樹が火柱へと変わっていた。


「アガサ!チョーカー起動!カメラのズーム機能を最大にして投影!!」

『はい!!』


 そうしている間にも火柱は黒い棒になりめきめきと音尾を立てて倒れていく。


『作業終了!表示します!』


 そして前面にウィンドウが展開され倒れた木の根元の様子が拡大されて映し出された。


「………え?」


 そして磯城は困惑してしまった。

 そこにいたのはツノイノシシだった。そこは別にいい。

 問題は角を熱した鉄のように輝かせていたことだ。


『……まさか。』


 角が刺さった木を短時間で燃やし尽くして炭化させた。


「…………。」


 そんな光景を見て愕然とする。

 樹の点火点は約250℃。肉体の一部がそんな事になれば無論タダでは済まない。全身が大火傷で死んでしまうのがオチだ。


「GUAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!!!!!!!!!!!!!!!」


 なのに。周囲の草さえ煙を上げ始めた灼熱の空間の中で中心に立つ怪物は涼しげに辺りを見回している。


「『………………。』」


 目の前の光景から考えられる可能性はたった1つ。

 そしてあまりにも絶望的な“答え”だった。


「《魔獣》……。」


《異界探訪記》にはこうある。

 魔獣。《呪紋》を使わずに魔法を使いこなすとされる生物。


 火を吐く魔犬 《バスカヴィル》。音速を超える《ビュヒナーの燕》。蛍のように光る《夜光蝶》。

 最後のものはともかく前者2つは《開拓者》1人では脅威であると。


「マズイマズイマズイマズイ。これはヤバい逃げなきゃ。」

『その通りですね!!!!』

 

 その距離は目測で500m。

 

 磯城は全速力でその場から離れる。しかしそれは良くなかった。

 眼も悪く周囲の燃える臭いで嗅覚が役に立たない今の状況はツノイノシシにとって索敵能力は大幅に低下していた。こんな時は音を立てずにゆっくりと立ち去るのが正解だった。

 こんな状況で音をたてて駆け出してしまえば、


「!!!!!」


 当然その駆け出した音を聞き分けたツノイノシシはその音の方へ駆け出す。


『坊ちゃま。追ってきました。』

「分かってる!!分かってるから黙ってて。舌噛むから。」

 

 ツノイノシシから逃げようと必死になって逃げるも所詮はそれも交通が発達したために運動をしなくなった《しらほし》の人間。しかもここは平坦なトラックと違い、木の根が這い回ったような深い森の中。


「うわっ!!」


 当然足元も見ずに突っ走っていた磯城は、たくさんある樹の幹の1つに足を取られ転んでしまった。


「わわわわわ!!」


 ゴロゴロと玉のように丸まりながら転がっていく。

 そして10m程転がり樹の幹に背中を打ちつけてとまった。


「や、やばい……痛っ!!」

『坊ちゃま!!大丈夫ですか!!』


 慌てて身を起こすと足首に痛みが走った。


『ぼ、坊ちゃま!!』

「足挫いた……最悪。」 

『そ、そんな……。』


 そしてそんな状態の磯城を見逃すほど奴は甘くない。


「GRRRRRRRRRRR…………。」


 そこへ失踪するツノイノシシが木々の隙間から姿を現した。

 いささか動きが鈍いように見えるのはのは魔法を使ったからだろう。

 一巻の終わりを悟った磯城だったが、どういう訳か突然一時停止し辺りを見回している。

 磯城は知らない事だったが突如式の走る音が消えてしまったために式を探していたからだ。

 しかし、奴が磯城のにおいを察知すればすぐに襲い掛かってくるだろう。

 しかしこの10秒が磯城の闘志を奮い立たせた。


「……アガサ!!!残りは?」

『あと10秒です。』

「――よし。」


 ツノイノシシ何かに反応しまっすぐと磯城の方へ睨みつけてきた様子を展開されている画面から確認できた。

 どうやら磯城の臭いをとらえたようだ。

 しかし磯城は足を挫いてしまったために動けない。立っているだけでも自己主張している痛みに辟易しながらも我慢する。そうでなければこれの比ではない痛みを食らって死ぬことになる。

 ツノイノシシとの距離は目測で約100m。あの速力があれば1秒で到達するだろう。

 

「(このままじゃ死ぬ。こうなったら……!!)」


 磯城は勝負に出た。


「アガサ。《無想領域》が解放したら合図を。《魔弾》を使う。」

『分かりました坊ちゃま。残り5秒です。』


 磯城はまっすぐとわずかな機敏すら見逃さないとばかりにツノイノシシを睨みつける。

 それは相対するツノイノシシも同じだ。


『3秒』


 アガサのカウントダウンとともに 磯城は荒かった呼吸を整えツノイノシシを見据えた。


『2秒』


 ツノイノシシは頭を下げ額から伸びた角を前に突き出す。


『1秒』


 魔導書グリモアを巻きつけてある右腕を前に伸ばした。


『0!!』


 刹那、磯城の頭の中にとある感覚が生まれる。

 それが魔法が使えるようになった合図だと、磯城の中の魔術師である部分が告げる。


 その号令を聞くやいなやすかさず《無想領域》に働きかける。

 そして、目の前のツノイノシシが駆け出すのとほぼ同時だった。


 展開する魔法は《魔弾》。魔力の塊を射出するもっとも単純で簡単な魔法。

 それ故に手順が少なく展開が早い。


「(威力は最上。速度は最速。そうでなければ倒せない。)」


 そして右手の先に透明なガラスのようなものでできたバスケットボール並の大きさがある球体――すなわち《魔弾》が出現した。その時間はわずか1秒。

 後は、前方へ射出する。ただそれだけだ。

 しかし、戦いに置いては相対する魔物の方が一枚上手だった。


「嘘……だろ。」


 ツノイノシシの角の先は光っていた。

 先程と同じ熱した鉄のように輝く角。それだけなら何も驚かない。

 しかしそこから炎を壁をつくりだすのは予想外だった。


「火の魔力まで纏っている。」


 しかし、輝きの強さは明らかに違う。

 角からあふれ出る炎が後方に流れツノイノシシの身を守る真紅の鎧となっている。

その姿は正に攻防一体の炎の槍。


「……クソ!!」


魔力の盾である以上魔力の弾は効きにくい。良くて纏う火をはがせるところまで。本体には止められるほどのダメージはないだろう。

 先程のように躱すのも悪手。何故ならあの巨体を躱した所で纏う炎からは逃れられない。

 樹すら一瞬で炭化させる炎など浴びては人間の結末など炭化などでは生ぬるい。


「なら……もう1個!!!」


 そして磯城に残された手は1つ。

 右手の魔弾を維持したまま左手に同規模の魔弾を展開する。

 最初の一撃で炎を飛ばし、続けざまにもう一撃で本体を倒す。


『坊ちゃま……大丈夫ですか?』

「大丈夫………じゃない!」


 同時に2つの魔法を発動させるのは難しい。いや、負担は大きい。

 彼の額に浮かぶ汗はツノイノシシが放つ熱だけが理由だからでは決してない。


「でも……。」


 その先を磯城は言わない。アガサも聞かない。

 このままわけのわからない状況で死んでしまうのは絶対に嫌なのだから。


 そして。

 お互いの距離が100mを切った時。


「”Fire”!!」


 鍵となる詠唱(トリガー)を引き右手の魔弾が射出した。

 風切る音と主に高速で直進する魔弾。

 瞬きする間もなく紅蓮の槍に激突する。


「GUAAAAAAAAAAA!!!」


 渾身の威力を込めて放たれた魔力の弾丸は澱みを押し流す波のように別の魔力を吹き飛ばす効果も併せ持つ。

 その例に漏れずツノイノシシの炎の鎧は破れその無防備な磯城の目の前にその巨体をさらけ出す。


「もう一度!”Fi……。」


 そしてトドメの一撃を放とうとして、気づいた。


『(坊ちゃま?)』

「あれ……?」


 気づいてしまった。

 

「あの角から何の魔力も感じられない?」

 

 先程まで魔力を帯びて輝いていた角が今では何の光も感じない。


「(致命傷だった?いや、違う。体内の魔力は減衰している様子はない。ただ魔力が角ではなく脚の方に……。)」

『……え?脚に魔力?』

「しまった!!」


 気付いた時にはもう遅い。ツノイノシシの四肢が青白く光る。

 迂闊だった。あの角に眼が行ってしまったが、別にツノイノシシが魔法をひとつしか使えないなんて言っていない。


「コイツ……魔法を2つ使えるのか!!」


 ツノイノシシが持つもう1つの魔法。

 磯城には簡単に予測がつく。


「急加速。」


 攻防一体の炎の槍は効かない。そう学習したツノイノシシは次の行動をとった。

 防御に意味がないのなら圧倒的な攻撃で突き破ると。


 磯城とツノイノシシの距離は約200m

 磯城の魔弾か?

 それとも向こうの突撃か?


「“Fi”……!!」


一瞬で目の前に現れた。


「嘘だろ……。」


ほんの瞬きの間に200mもの間を走破して見せたのだ。

どれ程の速さだろうと所詮は生物。初速を考えると2~3秒はかかると思ってた

 しかしわずか一瞬。時間にして0コンマ数秒。

 300㎏超の巨体が一気に時速100km超のスピードで駆け抜ける。

そんな暴挙に出れば肉体的な負担などどれくらいのものかなど考えるまでもない。

しかし、そこまで考えた磯城は思わず語る。


「『魔法使いが常識を語るな。』か………ああ。そうだったよなクソッタレ。」


 これは、まだまだ常識に縛られていた自分への怒りだった。


 ここで、魔弾を撃てればまだ勝算はあった。

 しかし磯城はあまりの衝撃に思考が真っ白になり、魔弾の構成を手放してしまっていた。


「(もう……いいや……。)」


 そして、磯城は全てを諦めてしまっていた。

 非常識と不条理の連続による自棄だと本人は気付かなかった。


『……!!坊ちゃま!!諦めないでください!!』


 アガサが察し式を奮い立たせるが、一度諦めた心に活は戻らない。

 磯城とツノイノシシの距離はほんの1m。

 魔弾は左手から完全に消失し、磯城は目前の死を受け入れた。




 しかし次の瞬間。視野いっぱいに納まっていたツノイノシシの巨体が消えた。


「え……?」


 その光景の代わりに、何かが斬れる音とツノイノシシの断末魔が聞こえてきた。

 思わず声の方を見ると――。


「…………うっ。」


 ツノイノシシの首は根元から噴水のように噴出し、その血を持って周囲を真紅に染め上げていた。

 目の前で展開されるあまりのグロさに吐き気がこみ上げてくるか思った磯城だったが、実際の所、命が去ったことに対する安堵感が混ざり合って――。


「いや、違う。これは――。」


 これは、安堵感ではなくそれ以上にさっきまで絶対的な脅威として君臨していたはずのイノシシがあっけなく死んだことへの疑問が心に強く浮かんでいた。


「な、何が……?」

「大丈夫?」


 疑念が最大に膨れ上がった瞬間、磯城は背後から声を掛けられた。

 それは女性の声、しかもコレは……まだあどけなさの残る少女のもの。


「え……?」


 振り返るとそこには1人の美少女がいた。

 服も、髪も、肌も、何もかもが白い少女。

 服装はゆったりとした白いローブをまとわせていた。


 白い肌と髪は美祢を彷彿とさせる出で立ちだったが赤い瞳と金色交じりの白であった彼女と違い目の前の美女は銀色に近く瞳の色は薄く輝く黄金色。

 腰まで届く長い髪は月のように白く輝き、少しの風で揺れてしまった。


 肌は雪のように白くその姿は緑生い茂る森に迷い込んだ雪の妖精を彷彿とさせた

 神によって整えられたかのような美貌に磯城は息をのんだ。


「て、天使?」


 磯城のこの言葉は彼女が自分の窮地を助けてくれたからのかそれともその容姿がその言葉を紡がせたのか。


 荘厳な雰囲気を漂わせる美しさは手に持っていた血塗れの大剣がなんだか物凄く場違いなものに感じてしまうほどだった。


「あー……。ありがとう……。」


 あまりの造形に何も言えず思わず立ち上がって感謝の意を伝えた。

 その時挫いた足の痛みは何も感じなかったが、磯城は少女に出会ってアドレナリン的な何かが出たんだろうと勝手に解釈した。


「………。」


 あまりの人間離れした美しさに目の前の少女の次の行動が全く読めなかったが。


「………ごふっ!!!!!」


 まさか、フルスイングで殴られるのは磯城にとって予想外だった。

 しかも当てたところは武術における水月、つまり人体の急所であるみぞおちだった。 


『(ぼ、坊ちゃま!!!)』

「(な、なぜ………。)」


 そして磯城の意識はフェードアウト。目を覚ますのは1時間ほど経ってからである。


 これが、始まり。

 黒い少年と白い少女の|運命の邂逅(フェイトフル・エンカウンター)。



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