シーン47 大渦巻
お昼をごちそうになったあと、わたしたちはしげのさんのお宅を発った。お昼代はセンセが持ってくれたらしい。嬉しいなあ。
「センセは、しげのさんとこでもっとゆっくりしはったらよかったのに」
「ああ。これからはずっと一緒にいられるさかい、一日くらいかまん」
センセは終始にこにこ顔やった。止まってた時計が動き出したことで、センセ自身ももっと前に進みはるんやろ。それを予感させてくれるような、ごっつう素敵な笑顔やった。
「学校の前でええよな」
「はいー」
わたしたちをガッコのとこで下ろして、先生は車を返しに行った。見送っていたクリに、この後の予定を聞かれる。
「でんでん、これからどうすんの?」
「ん? わたしは、残ってちょっとラフ描いてく」
「そっか。わたしは手続きとかあるから中村さんとこ行ってくるわ」
「せやね。アッコはどうすんの?」
「うん……。ちょっと疲れたから、帰って寝るわ」
「まあ、考え過ぎんなや」
「ありがと」
アッコはまだ元気なかったけど。でも、少し気分的に楽になったのかもしれへん。なんとなくさばさばした口調が戻って来た。もう自分は先生の心の中に絶対に入れないってこと。それが納得できたんやろ。
「じゃね。またー」
「おつー」
無気味なのはマギーやった。鉄板焼きの最中も車の中でも、ほとんど口を利いてへん。しげのさんが気にしてたけど、別にむくれてるとかそういう感じでもない。むしろ、なんか極端に思い詰めてるような雰囲気を……わたしは感じてた。
マギーの感情の出方はとてもいびつだ。ぶすくれてて怖いイメージがあるけど、さっきのセンセとしげのさんの再会の時はすっごいもらい泣きしてる。こうなんつーか、逆さにしてばんばん叩かないと感情が出てきぃひんゆうか。
一度フェンス越してしまえばなんとなく前より出やすくはなるんやけど、それかて分かりやすいもんやない。ものっすごく強い抑制がかかってて、全部の感情がそこ通るからみぃんなぺしゃんこになってまう感じ。するするっと出てくるのはトゲトゲの部分だけや。だからみんな、マギーはそんなやつなんやろって敬遠する。ほんまにそうやろか?
マギーが絞ってしまってる感情の蛇口。そこが開けば。たぶん、みんながマギーを見る視線は変わるんやろうと思う。そのことはマギーには言った。言ったけどやつは変わらへん。出来ひんのか、する気がないのか、わたしには分からへん。ほんまにめんどくさい性格や。
せやけど。製図室や制作室で交わすわずかな会話。少なくとも、それには毒も敵意も入ってへん。ちょっとねじれてはいるけど、普通の会話や。何があいつをそんなに締め付けてるんやろ?
しかめ面で路面を見下ろしてるマギーを置いて、わたしはエントランスに入った。そして……こっそり振り返った。わたしがさっきラフ描くゆうたんはウソ。ここに入ったんは、マギーの後つけて見張るためや。
あの隙間は近々なくなる。もうあんな奇妙な現象は起きひんようになるやろ。その前にあいつがあそこに入りたがるわけ。それが……なんも分からへん。ほんまに、危なっかしくてかなん。わたしは制作室に行く振りをして、エントランスの物陰に隠れた。マギーは自分一人になったことを確認して、リプリーズの方に歩っていった。
「やっぱり、か」
◇ ◇ ◇
うひー。隠れるところが少ないから、後をつけるのはめっちゃしんどい。それでも苦労して、なんとかリプリーズの近くまで見つからずにたどり着いた。
もうリプリーズの周りにはフェンスが張られてて、その中には入れへんようになってる。見張りのおっさんもいるし、これなら大丈夫やろ。パワショが来てるから、これから建物の解体するんやろうなあ。やれやれ。えらいことに巻き込まれたけど、これで隙間ともやあっとお別れや。わたしは隠れてる街路樹の後ろで大きな溜息をついた。
パワショのオペレータが来てエンジンキーを回した。アームが建物の上に移動する。見張りのおっちゃんの目線がそっちに逸れた。その瞬間やった!
「あっ!」
マギーがフェンスを飛び越えて隙間に入った。
「ヤバいーっ!」
もう後先考えてられへん! 二重にヤバい! 隙間は物理的になくなる。あそこの先に抜けると、もうマギーは戻ってこれんくなるかもしれへん。も一つ。解体の最中や。上から降ってきた廃材の直撃受けたら、大怪我や! ありったけのデカい声を出しながら、わたしも突っ込む。
「マギーッ! 何考えとんね、こんボケーッ!」
監督のおっちゃんが慌ててわたしを引きずり出そうとしたけど、もうそん時にはわたしは隙間に入ってた。ちょっと出遅れたから間に合わへんかと思ったけど、マギーは少し入ったところで立ち尽くしてた。
「バカーっ!! 危ないやろっ! はよ出ーっ!」
襟首掴んで引きずり出そうとしたけど、オトコのあいつの方が力が強い。びくともせぇへん! マギーが狙ってるのは、向こう側に駆け抜けるタイミングやろ。廃材が落ちてきてる間は抜けられへんから。さっきのおっちゃんは、中にわたしが入ったのを見てる。すぐにパワショ止めさすやろ。そしたら、向こうに行けてまう。ヤバい!
その時やった。崩れかけたリプリーズの横壁のあたりが、もやもやもやっと揺れ始めた。最初は陽炎みたいに。やがてそれはどでかい渦になって、周りのクウキを吸い込み始めた。
ず。ずずっ。ずずずずずーっ!
と、と、とんでもなくヤバいーっ! あんなんに巻き込まれたら、わたしらはどこに飛ばされるか分からへん! 向こう側の景色が、もうぐちゃぐちゃに歪んで見えへん。冷や汗が出る。
「マギーっ! あかん! あっちにあるのは過去やないっ! ちゃうねん! 何勘違いしとんね、ボケーっ! あっちは、ここと違う。それだけや! わたしらどこにも戻れへんようになるでっ! 何アホなこと考えとんね!」
もう、ごちゃごちゃ言ってる場合やない! マギーの正面に回って、ぐーで顔張り倒す。ばきっ!
「なにボケっとしとんねーっ! はよ逃げーっ!」
渦の勢いが激しくなってきた。わたしやマギーの足元が、それに吸い込まれそうになる。やっとマギーがフェンスの方を向いた。
くっ! すっごい勢いで、背中を引っ張られる。ここで飲み込まれたら、わたしも一巻の終わりや。そんなん冗談じゃないっ! 体を前に倒すようにして。激流に逆らうようにして。わたしたちは激しい時の渦に逆らってもがいた。
少しずつ。フェンスのある方に向かう。あと少し、あと少しやて! がんばりぃ! ばりばりと音を立てて、廃材が背中すれすれに落ちる。くそったれーっ! こんなとこでくたばってたまるかーいっ!
最後の力を振り絞るようにして、わたしたちはフェンスを蹴倒して隙間の外に出た。ほとんど同時に、リプリーズの建物はばらばらになって倒れ落ちた。
ぐわっしゃあんっ!!!
か、間一髪や……。こ、腰が抜けるわ。警備のおっちゃんが何か喚いてるけど、そんなん聞いてる余裕なんかないわ。わたしはおそるおそる隙間の方を振り返る。廃材の山の向こう。そこには、きらきら光る商社の建物のガラス壁面が輝いていた。
「ふうう」
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