シーン29 ヒント

 面接終了。


 中村さんの仕事を邪魔したらあれやと思ったけど、わたしには一つだけ聞いておきたいことがあった。


「あの……中村さん」

「なんですか?」

「杉谷さんなんですけど、もう来ておられへんのですか?」

「ああ、もう有給消化に入ってるからね。でも彼女はまじめやし、残務整理でちょくちょく顔は出してる。今日は来てへんけどな」


 ふうん。


「杉谷さんは、こちらで何年働いておられたんですか?」

「八年やな。うちに来る前は、問屋の事務を十年してたそうです」

「栄進堂ですよね」

「ああ、よう知っとるね。杉谷から聞いたん?」

「はい」

「私は、そこがどんなところかは知らへんけどね」


 わたしは、どうもおかしいなーと思った。中村さんて、すっごい緻密な人や。さすが設計士さんやなあと思う。心配りも求人に対する姿勢も妥協してへん。きっと杉谷さん採用の時も、きっちり履歴書は見てるし、前の職場のことはごっつ突っ込んで聞いたと思う。畑違いやしね。


 でも、今の反応。拍子抜けするくらいにあっさりや。どうもそこをわざと見ぃひんようにしてるみたい。そして、ここでも同じキーワードが顔を出す。十年。


 しげのさんは十年前に問屋を退職して、その二年後に中村さんのところに来てる。なんもおかしくはない。おかしくないんやけど。どうも……引っかかる。かまかけたろか。


「中村さん。杉谷さんて、なんかわけありなんちゃいます?」


 中村さんの視線がきつくなった。


「なんで?」

「わたしね、どうも引っかかることがあるんです。この前杉谷さんに来ていただいた時が、わたしと杉谷さんの最初のコンタクトやないんですよ」


 じっとわたしを見据える中村さん。


「わたしはブログを持ってるんですけど、それに最初にコメント付けて下さったのが杉谷さんなんです。杉谷さんは、わたしのことは知らへんと思います。わたしはハンドルネームつこてブログ書いてるので」

「それで?」

「杉谷さんは、ちょっと変わったことをそこにコメントとして残してはりました」

「変わったことって?」

「十年前まで栄進堂で働いてて、退職する時にリプリーズのマスターと話し込んだって」

「それのどこが変わってるの?」

「杉谷さんの勤めてはった栄進堂っていう店。それから退職するまでよく昼ご飯食べに通ってたっていうリプリーズという喫茶店。どっちも十年前には実在しないんです」

「……」

「栄進堂は二十五年以上前になくなってます。リプリーズが出来たのは七、八年前。おかしい。つじつまが合わへん」

「偶然かもしれへんやろ?」

「もちろん、そうです。でも、時間を考えなければどちらも近くにあった。そんな偶然の一致、そうそうあらへんやろって」


 中村さんは、しばらく黙ってわたしを見下ろしていた。それから……。


「そうやな。確かにちょっと変わった経緯があったことは確かや。けどそれは、私がうかつに口に出来ることやあらへん。もし知りたいんやったら、杉谷から直接聞いてくれへんか?」


 うん。中村さんにこれ以上迷惑はかけられへん。わたしが欲しかった答え。杉谷さんの過去に何かあったっていうこと。そのとっかかりは、中村さんが暗示してくれた。それでええよね。


「すみません。変なことを聞いてしまって申し訳ありません」


 中村さんは、それには答えずに少し寂しそうに笑った。


◇ ◇ ◇


 面接から帰って、着替えて、バイトに行く。涼しい事務所で過ごせたから、体がだいぶ楽になった。今日は制作の方はちょっと休みにして、バイト上がったらゆっくり休も。今日はお客さん少なめで、わたしはだいぶ楽やった。この前がごっつしんどかったからなあ。


 午後九時過ぎ。いつものように店長に声をかけた。


「りの上がりまーす」


 いつもだったら脂ぎった顔でにやにやしながら出て来る店長の機嫌が、むっちゃくちゃ悪かった。ぶっすうっ! おっと、なんかあったんやろか?


「店長、どしたんすか?」

「シンヤの野郎、出てきぃひん!」


 あ。わたしが引き金引いた形になっちゃってるから、冷や汗が出た。


「昨日、なんかあったんすか?」

「ちょいと、酔っぱのヤンキーともめよってな。酔っ払い相手にまじになってどないすねん!」

「そーですよねー」

「へいへいへいとぺこぺこ頭ぁ下げときゃ済むもんを、まともにがちやりそうになったから、つまみ出したんや。頭ぁ冷やしてこいって」

「あっちゃあ」

「でも、その後電話してもつながらへんし、今日も集合時間はとっくに過ぎとる。だあほがっ!」


 あーあ。店長も、時間とか約束ごとにはごっつうるさいからなあ。それはそうと、昨日のことをちゃんと話しとこう。あとで、変に勘繰られたらかなん。


「あー、店長。昨日の夜、シンヤに捕まって愚痴ぃ聞かされましてん」

「りのちゃんがぁ?」

「昨日は制作の関係でガッコに泊まったんですけど、ガッコへの通り道で声かけられて」

「あいつ何言いよったん?」

「この仕事、俺にとって逃げやないやろかって」

「逃げか」

「ええ。何を今さらって感じ。もう情けなくって、なんも言われへんかったですぅ」

「せやろな」


 店長は、じっと自分の足元を見つめた。


「なあ、りのちゃん」

「はい?」

「最近の若いもん、暇あり過ぎや。暇や言うことは、それ使い切れてへん言うことやからな」

「そうですね」

「せやから俺は休むのがイヤなんや」


 そう言い残して。店長はゆっくり厨房に戻っていった。店長の厳しい文句には、ちゃんと理由がある。せやけど、みんながみんな、わたしみたいにこなせるわけやない。そういうことか……。


 と。わたしは、はっと我に返った。


「ちょっと、てーんちょーっ! わたしの賄い飯わあっ!?」


◇ ◇ ◇


 触らぬてんちょにたたりなし。わたしは賄い飯をさっさと諦めて、コンビニでお弁当を買って帰った。まあ、シンヤのことはええわ。嫌でも自分でケリつけなしゃあないんやし。それより、中村さんとこと棚倉さんとこ、両方ともいけそうな気配になってきた。こっちをどうするか、しっかり考えなあかんよね。

 中村さんとこは意外やったなあ。かちかちの仕事かと思ったけど、意外に泥臭い部分もあるいうことやね。そりゃそうか。お客さんあっての商売やし。


 シャワー浴びて、お弁当をつつく。


 まい_すぺーす。場所は自分が創る言うてん、ゼロからは出来ひん。そこで自分が使えるもんが多いほど、それが使いやすいほど、わたしはのびのびと場所をこさえられる。

 きっと。オトコもそうなんやろなあと思う。お互いに関わらへんのやったら、好きになる意味はない。けど、好きやからって束縛し過ぎたら……そこにわたしの場所は創れなくなってまう。韓ドラのイケ面俳優の顔を見ながら、わたしはぼんやりとそんなことを考えてた。


 ん? メールや。誰からやろ?


『つらい』


 アッコか。やっとアクセスしてきたか。


『愚痴聞いたるさかい、出てこんかい』


 すぐに返事が来た。


『ありがと』


 わたしは、スマホを座卓の上にぽんと放った。


「きっとオールやな。はあ……」


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