序章-3 とある家庭の日常
「ただいまー。」
はた迷惑な友人によって傷口に塩を塗りたくられた磯城はますますふてくされながら玄関の扉をくぐった。
「あれ?ただいまー?」
家の中が異様に暗く静かな様子を見て首をかしげてしまっていた。
何故なら今日、両親は有給をとって家にいたはずだからだ。
それが家の中は暗く何の物音もしない。完全に人気が無かった。
「アガサー?」
『はい坊ちゃま。こちらに。』
磯城が呼びかけると、誰もいない玄関から突如としてタートルネックのベージュのセーターに黒のロングスカートにエプロンをつけた長身の女性が現れた。
磯城に言わせるとこの女性――アガサは、腰まで伸びた長さの茶髪を束ね顔立ちも美女の分類に余裕で入るくらいで一見よくできた女性である。
『お帰りなさいませ坊ちゃま。お菓子とお茶の用意はできてますよ?』
ここまで準備のいい家政婦に対し主人は喜びメイドの働きの良さに感動するところだろう。
しかし、彼女の主人たる磯城はいぶかしげな表情をして問う。
「アガサ。お茶まで用意しているなんて出迎えなんてどうして俺がもうすぐ帰るって分かったんだ?」
『当然です。坊ちゃまのチョーカーの位置をGPSで確認し帰宅時間を予測して行動をおこしましたから』
「……聞かなきゃよかったよ。それ……。」
磯城は苦い顔をしながら首についているチョーカーをさすった。
《チョーカー》。もちろんそれがただの
中には監視されているようで嫌だというような声もあるにはあるが、仕方ないと納得するものが多く、さらに現金な事に、オプションとして携帯電話・インターネットなどの情報端末・カメラ・ゲーム・翻訳等の便利機能が搭載され、それが無料で配布されているため不満の声はそれほど上がっていない。
(*もちろん学校では校則で便利機能の使用は制限されています。)
そんな重要なものなので外すのはもちろんクラッキングなどの不正な干渉ができないように世界でも
それも当然。目の前の彼女は女性どころか人間ですらないのだから。
『当然でしょう。私は同胞の中でも最高級の《
「いやいやアガサ。それ褒めてないから。」
彼女の正体は自律型管理統制システムを搭載した家事専用侍女型ロボット、人呼んで電脳侍女。
といってもメイド姿の彼女は――ロボットと思えない精度だったのでついそう呼んでしまうが――古典SFにありがちな機械仕掛けのロボットではない。
『そんな事より!鞄をお持ちしましょうか?』
「……いいよ。と言うかその透けた体じゃ無理でしょ?」
『あ……そうでした。すいません。』
透けている体で構築された彼女の正体。それは部品が詰まった機械ではなく空間に描かれた映像である。
「え?ロボットじゃないのか?」と思った方々も少なくないのだろうが、生憎人間の形をしたロボットなど非効率だ。実寸大のロボットなど買うだけで7桁は軽く超すし電気代やメンテ代などの維持費はそれ以上かかるだろう。そもそも狭い日本の白帆市(自治区扱いではあるが)の家屋の中では人型ロボット本体の他に充電器などの周辺機器の置き場所の邪魔になること極まりない。
それに対しホログラフィ技術なら実体がないため場所も取らず、値段の方も最近のものなら安くて10万円とそれなりのTVくらいで手に入ってしまう。
するとここで疑問が1つ。ただの家事ロボットなら彼女のように豊富な感情など必要ないと思うだろう。
しかしこの世の中『綺麗なお姉ちゃんに身の回りの世話をしてもらいたい。』という欲求をもつエロジジ……もといお金持ちの大旦那様も確実にいる。
そういったサイレントマジョリティーの声を受けてこのホログラフィと高度のAI を搭載したサイバーメイデンが発売されることとなったのだ。
とは言え、ここまでの感情豊か(普通はもうちょっと機械的)で有能な(国家機関並みのセキュリティを突破するくらいの演算能力を持つくらい)電脳侍女のお値段の方は驚くなかれ。小さな家2軒と比べてもまだまだ高い。
上流どころか下流ギリギリの家庭である磯城の家が何故そんなもの――人(?)がいるのかと言えば、ただ両親が電脳侍女の製造・販売を行っている大企業【Utopia Systems】に勤めており、試作品の実地テストを行った際にこの家に居ついてしまったからだ。
そして、彼女はこの家の事を本当によくやってくれている。くれているのだが……。若干暴走しがちなのが玉にきずとなっている。
「アガサ……お願いだからそんな監視行為はやめてくれ……。」
「ハッ……まさか坊ちゃま……とうとう大人の本屋でエロ的な何かを」
「ち、ち、違うから!!もう一度言うけど本当に違うから!!!」
磯城は声を荒げて話題を変えた。
「そそ、それよりアガサ……父さんと母さんは?もしかして買い物?」
今日は両親共に休みだと聞いていたので、家でグータラしていると思い込んで帰ってみれば家はもぬけの殻。
「いえ。このことについて旦那様と奥様から伝言を預かっております。」
「そうなの?じゃあ再生してアガサ。」
「了解しました。」
そう言ってアガサが指を鳴らすと彼女の右側に画面が浮かび上がり一人の男性の顔が映し出された。
その顔は紛れもなく磯城の父親、神作だった。
『磯城と美祢へ お父さんは出張でスリジャヤワルダナプラコッテに行ってきます。お土産期待しててね。 草々 父より』
「………って、どこだよそこ!!」
ちなみにスリジャヤ(以下略)はインドの南にある島国スリランカの首都である。
名産品はセイロンティーや宝石と言う所は20世紀から変わっていない。
「じゃあ母さんも父さんに……。」
「いえ。違います。」
そう言ってアガサが再び指を鳴らすと今度は左側に画面が浮かび上がる。
その顔は磯城の母親である、真那だった。
『『磯城と美祢へ お母さんは近所の奥様方と クルンテープマハーナコーン アモーンラッタナコーシン マヒンタラーユッタヤーマハーディロック ポップノッパラット ラーチャターニーブリーロム ウドムラーチャニウェート マハーサターン アモーンピマーン アワターンサティット サッカタッティヤウィッサヌカムプラシット(バンコク)に行ってきます。かしこ。母さんより ……良かった!言えた!』とのことです。』
「……………。」
ちなみにクルン(以下略)は……まあ書いているようにタイの首都バンコクの正式名称である。
バンコクを選んだ理由は恐らく張り合いが生きがいだと周囲から評価される磯城の母親はそれ以上に長い名前の首都ににわざわざ出かけたんだろう。
もう少し張り合う所がなかったのか?と心の中で突っ込んだ。
『ちなみにこれは、Take.4でした。』
「あ……、そう……。」
もはや、磯城にはツッコむ気すら起きなかった。
ちなみに張り合う事が生きがいの母ではあるが夫婦仲は大変仲が良い。(磯城は両親を『隠れバカップル』と呼んでいる)。
なのでこの後、母親」絶対にスリランカに足を延ばすに違いない。と磯城は予想を立てた。
「はあ~。で?美祢はどこにいるんだ?」
「ああ、御嬢様なら――。」
その時、背後から扉が開く音がして会話が途切れた。
「………。」
磯城が振り返るとそこには、長袖に足まで届きそうな長さのスカートを履いてランドセルを背負った女の子が立っていた。
身長は磯城の胸くらいの大きさでさらさらとした長い髪。かけた眼鏡から見える大きな目は誰が見ても愛らしい印象を受ける。
「美祢。おかえり。」
「……ただいま。兄さん。」
御陵美祢。磯城の妹である。
それらは磯城とは兄妹でもあることもあり顔立ちは良く似ている。
しかし、2人は決定的な相違点があった。
磯城は黒い髪に黒い瞳という、典型的な日本人の風貌をしている。それは両親も同じだ。
しかし美祢は純白の肌にやや金色がかった白い髪に真紅の瞳と神秘がかった容姿をしていた。
とはいえ、別に二次元でよく見られる血の繋がらない義妹と言うわけではない。
彼女は体内の色素が極端に少ない特性を持って生まれた者。いわゆる
美祢はこの容姿のせいで散々からかわれたため美祢は他人に対してあまり心を開かず会話も上手ではない。
例外は、御陵家と芦城後月に樟頼敬、家政婦のアガサくらいのものだ。
『お帰りなさいませ御嬢様。早速ですがお菓子とお茶のご用意ができてますよ。』
「ありがとうアガサ。相変わらず準備良いね。」
『当然です。何故なら。』
「ストップ。」
磯城が会話を遮る。
『なんですかー坊ちゃま。今良い所なんですよ?』
「言ってくれるな……。正直これ以上聞くのは精神衛生上大変よろしくないから。」
「兄さん……。それってどういうこと?」
『ご、ご主人様!?あんまりですよそれは!!』
いくら主人とは言えその発言は彼女のメイド(メイド服は着ていないが)としてのプライドを傷つけたらしい。
聞き捨てならないと、珍しくムキになったアガサは叫ぶ。
なので磯城もヒートアップする。
「あんまりじゃない!!お前のやった事の重大さを理解しろ!!」
アガサの名誉のために言おう。
アガサには悪意は微塵もない。
アガサには善意でここまでの行動を起こした。
アガサが自分達のために行動しているのは誰よりも磯城達が分かっている。
しかし。善意によるものだからと言って何でもやっていいわけではない。
『失礼な!御嬢様には特別にGPS、街頭の監視カメラ17基、巡回用のパトロールカメラ3機、軍用の監視衛星をジャックして直接的な監視をすることのどこが問題なのですか!?』
「「大問題だ!!」」
これには美祢も一緒になって突っ込んだ。
もう一度「聞かなきゃよかった。」と磯城は真剣に思った。
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