シーン26 行動と応答

 う。いてててて。


 やっぱ、ベッドで寝るようなわけにはいかへんなー。自分が何時に落ちたか、じぇんじぇん分からんかった。机に突っ伏して寝てて、ほっぺにスケッチブックの紙の跡が付いてしもた。うー、恥ずかし。


 落ちる直前まで、わたしは鉛筆を動かしてたんやろ。スケッチブック一冊、丸々線で埋まってる。それを、もう一度じっくり見返す。でも、その中にわたしの欲しいもんは入ってへんかった。これからわたしは、いっぱいばたばた足掻かなあかんのやろ。わたしの中からぐつぐつ沸いて、わたし自身がほんまに納得できる形を探して。それは、センセにも社長にも手伝ってもらえへん。


 ふう……。荷物をまとめて制作室を出る。夏休みに入ったばっかで、さすがにほとんどガクセイの姿はない。制作で出てくる子らも、来るのは暑くなる午後からやろな。そういや野崎センセは復活したんやろか? 帰る前に部屋覗いてこ。エレベーターで最上階まで上がって、廊下を見渡す。野崎センセのところはドアが開いてる。復活したみたいやね。


「センセー、大丈夫でっかー?」

「んんー?」


 でこの上にアイスノンを乗っけた野崎センセが、かったるそうにこっちを向いた。


「あでー? まだ調子悪いんすか?」

「なんや、でんでん。こんな朝っぱらから」

「いや、昨日から泊り込みでラフ描いてたんで」


 どでっ! センセがぶっこける。


「おっとー、いっきなりエンジン全開か。ほどほどにせ」

「へへへ」

「俺の調子は悪ないよ。理事長がどケチで、冷房入れてくれへんねや」


 どごっ! 今度はわたしがぶっこける。


「むー。でも理事長の部屋って、冷暖房入ったことないんちゃうかなあ」

「そうなんだよ。自分でそれやりよるから、入れろってよう言われへん。かなわんわ」


 机の上のタオルを持って、顔の汗をわしわし拭くセンセ。


「で、行けそうか?」

「ううー、そんなに簡単に行きませんよう」

「はっはっは。そうやろなー」

「でも、素材何使うかは決めました」

「ほ。そっちから行ったか。何で行く? ブロンズか?」

「いや、ペークラで行きます」

「っとーっ! 紙かぁ!」

「はい。昨日棚倉さんとこのパッケージのタマ出しに引きずり込まれて」

「ほう」

「わたしの作った模型、いい出来やからって買い取ってくれました」


 ぐわっしゃーん! 回転椅子ごと派手にこけるセンセ。リアクション、気合入ってるなあ。


「っつぁーっ! あいつも節操ないなあ」

「へへへ。でも、そん時に棚倉さんにゆわれたんです。紙の扱いがうまいやんて。なんで、得意なところで勝負せえへんのって」

「なるほどな」

「しょせん紙やと思うから、それっきりのものしか出来ひん。紙のポテンシャル使い切ったれって」

「うん。せやな」


 センセは立ち上がって、書棚から分厚いカタログを持ってきた。


「ほれ」


 わ! すご……。


「紙ってのは、とんでもなく選択肢が広い。素材のバリエーションも、加工の仕方も、もちろん見せ方も」

「そっかあ」

「デザインも大事やけど、紙の持ってる特性じっくり探って、それぇものにしてから手ぇ着けへんと、火傷するで」


 うん。センセの警告は当然やな。


「センスだけやない。もっと勉強が要るいうことや。覚悟せ」

「はいっ」

「それと……」


 センセがごっつー厳しい顔になって、腕組みした。


「紙使うんなら、色から逃げられへん。そこも勉強せなあかんで」

「あ、色かあ。それぇ盲点でしたー」

「せやろ? ほんま、棚倉も罪作りなことをしよる」


 センセが、はあっと溜息を付いた。


「あいつはな。絶対に人をほめへん。でんでんを評価したってことは、そっから尻叩きにかかったってことや」

「ど、どういうことすか?」

「あいつは必ずハードルを上げてきよるで。そんなん出来て当たり前やってな」

「そ……ですか」

「ああ。あいつは叩いて壊れよるやつは無理に叩かへん。けど、でんでんには上ぇ上ぇ求めてきよるやろ。それ、覚悟せ」


 ううー。あの社長のオーダーは、はんぱなくきつそう。


「はい……」

「まあ、でもまず卒制や。でんでんのエンジンは回ったんやから、無駄にせんとしっかりその力使わんとな」

「はい!」

「色のことは、朽木先生に食いついとき。理論では分らんこともあるしな」

「そうですね。センセがノびてる間に、朽木センセにもアドバイスをもらいました」

「ええことや。使えるもんは何でも使う。基本やからな。まあ俺が心配してたんは、おまえが足ぃ止めてまうことや。動き出したんなら、どっちに転んでんうまくいくやろ」

「うーす」

「ああ、そや。マギー見かけたら、俺んとこ来い言うといてくれ」

「いいですけど、なんかあったんすか?」

「いや、卒制の話や。あいつも壁に当たっとるからな」


 やっぱなー。


「じゃあセンセ、わたし帰って寝ますぅ」

「くら、昼夜ひっくり返すなよー。後で苦労するで」

「へーい」


◇ ◇ ◇


 ぐわあ! あづいー。寝るどころの話やないわ。きつすぎ。


 アッコとどっかにしけ込みたいけど、あれからなーんも連絡してきぃひんし。こっちからもかけにくい。最近わたしの都合で引っ張りまわしちゃったから、クリにはもう迷惑かけたないしなあ。チキんとこでも襲ったろか。熱風をかき回す扇風機の前でもだえてたら、電話が鳴った。


 お? アッコか? ちゃうな。これは杉谷さんが電話かけてきた時の番号。設計事務所からや。杉谷さんかな?


「はい。穂村ですぅ」

「私は中村設計事務所の所長の中村なかむら隆弘たかひろと言います。穂村理乃さんですね」


 げ! 所長さんやて?


「はい、そうですけど」

「うちの求人に応じてくださったそうですね。ありがとうございます」

「い、いえー」


 うひー。どえらい丁寧や。杉谷さんに負けてへん。


「先日はわざわざ足を運んでいただいたのに、所員の不手際で大変失礼をしてしまいました。お詫び申し上げます」

「あのう。杉谷さんから丁寧に謝罪していただいたので、それはもう……」

「ありがとうございます。それでですね、面接を行いたいので、もしあなたが当所にご興味がおありでしたら、ご足労願いたいのですが」


 うぎー。なんや、かっちかちに固そうな人やなあ。苦手やー。


「あの、いつがご都合よろしいんでしょうか?」

「ええと、もし穂村さんの予定が空いているのであれば、これから来ていただけると助かるのですが」


 わたしが頭下げる立場や。わたしの都合を言うたところでどうにもならへん。今日は定休日やからバイトもないし、向こうは涼しいやろ。よし、行くで!


「わたしは大丈夫です。午後一時でよろしいんでしょうか?」

「それで結構です。お手間をおかけして申し訳ありません。それでは、お待ちしております」


 そう言って。電話が切れた。ふう……。この前の杉谷さんの話も聞いてるし、悪いとこやないんやろうけど、なあんかそそらへんなあ。けど、棚倉さんとこはごっつ覚悟が要りそうやし。いろんなところ見せてもらった方がええんやろな。割り切って、行ってこよ。


 ふわわわわ。それにしてん、寝不足やぁ。あくびしぃひんようにせんとなー。


 ふわわわわ。

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