シーン44 振り返る 1

 しげのさんに案内されてリビングに入る。昔の農家のお屋敷をリフォームしたのかな。外見とは裏腹に、室内はとてもきれいに整えられた今風の作りやった。部屋にあるものは、どれもきれいにペイントされてる。外のと違って、こっちはちゃんとコーディネートされてて、めっちゃかっこいい。すげー。


「どうぞお掛け下さい」


 お客さんが来た時に案内するのかな? 個人の家にしてはすっごい立派な応接セットがあって、そこを勧められた。わたしたちがソファーに座ってきょろきょろしている間に、しげのさんが麦茶を持って来てくれた。


 麦茶をわたしたちに配ったしげのさんは、ゆっくりとセンセの横に座った。そこに座っていいのかどうか、まだ少しとまどいがあるみたいに。センセは、すぐにしげのさんの手を取って握った。


 しげのさんが口を開く前に。わたしが先に話を切り出した。


「杉谷さん。いや、あえてしげのさんて呼ばせてもらいます。わたしね、実は前に来ていただいた時が初顔合わせやなかったんですよ」

「えっ!?」


 驚くしげのさん。


「しげのさん、ブログ持っておられますよね?」

「ええ。まだ何も書き込んでへんけど」

「せやけど、キーワード入れて検索して、他のブログ見ませんでした?」


 じっとわたしの顔を見るしげのさん。


「そう。わたしの書いたリプリーズの記事。あれにコメントを下さったのが、しげのさんやったんです」

「あ……」


 びっくりしてる。


「わたしは本名やなくて、でんでんていうハンドルネームつこてます。だからしげのさんがわたしを知らないのは当たり前です」

「そうだったの」

「わたしも杉谷さんが、しげのさんやとは知らなかったんですよ。お名刺いただくまで」


 にこっと笑うしげのさん。


「不思議な縁ね」

「そうですね。せやけど、これからわたしがする話。きっとしげのさんがセンセにしないとならへん話につながるはず。わたしはそれを話しに来ました。そして、しげのさんから、十年前に何があったか。聞かせてもらおう思てます」


 ふう。クウキがずしんと重くなった。


「ええとね。しげのさんがコメくれはった時。わたしは、記事の中で一度もリプリーズの名前を出してへんのです」


 しげのさんの表情を確かめながら、話を進める。


「自分の過去記事も引っくり返して何度もチェックしたけど、一度もリプリーズって単語を出してへん。でも画像は出てますから、それ見れば分かる人はいてると思います。せやけど、こっそり書いててほとんど誰も知らへんわたしのブログに、リプリーズの名前なしでどやってたどり着いたんやろ? わたしはそれがめっちゃ気になったんです」


 しげのさんの表情が冴えない。俯き加減で、じっと何かを堪えてる感じに見える。続けよう。


「ずいぶん悩んだんですけど、わたしには、しげのさんがわたしのブログにたどり着くルートが一つしか思い浮かばへんかった。わたしが付けた短い文章。『時が止まる』って。それが検索で引っかかったんちゃうかなって」


 静かに。しげのさんがうなずいた。やっぱ、か。


「それにね。しげのさんが書いてくれはったコメント。それもめっちゃ変やった。わたしやなくて他の人が見たら、変やとは分からへんかったかもしれませんけど」


 わたしは、ぐるっとみんなを見回す。お願い、こっからよーく聞いといて。


「しげのさんが十年前に行かれたっていうリプリーズ。そんなんありえません。リプリーズが出来たんは八年前や。それにしげのさんが勤められてたっていう栄進堂っていう問屋さん。それは、少なくとも二十五年以上前になくなってます」

「う……う」


 固く目をつぶってうめくしげのさん。


「そんなん、めちゃくちゃです。コメだけ見たら、わたしはしげのさんがあっち系の人やと思ったかもしれません。でもね……」


 わたしはしげのさんから視線を外して、みんなを見回した。


「これからわたしの言うこと。信じられないかもしれへんけど。ちゃちゃ入れんとしっかり聞いてください」


 わたしは一つ大きく深呼吸して。背筋をぴーんと伸ばした。


「もう二十日くらい前になるやろか。わたしはたまたま閉店しちゃったリプリーズの前を歩ってて、その写真を撮ったんです」


 スマホを出して、みんなにその写真を見せる。アンティークが並んだ、古ぼけた窓の写真。


「これ、ブログに上げたろう思て。撮った画像確認しようとしてリプリーズと隣のビルの隙間に入り込みました。五、六分くらいやったかな。そしたらね……」


 みんながぐぐっと身を乗り出す。


「バイトに遅刻しそうになったんですぅ」


 ずどどーん! みんな一斉にぶっこけた。センセが額に青筋立てて怒る。


「でんでん! 茶化すな言うたんはおまえやでっ!」

「センセ、最後までちゃんと聞いてください」


 わたしは指をぴっぴっと振る。


「わたしは今のバイトを四年近くやってます。その間、遅刻したことはほっとんどありまへん。店長、そう言うんにめっちゃうるさい人やから。だから、時間には必ず余裕を持たせてるんですよ。遅刻するくらいぎりぎりになるなんて、絶対にありえまへん」


 さっきの緩んだクウキが、またぴりぴりと緊張し始めた。


「わたしの腕時計は百均で買うた安もんです。そのせいかなと思ったんですが……。腕時計もスマホもぴったり三十分狂ってる。遅れてる」


 さっと、しげのさんが顔を上げた。口をわななかせて、青ざめてる。


「わたしが隙間にいた、たった数分。その間に、それ以外のところでは三十分経ってたってこと」


 クリが大声で突っ込みを入れてきた。


「そ、そんなんありえへんやろ!!」

「そう。わたしもそう思ったんや。けどな……」


 わたしはふーっと息をつく。


「何度も。何度も確かめたんよ。それが間違いないってこと」


 わたしは、センセの方を向く。


「アッコとのことがあって、センセがわたしを追っかけてきた時に入り込んだとこ」

「ああ、そこがあれやったんか」

「はい。あの時に隙間でセンセと話してたんは、せいぜい一時間とかそのくらいやと思います」

「ああ、なんか変やなあと思ったんや。あそこを出た時には、もう夜が明けるとこやった。そんなに長いこと話してたかなあ思って」

「でしょ?」


 わたしはアッコに話し掛けた。


「アッコが酔っぱで潰れとった時、あんたは三時間くらい寝とったんや」

「……うん」

「あんたが起きてからタクシーでうちまで行ったん、おかしい思わへんかった? 三時間も寝とったら、日付けとっくに変わってる。そんな真夜中に、あそこで流しのタクシーなんか掴まらへんで?」

「あーっ!」

「せやろ?」

「ちょっと……」


 顔を強張らせたしげのさんが、首を傾げた。


「あの、穂村さん。さっき、あなたは隙間で時間が遅れるって言ったよね」

「はい」

「今のだと、隙間の方が時間が進んでるんじゃ……」

「はい、そうなんです!」


 わたしは、応接テーブルを両手で思い切りばあんと叩いた。


「結論先に言います。あの隙間。時間の進み方がおかしい。遅れることも進むこともあるけど、外とは違う。遅れる時は五分の一くらい、進む時は五倍くらいになる。どっちになるかは入ってみないと分かりまへん。そして……。そこで過ごしちゃうと副作用があるんです」


 センセが頭を抱えながらつぶやいた。


「それが、あのめまい、か」

「そうです。強烈です」

「せやな。あれは、ほんまにかなん」


 しげのさんが、何かに気付いたような表情を見せた。


「だから……か」

「それとね。もう一つ奇妙なことがあるん」

「なんや?」

「あの中にいると、外からは見えへんのです」


 全員びっくりして立ち上がった。


「わたしは、それを利用したの。センセが追っかけてきた時も、あの中ならわたしが見えないから見つからへんて思ったし、アッコを介抱した時も酔っぱらって服脱ぎ散らかしてるアッコを見えへんようにできるでしょ?」

「そ……か」


 アッコが赤くなって、恥ずかしそうに俯いた。


「わたしが思うになんやけど、あの隙間はこっちとは世界がちゃうんやないかなーって思います」


 野崎センセがうめいた。


「うーん、とんでも、やな」

「そうですね。でも、それが簡単に確かめられるってことが分かったの」


 クリが目をぱちくりさせてる。


「はぁ? た、確かめる……って、どやって?」

「あの隙間に入らないで、その手前から反対側の路地を見通すでしょ? そうすると、今はそこにおっきな商社の社屋が建ってて、そのきらきらしたガラス壁面が見えるはず」

「ああ、そうやな。あれは久野さんのデザインや。話題になったからな」


 一瞬。ほんの一瞬やけど。マギーの表情が歪んだ。なんや? まあいいや。先、いこ。


「でもね、隙間の向こうに見えるのは、それが建つ前の雑居ビルが立ち並んだ風景」


 みんなの顔色がざあっと青くなった。


「隙間の向こうは……こことは違うんですよ。それを裏付ける事件もあったの」


 それまでずっと黙っていたマギーが、ずしんとドスの利いた声で聞き返す。


「何があった?」

「わたしのバイト先の若い男の子が帰るわたしをつけてて、わたしをあの隙間に引きずり込んだの」


 クリが頭を抱える。


「ほんま、でんでんも災難ばっかやな」

「いや、そんな危ないことやなかったからよかったんやけど。危ないのはその子の方やってん」

「え?」

「その子な、大学止めて水商売の世界に入ったんやけど、よう仕事しきらんかったんよ。それで、どないしたらいいんやろって」

「人生相談?」

「まね。でも、わたしがそんなん自分で考えゆうて、慰めてやらへんかったから、もういいゆうて隙間の奥に走っていってもうたんよ」


 マギーがぎろっとわたしを見据える。


「戻って来ぃひんかったんか?」

「いや、翌々日の夜に路地ふらついてたとこ、警察に保護されよってん。錯乱してて」

「さくらーん!?」


 全員、大声出して合唱。


「そう。ここは俺の場所やない、言うてね。げっそり痩せて」


 マギーがうなずく。


「そか。分かったぞ。そいつは向こうに一週間くらい居たんやろ。でも戻ってきた時には二日も経ってへんかった。しかも、向こうはこっちとは全然違った。そういうことやろ?」

「本人が錯乱しちゃったから確かめようないんやけど、たぶんそういうことやないかと思う」

「向こうは……過去か」


 過去? マギーがぽつんと言ったこと。それが、ごっつ引っかかった。なんでか分からへんけど。


 わたしはもう一度みんなを見回す。


「そんなんが分かってしげのさんのコメを見ると、なんとなくそこに見えて来るものがあったの。わたしは、どうしてもそれをうやむやにしたなかった。センセとしげのさんが十年も離れることになったきっかけ。それがなんかあそこと関係してるんやないかなあと思って」


 ずっと体を強張らせてわたしの話を聞いてたしげのさんが、すうっと肩の力を抜いてにっこり笑った。


「ふふふ。やっぱり縁ねえ。穂村さんに今の話をしてもらって、わたしはすっごい気が楽になったわ。そうね。わたしもこの際やから、何があったか話しましょ。こんなん誰に言っても信じてもらえへん。でも、のぶちゃんには絶対に聞いてもらいたいし、信じてもらいたい。だから」


 センセが、ぐいっと首を縦に振った。


 目を伏せたしげのさんが、ゆっくりと語り始めた。その……不思議な出来事を。


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