シーン38 消える前に
部屋にいても。ガッコに行っても。買い物に行っても。気分転換で遊んでも。どうしても、作ろういう意欲が湧いて来ぃひん。完全に潮が止まってもた。この状態で棚倉さんとこに行ったら、間違いなくど突き回されて木っ端みじんこやろ。昨日はバイトまでミスばっかで、店長にむっちゃどやされて最悪やった。
週明けからの三日間。わたしはだらだらと時間を垂れ流してしもたことになる。このままぐだぐだが続くのはどう考えてもまずい。単独制作やと、工程管理は自己責任や。誰のせいにも出来ひん。自分に甘くすれば、どんどん雪だるまみたいにツケが膨らむ。そろそろネジ巻いて、自分の尻ぃ叩かなあかん。そのためには……。
今日は定休日でバイトは休みや。一日フルに使える。この一日で、もう一度心の整理をしよう。何の整理? そう、あの隙間。変な時間が過ぎてくあの隙間。その意味を考えて。それから、もうそろそろ封印しよう。しげのさんに話を聞くかどうか。それは土曜日に考えよう。わたしは。わたし自身はそれを聞いた方がいいと思う。でもしげのさんに断られたら、それも封印や。
まずリプリーズに行って。もう一度じっくり眺めて。それからブログを一つアップしよう。しげのさんに分かるように。
◇ ◇ ◇
かんかん照り。風景がどこもかしこも白く飛んでる。露出オーバーや。隠すもんなんか、なんもあらへんて。そう開き直ってるみたいに。リプリーズは変わらずにそこにあった。ただ……窓際に飾られていたアンティークが全部なくなってる。それに遮られていた店内がよく見える。テーブルも椅子もカウンターも、何もない。がらんどうのだだっ広い空間。そうか。もう本当の終わりが近いんやな。
わたしは、ゆっくり店の周りを見回した。店の入り口付近に、工事用の虎柄フェンスが準備されてる。この前まで『本日閉店』の札が下がってるだけだった扉に、張り紙がしてある。
『八年間の御愛顧、誠にありがとうございました。リプリーズ店主 敬白』
やっぱ、八年前か。リプリーズ自体は八年しかやってないんやろう。でも、この建物自体はかーなりぼろい。改装して別の店にするって言うより、取り壊してビル建てることになるんちゃうかな。
「ん……」
わたしはリプリーズの前から隙間のところに移動して、中には入らへんで奥を見通した。
「やっぱりか」
リプリーズに来る前に、裏手に回って隙間の反対側の区画を見てきた。そこには博物館のジオラマで見た通り、壁面がガラス素材できらきらした大型の建物がででーんと横たわってた。隙間の向こうには、それが見えるはずなんや。でも隙間の向こうに見えるのは、しょぼくれた雑居ビルが立ち並ぶ景色。意識して見ぃひんと分からへん。でも、やっぱごっつおかしかったってことやな。
わざわざめまいのリスクを冒してまで隙間に入る必要はない。隙間の中が、こことは違う空間になってるってこと。確認したいのはそれだけやった。わたしはがらんどうになったリプリーズの中を覗き込んで、スマホで撮った。それと、マスターの残した張り紙も。
顔から首から汗がだらだら垂れて、胸元に流れ込む。それは暑いからやろか? それとも……。
◇ ◇ ◇
部屋に戻って。パソコンにスマホの画像を転送する。さてと……。わたしは自分のブログの記事編集画面を見て腕組みをする。どないしよ? しげのさんは、もうわたしのブログを見てないかもしれへん。せやけど、わたしは土曜日に話を振れるようにエサを撒いておきたい。
タイトル。『Xデイ』。
決行日、か。何をして、何が変わるんやろな……。
画像をアップする。張り紙のが先や。文章。『八年の意味』。
うん。これでええやろ。余計なことぐだぐだ書きたない。
がらんどうの店内の画像。文章。『失ったもの』。
前の記事との絡みで見れば。リプリーズが刻んだ八年間の軌跡と、それが変わっていってしまうことへの惜別に見えるはずや。けど。しげのさんはそうとらないと思う。きっと。きっと、やけど。
わたしは。しげのさんがそれを見てくれても見てくれなくても、コメをくれてもくれなくても、わたしの夏の消えない記憶として心に深く刻むことにする。わたしの中に封印する前に。
記事の送信ボタンを押して、ノーパソをぱたんと閉じた。それから、代わりにスケッチブックを開けて。それを……描き始めた。
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