シーン33 チャンス

「ちわーす」


 土曜日やし、夏休み中やからセンセも暇やろう思ったら、部屋ン中が人だらけやった。そっか。卒制の話、センセも面倒見いいから一人一人進行度合いチェックしとるんやろなあ。


「おお、でんでんか。どないした?」

「お忙しいとこ、すんまへん。でんでん、就職決まりましたあっ!」


 おおっ! 驚く声と一緒に、部屋にいた子らが一斉にわたしの顔を見た。ちょっぴり照れくさい。にやっと笑った先生がわたしに確かめる。


「棚倉んとこか?」

「はい! わたしがこの前作った模型、それもつこた企画が通ったそうで、昨日昼間っから宴会に引きずり込まれて」

「おおおっ! そいつはすげえ!」

「はいっ! 気分、最高っした! やっぱ、あれは止められへんです」

「そっか」

「どこに行ったかて厳しいのは同じやから、それなら棚倉さんにぎっちり絞られてきますわ」

「そやな。がんばれ! これで卒制に集中できるな」

「はい。これから紙見本、見に行ってきます。色彩関係も朽木センセ以外のアドバイザ確保したし」

「ほう、誰や?」

「センセ、ちわーっす!!」

「うわわ!」


 わたしが答えようとしたら、クリが乱入してきてがちゃがちゃになってもた。あ、そういやクリは卒制、どないしたんやろなあ。


「じゃあ、また顔出しまーす」

「おお、後でなー」


◇ ◇ ◇


 画材店に出かける前にエントランスで一服する。バイトが入ったから、そんな遠出はでけへん。昼ご飯もマックで済まそ。小さいペット茶飲み干して出よう思たら、クリに捕まった。


「でんでん、就職決まったんやて?」

「へへへ。きっついとこやけどな。一応くりえいちぶなとこやし、嬉しいわ」

「ええなー」

「クリはまだ決まってへんの?」

「やっぱ、きついよー。わたしはそんな制作にこだわるつもりはないんやけど、そうすっと他の子とまぢかち合っちゃうから競争率ハンパなくて、きっつい」

「そうだよねー。わたしも玉砕ばっかやったからなあ」


 お? そういや。


「クリは、制作にはこだわらん言うたよね?」

「うん」

「事務とかでもかまへんの?」

「辛気くさいとこやなければ」


 むー。微妙かもしれへんなあ。でも、ものは試しや。


「あのな。わたしが面接受けたとこで、事務員探してるとこがあるんよ」

「へえー」

「中村設計事務所いうとこなんやけど、しっかりした会社や」

「ふうん。設計かあ」

「その会社の事務仕切ってたおばはんが、今度アトリエ開いて独立する言うて辞めよるんよ。で、わたしに後釜どうやって話やったん」

「へえ。いいなあ」

「でも、わたしは棚倉さんとこに行くことに決めたから、断ったん。ほしたら、所長さんに誰かええ人おったら紹介してくれ言われて」


 クリの目の色が変わった。


「そ、それ。まぢ!?」

「まぢもまぢも、おおまぢや。ただな……」

「うん? なんかあんの?」

「そこも、結構条件きついで」

「試験とか、あるとか?」

「いや、そういうんやない。よく聞いてんか?」


 クリがびしっと姿勢を正した。


「まずな。そこの事務所はすっごいしっかりしたとこやから、接客態度とか電話の応対とかすっごいうるさいんや。わたしらが学生気分で行ったら、最初からアウトや」

「うん。なるほど」

「電話かけてみたら分かる。ど緊張するで」

「むぅ」

「仕事は事務や言うてん、お客さんと設計士を結ばなあかんから、わたしそっち方面なんも知りまへんでは済まへんの。いろんなことを覚えてさばかなあかん」

「おおー、それはごっついな」

「うん。ちゃらちゃらしてたら出来ひんと思う」

「ええやんか。燃えるわー」

「せや。わたしも棚倉さんのことがなかったら、まぢ就職考えてたかもしれへん」

「ふうん」

「も一つあるんよ。厄介なことが」

「なに?」

「そこは小口の受注主体やから、打ち合わせとかでお客さんの出入りが頻繁にあるんやて。営業の人らがお客さんの接待することも多いんよ」

「うん。そうやろな」

「で、お客さんから事務の子も連れてこい言われたら、断りきらへんねやて」

「げ!」

「もちろん、ヤバい話にはならへんように、会社である程度ガードしてくれるみたいやけど、そんなん絶対イヤやって子には務まらへん」

「んー、なるほどー」

「そんな、しょっちゅうあることやないとは言ってたけど、クリぃ美人やし、覚悟がいる」

「なあに言っとんねー。あははははーっ!」


 ばしこん! 背中を叩かれる。いったぁ。


「事務の仕事はまじめにこなさなあかんけど、宴会の時にそれも営業やからって割り切る姿勢もいるいうことやね。だから、普通に求人かけても出来そうな子がよう来ぃひんらしいの」

「確かになー」

「せやろ? まじめで、礼儀正しくて、設計のことも積極的に覚えて、宴会まで営業役でこなせる。そんな子、そうそうおらへんもん」

「年配の人やだめなん?」

「仕事をよう覚えきらへんのやて」

「あ、なるほどねぃ」


 腕組みしたクリが考え込む。


「まあ、実際に所長さんに会って、感じ掴んでみたらどや? 所長さんはすっごいまじめな人や。ちゃらけたとこはどっこもあらへん」

「コワい人?」

「いや、優しそうな感じやで。仕事には厳しいけど、むちゃは言わへんと思う。ごっつオトナや」

「ふうん……」


 わたしは、中村さんの名刺をクリに渡した。


「わたしからの紹介やって言えば、話は早いと思う。あとはクリ次第や」

「うん、ありがと。なんかええ感じやな。面接さしてくれるんなら、チャンスは逃がしたない」

「クリなら、所長さんもきっと気に入ってくれよると思う。しっかりしてるしぃ、行動力あるしぃ」

「なんか……わるいなぁ」

「何言うてんの。わたしの危ないとこ助けてくれたんはクリや。わたしはこれっくらいしか恩返しできひん」

「ふふ。ほんまにありがと」


 すぱっと立ち上がったクリがガッツポーズを取った。


「アポ取って、行ってくるっ!」


 さすがクリやな。エンジンかかったら一気やもん。すっごい行動力。


「がんばってー」

「さんきゅ!」


 あっと言う間に。その後ろ姿が消えた。


◇ ◇ ◇


 わたしは画材店を回って、いくつかサンプルの紙を買うた。それからそれを持ってバイトに行った。


「店長、昨日ドタキャンすんまへん」

「かまへん。りのちゃんにはこれまでずいぶん無理聞いてもろたからな」


 店長はいつになく疲れてる様子やった。せやからシンヤのことは切り出さないで、そのままバイトに入った。


 午後九時過ぎ。いつものように、黒服さんがポジションに付き始める。シンヤの姿はない。辞めよったんかなあ。


「てんちょー、りの上がりまーす」

「お疲れはーん」


 ひょこっと出て来た店長が、大きな溜息をついた。


「はああっ……」

「やっぱ、シンヤはあかんかったんですか?」

「ああ、あいつは親元へ帰した」

「えええっ!?」

「昨日の夜な、うちの制服着たままぶつぶつ言いながら裏道ふらついてたとこを職質されたんやて。ヤクでもやってるんちゃうかって」


 げっ!


「せやけど全然会話が噛み合わへんから、こらヤバい言うて警察からうちに連絡が来たんよ」

「なんで?」

「身元分かるもん、何も持ってへんかってん。制服の店名でたどったらし」


 あ、そうか。荷物、スタッフルームのロッカーの中やったんかなあ。


「せやけど、ここか自分の部屋にくらいは戻れるはずですよね?」

「せやから錯乱や。げっそり痩せこけて。怯えて。何があったんかしらん、ずーっと同じことぶつぶつ言いよってん」

「なんです?」

「ここは俺の場所やない、て」


 どくっ。心臓が止まるかと思った。

 確かにシンヤは悩んどった。仕事が自分に合わん。そう言って悩んどった。でも、その意味やろか? なんか……違う気がする。


「あのー、てんちょー」

「ん?」

「いなくなってたのって、丸一日くらいですよね」

「せやな」

「その間に、そんなにげっそり痩せられるもんなんすか?」

「さあなあ。俺はそんな痩せたことあらへんから、分からんわ」


 うむ。そうやろなあ。店長の油ぎり方なら、一年間日干しにしても痩せへんやろ。


「ちょっと精神病んでしもた感じやなあ……」


 ふうっと息を吐き出した店長が、ゆっくり厨房に戻ろうとした。


「あ、てんちょー、待ってぇ! わたしの賄い飯ぃ!」

「おっと」


 振り返った店長が、包みを渡してくれる。


「ありがとうございますー」

「また頼むなー。お疲れさーん」


 ふう。今日のは忘れずにゲットや。わたしはほくほくしながら包みの中を覗き込んで、ずっこけた。


「コンビニのお握り二個やて? ひーん」


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