シーン23 崖っぷち

 はあはあはあはあはあはあっ! しんと静まり返った夜のビル街の底を、必死に走る。


 アッコ! あんたはガキや! あんたはヘタレや! せやから死ぬ勇気なんてあらへんやろ? せやろ? わたしとクリが着くまで、部屋でぶるっとき。な! 頼むわ! ほんま、頼むわ!


 わたしがぜいぜい言いながらガッコに着いた時、入り口でクリが爪を噛んでた。


「どないしたん、クリ。入らんの?」

「カギかかっとんのや」


 あっ! ほんまや! エントランスの灯りが落ちてる。


「ちっくしょー、こんな時に限ってっ!」

「警備員さんに連絡して開けてもらうことにしてん」


 じだんだ踏んでたわたしたちの目の前で、エントランスの灯りが点いて、がーっとドアが開いた。


「開いたっ!」

「行くでっ!」

「どこ?」


 隠してる場合やない。


「たぶん、野崎センセの部屋や」


 わたしは説明せえへんかったけど、クリはすぐ察したんやろ。何も言わへんかった。


 エレベーターでてっぺんの階まで上がる。非常灯しか点いとらへん暗い廊下で、野崎センセのとこだけドアが開いて、光が漏れてた。やっぱりや!


「いてた?」

「分からん。でも、いきなり突っ込んで興奮させたらまずい。わたし、様子見てくるさかい、ちょっと待っとって」

「分かった」


 クリに控えててもらって、わたしがそっと部屋の様子を見に行く。


 いた! でも、その状況はほんまにヤバかった。手首切ったとか薬飲んだとか、そういうんやなさそうやけど、一つだけ全開にした窓に腰をかけて外を見てる。ぽんと踏み出したらそれでお終いや。震えが来る。


「でんでんやろ?」


 ぽつんと。アッコが言った。


「せや。空メもらったさかい、何やろ思てな」

「何書いていいか、分からんかったん」

「そか」

「うん」

「……」

「よくここが分かったね」

「せやろ」

「ははは、あたし、どっこまでもあほや。先生おらへんかったわ」

「アッコはいっつもそうやないか」

「ちぇ」

「そこ危ないから、さっさと降り」

「いやや」

「おい」

「あたしな。あほやねん。あほやから、なんもうまく出来ひん。でんでんやクリみたいにうまく出来ひん。オトコも課題も。なんにでも手ぇ出して。でもみんなはんぱやねん」

「……」

「もう……もう、どうしていいんか分からへん。あたし、どこに居たらいいんか」

「うん」

「もう……分からへん」


 わたしは。どう返事していいのか分かんなくて、ずっと黙ってた。わたしと同じように、アッコも自分の場所を探してる。ぶきっちょなんは、わたしも同じや。わたしは、アッコが思い込んでるみたいに器用やないんよ。でも、それをどない言うたらいいんか分からへん。しばらく。窓を通る風の音だけが部屋に響いてた。


 立ち尽くしてるわたしの横を、ものすごい勢いでクリが走り抜けた。腰を浮かそうとしたアッコの肩をがっと掴むと、いきなり床に叩き付けた。


 どしーん!


「いったあ……」


 頭をさすりながら起き上がろうとしたアッコの胸ぐらを掴んで、いきなりクリがゲンコを顔面にみまった。がつん!


 げ……。か、過激やな。

 鼻血が出てくるのを手で押さえながらアッコがクリを睨む。


「な、なにすんねん!」

「こっちのセリフじゃ! ぼけぇ!」


 アッコがつかみかからなかったのは、クリが泣いてたからやと思う。


「そっから落ちたら、そんな痛みくらいじゃ済まへんのやで? 分かってるんか? バカあっ!」


 うつむくアッコ。もう一度。クリがアッコの胸ぐらを掴んでゆすゆすと揺すぶった。


「あんな。居場所いうんは探すもんやない。作るもんや! おまえ、なんのために造形科におるん? だあほーっ!」


 クリの激しい怒りが、わたしの目の前で爆発した。


 ああ、せやな。作る言うてん、作品ばっかやない。カレシかて人生かて、なんでもそうやもん。そして、作るのに最低限必要なパーツは命や。それがなかったらなーんにも出来ひん。幽霊に作品は作れへん。それがダリでもマグリットでも同じことや。


 アッコは。クリのど突きをどう受け取ったんか知らんけど、完全に黙り込んでしまった。わたしたちは、アッコに付き添って家まで送り届けた。ほんま、勘弁して欲しいわ……。


◇ ◇ ◇


 よれよれの状態で部屋に戻った時には、もう外が明るくなりかけてた。


 かなん。もう肌が曲がる。つーか、それ以前に体が保たへん。焼き肉の臭い上等。もうかまへん。寝かせてくれー。ぐぅ。


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