シーン37 混迷

 昼ご飯済ましてから、また制作室に戻ってラフを描き始める。マギーとは入れ替わりになったんかしらん、あいつおらへんかった。しばらく粘ったけど、やっぱ気合いの乗りが悪い。ふう。あかん時はどやってもあかんかー。気分転換に服でも見て帰ろっかな。諦めて店じまいしてたらスマホが鳴った。制作室には他の子もいたから、急いで廊下に出る。


「はい?」

「あ、でんでん?」


 クリか。


「どないした? 野崎はんに就職の報告に来たん?」

「いや、それは慌てなくても。ガッコ行ったついででええかなー思って」

「え? じゃあ今家から?」

「いや、アッコんちからかけてる」


 おっとー。


「どんな感じやの?」

「困ったなあ。ぼんぼろりんや」


 あーあ。


「まあ、無理もないやろ。さっき、ちょい時間かけて聞き出したんやけど、アッコもばたばたっと支えなくしたいう感じやし」

「支え?」

「せや。不倫相手に切られ、野崎センセに振られ、でんでんに放り出され。身から出た錆言うたかて、こんなにいっぺんにしっぺ返し食らったら、そらあべっこりヘコむわ」

「うー、せやけどなー」

「そうなんよ。寂しなったことばっか見ぃひんと、せやったらどうするって考えてもらわんと」

「うん」


 ふう。クリが溜息をつく。


「でんでんもそうやと思うけど、卒制だけやなくて、就職先にもこれから行かなあかんやろ?」

「うん。棚倉さんは出て来い言わへんと思うけど、こっちからがんがんプッシュせんと何も教えてもらえへん。新人研修なんかアホちゃうかゆうてせえへんやろ。中村さんとこも?」

「うちはもっときついで。杉谷さん、もう今週いっぱいしか来ぃひんから、引き継げるもんはもう引き継いどいてって言われてる」

「どわあ!」

「バイトの形やけど、もう勤務スタートやな」

「そっかあ……。さすが中村さんやね」

「厳しいわ。その分、安心やけどね」

「うん。分かる分かる」

「せやから、ガクセイのつもりでのんきにアッコに付き合ってられへんのよ」

「むぅ……でも、ひっきーのままやとなー。どないしよ?」


 しばらく二人してうなる。うー。


「なあ、クリ。一つ一つケリつけさすしかあらへんと思う」

「どゆこと?」

「不倫相手とはもう切れてんね。これはもうええやろ」

「うん」

「わたしがどやしたんも、別にアッコが嫌いになったわけやない。甘えんなってゆうただけや」

「せやろな」

「一番きっついのは野崎センセとのことやろ。そこぉきちんと割り切れるかどうかやな。これから卒制のことで何回もセンセと顔合わせなあかん。ずーっと逃げてるわけにはいかへんやろ?」

「そこが一番しんどいとこっちゅうわけやな」

「うん。そう思う」

「ううー」


 ふう。


「なあ、クリ。わたしの考えやけど」

「うん」

「慣らすしかないと思う」

「……せやね」

「しんどい思うけど。それしかないやろ」

「うん。卒制はよ決め言うて、急かすしかないな」

「これからしばらく、センセのとこには卒制の相談で学生がいっぱい来よるやろ。二人きりにはならへん。それぇなんとか活かすしかないと思う」

「分かった。そう言うとくわ」

「あ、クリ」

「なに?」

「クリの卒制はもう決めたん?」


 クリが黙った。それから、小さい声で返事が。


「まだや」

「え? もうとっくに決めてたんちゃうの?」

「いや……ほんま言うと。わたしはでんでんと共同でやりたかってん」


 ええっ!?


「でも、でんでんはぎっちり悩んどったやろ? わたしはそれにつけ込みたくなかったん。だから、でんでんがすっきりしてからもう一度ネタ振ろう思ってたん」

「そ……か」

「わたしもアホやな。でんでんが動く時はもう道が決まった後やってこと、すっかり忘れてた」


 ああ。アッコだけやない。クリもまた不器用なんやろう。カレシとのこと。家のしがらみ。自分に押し付けられたしっかりもんのイメージが苦しくて。クリもどっかで悲鳴あげとったのかもしれへん。


「ごめんな……」

「ははは。しゃあないて。でも、わたしは独りではやりたない。専門にいる間に、一人じゃ出来ひんことをしたっていう実感が欲しいんよ」

「うん」

「それは野崎センセと相談するわ」

「せやな」


 ちょっとほっとする。クリは、アッコとは違う。決めたら一気や。そして、クリ自身は絶対に後ろぉ向くつもりはないんやろ。


 クリとこれからのスケジュールを調整する。クリは今週末までは中村さんとこに詰めなあかんので、アッコ連れて野崎さんとこに行くのは金曜の午後くらいしか時間取れへん。先生に連絡を取って、その日は確実に部屋にいてもらうことにしよう。


 スマホを尻ポケに放り込んで、荷物を取りに制作室に入る。いつの間にかマギーが戻ってて、腕組みしたままラフを睨みつけてた。この前パース引いてたから、結構いい線まで進めてたんやろ。それご破算にして、最初っからってなったんやろなあ……。マギーを鑑賞してる女の子たちが、くすくす笑いながらその様子を見てる。いい加減にせんと、マギーがぶち切れるで。


「マギー、お先ぃ」


 ひょいと顔を上げたマギー。


「ん? もう帰るんか?」

「ああ、今日はダメや。どやっても気合いが乗らへんわ」

「あの日か?」


 だあほっ!


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