幕間‐2 物語の裏側で

 磯城が闇に呑まれた同時刻――。

 東京都白帆市第四区『ひのと』氷見地区。

 大通りから少し離れた路地裏にひっそりと建つ雑居ビルの3階。

 【中山朱雀探偵事務所】のプレートが取り付けられたドアの向こう。

 そこに知る人ぞ知る名探偵――中山朱雀が住んでいる。


 名探偵と言っても、

 あらゆる情報を考察し、事件を解決するという紙の上で一般的な探偵ではなく、

 あらゆる方法で情報を集め、報告する。現実的な探偵である。


「はあ~。暇だ。まあ人の不幸を扱う仕事なんて暇な方がいいんだけどねえ。」


 もっとも知名度の方も『知る人ぞ知る』程度なのでここを訪れる依頼人(クライアント)の方もなかなかいないと言うオチもある。

 無論、これは事務所の立地が入り組んだ路地裏であること、そして何より本人の経営の能力と努力が足りないというのが理由としては大きいだろう。


「いいんだけど……こっちにも生活があるんだよねえ。はあ……。」


 汚いという程ではないが、お世辞にも綺麗と言い難い程度にごみが散乱する事務所の中でひとり机にとっぷしながら項垂れる女性は無論この事務所の主である名探偵である。

 そんな彼女は、黒髪のショートカットに黒いリクルートスーツはできる美人OLと言うのが第一印象だ。

 だが、彼女の気だるげな目にショートカットに目立つくせ毛と皺だらけの一張羅がそれらを見事にぶち壊してしまっている。

 ちなみに女子力皆無な朱雀はもちろんそんなことは一切気にしていない。


「はあ……。誰でもいいから仕事を持ってきてくれませんかねえ。」


 そんな都合のいい独り言をポツリと口に出した時、

 自分のチョーカーから黒電話の着信音が鳴り響く。

 チョーカーの黒電話。それは彼女か登録しているどの人間にも使っていないコール音。

 逆に言えば、この電話は彼女がアドレス登録しているどの人間にも使われていない相手、つまり、依頼人と言うことになる。


「!!!」


 そう判断した朱雀の反射速度は非常に速い。

 すぐさま姿勢を正し、通話ボタンを押し、営業スマイルを持って応対した。その間、わずか0.8秒。


「はーい。こちら【中山探偵事務所】。猫探しから素行調査、挙句殺人事件の解決まで報酬次第ではどんな仕事でも――」

『――では、早速仕事をしてもらおうか中山朱雀?』

「……すいません。今仕事が詰まってまして、ただいま10年待ちとなっております。お急ぎでしたら多分他所へ持っていただいた方が……?」

『悪いがその仕事10年分はキャンセルしてもらおうか?』

「………。」


 当初飛び切りの営業スマイルを浮かべていた主の女性――中山朱雀はその声を聴いて一気に不機嫌になる。

  

『どうした?問題はないだろう?この1ヶ月仕事がゼロなのだから、問題はないはずだが?』


 実際に問題はない。懐もカツカツだし、この手の仕事は報酬が破格だったりするので、是が非でも飛びつきたい心境だ。

 しかし、お分かりかもしれないが、この朱雀(ヒト)は、電話の相手が本当に嫌いなのだ。

 どのくらい嫌いかと言えば出会いがしらに隠し持っているコルトM1900を顔面に至近距離でぶっ放すくらいに嫌いだといえば分かってもらえるだろう。

 なのでこの人の仕事は何が何でも受けてやらないというスタンスを貫く。

 無論今回も例外ではない。たとえ(生活苦になっている)自分の身がどうまってしまったとしても。


「断る。これ以上チミの命令を受ける義理は無いと思うけど。どうしても請けさせたいっていうならアタシに貯まってる借りをひとつでも――。」


 しかし、続く言葉は相手の言葉であえなく封殺されてしまった。


『生憎だがお前に拒否権はない。これは《護邦区画》区長直々の命令だ。』

「……チミと言う奴は……。」


 またしばらく沈黙が続く。

 この時彼女の周りに誰かいれば恐怖で身を竦ませていただろう。これほどまでに今の彼女から怒気と殺気が入混じったものが放たれていたのだから。

 当然この雰囲気を電話越しとは言え淡々と受け流している電話の相手も相当したたかに感じられる。

 結局、この緊迫した空気も無駄であると分かっていた朱雀の舌打ちと共に霧散し電話越しの会話は再開された。


「仕方ないわねえ。で?アタシにどんな命令を与えるってわけ?」


 半ばヤケクソになっている朱雀に対し、電話の男は淡々と告げる。


『殺害命令だ。罪状は《関所破り》。直ちに執行せよとのことだ。では健闘を祈るぞ《十六面じゅうろくせん》。』


 それを言い終わると電話の男は1秒と待たずに通話を終えた。

 

「………。」


 通話終了を告げる音を聞きながら朱雀はため息をつきながら愚痴を始める。


「な・に・が、『健闘を祈るぞ。』ですかねえ。祈ってもいないくせによくもそんな事が言えたもんですねえ。全く!」


 しかし、それはほんの10秒足らずの事。


「……まあいいわ。報酬割増しで戴けば済む話だしね」


 すぐに思考を切り替え、先程の事はきれいさっぱりと忘れた。

 いかなる仕事であれ、仕事の事はそれのみを考える。

 例え依頼人に殺意を覚えていても余計な感情を仕事に持ち込まない。

 それを今の中山朱雀のポリシーにしている。


「《関所破り》。ずいぶん久しぶりですけど。ま、大丈夫でしょうねえ。」


 座っていたデスクから立ち上がり大きく伸びをさせながら言った。

 そして机の引き出しから黒い抱え鞄を取り出し中身を確認しながら笑みを浮かべて気軽な口調で呟いた。


「さて。そんじゃ後味の悪い仕事はとっとと終わらせますか。」


 しかし、その眼は闘志を湛え狩るべき獲物を見据えた獰猛な肉食獣のそれだった。


 今。探偵と言う表の顔を持つ殺し屋が動き出した。




 同時刻――。 白帆市立美笠高等学校職員室。


「おやおや。しまったしまった。」


 授業の準備をしていた紫崎教諭が突然声を上げた。

 そのために静粛に仕事をしていた教員や用事があってきていた生徒が全員彼の方を向いた。


「!?どど……どうしたんですか紫崎先生?」


 中でも隣の席に座っていたために誰よりも肩をビクリとさせた山桜桃ゆすら教諭が代表して彼に話しかけた。

 顔立ちは幼くウェーブのかかったロングの茶髪にゆるふわな空気を醸し出している姿は形容詞で表現するならば美しいというより可愛らしいという方が適当だろう。

 その風貌は生徒になめられそうな感じがするが、それでも彼女のクラスがまとまりがあり一番問題が少ないというのだから世の中と言うのは分からないものだ。


「ああ。山桜桃先生。いやあ、実は今日の授業で1-6で言うのを忘れちゃいましてね。」

「ダメじゃないですかそれは。」

「いやあ。それもこれも全部ごりょう君のせいでねえ。」


 その名前を聞き山桜桃はいぶかしそうに首をかしげた。


「ごりょう?1-6にそんな名前の生徒さんいましたっけ?」


 数学担当の山桜桃先生は1-6も受け持っているので何度も足を運んでいるがその名前が一向に出てこなかった。当然だ。御陵ごりょうではなく御陵みささぎなのだから。


「ははは、いくら担任じゃないからと言って受け持っている生徒の名前が分からないというのはダメですよ?1-6は先生も担当しておられましたよね?」

「ううう。すいません。」


 その指摘に教師として日々奮戦している彼女にとって非常に痛く感じられてしまい、バツが悪そうな顔になり思わず謝罪してしまう山桜桃先生。

 もしも、この時磯城のクラスの生徒が居合わせれば必ずこう思うだろう。

 「お前が言うな。」と(磯城なら間違いなく口に出している)。


「え、えっとそれで伝え忘れた事と言うのは……?」


 そう聞くと今度は紫崎先生がバツが悪そうに頭をかきながら答えた。


「なんてことはありません。夏休みに行われる門越えの研修についての話ですよ。」

「……それって結構大事じゃありません?」


 門越えの研修。それは無論『間の関』の向こう側に渡り《開拓者》の体験学習だ。

 応募者が殺到する


「そうなんですよ。せっかく徹夜でパンフレットの草稿を作ってきたんですが」


「どんな感じなんですか?見せてもらってもいいですか?」

「ええ、どうぞどうぞ。」

「あ、ありがとうござ……。」


 そう言って電話帳並みの分厚さになっているパンフレットらしからぬパンフレットを取り出した。


「うわ……。こんなに……。(草稿とは言え一晩でこんなに書けるなんて……。)」


 何しろ彼女が書いた大学の卒論でももう少しボリュームが少ないもののはずだ。

 明らかにコレはパンフレットなどではない。


「あ、すいません折角何で感想をいただけんませんか?」

「ここ、この量をですか?」

「軽くでいいですから……お願いします。」

「は、はい……。」


 何しろ、外観からでも言いたいところがたくさんある。中身の方になれば、簡単な地図、年表に加え、現地の組織図、法律、更に失われた文明の詳細といった内容が目次で確認出来た。

 彼女に言わせればこれはもうパンフレットではない。 


「『第1回CM研修 15生徒漂流記(仮)案内』?あ、あの(仮)っていうのは……?」


 あまりの突っ込みどころの多さで質問が出てこずに、まずは表紙にでかでかと書かれたタイトルを見てまずは一言。


「ええ?ネーミング行き当たりまして。ジュール・ベルヌの15少年漂流記をパクったんですよ!大事でしょうそういうの。」

「は、はあ……。」


 それは誰も分かります。と言いたいのを必死に飲みこむ。

 

「あ、あのっ。『漂流』って単語はだめじゃないでしょうか?)」

「ああ!確かに!」


 そんな彼女に紫崎先生は回答を求める。


「で、ほかに聞きたいことは。」

「あ、あとこの『CM』というのはなんですか?まさかコマーシャルメッセージとかセンチメートルではありませんよね?」

「……ハハハ、もちろん違いますよ。」


 最近分かったことなんですけどね。と、前置きをしてからその意味を言った。 


「《Celis=Mageria《セリス=マゼリア》》。《天突く槍》に遺された碑文に書かれていた向こう側の世界の本当の名前だそうですよ?」



「そ、そうだったんですか……。」

「それで感想は?」


 期待に目を輝かせる紫崎先生に対し山桜桃先生はもう一言。


「えーと……。パンフレットにするなら内容はもっと削った方がいいですね……。」




 そして同時刻。

 その世界セリス=マゼリアのとある森の中。

 それも人の手が入った里山ではなく人里離れた秘境と言っていいほどの森林であるそこに。


「……………。」

『坊ちゃま!!しっかりしてください!坊ちゃま!!』


 そこに、御陵磯城が倒れていた。

 そしてどこからか、アガサの声も聞こえている。





 これが長い旅の始まりだという事を倒れている彼等は知る由もない。



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