シーン36 独りということ

 週明け。わたしは朝から制作室に籠っていた。


 考えんようにしようとするほど、あのジオラマの景色が目の前に浮かび上がってしまう。イヤや。イヤやけど、きっとわたしはそこから逃げられへんのやろ。どっかでそれが自分に関わってきてしまうんやろ。そういう予感とも恐怖ともつかへんもんに、べったりとまとわりつかれて。制作室にいるのに、わたしの手は止まってた。


 ふう……。わたしは、あの隙間のほんの一部でしかうろうろしてへん。奥に行ったことも、行こうと思ったこともあらへん。わたしがあそこを知ってから、唯一あそこの奥まで踏み込んで行ったんはシンヤだけや。シンヤが戻って来てゆうたこと。それを考えれば、向こうがこっちとは違うってことがすぐ分かる。シンヤが何を見てしまったんか、それもだいたい想像できる。けど、それを確かめる気はせえへん。


 シンヤはどうでもええねん。もうこっちにいるんやから。引っかかるのは……しげのさんや。中村さんも訳ありを匂わしてたし、しげのさんのコメもおかしいとこだらけや。せやかて、こんなことしげのさんに気安く聞けるもんやない。それに、聞いて何になる? それは単なるわたしの自己満足や。ほかっとこ。


 何度も。何度も、何度も、何度も、そう思った。いや、思い込もうとした。せやけど、わたしの意識はどうしてもあそこに戻っていってしまう。まるでブーメランみたいに。


「ふう……」


 だからちっとも気合いが入らへん。乱暴にスケッチブックを閉じたら、ぎしっと扉が開く音がして誰かが入ってきた。


「お? でんでんか。進んでんのか?」


 マギーか。この前から、ちびっと会話しようゆう感じになってきたな。変なの。今まで向こうからのアクションなんかほっとんどなかったのにさ。はははのは。


「ちと、停滞」

「ふん?」

「就職先決まったし、卒制もテーマと素材決めたし、そこまでは順調やったんやけどなー」

「なんかトラブルでもあるんか?」


 へえ。今日はえらい突っ込むやん。


「まあね。けど、わたしが考えて解決することやないからなあ」

「なんやそれ?」

「時間の話」

「ほ? まだ締め切りまでにはたっぷり時間あるだろが」

「卒制のことやないねん。別口。まあ、ええわ。マギーは進んどるん?」


 どかっと足を投げ出して座ったマギーが、いつも以上の仏頂面になる。


「あかん」

「どういうこと?」

「野崎さんに、ばっつりダメ出しされちまった」

「ありゃあ……」

「そんなんコンペ以前や言われてな」


 この時点でゼロ発進は、きっついやろなあ。


「塑像?」

「いや、オブジェ」

「へえ。意外やなあ。おもろいやん。素材何使うん?」

「いろいろ。鋼材メインでやろう思たんやけどな」

「ほっほー。鉄男かー。なんで、ダメ出されたん?」


 むっつり黙り込んでたマギーが、渋々口を割る。


「いつもの俺のと同じ、だとよ」


 ああ!


「そっちかー。温度感出せ、言われたんやろ?」


 いやいやって感じで微かにうなずいた。


「お互い、苦労するなあ」

「おまえ、苦労してんの?」


 これだよ。ほんまに口が悪い。けど、マギーの表情にはそういう余裕は見られへんかった。アッコと同じで、わたしがやすやすといろんなことクリアしてるように見えるんやろか? かなんなー。


「どっぷり苦労してるで」

「どこが?」


 これまたストレートな聞き方。


「せやな。一度迷い出したらなかなか泥沼抜けられへん。先週はいい感じにアイデア湧いてたんやけど。またどつぼモードに逆戻りや」

「ふん?」

「なあ、マギー」

「んー?」

「あんた、自分のこと一匹狼やって思ってる?」


 しばらーく、沈黙が続いた。


 これは。わたしが前からずーっと気になっていたこと。アッコの奇抜さは、寂しさ、心細さの裏返しやった。もしかして、マギーのも……。


「ああ、思っとるで。だけどな」

「うん」

「それは俺のせいやない」


 すっごい癖のある言い方やったけど。マギーの言いたいことは分かった。


「そっか」


 わたしは、荷物をまとめてトートバッグに放り込んだ。


「なあ、マギー」

「ん?」

「自分の形、人に勝手に作られたないんやろ?」

「そらそうや」

「せやったら、みんなにそう言わな分からんで」


 仏頂面のひどくなったマギーをほっぽって。ゆっくり制作室を出る。どいつもこいつも。そして自分ちゅうやつも。あーめんどくさ。


◇ ◇ ◇


 そういや、クリがアッコとの間を仲立ちしちゃる言うてたけど、どうなったんやろ? 急かすことやないけど、気になる。


「あれ、でんでん、一人?」


 マクドでもっしゃもっしゃハンバーガーかじってたら、チキに突っ込まれた。


「そうだよん」

「一人って、珍しいやん」

「そう?」

「いっつもアッコとペアやのに」

「夏休み中やもん。あいつのペースでは遊びきらん」

「ぎゃはははは。それもそうやね」

「チキは卒制どないすんの?」

「みぽとりんりんと組んでやる」

「コンペは?」

「出さへん。スケジュールきっついから」

「そうやなー」

「でんでんはコンペ出すんやろ?」

「うん。エントリーした。これからぎしぎし追い込んでいかなあかんなー」

「しっかし、でんでんもタフやな」

「体力しか取り得あらへんもん」

「何言うてんの。天才でんでんが」

「それ止めてんかー!」

「ぎゃははははは! あ、ほいじゃね」

「うん。ばいびー」


 せやな。もしわたしがクリと共同制作にしてたら、今頃あれやこれや言いながら模型作っとったやろな。わたしがもしもやもやのことをほかっていいって思ってたら、きっとクリの誘いに乗ったと思う。


 わたしは一人ぽっちが好きなわけやない。みんなでわいわいやんのは大好きや。じゃあ、なんで卒制を共同製作にしぃひんかったか。クリにはみんなに迷惑かけたないって言ったけど、ほんまは自信がなかったからや。これがわたしや、わたしの武器やってムネ張って出せるもんが何もなかったからや。それはきっとわたしだけじゃないんやろ。みんなかてそうなんやろ。だから共同でやろって。


 うん。その気持ちはよーく分かる。でも、わたしはそれに乗りたなかった。みんなと比べて。出せるとこだけ出して。それで安心する。ああ、わたしもみんなと同じやって、安心する。わたしは……それがごっつ引っかかったんや。


 棚倉さんとこでプレゼンした時に味わった、とんでもない敗北感。でもあれをそういう風に受け止められたんは、わたしが独りやったからやと思う。誰にも責任押し付けられへん。みんなわたしから出て、わたしの中に戻ってく。目を逸らすことも、笑ってごまかすことも出来ひん。だって、それがわたしそのものなんやから。


 独り。寂しいのは確かや。ずっと独りは耐えられへんと思う。せやけど、独りの意味は……独りにならんと考えられへんな。


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