シーン34 おめでとう!

 お握り二個でどないせっちゅうんじゃ。ったく、店長もお茶目なことしよるなー。でもきっと、シンヤのことで頭がいっぱいだったんやろな。


 わたしはお握りをもぐもぐ頬張りながら、今日買って来た紙のサンプルをいろいろいじってみる。厚さも、強度も、テクスチュアも違う様々な紙。それぇ全部覚えろってことやないよね。自分が作りたいものにぴったりくる素材。それを見つければいい言うことやね。


 うーん……。全体のフォルムを決める支柱。そこには、あえて彩度の高い色を使いたない。そこは揺らがない自我の象徴。色じゃなくして、形がわたしをきちんと見せられる場所。無骨でもかまへん。骨太で、寡黙で、力強い形。それを見せられる素材。ここは工業用のカードボードがええかも。


 そしたらそれと対になるように、アウトライン描くんは柔らかい素材がいいかなあ。骨格を覆ってしまうんやなくて、その隙間から支柱が見えるように。うーん。せやけど、剛と柔の対比がきつすぎる。そこをどうブリッジさすかやな。紙やと重たい素材とちごて、それ自体の存在感を示しにくい。たくさんの線と面を見せることで、それがまるで生き物みたいになるように思わせなあかん。


 わたしのスケッチブックは、見る見るうちに無数の線で埋まっていく。この前はエネルギーしかなくて固まらなかった形が、徐々に固まっていく。でも、慌てへんでいい。ゆっくり。ゆっくり時間をかけてわたしの場所を形作っていこ。それは今のわたしだけやない。これからずーっとわたしの場所になってくはずやから。


 棚倉さんとこで模型作ってた時と同じみたいに。わたしはスケッチブックに下絵ぶちかますことに没頭してた。


 スマホが鳴って、我に返る。十一時か。夜中に誰やろ?


「うい」

「でんでーんっ!?」


 お。クリや。テンション高そやな。


「どしたん?」

「やったでえっ!」


 おおおっ? もしかして。


「中村さんとこ、採用やったん?」

「採ってくれたっ! めっちゃ嬉しいわあっ!」

「うわあ、勝負早いなあ! 最高やん!」

「うん、嬉しくて眠れへん。そっち行ってええか?」


 この前のアッコの時とは違う。今度はめでたいことや。断る理由なんか、なんもない。


「おおよ。酒用意して待っとるで! オールじゃ!」

「うっきょーっ! んじゃ、後でっ! ばいちゃあっ!」


 うん。わたしは、クリならきっと一発で決めるやろって思ってた。熱くて、しっかりもんで、真っ直ぐ。中村さんがごっつ好きそなタイプやもん。おとついはアッコの情けなさにぶち切れたけど、今日はお祝いや。わたしもめっちゃ嬉しい。乾きもんだけやとあれやなあ思って、簡単やけど料理してつまみを作る。酒はとっておきを開けよう。


 三十分くらいして、弾んだ声がドアの外で聞こえた。


「でんでん? クリや!」

「おー、今開けるで、待っとき」


 はあはあと息を切らして、コンビニの袋を両手いっぱいに下げたクリが、顔を真っ赤にして飛び込んできた。


「くわあっ! 嬉いっ!」


 その袋をぽいぽいっと部屋の中に放ったクリが、靴脱ぐのももどかしくわたしに抱きついた。


「でんでん! ありがとーっ!」


 うん。どうせ抱きつかれるんなら、こういうんがええなあ。どうせ涙流すんなら、こういうんがええなあ。わたしは力いっぱいクリを抱き返して、アッコの時のことを思い出していた。他にすがるもんがなくて抱きつくのは……寂しいやろ? なあ、アッコ。


「わたしはなあんもしてないって。クリの実力が評価されたんやないか」

「それでも嬉しいっ!」

「あははははっ。さあ、飲むでえっ!」


 座卓いっぱいに、つまみとお菓子を並べて。わたしはとっておきのワインを一本開けた。


「クリの就職決定おめでとっ! 乾杯っ!」

「おおきにっ!」


 かちん!


◇ ◇ ◇


 うーい。ひっく。


「なあ、クリぃ。所長さん、ええ感じの人やったやろ?」

「うん。ごっつタイプや」

「こりゃこりゃ。手ぇ出したらあかんぞ」

「へっへっへ。でも、あの人独身やからなあ」

「えっ!?」


 堅実な人やったし、トシもトシやし、てっきり家庭持ってる思たけどなあ。分からんもんやなあ。


「うー、見えーん」

「そうよねえ。独りのわけが分からへん」

「そういや、面接でなんか突っ込まれたん?」

「そこそこな。でんでんから聞いとったことは、最初に確認されてん」

「やぱし」

「まあ、それはわたし次第やからどうにでもなる言うた」

「クリやからなあ」

「はははっ」

「あ、そや。カレシなんちゃら言う突っ込みも入ったろ?」

「あ。そういやあったな」

「どない答えたん?」

「おるけど、それとこれとは別やって答えた」


 ずごーん! 思いっきりぶっこける。ええーっ!?


「ク、クリ。オトコおったん?」

「なんやね、それ」


 むくれるクリ。そらあこんだけの美人やし、いてもおかしくはないんやけど、なあんとなくクリはフリーやと思ってた。


「ちょ。タメ?」

「せや。音響科の子。専門入ってすぐに付き合い始めたからけっこうになるなあ。続いとる」

「ふうん。どんな感じ? V系?」

「いやあ、ど地味やね。トモは根っからの技術屋や」


 むぅ。イメージ出来ひん。


「結婚……すんの?」

「さあ。それは分からへん。あいつも就職苦戦しとる。自分のしたいことにこだわるやつやから、就職浪人するかもしれへんし。とっても、そんな浮かれた話にはならへんわ」

「そっか……」

「中村さんには、そやって答えたんよ」

「なるほどね」

「それに、わたしにも事情があるし」

「事情て?」

「うち、おとんがおらんの」


 あ。それは知らんかった。


「リコン?」

「せや。わたしがまだあかんぼの頃やから、わたしはもともとおとんのことはほとんど知らん」

「ふうん」

「おかんがすっごい苦労してわたしをガッコに行かせてくれたから、はよ稼いで暮らし楽にしてやりたいんよ」

「うわあ、クリらしなあ」

「ははは。そう?」


 クリは少し寂しそうな顔をした。


「せやから、トモに付いて来てくれ言われても、たぶんそれは出来ひんと思う。わたしだけの人生やないから」

「……うん」


 ひゃっぱー自分の思い通りになる生き方なんか、どこにもあらへんな。みんな、ちっぽけな幸せをどやって継ぎ接ぎしてこか、苦労してる。


「なあ、クリ」

「ん?」

「わたしな、この前アッコに泣きつかれてぶち切れたんよ」

「何があったん?」

「あいつ、普段あれだけとんがっとんのに、肝心なとこ自分でなんとかしようっていう発想がない。中身すっかすかや。クリもあの時、ぶち切れとったやろ」

「ああ」

「せやからどっかに寄っかかろうとして、いっつもふらふらしとる。オトコでそれ埋めようとすんのは、わたし的にはサイテーやと思う」

「うん……」

「そいで、自分うまくいかへんからってスネよる。わたしやクリは才能あるからゆうて。どうせわたしはダメやって決めつけてる」

「せやったね」

「アッコが見てるわたしらは幻想や。はりぼてや。わたしらのことは、わたしら自身にしか分からへんのやから」

「せやな」

「わたしがぶち切れたんは、あいつのぐだぐだが情けないからやない。そんなんどうでもええねん。あいつが、わたしの形を勝手に決めよったこと。それがどうしても我慢出来ひんかってん」

「ふう……」


 クリが座卓に頬杖を突く。


「なあ、でんでん」

「ん?」

「あいつは、でんでんに対してだけは正直なん。ぐだぐだ見せる相手は、たぶんでんでんだけなんやろ」

「それは分かるけど……」

「ああ。わたしらはわたしらの出来ることするしかあらへんから。それでいっぱいいっぱいや。せやけど、それすらようせえへんアッコみたいのんが、ぎょうさんおんねん」

「そうかも」

「わたしかて、そんなん関わりたないわ。けど、友達やったらそうも行かへん。ぶっちすんのは簡単やけど、その前に出来ることしてからやないと気持ち悪いねん」

「さすが、クリやな」

「ははは。こういう性格やからしゃあないわ。ほいで、でんでんはアッコを切るん?」

「迷っとる。わたしの卒制は単独や。することはいっぱいある。棚倉さんとこにも通わなあかんし。まぢに、アッコのぐだぐだに構ってる暇がないんよ」

「うーん……」

「もちろん、遊びに行くから付き合えってのは全然かまへんよ。でも、卒業控えてばたばたする時期に、一人だけ知りまへーん、関係ありまへーんて、アッコの都合で引っぱり回されるのは堪忍や」

「せやな」

「この前アッコに言うたんや。まじめに卒制考え、て。これまでみたいにやっつけで済ますんやなくて。ちゃんと自分作らなあかんやろって」

「そん通りや」


 クリがすっと背筋を伸ばした。


「そやな。でんでんがそう言ってアッコをどやしたんなら、アッコがそれをどう受け止めるかやな」

「うん。もしアッコが今よりちょっとでも自分良くしよう思うんなら、それは手伝ってあげたい。ただ、何もせえへんで助けてだけ言うのはなしや」

「せやな」


 クリが顔をしかめた。


「アッコは、でんでんがぶち切れたことにショック受けとるんやろ。たぶん自分からはアクション起こせへんと思う。わたしが間に入ったるわ」


 え?


「だいじょぶ?」

「面倒なんか見ぃひんよ。でも、頭ぁ冷やさなあかんやろ。どっちも」

「うん。そやな」

「もしアッコがでんでんに謝ってきたら、レスキューしたって。それは、でんでんにしか出来ひんのやから」


 ふう……。


「そん時は、そん時、やな」


 クリが人差し指でグラスをちんと弾いた。その音がやけに心細く聞こえて。やりきれんかった……。


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