シーン25 集中

 わたしの中に点いた火。これまでもやもやとくすぶってたものが燃料になって、そこに流れ込んでく。わたしはその感覚を無駄にしたくなかった。バイトが引けた後。わたしは部屋に戻らないでガッコに行った。この熱が冷めへんうちに、たくさんラフを描きたかった。今日は制作室に泊まり込もう。コンビニで飲み物とパンをいくつか買って、ガッコに急ぐ。


 わたしは熱病にうなされてたのかもしれへん。誰かがわたしを付けて来たことに、全然気ぃ付いてへんかった。リプリーズの前を通りかかった時に、いきなり暗がりで腕を引っ張られて、ぎょっとする。


「ひいっ!?」


 ち、痴漢かっ!? 腰が抜けそうになる。おそるおそるそいつの顔を見たら……。


「シンヤやん。おどかさんといて。なんね?」


 若い黒服さん。かなんわー、ったくぅ。


「あの……ちょっと話さしてくれへんかなあと思って」


 ああ? 今、そんなばやいでわないのだよ。でも、シンヤの表情はめっちゃ思い詰めてる感じやった。告白とか、そんな甘酸っぱいもんやあらへんな。なんやろ?


 シンヤはわたしの腕を引っ張って、例の隙間に入ってく。な、なんやてー!? いややー! せっかく人がやる気になってるとこに、この隙間はいややー! 今日ばっかは、この隙間とは関わり合いになりたなかった。もう遅いけど……。とほほ。


「ったく。なんやの?」

「りのさん、就職どないするんすか?」


 ああ、そっち系かあ。


「まだ決まってへんよ。求人少なくて、むっちゃ厳しいし。いくつか脈ありそうなとこ当たってる」

「事務とかするんすか?」

「さあ。それもまだ分からへんわ。まだ自分が何できるか、何さしてもらえるかも分かってへんから」

「……」

「なんでそんなこと聞くん?」

「俺ね……」


 しゃがんで頭を抱え込んだシンヤが、情けない声を出した。


「大学止めて、今んとこ来たんすよ」

「ええー? もったな」

「……そうっすよね」


 ぼそぼそとシンヤがしゃべる。


「大学出て、カイシャ勤めして。同じことただ延々と繰り返すんはイヤやなあって思って。水商売なら体張ってる感じあるかなーって。そう思ってたんやけど」

「うん」

「俺、逃げてだだけやないかな」

「逃げてる?」

「先輩たちの仕事見てると、ほんま体張ってるなーいう感じがするんすよ。誰が来てもびびらへん。ちゃんとさばいてく」

「うん」

「俺。俺には、出来ない……。ただ、へらへら笑ってるだけしか出来ないっす」

「何かあったん?」


 黙り込んだシンヤが、小声で漏らした。


「ちょっと、それ系の人、怒らせてしもて」


 うわ。


「店長に外で頭冷やして来い、言われたんすけど……」


 そっか。それで制服のままなんや。


「ちょうどりのさんが引ける時やったから、話聞いてもらおう思て。したら、さっさか行っちゃうし」

「けど、わたしが聞いたかて、なんのアドバイスもでけへんよ?」


 うー。この子もハートがヨワいんやろなあ。大学中退なら、わたしより年上なんちゃうかと思うけど。そういうんは関係ないゆーことかー。


「シンヤが何をしたいか。どやってそれをやるんか。それはシンヤにしか分からへんよね。せやから、わたしは何にも言われへんわ。こないせいとも、そうすんなとも」

「もう、いいっ!」


 大きな声で叫んだシンヤが、隙間の奥の方に走り出した。


「そんなんが聞きたいんじゃないっ!」


 なんや。甘えさせてくれいうことか。情けな。わたしは追っかけよう思ったけど、情けなくてようしいひんかった。おっきな溜息一つ、隙間に残して。わたしはそこを出た。十分くらいしゃべってたと思うけど、経ってた時間はたった二分。中が早いパターンやな。


「あーあ。まためまいとお付き合いかよ。かなんわ」


◇ ◇ ◇


 ぐらぐらぐらぐらぐら。今度のめまいは勝負が早かった。制作室に入ってすぐ強烈なのが来て。わたしは床にそのまま転がって、うーうーうなってた。ほんまにかなん! 一時間くらいで、少しずつましになって。十一時には作業が始められるようになった。ハプニングはあったけど、作業にかかれる。よし! やるで!


 パンを口にねじ込みながら、思い付くままにラフを描き散らしていく。ペーパークラフトなら、型がいる塑像と違ってアウトラインさえ決めればサイズダウンした実物をすぐ作れる。模型と作品が直につながるんや。すっごいイメージしやすい。


 わたしに突き付けられてる課題。内向きや言われたことを、どうするかやな。それが解決すれば、見せ方は自動的に決まるやろ。でも、昨日今日でずいぶんヒントが出た気がする。


 クリがアッコをど突いたコトバ。


『居場所を探すんやない。居場所は作るもんや』


 そうやな。わたしは分身をうろうろさせたらあかん。そこが居場所ちゃうなら、さっさと自分で作らなあかん。見せるのは、そうやって出来た場所や。これがわたしの。わたしだけの。誰にも真似出来ないわたしだけの。そういう場所。中身なんか、まだすかすかでええねん。出来た端から外に出せば、ばっちり見せられるんやから。


 そして。今日棚倉さんとこで、わたしの手の中からアイデアが一つ生まれて、羽が生えて飛んでいった。何もないところから形が出来て、わたしの手を離れた。わたしの場所から、わたしが一つ巣立ったんだ。その感動。その喜び。


 わたしの場所。その場所は固定せえへんでもいい。それは、わたしが作ろうと思う限りどこにでも出来るから。


 クッキーは言った。


『抽象から具象を作り出すのは難しい』


 せやな。でも、わたしはシンヤみたいな甘ったれにはなりたない。難しいならそれに噛り付いて、歯型ぁつけなあかんのやろ。それがどんなにあほらしいように見えてん、噛らなそのほんまの難しさが分からへんのやから。


◇ ◇ ◇


 わたしがラフを描くのに没頭している間に、誰かが制作室に入ってきてたらしい。全く気ぃ付かんかった。


「ふぅ……」


 一息ついて椅子にもたれかかったわたしの目に人影が映り込んで、ぎょっとした。だ、だれや?


「あ」


 離れたところできっつい顔してスケッチブックとにらめっこしてたんは、マギーやった。わたしがラフ描きに没頭してたみたいに、マギーもごっつ集中してる。その視界には、わたしは入ってない。


 そういやあいつの作るもんも独特やな。曲線嫌いなんか知らん、エッジの効いたぱきっとしたもんが多い。色も無彩色中心や。カッコいいけど、ひやっとした感じやな。講評の時も、いっつも同じこと言われてる。


「シャープやけど、温度を感じひん。自分が好きと、それ見てもらえるのとは別やで」


 難しそうやな。わたしみたいな迷いがない分、自分の枠広げんのは大変なんやろなあと思う。


「マギー!」


 何やってな顔して、マギーが顔を上げた。わたしは手にしてたペットボトルをマギーに放る。それは、きれいな放物線を描いてマギーの席に届いた。


 ぱしっ! 片手で無造作に受け取るマギー。


「一服せ」

「……」


 ありがとくらい言わんかい。


「景気ええな」

「臨時収入あったしぃ」

「何や?」

「あんたこの前自販機でコーラ買うた時に、お釣り取り忘れたやろ?」


 にやっ。マギーが笑うってのも珍しい。いっつも不機嫌な面しとるからなあ。


「おまえにくれてやったんや」


 そう来たかい。ほんまに素直やないんやから。口を切って一気にそれを飲みきったマギーが、つらっと言う。


「なんや、課題出しきらんかったんか」


 あほ。


「そんなヘマするかいな。卒制のタマ出しや」

「ほー」


 マギーの視線が、探りを入れるような感じに変わった。


「コンペは出すんか?」

「出す。マギーは?」

「当たり前や」


 出すってことやな。


「就活はどないなってるん?」


 だんまりか。と思ったら。


「きっついわ」

「は?」

「久野さんとこ、ごっつ条件厳しいねん」


 おおー。久しぶりにまともな会話になった気がするでぇ。


「条件て?」

「ああ。うちは弱小やから箔ついとんのしか採らん、だとよ」


 そっかー。久野さん言うのは、うちの専門でずっと前に講師やってた人。今はかなり有名なデザイン事務所を主宰してる。わたしらにとっては憧れの職場や。けど、久野さんは厳しいんやろ。マギーと同じで成り上がりの指向が強くて、そのために使えるもんは何でも使う。抱えてるスタッフを粒揃いにしときたいんやろな。どんなにマギーがそこに食い込みたくても、ただの専門出は採らへんて。きっとそう言われてるんやろ。


「まあ、がんばりやー」

「おまえはどうなんだよ」

「難しいわ。棚倉さんてとこで様子見てるのと、設計事務所の事務員の面接が近々ってとこ。あとは全滅や」

「棚倉?」

「せや。企画を売るって、おもろいことやってる人。野崎センセとおない年や言うとったなー。むっちゃ厳しいおっさんやけど、すっごいセンスあるねん」

「ほー」


 なんとなく、マギーが興味を持ったように見える。それも珍しい。いつもは、ほっとんど他人に関心示さへんからなー。


「邪魔して悪ぃ。マギーも卒制やろ?」

「ああ」


 わたしがまたスケッチブックに線を引き始めたら、マギーに聞かれた。


「まだ残ってるんか?」

「ああ、わたしは今日はここに詰める。今、上げ潮やねん。アイデア出る時は、がっつり突っ込まんと」

「そっか……」


 マギーは、ささっと机の上のものを片付けて立ち上がった。


「俺は帰るわ」

「気にしぃひんでいいのに」

「いや、誰かいると集中できんからな」


 それが自分のことか。わたしのことか。嫌味だったのか、気遣いだったのか。わたしには判断つかへんかった。いつものように、わたしを見もせずに。すいっとマギーが出て行った。


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