1章-6  襲撃①



 始まりはガサッっという草を分ける音が背後から聞こえてきた音だった。


「ん……?」


 それに気づいたのは磯城。


「何だ今の音……?」

『坊ちゃま!後ろです!』

「え?うし――?」


 焦ったようなアガサの声を聞き反射的に振り向いた磯城の言葉が止まる。いや。言葉だけでなく動きの全てが止まってしまった。


「GRRRRRRR………」


 振り返るとそこには巨大なイノシシが鼻息荒く血走った目でにらみつけていた。


「……………。」


 目をこすってもう一度見る。


「GRRRRRRR………」

「やっぱりいるな……。イノシシ……。」

『坊ちゃま。現実逃避はおやめください。』


 アガサが思わず突っ込むが、磯城の気分が分からないという訳でもない。 

 まずこのイノシシ、地球上の物に比べてもはるかに大きく全長は軽く3mは超えていた。

 言ってみればいつ動き出すか分からない自動車の前に立っているようなものだ。

 それだけでも十分に恐ろしいというのに。


「な、何でイノシシが角なんか生やしてんだよ……。」


 そう、そのイノシシ、額から50cmを超えるまっすぐな角が生えている。その姿は磯城に荒々しい槍を連想させた。それは間違いなく磯城の体などたやすく穿ち貫くだろう。

 熊顔負けの迫力を前に磯城の思考は完全に漂白されている。


「な、何だ……。何でこっちに……。」


 磯城達が知る由もないが、ここから少し離れたところで行われた殺戮者が放つ殺気にあてられ興奮していた時にそこに先程磯城自身があげた大声で刺激され襲ってきたからだ。

 

「GRRRRRRRRRRRRRRRRRRR!」

「って、おいおい嘘だろ。」

『緊急事態ですね。』


 磯城達にとって住んでいる所が住んでいる所だけにイノシシに遭遇するのは初めてだ。

 しかも巨体かつ角と言う非常識なオプション付き。

 そんな猛獣を見て思わず1歩下がってしまった。

 その開いた1歩分の隙間を埋めるように1歩進めるイノシシ……もとい勝手にツノイノシシと命名したソレ。

 こうなってしまっては磯城に残された手段は2つ。


「こうなったら……。魔法を使うしか。」

 

 1つは魔法を使った敵性、つまりツノイノシシの撃退。


「所持している《グリモア》は《魔弾》に《エレメンタル》……。いけるか?」


 磯城は自分の武装を確認し――この害獣の討伐を決断した。


 突然だが、セリス=マゼリアで見つかった魔法は長たらしい詠唱や生贄を捧げた黒魔術を想像してしまうだろうが、そのようなものは一切使わない。

 《呪紋》と呼ばれる紋様――分かりやすく言えば魔法陣――みたいなものを体に刻みこむ事で魔法を発現させる技術だ。

 

 詠唱などなく《呪紋》に魔力を通せば魔法は発動するが問題点もある。

 1つは魔法を刻み込める余地は人の皮膚の面積、成人男性で約畳一枚分。

 結構広いと思うが呪紋自体かなりの面積を使う上に、呪紋の上に別の呪文を刻むことはできないために

 1つは刻んだ呪紋がいかなる方法を用いても絶対に消えない。

 1つは刺青に見えるため就職面接では不利になる。……これは決して冗談ではない。

 

 そんな問題を解決するために《天突く槍》に遺されていた技術が《魔導書(グリモア)》である。

 名前を聞けば堅苦しい装丁がされ意味不明な文字が書き連ねて、おどろおどろしい描写が書かれた辞書並みの分厚い本をイメージしてしまうが決してそんなことはない。

 実際磯城が所有している《グリモア》は両腕に巻かれた包帯である。

 それをつけることで体に《呪紋》を刻み込んだ状態にできる。

 無論、直接体に刻まれていないために魔法の発生にタイムラグが生ずるが、《グリモア》を付け替えるだけで使える魔法を変えられるその汎用性が強みである。

 その機能が魔導書そのものであったためにそう故に《グリモア》と呼ばれるようになった。

 なので、昨今呪紋を直接体に刻む魔道士はいないのは余談だ。


「(まずは《魔弾》を照射!銃が欲しいけどないものは仕方ない!むしろ今は正確性よりも単純な威力!でなければあんな巨体は倒せない!!)」


 魔力を励起させながら戦術を組み立てていく。

 右腕に巻かれた《魔弾》の魔導書を前に突出し魔力を送った。

 3秒もすれば《呪紋》は淡く光り手の平から透明な魔弾が現れる……はずだった。


「………?」


 しかし、そう簡単に事は運ばない。

 磯城がどれだけ魔力を励起させても《呪紋》が光らず魔法が発動されない。


「………あれ?どうして?」


 魔法。

 それは、この時代において人類の文明をさせるための重要なファクター。

 良い意味でも。そして、悪い意味でも。


 良い意味では、救済と開拓の道具。

 悪い意味では、犯罪と戦争の道具。


 近年においては魔法を使ったテロや殺人などが横行しておりそれが国際問題となっていた。


 習得させるものを減らせばいいのだが、危険の多い異世界や衰退するこの世界の救済のために即戦力が欲しいと言う声は強かった。

 しかし強大すぎる力を秩序の破壊に使われてはたまらない。

 法を整備し、違反者を極刑に処したところで魔法を使った犯罪の抑制は出来ても撲滅にはならない。


 そんな状況を野放しにするほど当時の人達はおめでたい頭の持ち主ではなかった。 

 その為に当時設立されたばかりの《魔法技術管理統制局》通称管理局の学者が研究と思考をかさね ――――そして、一つの解決策を見つけ出した。


『坊ちゃま。《チョーカー》をお忘れですか?』

「あ……。」


 それが、《チョーカー》だった。


 まえに身分証明証の代わりとして所持を義務付けられている情報端末である事言う事は説明したが、それはあくまでも後付けのようなものでしかない。

 しらほしがチョーカー着用を義務化させた一番の理由は何と言っても魔法の拘束具(リミッター)だ。

 詳しいメカニズムは省略するが端的に言えば、脳の中の魔法の使用に必要な部分――《無想領域》と呼ばれる場所をチョーカーから出る特殊な音波で圧迫させることで魔法の使用を阻害させるシステムだ。

 魔法を使う場合は《管理局》が発行する魔法使用のライセンスを入手するか、管理局、もしくはその権限を委譲された者に許可を貰うかのどちらかしかない。


「くそ!何で忘れていたんだ!」


 つまるところ。驚愕と緊張の連続で余裕がなかったということだったのだろう。

 

「……アガサ。リミッターはどのくらいで外せる?」

『《チョーカー》の魔法拘束はさすがにややこしいです。大体100秒くらいでしょうか?』


「……もうちょっとどうにかならない?」

『急ぎますんでできるだけ時間を稼いでください』


「か、稼ぐって……無理だ。」

『坊ちゃま。根性です根性。』


「GRRRRRRRRRRRRRR……………」


 身構えているように見える。

 磯城にもわかる。もうあれはすぐにでも飛び出してしまうと。


「…………………。」


 なので磯城は2つの内の残されたもう1つの方法を取った。

 それは。


「三十六計逃げるにしかず!!」


 ツノイノシシが駆け出すのと背中を見せて磯城が逃げ出すのとほぼ同時だった。




 片や剛毅な体、山を知りつくした猛獣。

 片や一切の武装もなく、山に迷い込んだ都会の人間。

 どちらが勝つか等考えるまでもない。


 磯城は逃げる。希望を持って。

 しかしそれでも。逆転なしの勝てない地獄に磯城は追いやられた。



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